064.朝の一時
「マリー、おはよう。今日も良い朝だな」
「おはようございます、ラント。えぇ、そろそろ寒くなって参りましたが、ゆっくり寝られましたわ。ラントの与えてくれた毛布は温かいですわね」
「あれは〈温暖〉の魔術が掛かっている毛布だからな。持ち主の魔力を使って良い感じに温かくなるんだ。冬には必需品だぞ」
「えぇ、もう手放せませんわ」
ラントは朝ご飯は必ずマリーと食べることにしていた。アドルフィーネが給仕をしてくれている。娘二人はダウンしてしまっていて朝には間に合わなかった。昨晩も激しくしたので仕方がない。もう彼女たちはラントにメロメロだ。
ラントも貴種の女の魅惑には勝てない。つい激しくしてしまう。特にアドルフィーネだ。元人妻で子持ちでもあるのに夜は激しい。それでいて朝にはケロッとしてラントの給仕をしている。ラントの子種を肚に抱え込みながら優雅に侍女服を着こなしている。
「ラント様は相変わらず朝から健啖家ですね」
「あぁ、食は大事だ。一日の活力に朝飯は大事だ。それに俺は常に魔力を使うからな、他人よりも多く食べねばならん。常に魔法具を付けて発動しているからな。寝ている時も歩いているだけでも魔力を使っている」
「凄いですね。私にはとても真似できません」
エリーがラントの朝飯の多さに驚いている。だがこれもいつものことだ。トールを影から出して魔物の焼き肉を食わしてやる。それをエリーは幸せそうに眺めていた。トールは公爵家でも人気者だ。気がつくと使用人や侍女たちが餌をやっている。すっかりマスコットとして定着してしまった。
「そういえばラント、今日は王城へ行くのですよね」
「そうだ、王太子殿下から指令があったからな、ちょっと長く掛かるかも知れん。夕食を一緒できるかどうかはわからんな」
「寂しいです」
「仕方ないだろう。子爵程度で王太子殿下の命令を無視できる訳がない」
相変わらず美しいマリーが寂しそうな表情をする。捨てられた子犬のようだとラントは思った。この顔をされるとラントは弱い。狙ってやっているのではないかと疑ってしまうほどだ。ラントの感情は常にマリーにかき乱されている。こんなことは初めてだった。
(これが恋か、盲目にならんようにしっかりと気合を入れんとならんな)
ラントは自身の恋心を自覚し、マリーを見つめた。瞳と瞳が合う。マリーはそれに気付いて恥ずかしそうにもじもじしている。
給仕の侍女たちも美しいマリーの姿に見惚れている。美人は何をしても絵になるのだ。
だがマリーは謀略家の面も持っている。公爵家の女主人として君臨しており、家令から侍女たちまで全て把握し、ラントの望みを先読みし、男心をくすぐってくるのだ。気を抜いたらたちまち絡め取られてしまうだろう。女郎蜘蛛のような女だ。
ラントが少し甘く囁やけば蕩けるマリーだが、油断はならない。
(縋られると堪らんな。つい抱きしめてしまいたくなる)
さらにエリーの存在だ。エリーはマリー至上主義である。マリーの恋を応援する為に自身の貞操さえラントに捧げている。更にラントの求めには何でも応じる。
しかしエリーも舐めてはならない。マリーに入れ知恵し、参謀としてマリーに助言しているのだ。マリーとエリーのタッグはなかなか強力だ。女をコマすことに自信のあったラントだが、マリーとエリーにはかき乱されてばかりいる。
「帰る時には先触れを出す。大人しく魔力制御の練習をして待っていろ。それがお前の仕事だ。わかっているな、マリー」
「はい、決してサボったり致しませんわ」
誰にも言ってはいないがマリーは聖女の卵だ。ラントとエリーしか知らない。神の愛し子などとも呼ばれる。神の気まぐれによって神気と言う特殊な気を扱うことができる。マリーを怒らせれば王城の結界すら砕く雷が落ちるだろう。天罰と言う奴だ。
その神気を持つことが教会にバレれば必ず聖国から追手が掛かる。聖国は聖女を独占しようと躍起になっているのだ。今聖国には聖人と聖女はどれほどいるのだろう。秘密主義なのでわからないが狙われることは間違いないだろう。
だがマリーは以前のマリーとは違う。アーガス王国の四大公爵家の一つ、ランベルク家の当主の孫娘であり、王妃の姪であり、王太子の従姉妹でもある。聖国だとしても容易には手を出せない。
だが油断はならない。聖国も影を使う。どこでマリーのことを嗅ぎつけて攫いに来るなどわからない。強硬手段を取らないとも限らないのだ。
故にマリーには神気を抑える魔法具の指輪を付けさせ、魔力制御の訓練をさせている。
自在に神気が扱えるようになれば聖騎士など相手にならない。マリーが神気の使い方をきちんと覚え、使いこなせればだが。
「では行ってくる」
「はい、行ってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております」
ラントがアレックスに跨って王城へ向かう。マリーは玄関まで送り出してくれる。いつもの光景だ。すっかり慣れてしまった。この光景を見ないと一日が始まらない気さえしてしまう。
(俺もすっかりやられているな、子爵などなるつもりはなかったと言うのに。マリーとベアトリクス、コルネリウスもか。マリーの血縁は全て手強いな。更に権力まで持っている。気を抜くとすぐさま無理難題を押し付けてくるだろう。だがクラウディアや王妃付きの侍女の味は良かった。アレは俺への褒美でもあり、更に国を富ませる為の策略だろう。一石二鳥を狙った謀略だ。ベアトリクスも油断ならんな。大国の王妃をしているのだ。当然か)
これから顔を合わせるであろうベアトリクスの美しい顔を思い出して、ラントは馬を駆けさせた。
◇ ◇
「はぁ、ラントが行ってしまったわ。寂しいわね」
「マルグリットお嬢様、今日も一日訓練を致しましょう。ラント様に叱られますよ」
「そうね。それにお祖父様も近々来ると聞いているわ。ラントはその間北へ向かうそうよ、寂しくなるわね」
「ですが公爵閣下にお目にかかれるのはアーガス王国に居る間だけです。公爵邸を好きにさせて頂いているのも公爵閣下のおかげですし、マルグリットお嬢様のお祖父様でもあります。仕方有りません。それに久しぶりに伯父様や叔父様方、従姉妹たちとも会えるのでしょう。楽しみではございませんか」
「そうね、懐かしいわ。よく城の庭で遊んでいたものよ」
マリーは幼い頃に遊んだ従兄弟たちのことを思い浮かべる。楽しかった思い出しかない。
ランベルク家は王国の東の守りを任されている公爵家だ。先の内戦で忙しくしていて、王都には誰も居なかった。貴族院に通っている子女も居るが寮に入っていると聞く。分家の者たちであるので、マリーは面識がない。
ラントにあてがうにはちょうど良いかも知れない。ラントを繋ぎ止める為にはマリーは手段を選ぶつもりはなかった。分家の娘でも伯爵家くらいの爵位はある。その娘たちの貞操だ。ラントは喜んでくれるだろうか?
色々と試してみてラントは貴種の女を好む事がわかった。年齢幅は広い。貴族院に通っている子女から人妻まで何でも行ける。体型もあまり気にしない。
だがマリーがラントに与える女たちは公爵家の厳しい選抜に抜けてきた女たちだ。全員が美しく、所作も洗練されている。厳しい選抜に教育まで受けているのだ。
(ラントの好みはよくわからないわね。幅が広すぎるわ)
例え男爵や子爵などの下級貴族の娘であっても公爵家で教育されれば上級貴族並の所作を手に入れることができる。と、言うかその教育を抜けなければ侍女にはなれない。
侍女見習いなどいくらでもいるのだ。彼女たちもそのうちラントのお手つきになるだろう。見習いたちは離れで教育を受けているのでラントやマリーの前に立つことはない。だがラントの噂は見習いたちの間でも共有されているようだとマリーは報告書を受け取った。
「見習い達もラントに与えようかしら。まだ教育は完璧ではないけれど、そのたどたどしさを逆に好むかも知れないわね」
「そうかも知れませんね。ラント様は幅広く好むようですから、それを試してみても良いかもしれませんね。使用人たちにもちょくちょく手を付けていますよ。彼女たちは平民出です。ですがラント様は気にならないようです。以前聞いたのですがハンターギルドや商業ギルドの受付嬢を食べている気分になれるそうです」
「なるほど、その視点はなかったわね。エリー、良い情報をありがとう」
「いいえ、マルグリットお嬢様とラント様の為ならばいくらでもこの身を粉に致します」
「ふふっ、エリーはいい子ね。愛しいわ」
「そんな、勿体ないお言葉です」
エリーが照れる。使用人たちが忙しく動いている。だがその所作は洗練されていて目に入れても汚らわしく思わない。背筋がピシッと伸び、足音も立てずに歩いている。
使用人たちもそうだ。例え平民の出であっても公爵家に勤めるのだ。並の教育ではない。幼い頃から厳しく躾けられ、貴族相手でも失礼のないよう様々な事を叩き込まれる。
それに全ての使用人が既にラントの虜だ。子を孕む事すら受け入れている。孕めば離れに移し、ラントの子を産ませることを決めている。ラントの子ならば平民との子ですら膨大な魔力を持つだろう。幼い頃から仕込めば優秀な使用人になるに違いない。騎士や魔法士にすら成れるかも知れない。後々必ず公爵家の為になる。他の貴族になら絶対に許さないが相手はラントだ。テールの麒麟児の名は伊達ではない。
「マルグリットお嬢様、大旦那様から手紙が届きました」
「あら、じゃぁ私室に置いておいて貰えるかしら。すぐに読むわ」
「畏まりました」
サバスが恭しく礼をする。サバスは本来マリーの家臣ではないのだが、マリーへの礼を欠かさない。館の女主人と彼が認めてくれているから、マリーはこの館で好き放題できるのだ。既にこの公爵邸はマリーの物だった。ラントの後宮とも言える。
「アドルフィーネ」
「はい、マルグリットお嬢様」
「侍女の仕事は慣れたかしら。ラントに失礼など犯していなくて?」
アドルフィーネは華麗な貴族の礼を取った。最上級者に使う礼だ。自分の立場をわかっている。
「もちろんでございます。娘共々誠心誠意仕えさせて頂いております。昨晩も三人で纏めて可愛がって頂きました。娘たちはあまりの激しさにまだダウンしております。申し訳ございません」
マリーは優雅に頷いた。
「いいわ、許します。ラントの相手をした侍女は次の日は大概動けなくなるそうよ。貴女は強いわね」
「子を四人も産んだ人妻でございます。慣れておりますので。ですが私でもギリギリです。最近まで生娘であった娘たちには多少酷かと」
「ラントは蕾も好むようよ。構わないわ。でもしっかりとデボラの教育は受けなさいね」
アドルフィーネと娘二人は反乱を起こしたランドバルト前侯爵の妻と娘たちだ。もうランドバルトの名を名乗ることは許されない。貴族籍からも除籍されている。ただのアドルフィーネだ。
ラントの功績により下賜された。と、言うより危地を救って貰ったランドバルト侯爵が是非にとラントに差し出して来たと言う。侯爵家で育てられていたので所作は美しいが娘たちはまだ侍女としては拙い所がある。しかしアドルフィーネは年の功か完璧に侍女を熟している。
「そういえばランドバルト侯爵が回復されてラントに直接礼を言いたいと言って居たわね。その事もラントに伝えないと行けないわね」
マリーは今日の予定を決めながらやるべきことを優先順位順にこなしていく。その姿は弱冠十七歳とは思えぬ貫禄があり、侍女たちはマリーの美しさに見惚れていた。




