063.閑話:クラウディアの覚悟
「クラウディア、貴女クレットガウ卿の子種を貰ってくる気はない?」
「はっ?」
クラウディアはこの国の王妃であるベアトリクスの近衛騎士だ。
そのベアトリクスから突飛な言葉が出てきたことで、あまりに驚いて不敬にも言葉が紡げなかった。
通常ベアトリクスの言葉には頷くことしか許されない。失態だ。だがあまりの事にクラウディアの思考はショートしていた。
ここはベアトリクスの私室だ。他の近衛騎士や侍女たちも当然いる。
「子種よ、子種。クレットガウ卿の子を孕んで来なさいって言っているの。私の近衛騎士の中では貴女が一番素質があるわ。そしてクレットガウ卿、彼ほどの魔力の持ち主はそうはいないわ。ハンスよりも高いのではないかしら。あの年齢でよ。信じられる?」
「子種……ですか? 私には夫も子もいるんですが」
「そんなこと承知の上よ。その上で言っているの。他の近衛騎士や侍女たちもよ、貴女たちも他人事じゃないわよ。マルグリットに許可を貰って貴女たちも派遣するつもりでいるからその覚悟をなさいね。でも命令じゃないわ。無理にとは言わないわよ」
近衛騎士や侍女たちが絶句する。まだ年若い者、婚約者がいる者、恋人がいる者。人妻。様々だがベアトリクスに侍ることが許されているのだ。侍女も近衛騎士も全て上級貴族の娘たちで構成されている。
クラウディアも伯爵家の三女であり、同じ伯爵家の次男坊であった夫と婚約し、結婚し、子も為している。幸い男子が生まれたので可愛がっている。次の子は娘が良いななどと夫と話している最中だ。
夫は王城で武官をしていて、二人して王城に部屋を与えられている。当然同室だ。子は乳母を雇って、そのまま教育係に任命して任せている。まだ三歳の可愛らしい年の男の子だ。
近衛の任務が終われば子に会うのが毎日の楽しみだ。そして夫とは仲良くしている。次の子を孕むのはいつかとお互い期待しているのだ。だが貴族は孕みづらい。こればかりは神に祈るしかない。
「でも貴女、クレットガウ卿に惚れているでしょう」
「なっ」
本心をつきつけられ、クラウディアは声も出なかった。顔が赤くなるのがわかる。
「ふふふっ、あれほどの男ですもの。惚れない筈がないわ。私の勘も大したものでしょう」
ベアトリクスは笑っている。クラウディアは二の句が継げなかった。夫がいるのだから、子がいるのだからと自分に言い聞かせていたが、本心に嘘はつけない。クラウディアはラントにいつの間にか惚れてしまっていたのだ。
「さぁ、マルグリットを茶会に呼んでいるの。移動致しましょう」
「「「畏まりました、ベアトリクス王妃殿下」」」
全員が従い、茶会室に移動する。暫く待つとプラチナブロンドが美しいマルグリットが侍女を伴ってやってくる。
(相変わらずお美しい。王国の至宝と言われたアンネローゼ様の生き写しと言われるだけあるわね)
クラウディアはマルグリットを見てそう思った。女として敵わないと思った。
ベアトリクスの姪であり、血が繋がっていて確かに面影は似ている。だがベアトリクスとは少し毛色の違う美人だった。
ベアトリクスは少しきつめの目付きをしているが、マルグリットはおっとりとした淑女のように見える。ただそう見えるだけだ。
ベアトリクスと同じ公爵家の血を引いているのだ。どう考えても単なるお人形ではあり得ない。
ラントに命を救われ、王都までの護衛譚は吟遊詩人の歌にまでなっている。クラウディアもそれを聞いてそんな電撃的な恋物語があるのかと思ったほどだ。その当人が目の前で優雅に茶を飲み、ベアトリクスと話を弾ませている。
王妃殿下を叔母様と呼び、堂々とした佇まいだ。初めて茶会室に来た頃はまだ大人しかったように思える。だが段々と最近は風格が出てきているような気さえした。彼女なら次代の王妃ですら務まるだろう。
幸い王太子妃殿下は大人しいながらに縁の下の力持ちとばかりにコルネリウスをしっかり支える良い妻だ。男の子も産み、次代も問題ないと太鼓判を押されている。
だがコルネリウスの妻がマルグリットならどうであろうか。コルネリウスより存在感があり、王制でありながら女王として君臨しそうなほど風格が増していた。まるで今のベアトリクスのように。ベアトリクスは影の女王と呼ばれているのだ。
「それでね、マルグリット。相談があるの。うちの侍女や近衛たちにクレットガウ卿の子種を分けてくれないかしら」
「あら、叔母様、冗談が上手いですね。面白くはありませんけれど」
バチバチと視線が弾け飛ぶ。近衛であるのに恐ろしいと思ってしまった。女の戦いが始まったのだ。
「冗談じゃなくてよ。王国の未来の為には彼の子種が必要だとは思わなくて? 公爵家だけで独占するのはズルいと思いませんこと? 公爵家では使用人も侍女も彼に侍らせ、避妊薬も禁止しているのでしょう」
「なっ、どこでそんなことを」
マルグリットが焦る。公爵家の秘事だったのだろう。ベアトリクスはどこで知ったのかと思えるくらい情報通だ。影を従えている訳では無いのにどこの貴族の秘事すら知っているように錯覚してしまうほどに情報が早い。
「それでまずはクラウディアよ。近衛の新鋭。クレットガウ卿と年も近いし子も産んでいるわ。魔力も高く、良い肚よ。どうかしら。他の侍女たちでも近衛たちでも構わなくてよ。公爵邸や子爵邸を訪ねる許可をくださいな」
マリーはベアトリクスが本気だと知って嘆息した。少し俯いている。だが憂いを帯びた表情も美しい。
「冗談じゃないのですね。でも仕方ありませんね。ラントを公爵家で独占したら嫉妬の渦になってしまいます。許可致しましょう。ただしラントの意思を無視してはなりませんよ。全てはラントが決めることです」
「そのくらいの機微はわかっていましてよ。大丈夫です。クレットガウ卿は訪ねて来た女に恥をかかせるような真似は致しません。貴女もよくわかっているのではなくて」
「はぁ、叔母様には敵いませんわ」
マルグリットは折れた。それはつまりクラウディアがラントの部屋を訪うと言う意味でもあった。いつの間にかクラウディアの運命は決められていた。クラウディアの目の前で、お茶会の会話一つでである。逆らう権利はクラウディアにはなかった。何せ上位の貴人二人が決めた事なのだ。決定事項である。しかしラントの姿を想い、クラウディアの胸は高鳴っていた。
◇ ◇
「ねぇ、あなた。今日ベアトリクス様から密命を受けたの」
「王妃殿下から? いいのかそんな話をして」
「あなたも関係あることよ。クレットガウ卿のことは知っていて?」
夫は当然だとばかりに頷いた。
「王城に勤務していて彼の名を知らぬ者はいないよ。俺はあの戦には同行しなかったが、友人の騎士や武官から相当自慢を受けたぞ。クレットガウ卿に従ったおかげで褒美が貰えたとな。俺も同行したかったくらいだ。惜しくて仕方がない。だが城で仕事が山積みだったからな」
夫は遠い目をしていた。
「それでね、ベアトリクス王妃殿下から、その……クレットガウ卿の子種を貰って来いと言われたの」
「なっ」
夫に言わせればそれは浮気を宣言しているのと同義だ。更に他の男の子を孕むと言うのだ。一度や二度の逢瀬ではすまないだろう。夫として許せることではないとクラウディアは思っていた。
「そうか、ベアトリクス王妃殿下が。俺もクレットガウ卿の逸話はいくつも知っている。信じられん、神話の世界の英雄と言われても信じてしまう。その彼とクラウディアの子ならば例え俺の子でなくとも爵位を頂けるほど活躍することだろう」
だが夫はベアトリクスの命令にショックを受けたようだが、真剣に考え出した。
「断ってくれても良いのよ。私はあなたの妻なのだから」
「だが俺は無爵だ。騎士爵は持っているがな。実家の伯爵家の後ろ盾はあれど、そんなもの王城に居れば腐る程上がいる。俺の代では爵位を貰うことはできんが、クレットガウ卿とクラウディアの子なら爵位を得ることすら叶うだろう。それにベアトリクス王妃殿下のお達しだ。クラウディア、お前断れるか? 俺はとても逆らう気など起きんぞ。大丈夫、俺はクラウディアを愛している。クラウディアとクレットガウ卿の子なら愛せる自信がある」
夫は肚を括ったようだ。目に一片の曇りもない。
「あなた」
クラウディアは夫に抱きついた。その夫にも背を押された。良き血を取り込むことは貴族の責務であるのだ。あれほど良い男だ。その血を一族に取り込みたいというのは夫の本心でもあるのだろう。だがクラウディアはまだまだ若く、娘も居ない。ならばクラウディアが孕むしかない。
「わかったわ。あなたが良いと言うなら訪います。許してくださいね」
「悔しいが男振りも剣技も魔法も俺にはクレットガウ卿に敵うところがない。夫として思う所がない訳ではないが、あの男なら仕方ないと思ってしまう。クラウディア、お前も彼に惚れているのだろう」
図星をつかれたと思った。それほどわかりやすいのだろうか。
「えぇ、あなたのことは愛しているわ。でもクレットガウ卿に惹かれている自分がいることに気付いたの」
「仕方あるまい。クレットガウ卿が夜会に現れると令嬢が群がるのだ。婚約者や夫がいる女たちですら彼の前では顔を赤らめる。今最も勢いがあり、熱い男だ。ハンス閣下やアドルフ閣下も熱心に誘ったと聞く。近衛騎士団長も近衛騎士にどうかと誘ったそうだぞ。どれも袖にされたと言うがな。まさか近衛騎士や宮廷魔導士の誘いを蹴るやつがいるとは思えなかった。自分に自信があるのだろう。だから肩書など必要としない。通常はなりたくてもなれぬ、しかし誘われてもならぬ。それほどの男だ。近衛騎士たちとの戦いは俺も見ていた。男として敵わぬと思ったものだ。女だてらに騎士をしているクラウディアが惹かれぬ訳がなかろう。俺も肚を括ろう」
夫はそう言って締めくくった。つまりラントの子を孕んで来いということだ。
◇ ◇
「これはこれはクラウディア様。お待ちしておりました」
クラウディアはいつもの近衛の服ではなく、ドレスに身を包んで公爵邸を訪れていた。化粧もしている。当然目的はラントである。敬愛するベアトリクスの指令でもあり、夫も納得している。もうここまで来たら言い訳は聞かない。
ラントに抱かれることができる。その事を考えただけでクラウディアの胸は跳ねていた。
「あら、いらっしゃい。クラウディア。ドレス姿の貴女も素敵ね。ラントとの情事はわたくしも見させて貰うわ。そのくらいはいいわよね」
「はい、マルグリット様。クレットガウ卿を一時、お借り致します」
ベアトリクスに跪くように、クラウディアはマルグリットに自然に跪いていた。こうすることが当然であるかのように、この公爵邸の女主人はそれほどの風格を纏っていた。
「クラウディアじゃないか。どうした。久しぶりだな。今日は近衛の任務は休みか? ドレス姿もいけてるじゃないか。ギャップがあって美しいな。いつの間にマリーと仲良くなったんだ。俺は邪魔だな。女同士で楽しんでくれ」
ラントが現れ、颯爽と去っていく。「待って」とばかりに腕を伸ばして止めようとしてしまった。ラントの顔を見ただけで顔が熱い。それに美しいと言われてしまった。それだけで体が火照っている。なにせ今夜クラウディアはラントに抱かれるのだ。其の為にこの場に来ている。
クラウディアは覚悟を決めた。今日はマルグリットと友誼を深め、夜半にはラントの部屋を訪うのだ。
夜になり、クラウディアはネグリジェ姿で部屋をノックした。マルグリットからは全て良きに取り計らっていると言う。
コンコンコンとノックするとラントの声が聞こえる。心臓がドキンと跳ねた。
「失礼する」
クラウディアは必死の覚悟でドアを開け、一歩を進めた。そして何度も公爵邸や子爵邸を訪った。夫とはしばらくしないことになった。
幾度も逢瀬を重ねると、待望の妊娠が発覚した。ほぼ確実にラントの子だが愛そうと思う。クラウディアは自分の腹を愛おしげに撫でた。




