053.覗きと最高の酒
「ラントっ、お帰りなさい」
「あぁ、ただいま。マリー」
マリーは魔導士試験から帰って来るラントを玄関で待ち構えていた。ラントが優しく抱擁してくれる。それだけで幸せな気分になれる。
「魔導士試験、如何でしたか」
「なんだか知らんが一発で合格だと言われた」
「あれ、後日結果が発表されるんじゃなかったでしたっけ?」
エリーが疑問符をつける。
「試験官が自分より巧みに魔法や魔術を自在に操る俺を落とす訳には行かんと言っていたぞ。俺が受からなければ誰を合格させるんだと自棄になっていたな」
「まぁラント様ですからね、会場の注目を集めていたのでしょう。目に見えるようです」
「なんでわかるんだ。エスパーか?」
「エスパーとはなんですか?」
「あぁ、予知や預言者のようなものだ」
エリーは頬を膨らませた。
「そんなおかしな能力があったら侍女なんてしていませんよ。教会に捕まって従事させられるに決まっています。私たちはラント様の実力を知っていますからね、今更魔導士試験で落ちるなど露ほども疑ってはおりません。宮廷魔導士に抜擢されても驚きすらしませんよ。なにせラント様ですからね。マルグリットお嬢様もですよ」
「えぇ、そうね。軽々と突破すると思っていたわ。驚きはないわね、ラントだもの」
「宮廷魔導士にはハンス閣下に誘われたぞ。断ったがな。面倒で仕方がない。やっていられるか」
「ふふっ、天下の宮廷魔導士を面倒だなんて、ラントらしいわね」
エリーの言葉にマリーは同意しながらもラントの胸にすりすりと顔をこすりつける。マリーの匂いをつけるように、これは自分のものだとマーキングするように。
だがラントは厚手の外套を羽織っている。ラントの肉体を味わえないのは寂しいなとマリーは思った。
マリーが離れるとラントが外套を脱いで使用人に渡している。騎士服のラントが現れる。相変わらず似合っていると思った。近衛騎士の服ですらラントには似合うだろう。華やかな近衛騎士の服を着たラントの姿も見てみたいと思ったがそれは王族にラントを取られると言うことだ。マリーはそんなことは許せない。
「マリー。どうした。しつこいな」
「まぁ、失礼な」
マリーは騎士服になったラントに再度抱きついていた。使用人たちの目が生温かい。だが気にならない。ラントの厚い胸板の感触が感じられる。腰には優美な剣が下がっている。与えられた騎士剣では耐久性が弱いと、ラントが以前自分で打っていた物だ。強力な魔剣らしい。
ラントはいくつもの魔剣や魔槍を持っているが装飾には凝っていなかった。無骨な剣や槍が多かったのだ。だが騎士となったからにはそれなりの装飾がされた剣を持たなければならない。ラントは「仕方ないな」と言いながら鍛冶場に籠もり、たった数日で魔剣を作り上げた。
「では合格祝いに今日の夕食は豪勢なものに致しましょう。ラントの好みの物を作らせますね」
「公爵家の食事は常に豪勢だぞ。俺には勿体ないくらい良い食材を使っている。更にシェフの腕も良い」
「うちのシェフは王宮シェフの弟子をしていたものです。王都で店を構えれば予約で数ヶ月は簡単に埋まることでしょう」
「そうだろうな、あの味だ。どんなに高い値段でも貴族たちは通うだろう。目に見えるようだ」
ラントはマリーの腰をぎゅっと抱きながら答えた。密着する体にマリーの体も熱くなる。冬場だというのに火照りで汗をかいてしまいそうだ。
「うふふっ、今日は良い魔物肉が入っているそうですわ。豪快なステーキが好きなのでしょう。それにランドバルト市が落ちたことで海の魚も入るようになってきました。氷魔法士や魔術士が必要なので良いお値段がするのですが美味しいですよ」
「海の魔魚か。あれは美味いよな。ちょっと楽しみだ」
「えぇ、楽しみにしていてください。ラントがいつも美味しそうに食べるのでシェフも腕が振るい甲斐があると言っていましたよ」
ラントがマリーを引き離す。残念だと思った。ラントの温かさを、匂いをもっと堪能したいと思っていたのだ。
「魔導士試験の後だ。臭いだろう。ドレスにも匂いが移るぞ」
「そんなことはありませんわ。ラントの匂いがドレスからすると幸せになるのです」
「お前、変態だな」
「なっ」
変態扱いされたマリーは顔を真っ赤にして怒った。ラントは苦笑しながらポカポカとマリーに叩かれるのを許している。
「だがマリーの匂いも良い匂いだぞ」
「きゃっ」
ぐいと引き寄せられ、くんくんと頭の辺りを嗅がれる。匂いを嗅がれるのはなんと恥ずかしいことだろう。しかも侍女や使用人たちも見ているのだ。
「止めてください。ラントこそ変態じゃないですか」
「マリーは常に良い香水と香油を使っているからな、俺みたいに汗臭いわけじゃない。汗臭い男が好きなマリーとは違う」
「汗臭い男が好きなわけではありません! ラントの匂いだから良いのです」
「お二方とも、ここは玄関ですよ。痴話喧嘩はそろそろお辞めください」
エリーに言われ、ラントは湯浴みをしてくると言った。マリーも渋々とラントから離れる。湯浴みに同行してはいけないだろうか。そんな考えが過ってしまう。ラントとなら一緒に入っても良い。
マリーはそこまでラントの事を思っている。だが流石に婚前に裸を見せ合う訳には行かない。マリーは公爵令嬢であり、王妃殿下の姪で、王太子殿下の従姉妹なのだ。彼女たちの後見を受けていることでほとんどのことは許されるが、逆に柵になることもある。
しかし使用人たちから聞いた所、稀に湯浴みの時に求められる時があるのだと言う。戦の後など激しかったと報告があった。それを聞いて恥ずかしくなったが、詳しく聞き出した。ラントは巧みな腰使いで三人の使用人を文字通り腰砕けにしたらしい。更に夜にまで二人呼びつけたと言う。何と言う体力だろう。魔の森を三日で踏破するのだ。ラントの体力は底しれない。当然貴族令嬢であるマリーが付き合える筈もない。
(わたくし、大丈夫かしら)
そんなラントの相手をできるだろうか。貴族院では領主コース、騎士コース、魔法士コース、文官コースに二年時から別れる。そして女子生徒にだけ淑女コースという主に嫁入りする貴族の令嬢たちようの専用のコースがある。そこでは床入りの話や、生々しい話も教えられる。
マリーは王太子妃が内定していた為、領主コース、文官コースと魔法士コース、淑女コースと四つも受けていた。貴族院時代はとても忙しかったのだ。そしてその全てのコースを優秀な成績で卒業した。まさか卒業パーティであんなことになるとは思わなかったが。
(今日も魔導士試験で滾っているかも知れないわね。ちょっと覗かせて貰おうかしら)
マリーはデボラに聞いて見た。するとこっそりと客人用の湯を覗き見る秘密の小部屋があると言う。誰が作ったのだろうか。下品な部屋だ。だが都合は良い。行って良いかと聞いてみたらマリーに行って悪い部屋などどこにもないと答えられた。
マリーとエリーは隠し扉を使い、秘密の小部屋に入った。やはり滾っていたのだろう。ラントと使用人が密接に絡まっている。
(まぁ、なんていやらしい。初めて見ましたわ。それにしてもラントの裸体は本当に美しいですわね。あぁ、なんてことっ。あんなことまでするの? 淑女コースではあんなこと教わりませんでしたわ。使用人たちには夜伽の為の特別な教育があると聞きましたが、わたくしも習っておいた方が良いのかもしれません。何せわたくしはあのラントの相手をしなければならないのですから)
マリーとエリーは目が離せなかった。いやらしいと思いつつ見入ってしまったのだ。エリーも顔が真っ赤になっている。マリーも同じ様になっているだろう。体が火照っているのがわかる。
(マルグリットお嬢様、もしお一人でお相手できなければ私もお付き合いいたしますよ)
エリーがそう囁いてくる。
(あら、エリーがラントに抱かれたいだけではなくて? あの逞しい体に抱きしめられたい、そう思いませんの)
(……思います。下心満載で提案しました。すみません、マルグリットお嬢様)
(構いませんわ。わたくし一人では多分ラントのお相手は務まりません。エリーにも手伝って貰いましょう)
(では私は妾の一人ということですね。いつかラント様の子を産ませて頂いても)
(ずっと付き合ってくれていたエリーですもの。構いませんわ。そんなことを許さないほど狭量ではありません)
マリーは事が終わるまでじっとラントたちの肢体が蠢くのを眺めていた。ラントがすっきりした顔で離れる。終わったらしい。
ちらりとラントがこちらを見た気がした。ラントの口元がニヤリと笑っているのが見えた。
(目があった?)
(まさかっ、魔術の掛かった隠し部屋ですよ)
(ですがラントなら気付いてもおかしくありませんわ)
マリーとエリーはこそこそと逃げ出した。きっと見つかっていた。見逃されたのだ。
その日の夕食は豪勢な物で大量の肉や魚をラントは全て平らげた。ラントはシェフに礼を言ってくれと言い、メニューに合わせて白と赤のワインを三本も空けた。ラントは酒も強い。良い酒だと舌鼓を打っていた。
しばらくして、マリーはラントの部屋を訪れることにした。
「どうした、こんな夜半に。令嬢が男を訪ねる時間ではないぞ。しかも寝間着じゃないか、襲ってくれと言っているようなものだぞ」
からかうようにラントが言う。マリーは薄いネグリジェ姿で静かにラントの横に寄り添った。何せ胸が透けている。恥ずかしくて顔から火が出そうだったが勇気を出してラントの部屋を訪ねたのだ。
ラントはグラスに濃い飴色の酒を入れて飲んでいた。カランと氷がグラスの中で揺れる。グラスは美しく月の光を受けて輝き、ソファに座って酒を飲んでいるというのだけなのに絵になるとマリーは見惚れた。
「せっかく来たんだ、マリーも飲むか? 俺特製蒸留酒だ。十年寝かしたものだ。うまいぞ」
「では少しだけ」
ラントは茶色のガラス瓶を傾けて少量だけグラスに注いでくれる。
「まずはストレートで軽く口をつけてみろ。きついぞ、咽るなよ」
「えぇ。あら、本当に強いですわね。でも香りがとても素敵ですわ」
「当然だ。北の山脈の樹海の奥にしかない特別な香木で使った樽で寝かせていたんだ。ジジイから譲って貰った三十年物もある。だが若い酒も良い。今日は若い酒の気分だったんだ」
「十年で若いのですわね。聞いたことがありませんわ。それにラントは酒も作れますのね」
「あぁ、次はロックで飲むといい。〈製氷〉
コロンと美しい球となった透明な氷がグラスに三つ落ちる。これほど綺麗な透明な氷は見たことがなかった。
「魔力制御は練習しているか。修練すればこうやって美しい氷を作ることができる。不純物の全く無い氷だ。案外初級魔法も極めるのは難しい。今度挑戦してみろ。なかなかできんぞ。それにこれは酒に合う。溶けづらく、美味い」
「毎日言われた通り鍛錬を欠かしておりませんわ。今度挑戦してみます。あら、こっちの方が口当たりが良くて美味しいわね。わたくしはこちらが好みですわ」
「今度チェックしてやろう。魔力制御はできるようになってきたみたいだな。魔力の揺らぎが少なくなってきている。その言葉は本当のようだ。本来は割って飲む方がいい。マリー、お前意外と酒に強いな」
ラントが意外そうにマリーの瞳を見つめてくる。吸い込まれそうだと思った。マリーもラントを見つめ返した。二人の瞳が絡まり合う。
「貴族で酒に弱ければ夜会でいつ連れ込まれてもおかしくありませんわ。高位な貴族ほど、幼い頃から少量ずつ慣れさせられるのです。自身の上限も常に把握しておりますわ。酒に溺れるなど貴族の恥ですわよ」
「なるほど、強いわけだ。〈製水〉」
今度は水が注がれる。ラントが瓶を傾けて酒を追加してくれる。飴色の酒が薄まり、月明かりを受けて美しい。華やかな香りが鼻腔を刺激する。
飲んでみるときつさが収まり、まろやかな味と香りが口いっぱいに広がってくる。
マリーはラントにしなだれかかり、腰を抱かれ、ラントの胸板に抱きつきながらラントの昔話などをねだった。ラントの体温を感じ、ラントと一緒に酒盛りを楽しみ、ラント謹製の魔物肉の燻製をツマミに酒を飲んだ。
これほど飲んだのは久しぶりだ。更に最愛の相手と二人きりである。稀にキスが落とされる。マリーも何度もされたので慣れ、ラントのキスに舌を絡めて返す。
ネグリジェ越しにラントがぐいとマリーを引き寄せて体が密着する。そうされると蕩けそうな気分になる。ラントの激しい情事を見たこともあり、体が火照っている。このままラントに押し倒されても良いと思ってしまった。最高に幸せな時間であった。
酒には強いが薄い肌着で体を密着したりキスをしたりされるのは予定外だ。ラントの香りも堪能し、キスの甘さも果てしない。いつの間にかネグリジェ越しに胸も揉まれてしまっている。だが嫌悪感は全くない。むしろ嬉しいとまで思った。
それほど飲んでいない筈なのにマリーは雰囲気に酔い、前後不覚になってしまった。
「お嬢様、そろそろ就寝の時間ですよ。あら、トロトロでございますね。ラント様、このままお嬢様を頂いてしまいますか?」
「いや、遠慮しておこう。責任を取らされる。それにまだ早いだろう。もう少しゆっくりと仲を深めた方が楽しめるというものだ。恋愛にはこういう時間もあっていい。いきなり行為に及ぶのも良いが、たまにはこうしてゆったりとした甘い時間を過ごすのも楽しんでいる。それに初夜は正気の時がマリーも良いだろう。気にするな」
「えぇ、相手が必要ならば私もいつでもお相手致しますよ。ではお嬢様を部屋へお運び致しますね」
「なんだと、エリー。お前乙女だろう。更に貴族令嬢だったはずだ。いいのか」
エリーは静かに頷いた。
「マルグリットお嬢様からはラント様の妾にして貰うことを了承して頂きました。どうぞいつでもご賞味ください。末席とは言え貴族令嬢の味ですよ。試して見たくありませんか」
「なかなか煽るのが美味いな、エリー。今度滾った時にはお前に相手させてやろう。さっきのようにマリーに覗かせても良いぞ。貴族令嬢がまさか覗きなどするとは思わなかった」
「やはり気付いていたのですね。マリーお嬢様もお年頃なのです。興味津々で見つめておられましたよ」
「お前らの魔力を俺が感知できないわけがないだろう。それに興味津々だったのはエリー、お前もじゃないか? たまには見られながらヤるのもいい。良いスパイスになった。くくくっ、しかしマリーが覗きとはな」
ラントがニヒルに笑う。エリーはその笑みに惹き込まれそうになった。だがマリーを放っては置けない。エリーはしっかりと心を強くもち、手を叩いた。
エリーがパンパンと手を叩くと使用人たちが現れ、ラントのキスと酒に溺れてしまったマリーは、使用人たちに寝台にドナドナされていった。
使用人の何人かはラントに引き止められ、部屋に残った。美しい少女たちだった。ラントもマリーとくっついたことで滾ったことだろう。マリーの代わりをさせられる少女たちはラントの相手をさせられるのだ。羨ましいとエリーは思った。