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051.板バネ

 ラントは穏やかな一時を噛み締めていた。改造したバルコニーで冬の日差しを浴びながら読む本は良い。静かにマリーが対面に座って茶を飲んでいることもある。声を掛ければ反応するのに、マリーは何が楽しいのか、ラントの本を読む邪魔はするつもりがないようで、ラントの本を読んでいる姿を見つめているのだ。

 誰か部屋に入ってくれば本に没頭していても魔力感知でラントは即座に気付く。今日もそうだった。ただ来たのはデボラだった。


「ラント様。材木商の方が来ております」

「そういえばそんな話をしていたな。忘れていた」

「マルグリットお嬢様はすでにお待ちですよ。応接室においでください」


 ラントはクレットガウ卿などと呼ばれるのはくすぐったいので公爵邸ではラントと呼ぶように言いつけている。その方が気楽だ。

 応接室と言われても使ったことなどない。親切な使用人が案内してくれた。なにせこの公爵邸は宮殿のように広いのだ。応接室だけでいくつあるのかと聞いたら十を超えると答えが返ってきた。何にそんなに使うのか。ラントには不思議でならない。

 応接室に行くと既にマリーとエリーと執事、デボラが待機している。

 商人は跪いている。木材の見本だろう。いくつもの材木が並べられている。


「面を上げて宜しくてよ」

「マルグリット・ドゥ・ブロワ様のご尊顔を拝させて頂きまして恐悦至極でございます。それで、今回は材木をお用命だとか。言われた種類の木材、魔木の素材はあるだけかき集めてございます」

「えぇ、全部買います」

「本当でございますか!」

「待て待て、商品の質を確かめねばならん。値段もちゃんと聞け。マリー。お前の悪い所だぞ」

「わかりましたわ。では商品を運ばせた倉庫に行きましょう。使うのはラントなのですから」


 ぞろぞろと使用人やら騎士やらを引き連れていく。材木商は公爵邸に呼ばれるくらいだ。単なる商人ではなく、よほどの豪商ではないのか。聞いてみるとラントですら知っている商会だった。だが会頭と思われる男は借りてきた猫のように大人しくしている。


「ほう、なかなかの材質だな。合格だ」

「当店は質にも拘っております。値段はこのくらいかと」

「待て、流石に高くはないか。公爵家相手にぼったくったとなれば店の信用に関わるぞ。このくらいだ」

「お待ち下さい。ここは王都でございます。輸送費などがかなり掛かっております。このくらいで勘弁してください」

「ふむ、では今回の材木で新しい商品を作るつもりなのだ。それがうまく行けば莫大な量の材木が必要になる。その際はいくつもの商人を使うことになるが、それを纏める立場をお前に与えてやろう。優先権と言うやつだ。どうだ、それでこの値段だ」

「敵いませんな。それまで言われてはこちらも折れざるを得ません。赤字覚悟でそのお値段、呑ませて頂きましょう」


 商人は貴族相手だからかなり高い値をつけていた。王都だからと言ってアレは暴利だ。だが王都への輸送費がバカにならないことは知っている。多少高い値くらいだったら許せたがぼったくり寸前の値だった。


「マリー、商品の質と値段くらい確認しろ。言われるままに買うんじゃない。バカか。今度何か買う時は俺も呼べ、見張ってやる」


 ラントの暴言にも使用人は反発しない。


「ラント様がいらっしゃれば公爵家の財政は安泰ですな」


 それどころか家令のサバスに褒められてしまった。良い交渉だったらしい。本来なら彼が値段交渉をしたのだろう。任せれば良かったと今更思った。


「女物の服や装飾品の値段などわからぬぞ。あれらは青天井だ」

「そちらはデボラがきちんと見定めております。大丈夫でございます」

「ふむ、デボラは有能だな」

「元は子爵家の出で、幼い頃から公爵家に仕え、結婚を機に引退致しました。嫁入りした伯爵家では財務や政務まで担っていたそうでございます。しっかりと教育した子供が成人したということで、また公爵家に仕えたいと自身で売り込んできた逸材でございます。実際侍女や使用人を統率するのがうまく、彼女に逆らう侍女は例え伯爵家の令嬢ですらいません。貴重な人材でございます」

「有能だと思ったがそうだったのか。と、言うかデボラは伯爵夫人なのか? 現役の?」


 執事は静かに頷いた。ラントがデボラを見るとデボラも頷く。本当なのだ。だが本妻ではなく側室だと言う。


「そうでございます。わたくしも以前は伯爵位にありました。息子に爵位を譲り、旦那様の元で働きたいと申し出た所、快く受けて頂きました」

「なんと、俺はまさか伯爵夫人や先の伯爵を顎で使っていたのか。すまんな、粗野な客人で」


 サバスやデボラは深くお辞儀した。


「いえいえ、マルグリットお嬢様を助けて頂いただけで十分でございます。更にラント様の勇名は王都どころか国中に広まっております。吟遊詩人はラント様の活躍を歌い、この春にはラント様の物語を中心とした歌劇が王立歌劇場で披露されることでしょう。それほどの勇者にお仕えできるなど、光栄の極みでございます。また、わたくしの実家もデボラの実家もランドバルト侯爵の反乱に巻き込まれそうな位置にありました。わたくしたちの実家まで助けて頂いたのです。感謝の念に耐えません。ラント様は客人などではありません。我らがお仕えするに値する主人でございます」


 ラントは使用人たちの身分があまりに高いことに驚いたが、彼らは彼らで実家が戦争に巻き込まれるかもしれないという不安があったという。それを晴らしたのがラントであるからには、ラントに仕えるのに何の問題もないといい切った。その瞳は真剣で、嘘の香りなど一つもしなかった。


「なるほど、多少マナーの悪い主人だが宜しく頼む。お前たちは有能だからな」

「いえいえ、ラント様はやればできることなど誰でも知っております。夜会では完璧にマルグリットお嬢様をエスコートし、ベアトリクス王妃殿下も驚かれたとか。貴族の令嬢があまりの美しさに見惚れていたとの情報もございます。能ある竜は牙を隠すものでございます。公爵邸でくらい、実家と思い、気楽にお過ごしください。王城や王宮はラント様には堅苦しいでしょう」


 サバスは深々と礼をした。美しい礼だった。


「そうだな、最近は騎士団や魔法士団にも誘われて困っているんだ。こっそりと王宮に行くルートを使って図書館に通っている。近衛まで稽古をつけてくれと言い出すんだぞ。冗談じゃない」

「ですがそろそろ魔導士試験があります。魔導士資格を取ると言っておられませんでしたかな」

「あぁ、もうそんな時期になるのか。仕方ないな。日取りを確認しておいてくれるか」

「畏まりました」



 ◇ ◇



「ラント」

「おい、マリー。くっつくな。邪魔だ。それに今から作業をするんだ、ドレスが汚れるだろう。そのドレス一着がどれだけすると思っている。結界を張る。離れていろ」

「わかりましたわ」


 マリーはラントに言われた通り離れた。そこは馬車庫だった。大小様々な馬車がいくつも並んでいる。ラントに言われて作業スペースを開ける為にいくつかの馬車はすでに外に出されている。


「マリーがよく使っているのはこの馬車だったな」

「えぇ、貴族街や王都を走る時はその馬車を使いますわ」

「華美な馬車だが頑強だ。良い馬車だな」


 ラントはそう言うと魔法で木ネジをくるくると器用に回し、取ってしまう。魔力操作の訓練は言われた通りやっているがマリーは〈念動〉をあれほど器用に使うことはできない。〈念動〉は初級魔法だ。だが使うものが違えばこれほど違うのかとため息が出てしまう。

 何せ箱馬車の箱部分が〈念動〉で釣り上げられ、静かに地面に降ろされていく。どれほどの重さがあるのか、〈念動〉は小さな物を動かす為の魔法だと思っていた。


「流石ラント様ですわね」

「えぇ、エリー。見ているだけで楽しいわ」


 板バネというのは既に馬車に仕込まれている機構らしい。それを改良すると言う。ラントはいくつもの部品を魔法で外し、綺麗に整頓していく。普段粗暴な言葉遣いであるのにこういうところは几帳面だ。ネジ一つ、無くすことはないだろう。


「これが板バネだ。ふむ、悪くない材質だが少し古くなっているな。後構造を少し改良し、金属で補強してやればいい。特殊な金属だから多少高くつくがな」

「それが板バネですのね。なんだか不思議な形をしておりますわ」

「これで馬車の揺れを軽減するんだ。大事な部品だぞ。流石公爵家の馬車、手入れも完璧だな」

「定期的に業者を入れてチェックさせているようです」

「あぁ、どの馬車も美しく、手が入っていることがわかる。これだけ並ぶと壮観だな」


 マリーは馬車庫などに入ったことはなかった。それだけでワクワクした気分になってくる。

 ラントが板バネを取り外し、材木商から納入された木材を魔法で切り取っていく。そして最後は自分の手で磨き上げた。やはり最後の仕上げは手でやるのが一番らしい。それに見たことのない魔法金属が使われている。


「これで完成だ」

「見た目はあまり変わりありませんけれど」

「ではこの馬車の試運転に甘い物でも食べに行こう。驚くほど違うぞ」

「はいっ」


 ラントからのデートの誘いにマリーは一も二もなく頷いた。

 早回しのようにさっきと逆の光景が展開されていく。箱馬車の箱部分が〈念動〉でまた馬車に乗せられ、木ネジは少しガタがきているということでラントが金属ネジを取り出した。


「ラント、それを見せて頂いても」

「いいぞ」

「これほど綺麗な金属ネジ、どうやって作ったんですの」

「あ~、職人が手作業で作るのは難しいか。錬金術だ。そうでなければこれほど均一に作ることはできん。ただ耐久度がかなり上がるぞ。ただこれは王家に売るな。俺しか作れん。ネジ職人にされては堪ったものではない。王城にどれだけ馬車があると思っている。一つの馬車に使われているネジは十や二十じゃ足らんぞ」

「わかりましたわ。口を閉ざしておきますわ」

「それにネジは乗り心地には影響がせん。耐久度が上がるだけだ」


 そう言ってラントはネジを回し、「完成だ」と言って息を吐く。

 見た目には全く違いがわからなかった。


「じゃぁ行くか」

「はいっ!」


 ラントたちは最近噂のケーキを出すという店に行った。馬車の乗り心地は最高だった。今までの馬車とは雲泥の差だ。

 そして最近ラントはマリーとエリーの三人きりで馬車に乗る時に、マリーに口づけをすることが多くなった。マリーはラントの舌使いに常にメロメロになり、店に着く頃には足がガクガクしていた。頬は赤く火照り、マリーが外にラントにエスコートされて出ると周囲の者たちがマリーの美しさにため息をついた。


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