045.合流
コルネリウスは王都から騎士団や魔法士団を含めて二万の大軍を率いて出立した。更に近隣諸侯から軍がどんどん合流し、三万の大軍になる。
更にリドウルビス平原に辿り着くと大都市から侯爵家から出された一万ずつの大軍が合流する。リドウルビス平原には総勢五万の大軍が集結した。
「これほどの軍、初めて見るな」
「がははっ、三十年前の戦争を思い出しますな。あの時は国中から兵をかき集めて十万を超える大軍になりました。儂も久々にこれほどの軍を見ましたわい」
頼りになる元帥、アドルフを見る。その体躯は大きく、実力もある。更に戦略眼もある。戦術も得意だ。アドルフが側に居れば大丈夫だと思った。
更に今回は宮廷魔導士長のハンスまでやってきている。彼の場合はラントの魔法をその眼で確かめたいらしい。数人、彼の弟子でもある宮廷魔導士が同行している。そして各宮廷魔導士は魔法士たちを率いている。
「こんなに必要なのか」
「クレットガウ卿から説明されたでしょう。国威を示すことで反乱軍の士気を挫くのです。数は力です。殿下ですらこの大軍の威容を見ると恐れ慄くでしょう。これを敵の立場に考えて御覧なさい。恐ろしくて要塞から出ようなどとは思いません」
「なるほど、だが作戦では一万も居れば十分ではないか」
「今回の作戦では投降を促し、ほとんどは捕虜となります。其の為には人手がいります。二万の大軍を一万の兵で管理しきれますかな?」
「なるほど、そのような意味があったのだな」
アドルフから説明され、コルネリウスは納得した。五万の大軍を率いるなど初めてのことで緊張してしまうが、歴戦のアドルフが居れば安心だ。言っていることも理に適っている。
「それで、当のクレットガウ卿はどうしたのだ」
「はて、先乗りして準備をしてくると言って既に王都を出ていると聞きましたぞ」
「そうか、彼ならば安心だろう。何せ第一騎士団や近衛騎士団でも敵わなかったのだ。クレットガウ卿を敵に回したくはないものだ。俺の首などすぐに取られてしまうだろう」
「ガハハッ、儂もその時は本気で殿下をお守りしますが厳しいでしょう。あっという間に殿下の首は落とされましょう」
「そんなことはない!」
近衛が叫ぶがアドルフがぎらりと睨むと黙った。
「先日証明されたではないか。お主らではクレットガウ卿から殿下を守り切ることはできぬ。彼は王太子殿下の天幕に入ることも許されているのだぞ。不意打ちをされて防げるか?」
「それはっ」
近衛も反論できないようだ。コルネリウスもラントの事は信じているが彼が叛意を示したら自分の身を守る自信がない。五万の大軍に囲まれていても首筋が寒くなってしまう。ぶるりと体が震えた。
更にラントは今現在味方なのだ。王妃と王太子印のある短剣を持っている。どこにでも入り放題だ。コルネリウスの妻であるフランツェスカも母であるベアトリクスでも、一瞬で首を狩られるだろう。
だが人見知りをするヘルミーナが怯えて居なかった。ヘルミーナは子供ながら敏感だ。案外彼女の人を見る目は信用できる。ヘルミーナが嫌う貴族は何か後ろ暗い事があることが多いのだ。最近はヘルミーナに〈鑑定眼〉でもあるのかと疑われているくらいだが、ベアトリクスはそんなものはないと断言した。彼女が言うならば間違いはない。
「コルネリウス王太子殿下」
「おお、ラントではないか。前乗りしていると聞いた。顔を見れて嬉しいぞ」
「王太子殿下からのお褒めの言葉、光栄の至り。先に仕込みを済ませておきました。あと三日もあれば作戦は決行できるでしょう。ですが三日後ではなく、少し待ちましょう」
「なぜだっ? 戦争など終わるのが早ければ早いほど良い。兵糧の心配もある。一日居るだけで金貨が山程飛んでいくのだぞ。何を考えている」
「ちぃと誘き寄せたい奴らが居ましてね。其の為に、王太子殿下には囮になっていただきます」
「なんだとっ、殿下に囮になれと申すかっ」
近衛が激昂する。コルネリウスもまさか自分を囮にするなどと言われるとは思っても見なかった。アドルフやハンスですら驚いている。
「違います。御本人を囮にするのではありません。影武者を立て、そこに誘き寄せるのです」
「ふむ、詳しく聞こうか」
コルネリウスはラントの献策を聞こうと思った。アドルフとハンスも興味深そうにラントを見つめている。
「その前に天幕を先に立てましょう。この策は味方ごと騙す策でございます。知る者は一部だけで宜しい」
「相わかった」
即座に王太子用の天幕が立てられる。アドルフとハンス、そして少数の近衛のみが残された。椅子が用意され、コルネリウスとラントがそこに座る。近衛が茶を用意する。誰もがラントの言葉の続きを待っている。
「遮音の結界を張りました。これで外からは誰も聞こえません。そうですね、背格好はスイード卿がちょうど良いですな。腕も良い。そう簡単に負けません。この天幕には王太子殿下の旗を当然立てますよね」
「当然だな。私が出張ったと示す為にも、当然旗は立てる」
「そこでこれの出番です。スイード卿。これを着けてください」
ラントが普通の銀の腕輪を取り出す。スイードは父である国王陛下から借りてきた近衛だ。腕もあり、俊英と称されている。目の前のラントには叩きのめされたが実力は本物だ。
スイードは恐る恐るその腕輪をつけた。
「なんと」
「姿がっ」
スイードの姿が変わり、コルネリウスにそっくりになった。髪色や瞳の色なども一致している。
「そして王太子殿下。こちらの腕輪を」
「お、おう」
言われた通り腕輪を付ける。自分ではわからない。だが周りの反応からコルネリウスの姿がスイードにそっくりになっていることがわかった。
ラントから手鏡を渡された。見たこともない鏡だ。装飾も美しい。ベアトリクスなどに見せれば必ず奪われるに違いないと思った。
手鏡で見ると紛れもなくスイードの顔になっている。髪の色も瞳の色も、そして顔の形すらも変わっている。
「王太子殿下は二番目に大きい天幕に待機していてください。そして王太子殿下の天幕にはスイード卿に居て貰います。アドルフ閣下とハンス閣下は念の為、王太子殿下についてください。その代わり、近衛を数人と私が王太子殿下の天幕に泊まり込みます」
「おぬしっ、つまり誘き寄せたい相手というのは暗殺者か!」
アドルフが叫ぶ。暗殺者? 誰に? 当然コルネリウスにだ。
「私が敵であるならば五万の大軍と戦うなど考えもしません。しかし頭を落とせばどんな大軍も烏合の衆。王太子殿下の首が落ちたとなればこの軍は崩壊するでしょう。そしてあちらには必ず帝国の間者と暗殺者が居ます。この契機に王太子殿下の首を取れればアーガス王国は大混乱するでしょう。喜ぶのは帝国だけ。違いますかな」
「いや、違わぬ。儂ですら敵将の気持ちを考えれば暗殺者を使おうとするだろう。特に王太子殿下の天幕は大きい。旗も立っている。周囲の天幕に火をつけ、魔法で吹き飛ばしてしまえば良いのだ。首など要らぬ。死んだと言う事実だけがあれば良い」
コルネリウスはぞっとした。これが戦場か。これが戦場を知る者たちの考える事かと。そしてラントの慧眼に畏れを為した。ラントは二手も三手も先を読んでいる。ラントが敵に回れば例え寡兵であろうとも五万の大軍を破れるのではないか、そう思ってしまった。
「そういうわけで殿下、スイード卿と服を交換してください」
「わ、わかった」
コルネリウスは王太子に与えられる服を脱いでスイードが脱いだ近衛の服に着替えた。
「本物の王太子殿下の居る天幕にはハンス閣下が厳重な結界を張ってください。ただし天幕の内側にです。そしてスイード卿の居る旗の立つ天幕には天幕の外側に結界を張るのです。範囲攻撃魔法で混乱は起きるかも知れませんが、外側に強力な結界が張ってあると知れば暗殺者は侵入しようとします。無闇に味方を殺す必要はありません。相手もプロです。無駄な殺しは避けるでしょう」
「なるほど、それならば敵も欺けよう。お主、わかっておるな」
宮廷魔導士長のお墨付きがでた。コルネリウスもそれならばと献策を受け入れる。
それからいくつもの提案が出たがコルネリウスは全て受け入れた。アドルフとハンス、スイードも文句一つ言えない献策だった。
(間違えてもクレットガウ卿を敵に回しては成らん。それだけはわかった)
コルネリウスはそう心に誓った。
「しかしお主、このような魔法具見たことも聞いたこともないぞ。存在が知れれば禁呪として指定されるべきものじゃ。何せ王太子殿下の姿を似せられるのだ。王城など入り放題ではないか」
「そこは見逃してください。緊急事態故の処置です。普段は私もこんなものは使いません。悪用も致しません。王太子殿下に誓います。ちなみにその魔法具は自作です。他に作れる錬金術師は私の知る限りはいないですね」
ハンスがラントに突っ込んだ。確かにそうだ。恐ろしい魔法具だと思った。ベアトリクスやディートリンデに化ければコルネリウスやマクシミリアン三世陛下の首すら取れる。国を揺るがす大事だと今更気付いた。
「それにハンス閣下や魔法士たちなら気付けるでしょう。王城で悪用しようとしてもできませんよ。精々暗殺者たちを騙くらかすくらいです」
「うむ、まぁ見れば幻影が掛かっているとわかるか」
だがハンスは見ればわかると言う。コルネリウスが恐れるほどの事は起きないのだ。
「お主、まだまだ手札を隠しておるな。いくつ切り札がある」
「ハンス閣下と言えどお教えできませんね。切り札は見せないことに意味があるのです。ハンス閣下も本気の切り札を教えますか? ハンス閣下の切り札を教えてくれるなら喜んで切り札の一つくらいお見せしましょう。ハンス閣下なら私の知らない超級魔法など知っているのでは?」
「ふんっ、見せる訳がなかろうが戯けが」
「ふふふっ、やはり閣下は話がわかる」
百戦錬磨のハンスとラントが笑っている。
「なぁ、大丈夫かこいつら」
「殿下、魔導士や錬金術師と言う者たちは頭のねじが一本二本外れているものです。ハンス閣下やラント様などまだ可愛いものですよ。誰もが切り札を隠し持っています。スイード卿もラント様に見せなかった切り札くらい持っていましょう」
「切り札を切る前にやられましたからね。完敗ですよ」
スイードが笑う。国王である父が信用する近衛が完敗だと言うのだ。コルネリウスもその現場を見ていた。ラントとハンスは笑い合いながら話している。コルネリウスにはその笑いは恐ろしく見えた。