038.鍛冶場と魔剣
「化粧品について詳しく話せ? 仕方がないな。おい、人払いをしろ。これ以上余計な奴らにまで聞かせたくはない」
「わかりました。貴女たち、下がりなさい。良いと言うまで入っては行けませんよ」
「はい、マルグリットお嬢様」
ラントは人払いを望んだ。マリーは即座にそれを叶えた。そしてエリーと三人きりになる。
「と、言ってもアレを使えば良い化粧品と髪に艶がある良い油が取れると言うだけだ。苗木から育てても三年から五年は掛かるぞ。だが王城にあるんだ、近くの森にあるんじゃないか? そういえば途中通った森でも見かけたぞ」
「本当ですか!?」
「おい、マリー、迫るな迫るな。令嬢だろう。令嬢らしくしろ」
ラントに言われて一歩下がる。だがエリーの目も獲物を狙う目になっている。
「今マルグリットお嬢様が使われている物よりも効果があるものですか?」
「知らん。作り方は知っているが作ったこともないし使ったこともない。だから知らん」
「そうですか、ですがラントの本当の姿の髪の艶は素晴らしい物でした。どのような髪油をお使いで?」
「髪油? そんなもの使うかよ。公爵家に来て初めて塗りたくられたくらいだ」
「貴方それ絶対に令嬢の前で言ってはいけませんわよ。全女子が敵に回りますわ。貴方の髪の艶はそこらの貴族令嬢でも見惚れるほど美しいのよ」
ラントはその剣幕に「お、おう」としか答えられなかった。それほどマリーとエリーの圧は凄かったのだ。
それから三日、なんと公爵家の庭に多くの椿が植えられていた。まだ蕾の物もあるが花が咲いている物もある。どうしたのかと聞くと庭師と騎士を使い、近くの森から持ってきたらしい。
どう見ても二十本以上ある。しかも庭の景観を壊していない。更にまだ小さい苗まで取ってきたと言う。
ラントは女の美容に対する執念というのを甘く見ていた。行動力が凄すぎる。そんなことの為に公爵家の騎士を動かして良いのかと問いたくなる。だがマリーとエリーの迫力の前では問うことすら許されない。材料は準備した、だから早く作れと目が語っている。
「わかったわかった。ちょっと待っていろ。えぇと、葉と蕾と、それに花も使えるな。取るぞ、良いな」
「構いませんわ。庭の景観の為でなく、その為に取って来させたのですから」
「工房に入る必要がある。俺の部屋に来い。人払いも必要だ」
「わかりましたから早く」
「急くな、材料が必要だろう。ついでにこっちのも取っていこう。使える」
ラントは庭にあった化粧品に使える植物を籠に集めていく。更に温室にまで入り、いくつか材料を物色する。マリーとエリーは真剣な目でラントの動きを追っていた。
「この工房、久しぶりですわね。相変わらず綺麗な白の壁。空間魔法で作られているなんて信じられませんわ」
「触るなよ。えぇと、どこだったかな。ここだ」
ラントはジジイから渡された魔導書の一冊を取り出し、化粧品の項目を開いた。
「げっ」
「どうしましたの」
マリーがラントの上げた悲鳴に興味を覚えて覗いてくる。
「いや、なんでもない」
「その本はなんですか。読めませんわ。それに癖のある字ですわね」
「ジジイから渡された魔導書だ。ジジイは俺と別れる時いくつもの魔導書を渡してきた。手書きだそうだ。ジジイの秘伝まで書かれているぞ。極級の魔法の呪文まで書かれている。だが古代魔法語で書かれているから普通は読めんだろう」
「まぁっ、放浪の大賢者様の秘伝書ですね。それ一冊で城が建ちますわよ」
「売るつもりはねぇよ。どんだけ危険物だと思っている。戦争の形態が変わるぞ。そして被害者の桁が上がる。そんな世の中にしたいか?」
マリーはその言葉を聞いてブンブンと首を振った。
そしてラントが「げっ」と声を上げたのには理由がある。何のこともない化粧品などの調合のページであるのに「取扱注意。容易に婦女子の前で存在を報せないこと」と書かれている。ジジイもラントのように女子たちに迫られたことがあるのだろう。マリーたちの様子を見ても目に浮かぶようだった。
(まぁもう言ってしまったのだから仕方がないな、えぇと材料はコレとコレとアレで、やり方はこうか。そう難しくはないな。精油を作るには専門の器具が必要だが魔法でやってしまおう)
ラントは小さなガラスで作られた小瓶をいくつか用意する。そういえば透明ガラスはまだこの国ではあまり普及していないと言っていた。不純物を取り除くのが下手なのだろう。もしくは材料の比率が間違っているか。
ガラスは本来、作るのはそう難しくない。珪砂とソーダ灰、石灰石があれば良い。だが良く考えると砂と石灰石はともかくソーダ灰、炭酸ナトリウムは作るのが難しい。自然にそうあるものではないのだ。天然物は希少だ。だが聖堂などにはステンドグラスなどがあった。城にも当然存在した。
ガラス自体は珍しい物ではないのだ。透明にするのが難しいのだろう。材料が違うとガラスは淡い緑色になる。添加物を変えれば色が変わる。ラントの知る限り透明ガラスにソーダ灰は必須だ。もしくは不純物を取り除く錬金術を使う必要がある。
マリーやエリーは透明ガラスで作られた小瓶にも興味あるようだ。だがそれは無視してさっさと作ってしまおう。幸い材料はある。化粧水と美容液、椿油の精油、それとファンデーションの作り方まで書いてあった。
魔法陣を展開して錬金術で作り、それらを容器ごとに分けて作り上げていく。作るのは簡単で、十分も掛からず終わった。
「相変わらず凄い魔法の腕ですわね。ラントに教わった魔力感知を磨いて居ますが全くわかりませんでしたわ」
「感知できたなら良いさ。十分育っている。感知ができるようにならないと魔力隠蔽が教えられない。魔力隠蔽ができないと神気を隠すことができない。そっちが本番だ。ちゃんと練習しているか? 魔力制御力が上がっているのは見ているだけでわかるから心配はしていないがな。茶会になどかまけるなよ。教会騎士団に本気で狙われたいか?」
ラントがそう聞くとマリーとエリーは揃って首を振った。
「ちゃ、ちゃんと練習していますわ。本気で取り組んでいます」
「良し」
ラントはその返事に頷いた。見ていればちゃんと訓練を続けていることくらいすぐに見抜ける。マリーはサボるような性格ではない。地道な訓練だが必ず身を守る為に必要になるのだ。何度も念を押さなければならない。
◇ ◇
「相変わらず凄い工房ですわよね。ラント、貴方あの板ガラスはどうやって作っているのですか。あんな綺麗な板ガラス初めて見ました。錬金術ですか?」
「あ~、それはこっちだ。錬金術でも作れるがな」
ラントが何もない壁に手を当てる。すると工房の中にドアが現れた。ラントに導かれ、マリーとエリーは化粧品に心惹かれながらもラントについていく。何せラントに質問したのはマリーなのだ。化粧品を早く試してみたいなどとは口が裂けても言えない。
「ふわぁ、凄いですわね。鍛冶場ですか」
マリーたちが入るとそこには大きな炉があった。鉄床やハンマーまである。ラントは鍛冶もやると言うのか。どれほど多才なのだろう。
「マリー様、あそこに掛かっている剣や槍、全部魔剣や魔槍の類ですよ」
「エリー、良くわかったな」
「あれだけの魔力を発していたら私でもわかります。ラント様、その価値をおわかりですか」
「白金貨を積まれたって売る気はねぇよ。大事な相棒たちだからな」
「どこであんな物手に入れたんですか」
「自作だ自作。ここを見ろ。どう考えても鍛冶場だろうが」
ラントが言うまでもなくそこは完全な鍛冶場だった。空いているスペースにラントが見慣れない装置のような物を出す。段々になって居て一番上の段には銀色の金属が存在している。
「板ガラスはな、こうやって作るんだ。熱いぞ、ちょっと離れていろ。結界から出るなよ。超高温だからな。空気だけで火傷じゃすまんぞ」
ラントが材料らしき物を〈念動〉でそこに放り込む。火魔法で青い炎が煌めき、材料が溶けていく。しばらくするとドロドロとした粘液のようなものが銀色の金属の上に浮いてきた。それが段を下がっていく。すると冷やされたのか時間が経つに連れてそれが大きな一枚板のガラスになる。
「錬金術でも作れるけどな、こうやれば誰でも板ガラスは作れる。知らないか? フロート法と言うんだ」
「知りません。初めて見ました。王城にも透明な板ガラスなんて使っておりませんよ」
「そういえばそうだったな。ジジイは広めなかったのか」
簡単に言うが王城にも使われていない希少品だ。小瓶はあのドロドロを金型に入れて冷やすのだと言う。いくつかの金型を見せて貰った。大中小の瓶の形になっていて、中央で割れるようになっている。作り方も見せてくれた。ドロドロを金型に入れ、氷魔法で冷やす。そして金型の蝶番を外し、開くと綺麗な透明な瓶ができている。魔法薬の入っていた瓶だ。
「ねぇ、この短剣、抜いても良いですか」
「構わねぇが刃には触るなよ。指が落ちるぞ。あと燃えたり凍ったりする。それは氷の短剣だな」
「はっ、はいっ」
エリーは指が落ちると聞いて恐る恐る短剣を抜いた。素朴な装飾だが刃自体は美しい。
「おい、エリー。その剣を俺に向けて魔力を籠めて見ろ」
「はい? 良いのですか」
「構わん。エリー程度の魔力で俺がやられるものか。良いからやってみろ」
「では」
エリーが短剣をラントに向け、魔力を籠める。魔力感知でエリーの魔力の動きがわかった。
瞬間、五本の〈氷槍〉が現れ、ラントに凄い速度で飛翔する。ラントは〈障壁〉でなんなく防ぐ。
「これが魔剣、凄いですね」
「マリー、エリー、魔剣の作り方を知っているか?」
「剣に魔法を付与するんじゃないんですか?」
「それが一般的だがそれだと弱い魔剣しか作れん。まず材料の魔法金属に付与魔法を掛ける。そして剣を打つ時にも魔力を注ぎ込みながら作るとエリー程度の魔力でも簡単に魔法が使える魔剣が作れる。ここに鍛冶場がある理由だ。自作しないとそこの短剣一本で白金貨が飛んでいくぞ。間違っても俺には買えん」
「ラントはベアトリクス王妃殿下に白金貨五十枚の褒美を頂戴していたじゃないですか」
「そうだな、あまりの値段に頭が痛くなりそうだったぞ。白金貨の価値を知っているのか。十枚もあれば豪邸が建つぞ。流石に公爵家ほどの豪邸は建たんが、下町で言えば豪商の店すら建てられる。それに普段使いなんてできん。何せ金貨百枚分だ。釣りを出せる者など豪商しか存在しない。貰っても使い道がないんだよ。それに公爵家に居れば全てタダだしな」
ラントが遠い目をした。
「エリー、その右の短剣を手に取ってみろ」
「はい」
「以前結界の魔道具を渡しただろう。それを展開しろ。そして短剣に魔力を籠めろ」
「わかりました」
エリーが言われた通りに結界を展開し、短剣を使うとエリーの前方十メルが扇状に凍りついた。ラントの足元だけは凍っていない。防いだのだろう。急に鍛冶場が寒くなる。マリーはブルリと震えた。
「どうだ。俺が作った魔剣だから俺の魔力結界の中からでも発動できる。エリー、お前はマリーの侍女であり盾だろう。主人を守れん盾なんぞ使い物にならん。ならば道具で補え。その短剣はくれてやる。マリーが危機に陥ったら使え」
アレが盗賊の襲撃の時にあれば、エリーはマリーを守りきれただろう。結界で近づけず、無条件に凍りつくのだ。考えただけでも恐ろしい。何せラントの結界は騎士の剣や魔法士の魔法すら弾くのだ。王都に着いてからは装飾が豪華な物に変えて貰い、マリーとエリーの首元に下がっている。
「いいんですか。本物の魔剣などとても高いですよ」
「それは俺が若い時に作った習作だ。それに服や靴など公爵家には俺では手が出ない物を貰っている。王室御用達の店など紹介状がないと入ることすらできんぞ。その礼だと思え。それならエリーでもマリーを守ることができる。それに相手が凍るだけで死にはしない。殺したい時は凍っている状態で柄を叩きつけろ。そうすれば凍りついた相手が砕け散る。血を見ることもない優れモノだぞ。間違っても味方に撃つなよ。肌身放さず着けていろ」
「ありがとうございます、ラント様。それともクレットガウ卿と呼んだ方が良いですか?」
「やめろ、その名で呼ばれると擽ったくなるんだ。ラントでいい」
ラントは恥ずかしそうにエリーの申し出を拒否した。