037.ダンスと夜会
「はい、ワンツー、ワンツー。いいですよ、その調子」
ラントはデボラを相手にダンスの練習をしていた。北方諸国でもダンスはある。だが中央諸国と北方諸国ではダンスの形態が違いすぎる。
(それにしてもダンスの練習に専門の教師と本物の楽団まで用意するとは、なんという無駄遣い)
デボラは堂に入った華麗なステップを決める。ラントはまだぎこちない。マリーとエリーがキラキラとした目で見つめてくる。たまにコソコソと話している。
「そこ、ステップが違いますよ。こうです、こう」
「こうか?」
「そうです、クレッドガウ卿はダンスも覚えが良いですね。流石凄腕の剣士と呼ばれるだけあります。剣士はダンスの覚えが良い方が多いんですよ。優雅かどうかは別ですけれどね」
そりゃそうだろう。ダンスとは歩法とそう変わらない。正規の騎士の剣を習えば必ず歩法も習う。そして後はリズムに乗せて歩法を扱うだけだ。
「そこはもっと手を大きく広げると映えますよ。ぐっと腰を引き寄せてください。そうです、そうです。クレッドガウ卿は背も高いし美しい筋肉がついているのでダンス映えしますね」
教師は教え方が上手い。どうやら専門でやっている貴族女性らしい。マナーも彼女に教わっている。中央諸国式のマナーは知らないのだ。こちらは少し苦戦している。
どうしてラントがこんなことをやっているのかと言うと夜会があるからだ。しかもマリーのデビュタントである。
エーファ王国を追い出され、アーガス王国に辿り着いた彼女の噂はアーガス王国にも鳴り響いている。中には口さがないことを言う貴族もいるのだとか。
だがマリーの後ろ盾はベアトリクスやディートリンデ、コルネリウスである。この国のれっきとした王妃、王女、王太子だ。誰がそんな面子に逆らえようか。更にマリーの祖父はこの国の公爵位を賜っている。未だ現役の元気な爺さんらしい。魔境の近くに領地がある為、今は領地の防備に城に帰っているらしい。
そう、城だ。タウンハウスでこれならカントリーハウスはどんなものだろうと思ったものだが、カントリーハウスなどではなかった。れっきとした城を持っているという。マリーなど「いずれ連れて行って差し上げますね」と言うが、戦争を知る世代の公爵と王城にも見劣りしないと言う城になどラントは行きたくない。だがそうもいかない。マリーと付き合うと決めたのだ。行かないわけにはいかないだろう。
「今日はここまでに致しましょうか。筋がよくて教えがいがありますね」
「そうでしょうそうでしょう、わたくしのラントは素晴らしいのです」
「誰がお前のだっ」
マリーが鼻を高くして宣言するのでつい突っ込んでしまった。最近ちょくちょくラントのことを自分の物だと宣言するようになった。ラントは外堀を埋められている気持ちになる。いや、実際に埋められているのだ。
ラントとマリー、エリーなどが公爵邸のテラスなどでお茶会をしていると侍女や使用人たちの目が生暖かいことがある。
ラントの預かり知らぬところでも外堀が埋められているのだろう。恐ろしい話だがラントに逃げる術はない。
少なくともコルネリウス、この国の王太子に献策してしまったのだ。そしてその策は採用され、且つラントが居ないとその策は完成しない。当然戦争の最後までは付き合わなくてはいけない。
ラントはため息を吐きながら、今日習ったダンスのステップや動き方を丹念に体に染み付かせた。ダンスなど剣技の型と思えばそう難しい物ではない。
「ねぇ、ラント。わたくしと踊ってみましょう」
「なんだと、夜会で踊るじゃないか」
「いいじゃない、練習よ」
マリーが手を上げると楽団が揃って曲の準備をする。逃げる隙はなさそうだ。仕方なくラントはマリーの手を取る。肘まである白い絹の手袋に覆われている。その手触りはラントの知る絹ではなかった。最上級品であることが触っただけでわかる。手も剣を握る者とは違い、とても柔らかく温かい。
「さぁ、始めましょう」
曲が鳴り始める。教師やデボラ、エリー、そして興味を覚えたのであろう使用人たちがわくわくとしながら見学している。
(おい、お前らは仕事しろよ)
使用人たちに突っ込みながらステップを踏む。
「ふふふっ、ラントとこうして踊れるなんて素敵なことですわ」
「マリー、お前ダンス上手いな」
本来はラントがリードしなければならない。だがマリーにはリードなど必要がないようだ。初めて一緒に踊ったというのにステップが華麗だ。一つのミスもない。更にラントが多少ミスってもフォローしてくれる余裕さえある。
「何だ? 一曲じゃないのか」
まさかの三曲連続だった。仕方なくラントは三曲連続でマリーとダンスを踊った。
パチパチパチパチっ
「素晴らしいですわ。教えたばかりだと言うのにこの完成度。もう少し練習を積めばミスもなくなるでしょう。主要な六曲は覚えてしまいましょう。夜会には十分間に合いますよ」
教師が拍手をするとデボラやエリー、使用人たちからも拍手が起こる。使用人の何人かは顔を赤くしている。もしかしたら彼女たちの誰かが夜這いしてくるかもしれない。いつでもウェルカムだ、とラントは思った。
◇ ◇
「うふふっ、夜会なんて久々ですわ。卒業パーティ以来かしら」
「えぇ、そうですわね。ですが卒業パーティはマルグリットお嬢様が婚約破棄された場。思い出したくもありませんわ」
「それは仕方ありません。クラウスお兄様の話では本当に魅了の魔法具が使われていたご様子。王太子殿下も、国王陛下たちも魅了に操られていた被害者なのよ。ただ謝罪はして頂きますけれどね。そして再婚約など絶対に受けません」
「その調子です。マルグリットお嬢様」
マリーたちは馬車に乗り、王城に乗り付ける。ラントはアレックスの上に跨っている。馬車はあまり好きじゃないそうだ。護衛騎士としては外に居た方が危険を先に感知できると言うが、ほんの一キラメルしかない王城と公爵邸の間でどんな危険が起きると言うのだろうか。流石に心配しすぎと言うものだろう。
だが騎士服の正装に魔法士のローブを羽織っているラントは素晴らしく格好が良い。今ですら格好が良いのに幻影の腕輪を取り、本来の姿を取り戻したら卒倒する令嬢が数多でることだろう。
今のラントの髪色はくすんだ薄い茶色だ。艶も落ちている。だが本来のラントの銀髪は恐ろしく艶があった。どのような髪油を使っているのだろう。香油も使っているところを見たことがない。だが公爵令嬢で常に磨かれてきたマリーと遜色のない、もしくは上回る髪の艶はマリーですら見惚れるものだった。なにせ常に上級貴族の貴公子を見てきたエリーですら惚れそうになったと言うから相当だ。
ラントは公爵邸の侍女や使用人たちにも人気が高い。
そしてそのラントのエスコートによってマリーは再度社交界へ、夜会へデビューするのだ。少し緊張する。
「お嬢様、お手を」
王城に辿り着き、ラントが紳士に手を取ってくれる。手袋越しに伝わってくるラントのゴツゴツとした手。剣を握る者の手だ。その手の温もりを感じただけでマリーの緊張は霧散した。
「なんとでかい会場だ」
「王城のホールは初めてですか」
「茶会室にテラス、騎士訓練場に魔法士訓練場と作戦会議室、そして王宮図書館しか行ったことがないな」
「まぁっ、植物園なども素敵ですよ。今度案内してあげます」
「ふむ、庭に咲いていた椿は化粧品や髪の艶を上げる効果のある油が取れる。俺の知らない薬草や効果の高い物もあるかもしれんな」
マリーはガッとラントの胸元を掴んだ。その姿は公爵令嬢とはとても思えなかった。ラントはしまったと表情に出していた。
「今何とおっしゃいました?」
「いや、王城の庭に植えていた椿がな、化粧品や髪の艶を良くする優良な材料なんだ」
「ツバキ?」
「あ~、こっちの言葉ではカメリアだ」
「そんな話聞いたことがありませんわ。後で詳しく詳細を話して頂きますからね」
「わ、わかった」
ラントは恐ろしい物を見たという表情で紳士の皮を被り直した。
マリーも公爵令嬢の皮を、貴族の仮面を付け直す。久しぶりに慌ててしまった。何せラントの胸元を掴んだのだ。令嬢のする行為とはとても思えない。
だがラントの発言は見逃せなかった。エリーまで真剣な瞳でラントを睨んでいる。後で根掘り葉掘り聞く必要があるだろう。
「後日必ずですよ。まずは今日の夜会を楽しみましょう。ラント、エスコートしてくださいね」
「仰せのままに、お嬢様」
マリーたちが着くと既に夜会は始まりかけていた。ベアトリクス主催の夜会だ。多くの貴族や貴婦人たちが集まっている。
マリーはラントの肘に掴まると、ゆっくりとベアトリクスの元へやっていく。
マリーの姿を見て慌ててホールの中央に道ができる。マリーが高貴な令嬢であることはそのドレスや装飾品を見ればわかる。今日の為にベアトリクス専属の針子たちが誂えてくれたのだ。流行の最先端で、最高級の素材が使われている。そこらの令嬢に着られる物ではない。
更にラントの紳士の仮面は完璧だ。騎士服で、魔法士のローブまで羽織っている。腰にはこの時の為に誂えた騎士剣が下がっていたが、剣は入口で預けられた。
「ベアトリクス王妃殿下、ディートリンデ王女殿下。マルグリット・ドゥ・ブロワ。参りました。ご尊顔を拝謁できて光栄です」
「まぁまぁ、いいのよ、マルグリット。今回はマルグリットのお披露目なのよ。隣に座って頂戴。クレッドガウ卿はマルグリットの右後方に立って居てね」
「畏まりました」
ラントはベアトリクスの指示通り座ったマリーの右後方に直立している。隣にはエリーが侍女服で待機している。振り向きたいがマリーが見るべきは前だ。ずらりと王国の貴族たちがベアトリクスに挨拶をしに列を為している。
「ベアトリクス王妃殿下、ご機嫌麗しく。そちらのお美しい方はどなたですかな」
「この子は姪のマルグリットよ。エーファ王国のブロワ公爵家に嫁に出たアンネローゼ姉様の可愛い娘よ。事情があって今はアーガス王国にいらしているの。この夜会はマルグリットを皆様にお披露目するために開いたのよ」
「ほう、王国の至宝と言われたアンネローゼ様の。真に、若い頃のアンネローゼ様やベアトリクス様にそっくりですな。マルグリット様にご挨拶をさせて頂いても」
「構わなくてよ。マルグリット、この方はこの国の侯爵家で……」
そのようにベアトリクスに挨拶が済むとベアトリクスが誰だか説明してくれ、マリーにも挨拶がなされる。この日の為にマリーはアーガス王国の貴族年鑑を必死に暗記してきた。主要な貴族は全て頭の中に入っている。
マリーは久々に強固な貴族の仮面を付けて全員ににこやかな笑みを与えた。それだけで貴族たちはマリーの虜になった。
一部貴族はマリーの左手薬指に美しい造形の魔法石のついた指輪が嵌まっているのを見て残念がっている。
何せベアトリクスが後見し、現公爵の孫である。年頃の息子がいる者たちはぜひマリーと婚約をと言い出そうとして指輪を見て諦めた。既に婚約者がいると見られたのだろう。実際マリーの年齢で婚約者が居ないなんてことはあり得ない。
貴婦人や令嬢たちはマリーの美しさやドレス、装飾品に目を輝かせ、どこの服飾店や装飾品店が扱っているのか聞いてきた。
当然ベアトリクスの使う針子たちだ。王室御用達に決まっている。更にベアトリクスの後ろ盾があると言う証にベアトリクスと似たデザインの物を選んで付けてきている。ドレスも髪飾りも首飾りも全てだ。
違うのは左手薬指についたラントに貰った指輪だけ。その指輪にも注目が集まったが、指輪の出処や効果は言えないのでマリーは濁した。エーファ王国で手に入れたことにして誤魔化す。
長い挨拶が終わり、ダンスタイムへと流れが変わる。
「マルグリット、貴女も踊っていらっしゃい。クレッドガウ卿もダンスの練習はしていたのでしょう」
「はい、ラントは完璧ですわ」
マルグリットの返答にラントはぴきりと顔を引きつらせた。
だが夜会で踊らない訳には行かない。それにこの場はラントがマリーの相手だと知らしめる場でもあるのだ。
ラントはマリーの手を取り、中央に移動する。管弦楽から始まり、太鼓の音が混じる。王室が抱えるこの国最高の楽団が奏でる音楽が荘厳にホールに鳴り響いていく。貴族たちがそれぞれダンスを始める。
マリーたちも踊り始める。ラントは完璧にダンスを披露して見せた。ただ完璧すぎた。マリーたちに注目が集まり、令嬢たちの視線が見知らぬラントに注がれる。
「あの殿方はどなたかしら」
「マルグリット様の婚約者様かしら。素敵ですわね。私も踊って頂こうかしら」
「素敵な方ね。うちの娘を側室ででも良いので貰ってくれないかしら」
曲の切れ目にそんな声が届いてくる。
「マリー、貴族の仮面が剥がれかかっているぞ」
「はっ、失礼しました」
ラントは気にしていないらしい。マリーは嫉妬に狂いそうになった。だが公爵家の侍女たちすら虜にしたのだ。公爵家の侍女は貴族の令嬢たちが行儀見習いで来ている者や貴族夫人になった者たちが働いている。目は肥えている。
会場に集まる年若い令嬢たちが夢中になるのも良くわかる。
計五曲もラントとマリーは踊り、夜会の注目を大いに集めた。
「少し疲れましたわ。ラント、お嬢様方が踊って欲しそうに見ているわよ。貴方はまだ体力があるでしょう。踊ってきていらして」
「ちょっ、まっ」
マリーはベアトリクスの横の席に戻る。ディートリンデも婚約者とのダンスが終わり、戻ってきていた。
「あらあら、クレッドガウ卿は人気者ね。いいの、マルグリット」
「ラントは魅力的なので仕方ありません」
ラントは案の定、貴族のお嬢様に囲まれ、夜会いっぱいダンスの相手に困ることはなかった。帰り道、ラントはぐったりとして美味い食事を食べ損ねたと愚痴を言っていた。その言いようにマリーとエリーはぷっと笑ってしまった。
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