145.哀愁
「ふむ、こんなところか」
ラントは捕まえた魔毒鳥を帝国の要塞に押し付けて帰ってきた。
ココはエーファ王国なのだ。疫病の調査だけならともかくこれは越権行為だと言う自覚はある。あるが、ブロワ市や他の北部であれだけの疫病を流行らせたのだ。あの地獄を見せられたラントの身としては多少の仕返しはしておきたい。これは理屈ではなく感情の問題だ。
ラントがやったとバレなければ良いのだ。幸い魔毒鳥を捕獲したところまでしか麾下の騎士や魔導士たちには見られていない。彼らもわざわざ言いつけはしないだろうし、帝国側から見ても理由なく魔境から魔物が溢れてくるなど当たり前のことだ。疑うかも知れないがそれをきっかけに戦争が早まったりはしないだろうと言う目論見もある。
「さて、外交官たちももう十分に話し合っただろ。そろそろ王都に向かうべきか? いや、マリーはもう少し家族と親交を深めたいかもしれん。マリーに聞くか」
アルの上でう~むと腕を組んで考える。よく考えると一人きりになるのは久々のことだ。解放感が感じられ、このまま魔境で魔物を狩る時間を少し取るかなどと考え出す。
電車や飛行機などの高速交通機関が発達している世界ではない。通信の魔道具もあるがブロワ市と王都の距離をつなげる通信手段などない。情報を伝えたければテイムしている魔鳥を飛ばしたり馬で早駆けするのがこの時代だ。
ラントとマリーたちだけならばアルやイルに乗って王都にひとっ飛びすることができる。が、親書を持つ外交使節団なのだ。きちんとエーファ王国の主要な貴族には挨拶をしなければならない。
コルネリウスからもいつまでに親書を渡せと命令されている訳でもない。一年も二年も掛ければ怒られるだろうがある程度の裁量は任されているのだ。
多少マリーの為にブロワ家に滞在が伸びたとしても文句を言う者は居ない。
戦争や魔法、魔物に関してならともかく政治の話はラントには重すぎる。故に伯爵と言う位を与えられても、期待に応えるのは難しい。
「まぁコルネリウス王太子殿下もそこまでは求めてないだろう」
実際外交をやるのは連れてきた文官たちであり、彼らはしっかりとその任をこなしている。ラントに求められても困ると言うのが実情だ。
生まれ育った国、テールは蛮族の国だった。強ければ偉いが罷り通ったのだ。アーガス王国やエーファ王国のように成熟した国家ではない。
今回の外交特使というのもラントと言う存在をエーファ王国の重鎮たちに顔を見せて置くと言うのが目的だろうとラントは勝手に思っている。
「兄貴たちはなんとかやってるかな?」
ふと北の空を見る。広大な帝国の更に北、北方諸国としか呼ばれない修羅の国々。か弱い人族が生きるには他人から奪うしか道がない。一致団結するには過去の因縁が強すぎる。いつか統一王とかが出るかもしれないが、それがいつになるかはラントにすら予測はつかない。
ラントは国を出る際に親交のあった王子に、クレットガウ家に何かあれば必ずテール王家を根絶やしにすると通告し、家族には十分な魔法具や魔道具を残してきた。貯めていた報奨金や魔導書なども置いてきた。そして兄や妹には自身が習った魔法や魔術を教えた。生きていてきちんと鍛えていれば今のマリーなどよりも余程熟達しているはずだ。
アーガス王国にいようがエーファ王国にいようが流石に北方諸国の情勢は伝わってこない。故に祈るしかラントには手がない。
王家を皆殺しにし、新たに王として立つ道もあったが、親交のあった王子や王女は悪い奴らではなかった。もしその道を取れば王家派閥も多かったのでテールと言う国自体が割れていただろう。ラントも殺してまで奪い取ると言う覚悟は決まらなかった。ただ王がラントと言う玉を得た為に野心を漲らせてしまっただけなのだ。
「今更だな。後悔先に立たず、か」
ラントは国を、家族を捨てたのだ。あの時はあれが正解だと思い込んでしまった。今ならもっとうまくやれたかも知れない。ただ既に過ぎ去った過去に戻る術はラントにはない。ジジイの魔導書にも時魔法は載っていなかったし、時間を超える魔法はおそらくは存在しない。
それにその道を選んでいればマリーとの出会いはなかった。
ラントはブロワ家の方向を向くと未練を断ち切るように正面を見てアルと共に空を駆けた。
◇ ◇
「そろそろ出るのか?」
「えぇ、文官たちももうお話は終わったようですし、ラント次第ですわ。ラントが使節団の長ですからね、形式的にですけれど」
対面のマリーはくすりと笑う。
クラウスはマリーと共に茶を飲んでいた。常に付き従っているセレスティーヌやマリーとコミュニケーションを取りたい者たちにも遠慮してもらっている。今ここにいるのはクラウス、マリー、そして使用人たちだけだ。
マリーが帰って数日、家族たちだけでなく使用人たちもマリーが無事に帰り着いたことを喜んでいる。ただそれほど長くとどまるものではなく、王都に行くと言うのだからマリーと接せられる時間は短い。クラウスもマリーと二人きりになったのは初めてだった。
(マルグリットは随分成長したな。クレットガウ伯爵に感謝すべきか?)
眼の前の妹の落ち着き方は以前のそれではない。後ろに控えているエリーも以前とは違う。それもこれもラントと言う男の影響だろう。
一方的に追放され、死んだと思っていた妹から手紙が届いた時は非常に驚いた。と共に、無事でいた事を家族で祝った。セレスティーヌだけでなく様々な者が涙したものだ。
ただおまけでついてきたラントの予想とブローチのおかげでクラウスは国中を駆けずり回ることになった。
魅了の魔法に掛かって居た者たちの中でも重要な地位についているものや、その縁者は大概が解除できた筈だ。魅了魔法自体は常に駆け続けていないと自然と抜ける物であるし、実際大きな混乱は起きていないと報告が届いている。
魅了の魔法は他の精神系魔法に比べて感知がしづらい。その分掛け続けなければならないのだが、学園と言う特殊な場と魅了に掛けても術者であるルイーズが乱用しなかったことで発見が遅れた。
(未然に防げたと言う訳ではないが、なんとか収まって良かったと言うしかないしな)
「そういえばセレスティーヌも一緒に王都に行きたいといい出しているとか」
「そうだな。マルグリットと離れたくないと言うのが心情だろう。どうせ秋からは王都の貴族院に通うのだ。それが少し早まったに過ぎないし、許可しようと思っている」
「あら、嬉しいわ。あの子にはもう少し姉離れして欲しいとは思うけれど可愛い妹だもの。王都に行けば友人たちにも会えるかしら」
マリーはふわりと微笑みながら言う。マリーにとっては追放や魅了の事件はすでに過ぎ去ったことで、深く心に傷を負っていないようで兄としてはホッとする。
今クラウスの目の前に居ることが奇跡なのだ。実際国外追放ではなく、随伴されていた騎士たちはマリーたちを魔の森に捨てるよう命令されていたことが確認されている。
マリーはラントとの出会いは神の導きだったのだと言うが、実際そうなのかも知れない。覚醒していなかったとしてもラントの言う通りなのだとすればマリーは神の愛し子なのだ。どの神かは知らないが介入してきたとしても驚きはない。
「あぁ、何人かはまだ王都にいるはずだ。そこから使いを出せばいいだろう。ただ領地に帰ってしまった友人たちも多いはずだ」
「それは仕方ありませんわ。彼女たちも家の為、自分の為に必死に生きているのでしょう。わたくしとしては彼ら、彼女たちが幸せに生きていてくれれば十分ですわ。お互い生きてさえ居ればまた旧交を温める事ができるでしょう」
マリーの言葉は重い。何せ自分は冤罪で国外追放の令を出され、殺されかけたのだ。たとえ貴族家に生まれたとしても、不幸な目に遭う者は少なくはないが、貴族令嬢と言う枠組みの中ではマリーは最も不幸な目に遭ったと言っても過言ではない。
「ふっ、マルグリットが言うと現実味がありすぎてどう返せば良いのかわからないな」
「それほど重くとらえなくてもよろしくてよ、お兄様。わたくしはラントと出会い、救われた身ですもの。地下牢に何十年と幽閉されたり、年の大きく離れた好色貴族などに飼われるなどよりは余程マシですわ」
「くくくっ、比べる先が悪すぎるな」
クラウスは苦笑した。
貴族はもれなく魔力と言う力を持っている。そして生まれた時から財があり、知識も与えられる。故に傲慢になりやすく、領民を軽視する傾向にあるのは認めざるを得ない。そしてそのような者たちが権力を握り、不正を為した時に止められる者は少ない。
だがエーファ王国には帝国と言う宿敵が居る。国内で割れている場合ではないのだ。侵略された時に跳ね返せるだけの国力は必要だ。故に公爵家であろうとも定期的に王宮から監査役が派遣され、その領地をきちんと治めているかチェックされる。
ただ大概は苛政を行う者や汚職に塗れた者、闇社会にどっぷり浸かってしまった者は親族に囚われ、幽閉されるか殺される。内々で処理すれば王家や他の貴族家から白い目で見られることはない。
「あら、ラントが帰ってきたようね。一体何をしてきたのかしら。クラウスお兄様、ラントは思ってみないことをさらりと成し遂げてしまうの。覚悟してくださいまし」
「待て、マルグリット、わかるのか?」
「ラントの魔力は大きく、そして特質ですもの。これでもわたくしアーガス王国では魔法士にもなれると太鼓判を押されたのですよ」
クラウスにはラントの魔力は感知できなかった。マリーの魔力が研ぎ澄まされているとは感じていたがそれほどまでとは知らなかった。だが良い成長だ。兄としては喜ぶべきだろう。
「わたくしはラントを迎えに行きますわ。よろしくて?」
「あぁ、構わない。久しぶりにゆっくりと妹と時間を取れた。そしてマルグリットは強くなって帰ってきた。それで十分だ」
可愛がっていた妹が見知らぬ男に攫われて行く。それについて言いたい事はあるが当主である父も認めてしまったのだ。クラウスがどうこう言う話ではない。
マリーがそそくさと準備をして茶会室から出ていく。クラウスも野暮ではない。嬉しそうにラントの元へ向かうマリーを見つめ、マリーがこのまま幸せに生きられれば良いと願った。