141.公爵城の夜
「ラント、漸く認められたわね」
「認めさせたが正しいだろ。なんだアレは。もっと穏便なやり方があっただろう」
マリーがラントに与えられた客室に夜着で訪れ、肩にしなだれかかるが、ラントは少し怒っている。だがそれは振りだけだ。
「ああでも言わないとわたくしは第二王子殿下に差し出されてしまうわよ。それでいいの?」
「良くはない、その場合は攫うさ。だが一日くらいは家族との再会を喜び、そこからゆっくりと女性陣辺りから切り崩していく。そういう方法もお前なら取れただろう。いきなり本丸に斬り込む奴があるか」
ラントはあの時入ってきた部屋の空気に物凄く嫌そうな表情をしていた。その空気を作ったのは紛れもないマリーだ。
だがジョルジュやマルタン、クラウスたちの性格をマリーは良く知っている。周囲から絡め取るような方法を使っても、意味はない。どう足掻いてもマリーの決意は変わらないとわからせるしかないのだ。
「あぁでもしないとお父様たちは認めないわ。公爵と言う体面があるのよ。王家との関係も複雑に絡んでいるわ。そういう問題ではないと認識させなければ話は始まりもしなかったでしょう」
「ちっ、公爵家と言うのも面倒な物だな。俺は絶対やりたくない」
「うふふっ、貴方も今は伯爵閣下よ。そして侯爵の目もまだまだあるわ。諦めなさい。わたくしを娶るのでしょう」
ラントの腕に絡みついて頭を肩に乗せる。ラントはやっていられないと言う表情で煙管に火を着けた。ぷかりと煙が輪になって浮かんだ。
「飲まなきゃやっていられん。マリーも飲むか?」
「少しだけ頂くわ」
ラントが取り出した瓶からは飴色の強い酒が注がれる。氷魔法で作られたグラスにカランとラントの作った氷が入れられた。不思議と氷で作られたグラスなのに手に冷たさが伝わらない。
今ならラントがやっている魔法の凄さがわかる。息を吸うように魔力を扱うが、マリーはまだこの域に達していない。
煙管の香りを肴に、飴色の酒を舐めるように飲む。
「ラント様、私もご相伴に預かってよろしいですか」
「あぁ、好きに飲め」
後ろで控えていたエリーが混ざって来て、新たなグラスが作られる。
「これは強いですね。ですが美味しいです」
「エリーは酒が強いんだったな」
「えぇ、家族全員酒豪の家ですよ」
「そんなポンポン飲むな。ゆっくり味わえ。作るのに十年掛かるんだぞ」
軽く舐めてから、グビッと飲むエリーに対してラントは苦言を呈する。エリーはストレートで一気に飲んでしまった。マリーはそんな飲み方はできない。どうなるかは明白であるからだ。
「ワインも良いのですがあまり酔えないんですよ。このくらいの酒精があった方が私は好きです」
「ドワーフのようだな。そのうち太るぞ」
「運動もしているので大丈夫ですよ。それに魔力を良く使うようになってから痩せました。酒の量は減らしていないのです。それよりもご婚約、おめでとうございます」
エリーがくるりとグラスの中に新しく注がれた液体を回して言う。
エリーに言われると嬉しさも一入だ。
「まだ諦めさせただけだ。正式に決まった訳じゃない」
「ほぼ決まったような物ではないですか。前祝いですよ」
エリーがラントのグラスにグラスをぶつける。ラントもそれに付き合う。
「どうせラント様はその実力を公爵家に見せつけてマルグリットお嬢様の伴侶にふさわしい功を上げるのでしょう。先にするか後にするかの違いだけですよ」
エリーはそう言いながらまたグビッと飲んだ。
「おい、ちょっと他の酒を持って来てくれ。こいつには勿体ない酒だ」
ラントが控えていた侍女に言うと侍女は即座に動いた。侍女や使用人たちはマリーが見せる女の顔に驚いていた。
以前手鏡で見せて貰ったことがあるが、自分はこんな表情をラントの前で晒していたのかと恥ずかしくなった物だ。
だが事実は変わらない。あの時と同じような、もしくはあの時以上に女の顔を今マリーはしているだろう。
漸くラントと結ばれる手筈が整ったのだ。とりあえずは婚約し、ゆくゆくはアーガス王国で盛大に結婚式を挙げる。
救国の英雄の結婚式だ。コルネリウスやベアトリクスなども大きく祝ってくれるだろう。ジョルジュたちが来てくれるかはわからない。帝国がどう動くかわからないからだ。北方守護の任を受けたブロワ家はそう簡単に動けない。
マリーの貴族院の卒業式典でも、分家の長が来ていた。故にマリーの追放劇に文句を言えなかったと言う負の部分もある。
ジョルジュかクラウスが来てさえ居れば、あれほど強引に追放されることはなかっただろう。しかし当時は北の魔境が怪しかったと言う。今にして考えれば帝国が動いていたのだろう。
分家の長では王太子殿下や国王陛下に逆らう事などできはしない。父や兄なら、追放は避け得なかったとしても、公爵家の騎士団がマリーを送り出してくれただろう。襲撃者に負けるような軟弱な騎士たちを付けるようなことはなかったはずだ。
「ねぇ、煙管って美味しいの?」
「吸って見るか、これはそれほどきつくない葉だ。最初は軽く吸い込む感じで良い。深く吸い込むなよ」
ラントは煙管をマリーに渡してくる。思ったよりも重く、ずしりと手に重さが掛かる。軽く吸い込むと苦い香りが口の中に充満する。確かに酒に合う。ラントが吐き出す香りとはまた違う味わいがある。
ふぅと吐き出すと紫煙が月明かりに照らされて昇っていく。
ラントはこれからが大変だろうが、マリーに取っては一仕事どころか全て終わった感じだ。
王都に行けばまたシモン殿下などに会う事もあるだろう。さて、彼はどのような態度でマリーに接してくるのであろうか。
どちらにせよあちらの態度次第だし、マリーは王家と婚姻を結ぶつもりはない。マリーはラントの物だ。それさえしっかりとしていれば良い。
もう一度煙を吸い込み、今度はより多くの煙を吸い込んでみた。
ふらりと脳が揺れる気がする。酒に酔うのとは違う感覚だ。
「おい、深く吸い込むなと言っただろう」
「でもこれ美味しいですわ」
マリーは煙管を返し、酒を手に取った。まだ他の使用人は控えているがマリーはラントに軽いキスをした。見せつけるように。誰にもラントは渡さない。そう想いながらのキスだった。
◇ ◇
(ふふっ、マルグリットお嬢様は嬉しそうですわね。ラント様は渋面ですけれど、心の奥底では喜んでいらっしゃるでしょう)
エリーは使用人に新しく持ってきて貰った酒をグラスに入れて貰い、グイと飲んだ。酒精強めのワインだ。流石エリーの好みをわかっている。何せ公爵家には一桁の年齢から仕えているのだ。マリーにはマリーが好む酒が出された。チーズや燻製肉なども供される。
ラントはゆっくりとそれらを食べながら酒と煙管を楽しんでいた。
エリーは月明かりの中、こうやって静かに過ごす時間を好んでいた。
(こうやって公爵城に帰れる日が来るとは思いませんでした。嬉しい物ですね。ここは第二の家みたいな物ですから)
エリーと一緒にマリーの貴族院のお付きになった侍女は既に結婚してしまったと言う。羨ましい話だが、エリーもラントのお手つきになっている。主人と同じ男に侍れるのだ。更にその男が良い男なのも良い。
マリーほど惚れ込んではいないが、ラントは良い男だ。責任感も強く、実力は予想以上どころではなくある。ラントほど頼れる男はどこにも居ないだろう。
「美味しいですね。もう一本お願いします」
「良く飲むな」
「今日は祝いの日です。たまには良いでしょう」
最初はテールの麒麟児や放浪の大賢者の弟子と言う肩書に惑わされたが、マリーの王太子妃教育と同じでそれだけの努力をしないとその頂きには届かない。
ラントがどれほどの地獄を潜り抜けて今があるのか、ラントが騎士や魔法士につけている訓練を見ていればよく分かる。あれでもまだ軽い方だとラントは笑っていた。本気でやらせればほとんどの騎士や魔法士が潰れてしまうと。
器も大きく、志も高い。いずれ放浪の大賢者を超えると言っていた。
残念なのがおそらくラントとマリーはエリーよりも遥かに長生きすることだ。
だがそんな先の事を考えても仕方がない。エリーは神に愛されてもいないし、神や精霊の試練を潜り抜ける事など不可能だ。挑むだけで死亡が確定してしまう。そんな夢想に浸るよりも、現実を見てできるだけ長くマリーに侍る事を考えるべきだ。
「ラント様とマルグリットお嬢様のお子が早く見たく思います」
「おい、気が早いぞ」
ポツリと溢すとラントに突っ込まれた。だが本心だ。
ラントの子は幾人か既に孕んでいる。それぞれの家でしっかりと教育されるだろう。だがマリーは未だ乙女のままだ。エリーも孕んでは居ない。
エリーはマリーの後で良い。もしくは同じ時期に孕み、マリーの子と一緒に育てたい。そう思っている。
「わたくしも早くラントの子を孕みたいわ。きっと可愛らしい子が生まれるわよ。何人でもいいわ。たくさん作りましょう」
「ちっ、もう酔ったのか? 早くないか」
「まだ酔っては居ないわよ。このくらいはなんてことはないわ。ただの本心よ」
マリーはぐいとラントに体を寄せた。エリーも逆側からラントを挟む。
ラントの独特な体臭がする。臭いと言う意味ではない。もうラントの匂いは体に覚え込まされてしまった。あまり嗅ぐとラントに抱かれたくなってしまう。
ただ流石に公爵城でラントに抱かれる訳にはいかない。ラントもそのくらいの分別はある。もちろんエリーにもある。
(はしたない女になってしまいましたね。責任を取って貰わなければいけません)
エリーは自分からラントを誘ったことをわざと放りだしてそう考えた。




