140.対抗策
「先日は失礼致しました。ブロワ公爵閣下。改めて、私、ランツェリン・フォン・クレットガウ、外交特使としてマクシミリアン三世陛下とコルネリウス王太子殿下の親書をお渡しします」
「良い、攫ってでも穫る気で居たのだろう。私たちも感情的になっておった。卿の功は計り知れぬ。娘の命が帰ってきただけでも僥倖だ。だのに卿への感謝を忘れてついカッとなってしまった。こちらも謝ろう。マルグリットはあの表情で言い出したら聞かぬ。……わかっては居たのだがな」
ジョルジュは翌朝、ラントの訪問を受けていた。
ラントはアーガス王国の外交官たちを連れてきている。ジョルジュの執務室にはクラウスも居り、正式に親書を預かる。
王家の封蝋がされている親書を開き、目を通す。マクシミリアン三世からの親書は形式通りの物であったが、コルネリウスからの親書は読んでいて笑いそうになってしまった。
「卿はこの中身を知っているのか?」
「いえ、知りませんが。何かおかしなことでも書かれていましたか」
「コルネリウス王太子殿下からは、卿は自由にさせておけば勝手に功を上げるので困っていれば好きに使えと書いてある。実際疫病の対策をさっさと出してしまった。驚くばかりだ。実際卿の供出してくれた魔法薬は症状を緩和する効果が見られたと言う。今から素材を大量に用意し、錬金術師たちや魔術士たちを総動員せねばならんが早期に疫病も収まるだろう。仕事が早いな、マルグリットが信用する訳だ」
それを伝えた際、ラントは微妙な表情をした。本人としては不満もあるだろう。
だがそれを公爵であるジョルジュの前で見せるのは貴族としては落第だ。だがそれも良い。腹の探り合いをしなくて良い相手とは貴重なのだ。さらにその相手がマリーの伴侶となるのだ。見定めるのが楽で良い。
「教会も阿呆ではありません。ある程度はわかっていて出し惜しみをしていた可能性も否めません。タイミングを見計らって、より効能の高い魔法薬を出したり解決策を打ち出せば恩を売るチャンスですからね」
「ふっ、そういうこともあるか。教会上層部が考えそうなことだ。だが現場で働く者たちは本気で患者を生かそうとしておる。その動きに偽りは見えぬ。扱いが難しいところだ」
ジョルジュは顎髭を撫でながら考えた。ラントの言葉は推測でしかない。どちらにせよ教会を潰す訳にはいかない。今まで通りそれなりの距離感を保って付き合うしかない。
多くの平民は力がない故に神に祈るのだ。それが届いているかどうかなど誰にもわからない。
「そういえば卿には正式に礼をしていなかったな。マルグリットの命を救ってくれたこと。アーガス王都まで送り届けてくれたこと。そして当家に無事に送り届けてくれたこと。感謝する。更にクラウスに届けてくれた魔法具も卿が作った物だろう。アレのおかげでクラウスは非常に苦労はしたがエーファ王国の国難を弾き返すことができた。アーガス王国の伯爵ではエーファ王国の爵位を勝手にやることもできぬ。謝礼金でも、と思うが卿には必要なかろう。マルグリットを攫って行くのだからな」
ジョルジュがそう言うとラントもニヤリと笑う。
「いえいえ、魅了の魔道具に関しては推測でしかありませんでした。無事効果が発揮したようでこちらもホッとしております。マルグリットお嬢様の事もお認め頂き、ありがとうございます」
ラントは堂々と言い放つ。これが市井のハンターであった者の出す覇気か、とジョルジュは表情に出さずに思った。
(マルグリットの見る目は確か、か。どの道失われていたに等しい命だ。アーガス王国と縁を深めると思えば仕方があるまい)
王家とのいざこざは覚悟しなければならないが、元は王家の失策だ。マリーの命が失われていれば公爵家と王家の仲は断絶していたであろう。そしてそれで喜ぶのは帝国だ。帝国との最前線を任されているブロワ家としては未然に防がれただけでも喜ばなければならない。更にマリーが生きて戻ってきたのだ。十分ではないか。
ジョルジュは公爵としての自分、そして父親としての自分の中で折り合いをつけた。どちらにせよマリーがあの目でいい出したら聞かないことはわかっている。そしてマリーが見初めた相手は只者ではないのだ。ならば祝うべきだろう。
「父親としては複雑な気分だがな」
「閣下の苦悩は私にはわかりませんが、お嬢様を幸せにするお約束をいたしましょう」
「そうか、ならば良い」
ジョルジュはそういい切ったラントを苦笑いしながら見つめた。
◇ ◇
「セレスティーヌ、そんなに引っ付かなくてもわたくしは逃げませんことよ」
「嫌ですわ、お姉様成分を今のうちに十分に補給しておかなくてはっ」
マリーはどこに行くのにもついてこようとするセレスティーヌに苦笑した。
「じゃぁ貴女もラントの妻の一人になる? そうすればわたくしと一緒に常に居られますわよ」
「それはっ。……そんなことお父様方が許す訳ありませんわ」
セレスティーヌは一瞬考えたようだが、静かに首を振った。
まぁそれはそうだろう。セレスティーヌの婚約者が決まって居ないのは第二王子殿下や、他の公爵家の子息との婚約を吟味する為だ。それをマリーと同じアーガス王国の伯爵に嫁ぐなどと言う選択肢は普通なら存在しない。そう、普通なら。
「ラントならなんとでもしてくれると思うのよね」
「私もついそう思ってしまいます」
マリーの呟きにエリーが答える。
「そんなにクレットガウ卿は凄いのですか?」
「貴女の知っている最高の騎士や魔法士を想像しなさいな。そしてそれを十倍するの。剣や魔法の腕もね。そして彼は錬金術師、作れない物などほとんど存在しないわ。素材さえあれば万能薬ですら作り出すでしょう」
「意味がわかりませんわ! そんな人居るわけがないじゃないですか! それこそ英雄譚に語られる人物ですわ」
「えぇ、そうよ。ラントの英雄譚は既にアーガス王国でも広がっているわ。そしてそのうち歴史で彼の名は後世に伝えられることでしょう。わたくしはそれを信じているわ」
マリーがはっきり言い切ったのでセレスティーヌは驚いた表情をする。信じられないのだろう。
だがその信じられない事をラントはマリーの目の前で成し遂げてきた。そしてマリーたちはラントの正体を知っている。
アーガス王国やエーファ王国でも気付いている者もいるかも知れない。だが少なくとも探る気配はない。
大賢者の弟子と言う部分は広まっていない。誰も知らないからだ。そしてそれが知られれば大賢者の知識を求める者が増えるだろう。だからラントは隠し、マリーたちにも〈制約〉を掛けた。
テールの麒麟児と呼ばれていた事はバレたとしても問題になることはないだろう。むしろ納得する人間が増える筈だ。
疫病の緩和薬についても放浪の大賢者の知識か、本人が魔境で得た知識のどちらかを使ったのだろう。どちらにせよラントの功績だ。何せ放浪の大賢者は栄誉も金銭も求めない。ラントに知識を移譲したと言うことは好きに使えと言うことだろう。
(ラントも栄誉や金銭も必要以上には求めないわね。師と弟子は似るのかしら)
ラントが栄達を望んだのはマリーを娶る為に必要だったからだ。本人はマリーへの想いは諦め、王都を去るつもりであった。それを引き止めたのはマリーたちだ。
そしてラントも本当に嫌ならば逃げ出すことはいつでもできた。それをしないのはマリーを愛してくれていると言う証左だろう。
「うふふっ」
「マルグリットお姉様がそんなお顔をなさるなんて」
「あら、そんな顔をしていたかしら」
「えぇ、幸せいっぱいと言う感じですわ」
セレスティーヌから見るとそう見えるらしい。だが事実だ。マリーは幸せいっぱいである。やり方はともかくブロワ家にもラントは認められた。これで邪魔する者は居ない。
マリーは漸くラントと結ばれることができるのだ。顔が綻ぶのがわかるが、それを治そうとは思わなかった。
その笑みを見て使用人が見惚れていたのかバケツから水を溢していた。
(これであの頑ななラントも手を出してくれるでしょう。どこで花を散らして頂こうかしら。もう待ちきれませんわ)
最悪既成事実を作ってしまえば良いと思っていたのだがラントは頑なだった。
あれだけ使用人や侍女、エリーなどには手を出すのにマリーには手を出してくれない。幾度か誘惑もした。ラントがぐらりと揺れたのも知っている。だがそれでもラントは踏ん張った。男の意地なのか、ラントの信条なのか、よくわからないが、マリーは体を触られたりキスされることはあってもその先までは行かなかった。
だがもうそれも解禁だ。流石のラントも結婚まで手を出さないと言うことはないだろう。お互い焦れに焦れているのだ。
「お姉様」
セレスティーヌが静かに呟く。だがマリーに何か問いかけたのではないことがわかっているので、マリーはセレスティーヌに笑みを返すだけだった。