139.帝国の風土病
「あら、セレスティーヌ、そんなに寂しかったの」
「それは当たり前です! お姉様が死んだかも知れないと聞いた時は世界が灰色に染まりましたことよ!」
「大丈夫よ、わたくしはここにいるわ。それに例え遠くに居ても貴女の事を想っていてよ」
マリーたちは家族で暫く歓談した後、女性陣だけでの茶会に移行していた。ジョルジュやクラウスは忙しいと言うのもある。仕事を放りだしてマリーを歓待していたのだ。
妹のセレスティーヌはマリーにひっついている。正面には兄の妻であるラエルテが微笑んでいる。そして祖母のジュリアは静かにお茶菓子を摘んでいた。
他にも幾人か分家の者や従姉妹たちなどが参加している。十人以上いるが彼女たちの興味はラントとの冒険の日々やラントがどのような人間であるかだ。
マリーは穏やかに、ラントがどれほど真摯にマリーたちを救ってくれたかを説明した。そしてアーガス王国でのラントの評価の高さも教えていく。
「クレットガウ伯爵にはエーファ王国全体が助けられたと言っても過言ではありません。それこそ姫殿下を下賜したり国宝を出すくらいは当然でしょう。実際今上陛下たちも魅了に掛かっておりました。今は宝物庫から取り出して精神系魔法対策の魔法具を身に着けているようですが、今までの帝国はこのような策謀はして来ませんでした。故に盲点だったのでしょう。宮廷魔導士たちも気付かないように、静かに侵略してきておりました。あの後も幾つか魔境の氾濫がありましたが、それが帝国の策謀かどうかもわかっておりません」
ラエルテが静かに語る。
「歴史を見れば精神魔法への対策は各々が行えていたと文献に残っています。私たちは精神魔法を禁忌として扱ってしまった為、使える者も対策できる者も減ってしまいました。禁書庫で学ぶことが許された宮廷魔導士たちが気付いても良さそうな物ですが、余程巧妙に行われていたのですね。しかも貴族院から侵そうなどと、帝国の指揮官は狡猾な者のようです。最初から王城に入りこまれていれば、流石に誰かが気付いた事でしょう」
マリーは茶器を置いてラエルテに向き合う。そしてその策謀を破ったラントの事を想った。
「そうね、でももうその策謀は破られたわ。帝国はもう攻めて来ても良いと思うのですけれど、圧倒的に勝利したいのでしょうね。二国を同時に相手にすれば帝国の損害も馬鹿になりません。新しい皇帝は豪放だと聞いて居ましたがかなり慎重な性格をしていられますね。北方要塞など今なら落とし放題でしょうに」
マリーが北方を向くとラエルテやジュリアも北方を見る。
今要塞は疫病で酷い事になっていると言う。ブロワ市や辺境伯が治めている都市、他の北方の都市からも多くの魔法薬が送られ、錬金術師や魔導士も派遣されている。
だが決定的な打開策はまだ見つかっておらず、疫病は北方の都市にまで広がりを見せている。
ブロワ市も多くの病人を抱え、大変な状態にあると言うのだ。今帝国が攻め込めばブロワ市ですら落ちるかも知れない。故に市全体がピリピリしているし、中央はいつでも援軍を派遣できるように準備を整えていると聞く。
「まぁその辺りはラントに任せましょう。彼の専門分野だわ。すぐに解決はできずとも道筋くらいは見つけてくれるでしょう」
「あら、クレットガウ卿にそれほどの信頼を寄せているの?」
「えぇ、ラントにできなければ誰もできないでしょう。そのくらいには信頼しておりますわ」
マリーがきっぱりと言い切る。きらりと左手薬指の指輪が光る。
これは婚約指輪でも何でもないが、既にマリーはそう捉えている。他の者にもそう見えるだろう。
マリーの首に掛かっている首飾りもそれほど豪奢な物ではないがアーガス王国の国宝だ。ラントが宝物庫から見つけ出してきて与えてくれた。
過去の聖女か聖人が使っていたのだろうとラントは言っていた。王家はどのような効果があるのかわかってはいなかったようだ。
過去の歴史に埋もれてしまったのだろう。神気は扱える者しか感じ取る事も難しいと聞いている。
「クラウス様も素敵な方ですし、マルグリット様も良い方に出会えたのね」
「えぇ、出会い方はどうかと思いますけれどね。懐剣を本当に抜いたのなど初めてですことよ」
マリーがクスリと笑う。今はもう笑うことさえ出来るのだ。あの時の弱い自分とは違う。ジョルジュたちがマリーを強くなったと言うが、その通りだろう。自分でもその自覚はある。今なら、ラントの為ならば人に対して魔法を放つ事すら躊躇う事はないだろう。
「そういえばマルグリットお姉様、髪の艶や化粧のノリが良くなっておりませんか? 以前よりお美しくなったように感じます」
「それはね、ラントが作ってくれた美容液のおかげよ」
そう言った瞬間、女性陣の瞳がギラリと光った。皆、美には敏感なのだ。セレスティーヌが言わなくともいずれ誰かが言ったであろう。
それからはラントが作る美容液や精油の話で盛り上がった。
当然ラントにはお土産として大量に作らせてある。ブロワ公爵家の女性陣は虜になるだろう。
エーファ王国とアーガス王国は植生の違いはあるが、ラントはレシピなどを普通に公開してくれる。マリーがお願いすればブロワ家でも似たような物が作られることは容易に想像できる。そしてそれは新しい産業となる。
実際アーガス王家はラントから大金を払ってレシピを買ったと聞いている。
ブロワ家は常備軍を擁して居て尚、金銭に困ってはいないが財源は幾らあっても良い。
マリーはエリーと目を合わせ、くすりと笑った。
◇ ◇
「ふむ、幾つかに絞れたが元は帝国北西部の風土病なのか。ほぼ確定だな。ただ対策の魔草が大量に要るな。魔物の肝でなくて良かったな。北方山脈にあるか? 魔の森まで遠征しなければないかも知れん。それは俺の領分じゃぁないな」
ラントは誰も入るなと言って部屋に籠もり、ジジイの残した病気に関連する本を読んでいた。ジジイは様々な功績を残しているが、その主な部分に多くの不治の病や魔力持ちでも掛かる強力な魔病への対策を作り上げたと言う功績があると聞いた。実際多くの病がジジイに寄って駆逐され、当時の教会は肩身が狭かったと伝承がある。
実際様々な地域の風土病や、どの魔物がどんな病気を持っているか。毒持ちの魔物への対策など詳細に書いてある。
ジジイは大帝国時代からジジイだったと聞いている。三百年を超えて生きると言われているが、それは三百年前の二王国が独立した際に手を貸したからで、実際の年齢はどれほどか誰も知らない。現れたのは大帝国の時代だ。だがその時点でジジイ姿だったと言う。生まれ育ちも判明していない。
とりあえず病気の元はわかった。特効薬と言うほどではないが効能のある魔法薬もわかった。しかしそれらを大量に作るには素材が足らない。
「まぁ何もわからんよりは良いだろう」
蔓延してしまった場合の対策も書いてあるが隔離し、水分と栄養を与えて〈治癒〉や〈解毒〉を掛け、本人たちの回復力に任せるしかない。そしてそれらは既に行われている。
「とりあえず神気を使えば治るんだがな。俺やマリーがやる訳にもいかんしな」
神気を使った〈治癒〉では完全に病原体が死ぬ事は判明した。しかしそれは秘密だ。ラントが聖人であることも、マリーが聖女の卵であることも知られてはならない。例え多くの人を見殺しにしたとしてもだ。
エーファ王国はアーガス王国ほど教会の侵食は酷くないが、どちらにせよ狙われる危険がある。
「これはマリーには言えんな。言えば神気を暴走させて治癒しかねん。万能薬も効果はあるが素材が希少すぎるからダメだな。やれやれ、厄介な事だ。とりあえず病人の体力を回復させる魔法薬のレシピを売るか。既存の物よりも効果は高い筈だ」
ラントは必要な素材や調合法をメモして、魔導書を仕舞った。どうせ読める者などそれほど居ないだろうが、これらも見つかったら面倒な事になる。
ジジイは後継者も育てず、魔導の極致も見せはするが文献を残していない。おそらく今ラントの手元にあるのが唯一の物の筈だ。
魔法を使って写本した物であるが数百年の時間を掛けて調べ上げた事柄が多くの分野に渡って書いてあるのだ。どこの王族だろうが喉から手を出してでも欲しがるに違いない。
ただ危険な魔法や魔術、使い方を誤れば戦争の形態が変わるような魔法具の作り方も書いてある。安易に流出させて良いものではない。
故にラントはあまり問題にならない部分や、何か問題が起きた時の対症療法的に使っているのだ。
部屋を出ると使用人たちも居たがドロシーが居た。
「取り敢えず対策はわかったぞ。と、言ってもすぐにはどうにもならんがな」
「本当ですか!?」
ドロシーが驚いた表情で迫って来る。何せ現場を見に行き、一人の患者の解剖をしただけだ。
似た症状の病気など幾らでもある。それを特定したと言うのだから驚くのは当然だろう。ラントでさえ流石に帝国北西部の風土病など知らない。ただいくつか実験し、病原体に効く魔法薬を幾つかは絞り込めた。それで十分な筈だ。
「急ぎ公爵閣下にお知らせしなければなりません」
「そうだな、やれやれ、もう夕方だと言うのに」
「たくさんの人の命が掛かっているのです! 悠長なことは言っていられませんよ」
「すぐにはどうにもならんと言っているだろう。そう急くな」
ドロシーはぐいぐいとラントのローブを引っ張った。別に行かないなどと言ってはいない。ラントはドロシーの手を引き剥がし、落ち着くように言った。
(こんなに熱い奴だったのか)
ドロシーはどちらかと言うと静かに魔導を極める事を目指す人間だと思っていた。だがあの患者たちの現実を見せられ、それが解消される可能性があると言っただけでこれである。
(まぁ魔法にだけに魅入られて、領民が死にゆくのを数字だけで判断するよりは余程良いがな。領地を貰っても代官に任せるのはやめておこう。領民に寄り添うのは良いが、冷徹に判断できない領主は得てして人気は出るが経営に失敗することが多い)
ラントはドロシーの評価をそう見た。実際はやらせてみれば良い為政者になるかも知れない。良い補佐官がつけば問題ないだろう。どちらにせよラントに領地などはない。貰うつもりもない。
ドロシーに引っ張られて公爵城に着く。
ジョセフが迎えてくれた。
「どうしましたかな、ラント様」
「幾つか候補は絞り込めた。対処する為の魔法薬のレシピを売ってやる。魔の森で大概の素材は手に入る筈だ。後は公爵家の領分だろう」
ラントは端的に伝えるとジョセフが驚く。
「なんと、たったアレだけの視察で? 教会も公爵家も未だ解決策が見いだせていないのですよ」
「対策としてはアレで良い。十分だ。少し珍しい地域の風土病だ。ただし帝国の、と注釈がつくけどな」
その一言でジョセフの眼光が鋭くなる。帝国の陰がまたここで見えてきたのだ。
エーファ王国と帝国は国境を接しているが北方山脈を挟んでいる。そう簡単に帝国の風土病がエーファ王国で流行る筈がない。
王宮に蔓延された魅了の術式。そして幾つかの魔境の氾濫。そして疫病の流行。一年の間にこれだけのことが偶然起こることはそうそうない。
ジョセフは静かにラントに礼をして公爵の執務室に使用人を走らせた。
135話を投稿し忘れていたと言うか抜けていたので差し込みました。良ければ読んでいただければと思います((。・ω・)。_ _))ペコリ




