138.疫病
「さて、大口叩いちまったな。やるかぁ。無辜の民が苦しんでいるってのも寝覚めがわりーしな」
「いいのですか、閣下。本来は親書をお渡しし、友好を深めるのが任務でしょう。あの場であんな態度を取ってしまって、デボワ公爵家の印象は最悪ですよ」
「そうですよ、魔力を解放した時なんて私たちも生きた心地がしませんでした。何ですかあの態度」
ダミアンとドロシーがラントに文句を言ってくる。言っている事はド正論で言い返す余地もない。彼らは生粋の貴族なのだ。
「俺は元々平民でハンターをしてたんだぞ。お貴族様の皮を被るのもたまには限界が来るんだよ。それにあの場はアレで良かった。結果論だがな。どちらにせよマリーがなんとかしたさ。それに外交は明日からだ。明日からはちゃんとするさ」
ラントは手を振って追撃を封じた。
「ドロシー、何人か魔導士と魔法士を連れて行く。選抜しておけ。公爵魔法士団からも何人か借りていく。ランベルト家も興味はあるだろう。デボワ公爵家が患者を隔離している場所に行くぞ。それとデボワ家が掴んでいる情報を貰わねば成らん」
ダミアンとドロシーは走って行く。敵地でも何でもないし、ラントに護衛など必要ない。それを彼らはわかっている。連れてきた執事たちも戻るように促した。
ラントは公爵家の使用人に声を掛けると慌てて使用人が走り、ジョセフと言う男が出てきた。確かあの部屋にいたはずだ。
白髪のオールバックで出来る執事と言った印象が強い。ジョルジュの側近だろう。魔力量から見ても明らかに上級貴族の出だ。
ラントが魔力を解放した時も即座に動いていた。ジョルジュたちを守ろうと懐に手を入れていた。魔法具か何か隠していたのだろう。ラントが魔力解放をする前からラントの一挙手一投足も見逃さないと言う厳しい視線が印象的だ。
「臨時区画を訪れるのでしょう。私が案内致しましょう」
「いいのか、お前は公爵閣下の腹心の一人だろう。それにせっかく帰ってきたお嬢様との時間は大切だろう。そう長くは滞在しないぞ」
「マルグリットお嬢様は強くなって帰って来られました。あのお姿を見られただけで十分でございます。どちらにせよ婚姻の準備で城を離れていた筈の時期でございます。別れの挨拶ができれば十分でございます」
ジョセフは静かに礼をした。
「マルグリットお嬢様を救って頂けた事、王都までお届けして頂いた事。その他諸々、感謝しています。クレットガウ伯爵閣下」
「閣下はやめろ。俺はエーファ王国の貴族でも何でもない。調べているのだろう。俺は元は平民だ。貴族の作法など付け焼き刃でしかないし、未だに慣れん。ラントで良い」
「ではラント様。この私、ジョセフが案内させて頂きます。かなり酷い状況ですが大丈夫ですか?」
「はっ、俺がどれだけ酷い世界に生きていたのか知っているのか。この世の地獄なんぞ幾らでも見てきた。疫病程度大したことはねぇよ」
ラントは北方諸国の出である事を隠していない。エーファ王国やアーガス王国では想像もつかない世界だろう。戦争に魔物の氾濫、スラムでの暴動。爵位など飾りだ。強い者が正しい。それを地で行っていた地方だ。
クレットガウ家にも暗殺者や間者が当然のように送り込まれ、ラントはその全てを撃退してきた。
疫病の流行は見たことがないが、食料が足らなくて餓死する人間なら幾らでも見てきた。寒さにやられ、凍死する者たちも多くいた。食料がある程度行き渡っても体力が足らず、冬には多くの死者が出る。
平民でも多少の魔力は持っているため、元の世界の人間より病気や怪我などにも強いし、そこそこの者でも優に地球の国際大会などでぶっちぎりで優勝できるほどの身体能力と頑丈さを持っている。
ラントが様々な改革を行い、マシにはなったがそれは多少マシになったと言う程度で、アーガス王国やエーファ王国の貧しい街と比べてもまだ悪い。
「お待たせ致しました。閣下」
ダミアンとドロシーが十人ほどの騎士と魔導士たちを連れてくる。ついでにランベルク公爵家からも十人ずつほど来ていた。彼らも疫病の被害を確認したいだろう。
他国の事ではあるが他人事ではない。いつ疫病が蔓延するかなど誰もわからないのだ。人為的であれ、自然発生であれ、突然その魔の手は忍び寄ってくる。そして一度蔓延したら止める手立てはそれほど存在しない。
「行くぞ、現地を見なければ話にならん」
ラントたちは馬車を使って移動する。隔離区画は市壁の外に作られているらしい。土魔法で作られた体育館のような建物が幾つも立っている。そしてそこに治癒魔法士や教会の服を着た者たちが走り回っている。錬金術師の姿も見える。
魔力波動が水面にいくつもの石を投げ込んだようだ時の波紋のように入り乱れている。
臨時病院の一つに入る。多くの患者が即席ベッドに寝かせられており、咳をしたり苦しそうに呻いている。吐瀉する者も多く、即座に誰かが桶を差し出している。
「うわっ」
「酷いですね。これが疫病ですかっ」
「原因はわかっているのか?」
今までの街は疫病の対処している場を見学には行かなかった。彼らも初めて見るのだろう。酷い有り様に眉を顰めている。
ラントが問うとジョセフが答える。当然ジョセフ以外にも幾人も公爵家から人がついてきているが、最高責任者は彼のようだ。
「北方要塞から疫病は始まりました。そして商人や傭兵を介して広がっていったようです。主に経口感染で、接触感染も見られています。空気感染ではないと思われています。原因は北方要塞の水にあったようだと推論ですが言われています」
「ふん、要塞から始まったとなれば帝国の陰謀が隠れて見えるな。自然発生でないのならば地下水源に病死者の死体でも投げ込んだのだろう。ご苦労なことだ」
ラントは風のヴェールで全員を覆い、中の様子を見渡す。酷い光景だ。どんな酷い光景を見ても見慣れると言うことはない。
ラントたちが入ると注目が集まる。明らかに貴族たちの集団だ。更にラントは魔導士のローブを羽織っている。
「お、お貴族さま。助けてくださいっ」
まだ歩ける病人が近づいてくるが風のヴェールに弾かれ、近づくことはできない。弾かれて尻もちをついた。
「ラント様、病人にそのような態度は。彼らは大事な市民なのです」
「原因究明と解決方法のが先だ」
ジョセフが文句を言うがラントは黙らせた。
風のヴェールを薄くし、病人に近づく。肺と腸に問題があるのだろう。動けずに垂れ流しになっている病人がいるが、水のような便しか出ていない。
教会の人員が慌てて〈浄化〉を掛けている。
「〈解毒〉や〈治癒〉は効かないのか?」
「いえ、一定の効果はあります。特に肺の方には効果が高いです。しかし少し時間が経つと症状が再発します。根本の解決にはならないのでしょう」
「そうか。死者は?」
「二割から三割でしょうか。一週間ほど耐えれば快方に向かう者が多いようです。ですが一度掛かった者たちは一時的に隔離しています」
ジョセフの解説は明朗で簡潔だった。他にも色々と質問をしたが全て頭に入っているようで即座に返事が帰って来る。
誰かが息を引き取ったようでシーツで巻いて外に慌てて運び出して行く。死者は即座に火魔法で骨まで焼くと言う。家族たちが死者の顔を見る事すら許されない。
「ちょっとまて、その死者を見せろ」
「は、誰ですか貴方。勝手な事をしないでください」
「いいから寄越せ。俺が代わりに焼いてやる」
教会の者だろう。貴族相手だろうがへりくだらない。その男は嫌な物を見たと言う表情をしながら死者を押し付けてきた。
ジョセフの案内で火葬場に行く。だがその前に調べる事がある。簡単に言えば解剖だ。
「お前たち、見たくなければ見なくても良いぞ」
ラントは魔法でナイフを作り出し、死者の腹を捌く。〈念動〉なども併用し、邪魔な骨は切って内臓を魔眼で視る。だが念の為、拡大鏡を取り出して見た。顕微鏡並に見える特製のルーペだ。
「肺炎は普通の肺炎だな。問題は腸だ。目に見えない瘴気に侵されている」
「目に見えないのに何故わかるんですか」
「これを使えば見えるんだよ。だが正常な肉体でも目に見えない細菌はたくさんある。通常の状態を知らねばどれが悪さをしているかわからんだろう」
ドロシーが聞いてくるがぶっきらぼうに返した。
同じ物を渡してドロシーや他の物たちにも見せるがよくわからないようだ。
少なくとも魔毒や錬金術で作られた疫病ではない。それの方が話は早かった。
魔力を多少持つ平民にも掛かる強い病気なのだろう。腸からは通常ではない魔力も感知される。物凄く薄く、ラントでさえ気合を入れねばわからないレベルの魔力だ。
腸内には幾つもの細菌が見える。ラントは正常な人間の解剖を何度もしたことがあった。なにせ戦場には幾らでも敵の死体が転がっている。空間魔法でこっそりと持ち帰り、正常な状態を目に焼き付けたのだ。
病気に掛かって死んだ者の解剖もした。兄などは神が怒るなどと言って反対していたがラントは押し切ってやった。医学の発達が魔法のせいで疎外されている世界で、ラントは自身で色々と知らねばならなかったのだ。
当然師であるジジイもやったようで、詳細な解剖図などはある。あるが実際に自分でやらねばわかるものもわからない。
「これ凄いですね。でも何がなにやら私にはわかりません」
「俺だってほとんどわからん。だがこの目で見なければわからないことは幾つもある。血にもおかしな物が混じっているな。幾つか魔法薬を試して見るか」
初めて人間の解剖をやった時は吐いた。しかしこの世界を生き抜く為には必要なことだと自分に言い聞かせてやった。
ラントは元の世界で医学の知識などほとんどない。それに内臓の機能なども元の世界の人間とこの世界の人間では違う事だろう。全く同じと言うなどと言う事はありえない。故に元の世界の知識があったとしても使えない。
ラントは幾つかの定番の魔法薬を試す。どれも病気に効く物だ。教会や錬金術師たちもこの辺りは試しただろう。多少の改善は見られるが特効薬と言うほどではない。それにこれほどの病人の数に対して用意できる分は全く足りていないだろう。
ラントとて素材があれば纏めて作ることができるが、その素材がない。疫病は年単位で続く事がある。帝国が関与しているならばもっと長く続いてもおかしくない。
ラントはこっそりと死人の血を採り、試験官に入れてポーチに仕舞った。腸の一部も切り取り、遺体を火魔法で火葬する。
「ちっ、あいつらいつも邪魔をするな。少し仕返しをするか」
ラントは北の方角を向いて帝国を睨みつけた。