134.マリーの帰還とラントの憂鬱
「マルグリット様、ご帰還です。もうすぐ到着されるでしょう」
「ご苦労。お前たちもマルグリットを歓待せよ」
「はっ」
公爵城のホールではブロワ家の殆どの者が揃っていた。それほどマリーの帰還を待ち望んでいたのだ。一度は死んだと思われていた公女だ。だが実際は生きていて、アーガス王都でアーガス王家やランベルト公爵家と交流をしていたと言う。幾度も帰還の催促をしたが、マリー本人がすぐには帰りたがらなかった。誰もがマリーの帰還を待っていた。そしてそれはやっと今叶った。
城門から城に来るまでの時間すら待ち遠しい。クラウスはそう思ったが当主である父がホールで待つと決めたのだ。祖父であるマルタンですらそれに従っている。
祖母や分家の者たちも集まっている。側室の子たちも居る。マリーの無事を一目見たいと騎士や侍女たちも集まっている。
広い玄関ホールだが狭く感じる。実際これほど人が集まることなどそれほど無い。
「マルグリットお姉様が漸く帰って来られたのね。待ち遠しくて堪りませんでしたわ」
妹のセレスティーヌは待ち切れないとばかりに扉を見つめている。弟は貴族院に通っていて王都にいる。マリーの帰還を最も待ち望んでいたのは彼女だろう。
ジョルジュもマルタンも、もちろんクラウスもマリーを愛している。だがセレスティーヌの愛は重い。
マリーは母の愛を知っている。だがセレスティーヌは幼い頃に母親を亡くしてしまった。故に母の代わりに優しくしてくれていたマリーに敬愛を抱いている。マリーが貴族院に行く時にも泣きじゃくったほどだ。
そしてクラウスやジョルジュが王都に行く時は必ず付いてきた。王都の様子を見せる事は悪い事ではないので否定はしなかったが目的は明確だ。
「マルグリット様、ご帰還です」
大きな扉が開く。全員が前のめりになる。
マリーを先頭に多くの者が公爵城に入ってくる。エリーの姿も見える。幾人かがマリーの姿を見て泣き出す。マリーの侍女だった者たちに多い。騎士たちや魔法士たちも必死に堪えている。クラウスも泣きそうになったが、マリーの姿を見て涙が引っ込んだ。ジョルジュやマルタンも目を疑っている。
「マルグリット、よくぞ帰ってきた。嬉しいぞ」
「ただいま帰りましたわ。お父様。そしてお兄様にお祖父様、お祖母様。あら、分家の者たちまで集まっているの。わたくしの無事は知らせているのだから大袈裟ではなくて?」
「そんなことはない。皆マルグリットの帰還を待ち遠しく思っていたのだ。また会えて嬉しいぞ」
「わたくしも嬉しいですわ。お父様。あまりお変わりがないようで安心いたしましたわ」
ジョルジュがマルグリットを迎える。
だがクラウスはあれがあのマリーかと目を疑った。最後に会って一年も経たないと言うのに明らかに風格が違う。昔会ったベアトリクス王妃のようだと思った。
実際戸惑っている者たちも多い。他国の女王と言われてもおかしくないオーラがある。マリーが王妃になれば王国は安泰だろう。立ち姿だけでそう思わされた。
そして遅れてマリーの左手薬指に美しい指輪が嵌まっている事に気付いた。首飾りもシンプルだがとても美しい物に変わっている。
「マルグリットお姉様! 会いたかったですわ。なんですぐ帰って来てくださらなかったの」
「まぁ、セレスティーヌ。甘えん坊な所は治って居ないのね」
堪えきれなかったセレスティーヌが飛び出してマリーに抱きついた。マリーはセレスティーヌを優しく抱擁し、頭を撫でている。涙が溢れていてせっかくのドレスも化粧も台無しだ。だが誰もそれを止めはしない。
祖父のマルタンですら、父のジョルジュですらセレスティーヌとマリーの再会を温かく見守っていた。だがセレスティーヌを抱き寄せるマリーの左手にある指輪に誰もが気付いて驚きの表情を見せていく。
「さぁ、皆落ち着いて頂戴。わたくしの無事は確認出来たでしょう。後は家族の時間よ。騎士たちや魔法士たちは戻りなさい。皆仕事があるでしょう。こんな所で油を売っている暇はなくてよ? 疫病が蔓延していると聞いているわ。対処の目処はついていて?」
マリーの言葉で殆どの者は仕事に戻っていく。残ったのはマリーの家族と従兄弟などの血縁がある者、そしてマリーに付いていた侍女たちだけだ。
当然ジョルジュたちを守る騎士たちは残っている。
「さて、まずは紹介するわ。ランツェリン・フォン・クレットガウ伯爵よ。わたくしの命の危機を救い、反乱の起きている中アーガス王都まで護衛してくれ、ベアトリクス叔母様の元まで連れて行ってくれた方よ。そして宮廷錬金術師の長に任命され、外交特使の任務を帯びて居るわ。間違っても彼に非礼など働かないで頂戴。わたくしの大切な人よ」
そう言われた瞬間、気配が現れる。クラウスたちはそこで初めてラントの気配に気付いた。ほとんどの者はラントの事を認識していなかった。エリーや他の侍女たちの事は認識していた。だがラントは気配を消して潜んでいたのだ。
薄灰色の北方に多い色の髪を後ろで括り、マリーのすぐ左後ろに居た。
深い藍色のローブに金銀の装飾、そしておそらくはアーガス王国の最高勲章が肩についている。調べさせた通りだ。
クラウスは慄いた。その隠形の力だけでブロワ公爵家の者たちは即座に暗殺されるだろう。少なくともラントが気配を発するまでクラウスは存在に気付きすらしなかったのだ。ラントは剣を帯びてはいないが収納鞄がある。何が入っているかわかった物ではない。首筋が寒くなった気がした。
「待て、マルグリット。それは……どういう意味だ?」
ジョルジュは本来ラントへ挨拶と礼をすべきなのに、マリーの言葉に返した。だがクラウスも気持ちはわかる。さらっと言われたが看過できる言葉ではない。
「そのままの意味ですわ、お父様。何か勘違いを起こさせるような事を言いまして? 皆、とりあえずここではあまり宜しくありませんわ。移動致しましょう」
ジョルジュはマリーの最後の言葉が気になったようだ。クラウスも気になる。もしやマリーはラントに既に奪われた後なのか?
王家はマルグリット追放と魅了が蔓延していたことにより、王太子とされていたシモンが廃太子され、第二王子殿下が立太子される手筈になっている。シモンは王兄として弟である第二王子殿下を支えると公言している。
そしてマリーとシモンの婚約は解消されたままだが、王家にブロワ家から王妃を出すことは変わらない。
そしてそれに適うのがマリーか妹のセレスティーヌだ。側室の子も居るが流石に問題が出る。二人も正妻の娘が居るのだ。今回の不手際を以て側室の子を出す手もあるが後々に響く。側室を正室に迎えていればまた違ったのだろうが、今更だ。
王家への不信もあるが、そこをぐっと飲み込んで帝国の脅威を訴え続ける為にも、婚姻は必要だとクラウスは考えていた。
第二王子殿下とは年齢的にはセレスティーヌが合うがマリーが少し年上なだけで問題はない。王家からもマリーと第二王子殿下の婚姻を打診されている。
他にも様々な上級貴族からマリーの無事が知らされ、嫁に欲しいと言われている。
クラウスは今回素直にマリーの帰還を喜んでいる場合ではないことに気付いた。それはジョルジュやマルタンも、そしてセレスティーヌも気付いている。
マリーの瞳は本気だった。そしてあの表情をしたマリーを翻意させられる者はブロワ家には居ない。
◇ ◇
(はぁ、面倒くせぇ)
ラントは目の前で行われている筈の感動の再会を気配を消して見ていた。
そして紹介されたので消していた気配を発する。急に気配が現れたことで何人かの騎士が手を剣に掛けている。だがそれはマリーが視線だけで制した。
実際ラントが何かした訳ではない。家族との再会を喜びたいだろうと思っていたから気配を消して見ていただけだ。
「まずは移動しよう。ゆっくりと話そうではないか」
「えぇ、構いませんわ」
ジョルジュが提案し、ぞろぞろと移動する。人が減ったと言っても多数の人間が居る。
ラントは執事らしき男の元へ行き、連れてきた騎士や魔法士たち、侍女や使用人などをどうすればよいか尋ねた。なにせ城門の外で待機させているのだ。
「ランベルト公爵家の方々とクレットガウ伯爵家の方々ですね。別棟に場所を用意してあります。最低限の騎士と魔法士を残してそちらに移動して頂ければと思います」
「わかった、そう伝えてくる。マリー、少し離れるぞ」
「えぇ、構いませんわ。ゆっくりしていらして。わたくしは色々と話す事がございますの」
「程々にな。大切な家族との再会だろう」
ラントはマリーに丸投げして城門の外に出た。そして使用人たちに案内されて連れてきた騎士たちを言われた場所に行かせる。
別棟と言われたがどこの豪邸だと思わせるほどの別邸が建っている。
「お前たちは暫くここで待機だ。歓待の準備もしてくれているらしい。長旅ご苦労だった。だが一週間から十日ほど公爵城に滞在した後、エーファ王国王都を目指す。英気を養っておけ。サボるなよ。同盟国ではあるが帝国が近い。敵国だと思って動け。何があるかわからんぞ」
「「「はっ」」」
ラントの言い様に案内した使用人は眉を顰めたが特に文句は言って来なかった。
ラントはクレットガウ家の騎士団長と魔法士団長、そして執事を数人選んで連れて行った。残りは留守番だ。訓練場も貸してくれるらしいので訓練をさせておけば良いだろう。
公爵騎士団はラントの騎士団よりも優秀だ。お互いに高め合って貰えば良い。
「さて、どうしたものか」
「お悩みですか」
ダミアンが尋ねてくる。
「そりゃ悩むだろう。公爵家の令嬢を妻に迎えると言っているんだぞ。伯爵程度では釣り合わん。だが侯爵に昇爵する確実性はない。ここで打ち止めでも俺は全く構わん。マリーさえ手に入ればな」
「しかし宮廷錬金術師の長を任されています。アーガス王国での話もエーファ王国には響いているでしょう。紆余曲折はあれど認められるのでは? マルグリット様は本気に見えましたよ」
ダミアンは真っ直ぐに突いてきた。それはラントもわかっている。
「それは俺も思うがな、その紆余曲折が面倒なんだ。何を言い出されるかわからん。無理難題を突きつけられてもこっちは文句が言えん。マリーがうまく説得してくれれば良いのだが、エーファ王族も関わってくる。そう簡単にはいかんだろう」
「難しい話ですな。私には縁のない話ですが、縁がなくて良かったと思います。公爵家の分家との縁組でも私には縁がないでしょう」
ダミアンは苦笑している。愚痴を聞いてくれるだけでも有り難い。そういう気分なのだ。魔法士団を任せているドロシーも付いてきているが静かに話を聞いている。
「お前は伯爵家の出だろう。俺の元で功を上げれば子爵くらいには叙爵されるぞ。覚悟しておけ」
「えっ」
「当たり前だろう。俺の部下になったんだ。俺が功を上げればお前たちの王城での評価もあがる。元々お前たちは王城も手放したがらなかった人材だ。ランドバルト家も復権している。もう後ろ暗い所などないぞ」
「それは閣下に拾って頂けたからでございます」
そうは言うがダミアンも、魔法士団を纏めさせているドロシーも俊英と名高かった者たちだ。王家もラントの元へ行ったので諦めたが、そうでなければ手放さなかっただろう。
実家も特に反乱に加担した訳ではない。ただ親類がランドバルト家と縁の深い家と婚姻を結んでいただけだ。
そんな事を言えば貴族たちなどほとんどがどこかの家系図で繋がっている。上級貴族に行けば行くほどその傾向が高い。
王家と公爵家、そして侯爵家などはずぶずぶだ。そして伯爵家は侯爵家の分家や側室の子などと縁組されることが多い。間接的に王家や公爵家の血は当然入っている。
「そのうちコルネリウス王太子殿下から男爵号や子爵号を好きに使えと言われることだろう。目に見えるようだ。そうして王家は俺を取り込もうとしてくる。逆らう気もおきん。そしてその筆頭がお前達だ。諦めろ」
「私が子爵家を興す? そんなことが」
ドロシーが声を上げた。
「帝国との戦争の最前線に立つんだ。二人とも死ぬなよ。死ななければ俺の寄り子として大事に使ってやる。子供たちも安泰だな」
ラントはわざと意地悪く言った。ダミアンもドロシーもそんな未来は想像していなかっただろう。
ドロシーなどは魔導士なので子爵相当なのだ。それが正式な子爵となるだけだ。あり得ない話ではない。
ダミアンもれっきとした伯爵家の子息だ。長男ではないので爵位は貰ってはいないが、第二騎士団で有望株だった男である。
平和な時代ならともかく動乱の時代が始まっているのだ。彼らもその荒波に揉まれる事は確定している。先に覚悟を決めさせて置かなければならない。
「ふっ、まぁいい。先の話だ。まずは鍛えておけ。帝国の騎士も魔導士も恐ろしく強いぞ。首と胴が離れていなければの話だ。そっちを先に心配しろ」
ラントは振り返らずに言うと二人は黙って付き従ってきた。これからマリーの家族たちと対面せねばならない。それが憂鬱だった。