133.ブロワ家
「ふぅ、ようやく本番か。ブロワ公爵領に入ったな。エーファ王国の貴族たちもかなり危機感を持っていた。それにこのタイミングで疫病だと? 平民ですら魔力はそれなりに持っている。更に魔力持ちと呼ばれる者が簡単に病気に掛かる物か。ありえん」
「そうね、特に北部を中心に蔓延していると言うから、これも帝国の策略なのかしら。街に活気がなかったわ」
「そうとも言い切れんのが辛い所だな。疫病持ちの魔物が大繁殖すると疫病は普通の動物に移り、そこから人種にも掛かるんだ。ただ浄化や治癒、魔法薬などで対処できるはずだ。それが収まっていないところが気になるな」
マリーとエリーはエーファ王国の都市を既に三つ過ぎていた。マリーの威光は高く、ラントの出番など殆どなかったほどだ。
マリーを救い、更にアーガス王国の混乱を立ち直らせたと言うことでラントの名も広がっていると言うのもある。ただ貴族たちの視線は一部厳しかった。新興の伯爵など木っ端だと思われていても仕方がない。
マリーからも言われたがラントが戸惑っているようにあちら側もラントの扱いに戸惑っている。マリーも居るので公爵家を歓待すると同じようにしておけば問題ないだろうと判断しているとのことだ。
「先に言って置いて欲しかったな。アーガス王国でも俺は苦労したんだが」
「ラントに実感して貰おうと思っていたのよ。ラントは地方ではどのように見られているのか、扱われるのか。実際に体験してみないとわからないでしょう。それにそれなりに対応できていたじゃない。新伯爵としては十分及第点よ」
マリーはニコリと笑った。ラントの為を思ってのことだったのだ。怒る訳にもいかない。
地方領主と王城に勤める貴族たちはまた違う。
心の準備が出来ていないラントがどう対応するのか、それを見たかったのだと言う。それに他の貴族たちもラントの対応を見極める。それには変に先入観を与えずに素のラントを先に見せた方が良いと言う判断があったようだ。
貴族たちには取り繕っているように見えて対応に慌てるラントの姿など筒抜けだろう。だがそれが良いと言う。実績があるので侮ることはしない。だがラントも慣れぬ事や苦手な部分がある。それだけでラントを名だけ聞いて恐れていた貴族たちは安心すると言われた。
ラントも領主貴族の扱いなど知らない。王城の夜会などでは普通に話していたが、彼らは一国一城を任せられていると言っても過言ではないのだ。小さな王のような物である。テール王国などよりも余程広大な領地を治めている。
「でももうここはエーファ王国。元平民でいきなり伯爵だなんてあり得ないわ。そして見る目は厳しくなるわ。だから国境を抜けてからしっかりと教育したの。わたくしの姿はしっかりと目に焼き付けたでしょう。あの様に振る舞っても良いわ。外交特使として、宮廷錬金術師の長としての振る舞いをして頂戴。多少羽目を外してしまっても良いわよ。錬金術師なんてそんな物だと思ってくれるわ」
「だがブロワ家では違うだろう」
「それはわたくしが対応するわ。気にしないで頂戴。お父様やお兄様の扱いなど幾らでも心得ていてよ。問題は王家がどう言っているのかね。公爵家でもラントの実力を披露して貰う必要があるかも知れないわ」
ついとマリーは視線を逸らした。ランベルト公爵家とはまた違う厄介さがあるのだろう。ラントは背中に汗が伝った気がした。
「どの道結果は決まっているわ。わたくしとラントの婚約。お母様がブロワ公爵家に入ったのよ。わたくしがクレットガウ家に入っても全くおかしくないわ」
その暴論にラントは笑ってしまう。
「公爵家と伯爵家では格が違うだろう」
「だからコルネリウス兄様はラントに箔を付けたのでしょう。宮廷錬金術師の長と言う箔をね。良い案だと思うわ。縛り付けすぎず、それでいて権威があるように見える。コルネリウス兄様やマクシミリアン三世陛下、宰相閣下たちが頭を捻ってラントの扱いを考えて出した答えがそれなのよ。疫病が流行っているのであればラントの知識が必ず役に立つわ。まずはそこで納得させなさいな。出来ないとは言わせないわよ」
テールの麒麟児ならそのくらい楽勝だろう。マリーの瞳がそう言っている。
エリーや他の侍女たちも期待の眼差しを送ってきている。
騎士や魔法士たちの信望は集めた。しかしそれはラントの本領ではない。錬金術師としての腕に期待が集まっている。
「疫病など教会の仕事だろう。何の為にあんなでかい土地を占有しているのか。無能の集まりでしかないのか」
「ラント、そんな大声で言ってはダメよ。心の中に仕舞って置きなさいな。わたくしも同じ気持ちですけれどね」
マリーも咎めながらも苦笑する。
教会は古くからあり、疫病などの文献も多く持っているはずだ。更に国を跨いでいる。他の国の疫病ですら判別することが可能な筈だ。しかしその機能は今の所発揮されていない。
多くの布施を要求し、治癒魔法にもそれなりに金を取る。街の一等地に教会を建てさせ、貴族にもひれ伏さない。
ラントは教会のあり方は嫌いだった。故に歯に衣など着せない。
少し遠目で見るとブロワ市が近づいてくる。
これからが勝負だ。巨大な魔物よりもマリーの実家の方が恐ろしいとラントは感じていた。
◇ ◇
「マルグリットはまだか!」
「父上、もうすぐでございます。落ち着いてください」
「ええい、なぜ迎えを出さぬ」
ジョルジュは前公爵、マルタンを必死で抑えて居た。本人は迎えに行くと言って聞かないのだが、ジョルジュは無事に帰って来るのだから城でしっかりと待てば良いと考えている。
それにアーガス王国の外交特使が共に派遣されているのだ。マリーの帰還だけではない。アーガス王国とエーファ王国との会談でもあるのだ。それをすっとばしてマリーだけを迎えに行けばどうなるか。
ブロワ公爵家は常識も知らぬとアーガス王国に笑われる事だろう。
マルタンもそれはわかっている。だが本来は貴族院卒業と共に一度マリーは帰って来る筈だった。
そして一年ほど期間を開けて、盛大に王太子と結婚をする予定であったのだ。すでに様々な準備はなされていた。しかしその準備は全てご破産になった。マリーは婚約破棄され、ブロワ公爵家に了解も取らずに勝手に国外追放に処したのだ。
(あの時の父上の荒れようとはなかったな。王城に突撃して行きそうであった)
結果的にそれは帝国の策謀だったとわかったが、マリーはアーガス王国に居てすぐには帰らないと書簡を送ってきた。当然誰かを送ろうと言う話になったが、マリーからはアーガス王国のベアトリクス王妃の世話になっているからブロワ公爵家から何かすることは控えるようにと連絡があり、迎えに行くことも人を出すことも封じられた。
そしてようやくマリーがブロワ家に帰って来る。噂のランツェリン・フォン・クレットガウ伯爵を連れて。
(調べさせて見たがどこから現れたかわからん。本人はクレットガウ家と名付けたのはテールの麒麟児を尊敬しているからで、ランツェリンと言う名は北方諸国にはありふれた名だと言っていると聞く。実際クレットガウと名のつく北方諸国の貴族は多いしランツェリンと言うのも多いと聞く。過去北方諸国をほぼ征服したグランド征服王から名を取っているのだから当然だ。征服王の死後大氾濫が起き、即座に分裂してしまったがな。だが出来すぎている。市井にそれほどの達人が居てたまるものか。北方に愛想を付かせたテールの麒麟児本人が隠れていて、表に出てきただけではないのか?)
ジョルジュと同じ事を考えている者は多く居る。特にアーガス王国では顕著だ。だがそこは誰も突っ込まない。突っ込めない。
ラントならどんな権力を与えていてもいつの間にか煙のように消えてしまうだろう。そういう認識が共通してあるのだ。
アーガス王城ではベアトリクスがラントの素性を探る事を禁止している。
流石にそこまでの情報はジョルジュには入っていなかったが、クラウスに与えられたブローチやモノクルだけで疑うには十分な証拠だった。
「マルグリットお嬢様の隊列がブロワ市に入りました」
「よし、城で迎える準備はできているな。父上、頼みますから少し落ち着いてください。マルグリットは無事に帰ってきたのです。それを喜ばずして何を喜べと言うのでしょう。そしてマルグリットを救ったとされるアーガス王国の特使も同行しているのです。ブロワ家として感謝をし、精一杯の歓待をせねばなりませぬ。間違えても腕試しなど挑んではいけませんぞ」
「ふん、クレットガウ伯爵は武勇にも優れていると聞く。実際マルグリットが送ってきた騎士や魔法士の育成マニュアルはクレットガウ伯爵がアーガス王国で広めている物だと言うではないか。あれほどの物、魔法に余程詳しくなければ書ける物ではあらぬ。そして救国の英雄と言われているのだ。その本人の実力を知りたいとお前も思わんか」
「思いますよ、思いますがまずは堪えて頂きたい。しばらく公爵城には滞在するようですので、機会はあるでしょう。父上はもう隠居した身なのですから当主の私の言うことを聞いてください」
「ぐぬっ、当主を譲るのが早すぎたか」
マルタンはそんな事をのたまった。本人は当主の仕事の多さに嫌気が差してさっさと隠居し、ジョルジュにその仕事を押し付けたと言うのになんと言う言い草だろう。
周囲の人間たちも呆れているか笑っている。
「父上、クレットガウ伯爵は錬金術師だと聞いています。教会はその場凌ぎしかできていません。北方に蔓延する疫病についても彼の知見を頼らせて貰ってはどうでしょう」
息子のクラウスが進言してくる。実際疫病は厄介だ。魔力の強い者たちはなんとかなっているが、子供や老人など体力の弱い者がどんどんと倒れている。死人も多数出ている。
教会が大慌てで対処しているし公爵家も独自に調べているが原因がわからない。
とりあえず発症者を隔離し、治癒魔法士たちを派遣し、錬金術師たちに魔法薬を作らせているが根本的な原因がわからなければ自然と収まるのを待つしかない。
だがそれに何年掛かるのか。その間に帝国は攻めて来ないのか。公爵家の、他の北方貴族の戦力はどれだけ下がるのか。
考えるだけ頭が痛い。藁にもすがりたい気分だ。そしてその藁が、アーガス王国で宮廷錬金術師の座を与えられたラントがマリーと一緒に来ている。
天啓だと思った。
マリーの命を救ったこと。アーガス王都まで護衛したこと。そしてエーファ王国で蔓延していた魅了の魔法を解いたこと。それだけでもエーファ王国で爵位を貰ってもおかしくない功績だ。
そしてアーガス王国でも幾つもの功を上げたと聞いている。聞いた時は信じられなかったが事実であると報告書には書いてある。
「さて、どういう顔で迎え入れれば良いのかな。悩みどころだな」
「私もどのように接すれば良いのか困って居ます」
ジョルジュがそう溢すとクラウスも同じように言った。二人で顔を見合わせて笑った。




