131.フィーラー侯爵家
「はははっ、久しぶりだな。卿が子爵に叙爵された以来か。歓迎するぞ、クレットガウ卿。以前の子爵叙爵も驚きであったのにほんの数ヶ月で伯爵か。しかも位階も高い。多くの貴族の嫉妬の視線に晒されているであろう」
「はっ、フィーラー侯爵閣下。期待に応えられるように精進致します」
ラントたちは北の国境を任せられているディオニス・フォン・フィーラー侯爵に挨拶に来ていた。大きな城の中の応接室で、多くの騎士に囲まれたディオニスがラントにフランクに声を掛けてくれる。それが有り難い。
「だがこれも世の常よ。卿の功を考えれば伯爵でも足らぬ。姫殿下を与えられてもおかしくはない。これからも帝国の脅威は続くだろう。魔の森も少し騒がしい。卿の活躍には今後も期待している。我が国を宜しく頼む。侯爵としては歯がゆい限りだがな、当家の力だけでは帝国に抗することもできぬ」
「過分な期待を得てしまっていますが一人ではどうにもなりません。国全体を底上げしなければなりません。そうでなくては今の帝国には到底敵わないでしょう」
「そうだな。それが現実だ。うちの騎士団も魔法士団も卿の訓練方法を取り入れたぞ。見違えるようだ」
ディオニスはランドバルト侯爵カールと同じで国境を任せられているだけあって国王の信任が厚い。
紅の赤い髪と髭が特徴だ。武の気配も濃厚にするし、魔力も研ぎ澄まされている。
先代の侯爵閣下も同席していて、ディオニスとラントの交友を静かに見守っている。先代もまだまだ現役で、ディオニスの経験を積ませる為に早く爵位を譲ったのだと聞いている。眼光の鋭い初老の男だ。やはり髪は赤い。油断のならない瞳でラントを見つめている。
「そう畏まるな。ディオニスで良い。卿には期待しているのだ。何せ救国の英雄であるからな。俺も独自に調べさせた。卿の功績は何一つ誇張などされておらぬ。むしろ控え目に報告されていると感じたくらいだ。俺がどう足掻いてもオーガキングやアラクネクイーンの群れなどには対処できぬ。ベヒーモスやブラックヴァイパーなど論外だ。どれか片方現れただけで侯爵領を放棄して逃げ出さねばならぬだろう。口惜しいことだが事実だ」
ディオニスは大げさに両手を広げて少し上を向く。そして東の方向に頭を向かせた。瞳は真剣だ。
「ランベルト公爵閣下は流石だな。樹海の異変をいち早く察知し、第四騎士団と卿を援軍に呼び寄せた。帝国の策謀も暴かれ、エルフたちとの対立もなかったと聞く。もっと胸を張れ。卿が居らねばアーガス王国は酷く乱れていただろう。何せ内乱は収まっておらず、同時に樹海が大氾濫を起こしていたのだ。木っ端のような小心者たちは卿の功績を信じられぬとか嫉妬に駆られるだろうが気にすることはない。それだけの事を成し遂げたのだ。そしてそれを行えるのは卿以外には居らぬ」
「そう言って頂けると幸いです。ディオニス閣下」
ラントは上位である侯爵の方が、余程同じ位階にある伯爵を相手にするより楽だと思った。侯爵を任せられているだけあってディオニスは人柄も良い。
子爵や男爵たちはラントが伯爵になったと言うだけで嫉妬の念に駆られるか阿るかしかしない。ラントも彼らの相手をしている程暇ではない。
「フィーラー閣下は男前ですわね。流石北部国境を任せられている侯爵様ですわ。ラントも後十年もしたら風格が出てくるのかしら」
「マルグリット様、閣下はお辞めください。ディオニスと呼び捨てて頂ければと思います。爵位はお持ちでないかも知れませんが、我が国ではマルグリット様の方が余程権威は高いのですよ。クレットガウ伯爵も若さに見合わぬ風格をお持ちではないですか。どのように生きていればそうなるのか教えを請いたい物です」
マリーは美しく微笑んでいる。その笑みで多くの人々を魅了している。悪魔の笑みだと思った。惹きつけられずには居られない笑みだ。自然と従者たちの視線もマリーに寄せられていく。
「あら、ではディオニス様で。現役の侯爵閣下を呼び捨てになどは流石にできませんわ。ラントは初めて出会った時からラントでしたわ。粗暴なハンターの振りをしていましたが品位は隠しきれるものではありません。礼法も古式ながらしっかりと身についていましてよ」
「わかりました。マルグリット様。確かに礼法はアーガス王国式ではありませんが、優雅な物でしたな。お祖父様であらせられるランベルト公爵閣下はご健勝でいられましたか? あの年齢で今でも樹海に潜っていると聞いて当家は尊敬の念に駆られずには居られません。嫡子のヘルムート様も貴族院で様々な逸話を残している俊英です。ランベルト公爵家は安泰ですね。当家もそうありたい物です。当家も北部国境を任されているのです。いつランドバルト侯爵家のように帝国から狙われるかわかったものではありません。困ったものですな」
マリーの言葉にディオニスは畏まる。マリーは最初の方はできるだけ控えて居たが、最近はラントの前に出るようになった。
貴族とはこう扱えと教えられているようだ。実際そうなのだろう。
だがラントとマリーでは位階が違う。血筋や歴史も違う。同じようにやればラントはアーガス王国貴族からヘイトをかなり買ってしまうだろう。
だがマリーは如才なくディオニスと会話している。言葉の選び方一つに教養が含まれているくらいはわかる。
ラントには真似できない部分だ。ラントの貴族言葉はなんちゃってであって正式に学んだ物ではない。
マリーやエリー、サバスやデボラなどに色々と教わってはいるが、身についているとは言い難い。そう簡単に身につけられる物ならばとっくにマリーのように振る舞えている。
(どこまでが本音でどこまでが貴族の仮面なのか見極めるのは難しいな。俺には向かん)
だがラントも上級貴族の一員になってしまった。振る舞いを改めなければならない。
それを考えると憂鬱になるが、逃げ出す機会なら幾らでもあった。
そして伯爵位も断ろうと思えば断れたのだ。自身が選んだ道である。今更退場することはできない。何よりマリーと離れるなど考えられない。
ラントは憂鬱になりながらも、これから更にエーファ王国に行ってブロワ公爵に挨拶をしたり、エーファ王国国王陛下に謁見したりしなければならないのだ。
幸い礼法は慣れた古式で良いと言われている。それだけが救いだった。
◇ ◇
「ふむ、噂のクレットガウ伯爵はあのような男であったか」
「父上、やはり気になりますか」
「流石にの。冬の社交に出なかったのが惜しかったと今更ながらに思うものよ」
ディオニスはラントやマリーたちを歓待し、城の最上位の客室を彼らに与えた。連れている公爵騎士団や伯爵騎士団もきびきびと動いていて、統率が取れている。
ラントは武と魔法、そして策略。どれも頭一つ抜けているどころではない。ほんの一年足らずで伯爵位をもぎ取ったのだ。只者な訳がない。
父親であるハートウィンも気になっていたようで、ラントを迎える際に普段なら顔も出さないのに同席していた。
発言こそしていなかったが、美貌を振りまくマリーを見るのではなくラントを見極めようとしていた。
マリーも十八の娘と言うには風格があった。若き日のベアトリクスを見ているようだと感じたものだ。
「抑えていてもあれ程の武威。剣を預かっていても全く安心できませんな。私の首など一瞬で飛ぶでしょう」
「そうじゃな。近衛騎士団や王城の騎士団がこてんぱんに伸されたと聞く。当家の騎士団全てで相対しても勝てるとは思わぬ。更に幾つも切り札を持っているのだろう。錬金術師とはそういうものじゃ。剣や魔法の腕に惑わされてはならぬ。何か取り出したと思えば必ず警戒せねばならん。身につけていた装飾品一つで何が起こるかわからんぞ」
そうだ。ラントは騎士でも魔導士でもあるが、宮廷錬金術師の長を任されているのだ。新設された部署ではあるが、彼の為に用意されたと言って過言ではない。それだけマクシミリアン三世やコルネリウスがラントに権威を与えたかったのだ。
歴史はなくとも宮廷魔導士長と同じ位階を与えている。
ディオニスは侯爵の位を預かってはいるが、ではハンスよりも位階が高いと言うとそうではない。宮廷魔導士が伯爵と同等とされている以上、その長は侯爵と同等なのだ。故に紫の差し色をしたローブが許されている。
「あのローブの見事な事。言葉が継げずに見惚れてしまいました」
「くくくっ、ベヒーモスのローブなど誰が着けられようか。王族に献上せずに自分で使うとは剛毅な事よ。我らには考えも付かぬ」
「そうですね。加工すら難しいでしょう。ドワーフたちを頼るしかありませぬ」
ラントのローブも深い藍色に紫の差し色。それに金や銀などの装飾がされていた。幾つも装飾品を着けていた。全て魔法が掛かった品だろう。例え寝ている所を不意打ちしても、ラントを討ち取れる自信はない。
見慣れぬ輝きであったので聞いてみると、ベヒーモスの革を使ったローブだと言う。東の大樹海で狩った物であるのかは謎だが、ベヒーモスの革を扱えると言うだけで恐ろしい腕前であることが容易に予想できる。
「まぁ良いではないか。彼は味方なのだ。余計に詮索せず、嫉妬などもせず、コルネリウス王太子殿下の腹心として扱えば良い。変に忖度などされてもクレットガウ伯爵も困るであろう」
「そうですな、道中の伯爵領や子爵領などではおそらく余程歓待されたでしょうが、それを伯爵が喜ぶかどうかは別です。今は有事です。多少の作法の粗などで彼を非難していても何にもなりません」
「そうじゃな。クレットガウ卿はいずれ侯爵位を頂くだろう。お主と同じ位階になるのじゃ。その時の為に友好を深めて置いて損はない」
「はい、しっかりと肝に命じておきます」
侯爵領の錬金術師や魔導士にベヒーモスの皮を鞣せる者など居ない。見たことがない素材を渡されても、どう扱えば良いかわからないであろう。しかもそれがベヒーモスの皮なのだ。並のナイフでは傷一つつかない。加工する手間を考えればドワーフたちに任せるしかない。
しかしラントはそれを自前でやったと言う。それだけで彼の実力が窺える。
ハンスでさえそれほどのローブは纏っていないだろう。エルフの力を借りたとは言え、ベヒーモスの討伐に一役買っていなければ皮の譲渡などあり得ない。何よりエルフと友好を深めたと言うだけで信じがたい。エルフは魔物と同じ災害の扱いなのだ。
「ランツェリン・フォン・クレットガウ伯爵か。底の見せぬ御仁だ。アーガス王国に富と繁栄を齎してくれる神々の采配であると願うしかありませんな」
「そうじゃな。儂らは添え物じゃ。彼の号令があれば従わねばならぬ。その際余計なプライドなどは捨て、命じられた通りに動くのじゃ。それが国の為になる。ならぬ命令ならば進言すれば良い。度量は広いと見た。問題なかろう」
「そうですね。いずれ彼が軍を率いて帝国と戦う。目に見えるようです」
「じゃがクレットガウ伯爵にだけ頼ってはいかぬ。幸い騎士や魔法士たちの訓練方法は彼が公開してくれている。侯爵騎士団も動きが良くなってきた。あと一年も続ければ見違えるようになるじゃろう。それだけでも頭を垂れる価値があると言うものよ。先を見据えてアーガス王国全体の底上げをしようと言うのじゃな。帝国はそれほど大きく恐ろしい。例え一度跳ね返したとしても幾度でも襲って来るじゃろう。厄介なことじゃ」
ディオニスとハートウィンはラントに献上された飴色の酒を飲みながら一晩語り明かした。




