129.出立とコルネリウスの誓い
「ふむ、壮観だな。だがこれほどの人数で行かねばならんか?」
ラントは並んでいる騎士、魔導士、更に使用人などを見渡して呟いた。
「駄目ですよ。特使として現役の伯爵閣下と公爵閣下の孫娘が移動するのです。そして相手は同盟国の公爵家と王家です。これでも足らないくらいです」
ラントが小さく呟いたがそれを拾ってエリーが突っ込んでくる。
ラントは集まった騎士や魔法士、それに侍女や使用人などの数を見て頭が痛くなった。これほどの人数で移動するのだ。経費がどれだけ掛かるかわからない。下手な宿に泊める訳にも行かないのだ。
何せ殆どが貴族家出身だ。爵位を持つ者も居るし、魔法士や魔導士は男爵や子爵位相当の権力が与えられている。
(途中で寄る貴族領は最小限にしたいところだ。野営が増えるが仕方がない。村では食料を買うだけにし、できるだけ迷惑を掛けぬように……できるのが一番良いのだがな)
ラントは平民思考でついそう考えてしまう。だがルートはマリーが決めている。そうはならないだろう。何せ地方領主へのラントの顔見せと言う重要な役割も今回の外交には含まれているのだ。
途中で寄られる貴族家も歓待しなければならないので面倒だろう。だがその面倒を面倒と思わず、行わなければならないのが貴族と言う生き物だ。特権が与えられ、財もある。魔力と言う力もある。そしてそれには様々な義務が伴う。
北方諸国の貴族は蛮族とそう変わらなかった。あの気楽な生活は良かったとまでは行かないが、大国の伯爵と言うのはそれだけの権力を持つのだ。それをラントは思い知らされた。何せアーガス王国の領地持ちの伯爵と言うのはテールと同等かソレ以上の領地を治めているのだ。アーガス王家に臣従してはいるが、ラントの感覚では伯爵以上の爵位の者は王とそう変わらない。
「仕方がないな。公爵家がこれほどの人を出すとは思わなかった」
「むしろそこに至れないのがラント様の小市民思考ですよね。もう伯爵閣下なのです。胸を張って堂々としているだけで、相手からすり寄ってきますよ。ご安心ください。そしてお気をつけくださいね、擦り寄ってくる貴族も成り上がりを嫌う貴族も多く居ますよ」
ラントはエリーの言い様に嫌な表情をする。実際口に出した。
「それはそれで嫌だな。相手にするのも面倒くさい」
「それが貴族と言う物です。お慣れください。子爵に叙爵された時も堂々としておられたではないですか」
「子爵と伯爵は爵位が一つ違うだけだと思っていたのだがな。思っていたよりも王城や他の貴族家での扱いが違う。これほど違うとは思わなかった」
「それだけ期待されていると言うことです。多くいる伯爵より上位に据えられたのです。そこらの伯爵家など相手になりません。それだけ功を上げたのですよ。自業自得ですよ。諦めてください」
エリーの言うことは正論過ぎて反論もできない。ラントはやりすぎた。
だがラントがやらねば多くの人が死んでいた。そんなことがラントの目の前で行われるなど許せることではない。助けられる命は助けたい。ラントは自身が甘いとは思いつつもこればかりは治らなかった。
大樹海で出会ったリリアナの存在も予定外であった。リリアナが出てこなければ帝国の特殊部隊の存在は見つけられなかったかも知れないが、魔寄せ香の存在には気付いただろう。
独力でも陰謀は破ることができた。ベヒーモスとブラックヴァイパーも倒せないと言う事もない。その分余計に切り札を切らねばならなかったが、ラントは一人の方が気楽に戦えるのだ。
「上級貴族か、全く実感がわかん」
「そのうち慣れますよ。私も公爵家にお仕えし始めた頃は右も左もわかりませんでした。しかし様々な方の作法を見様見真似で覚え、侍女長の厳しい試練とも言えるほどのシゴキにも耐えました。それで今の私が居ます。実家は男爵家ですが、マルグリットお嬢様に侍る事が許されるだけの所作を必死で覚えたのです。ラント様は私よりも余程覚えが早いでしょう。やる気がないだけでやればできるのです。やってください」
「ぐぬっ、エリー、お前は俺が伯爵になろうと歯に衣着せないな」
「きつい言い方をする者もラント様には必要でしょう。私だって言いたくて言っているのではないのですよ。ラント様の為になると思い、言っているのです。私の主人になられる方がいつまでも小市民でいられては困ります。爵位に見合った行動を心掛けてください。いつも魔法士や騎士に言っているではありませんか。同じことが返って来ているだけですよ」
エリーの言い分はわかる。それに実際助かっているのだから文句も言えない。
サバスやデボラはラントを客人として扱うし、伯爵家の臣下たちはラントを王の様に崇めている。ラントに厳しい意見を言う者などそうそう居ないのだ。
懇意にしている騎士団長たちや魔導士たちもその道でラントに敵わないのと、ラントが焦るのを楽しんでいる節がある。助言を求めてもニヤニヤ笑って答えてくれないのだ。
(くっ、エリーに感謝する日が来るとはな。俺も焼きが回ったか)
それに魔物の脅威は常に存在する。魔物から人々を守るからこそ、貴族たちは平民たちの支持を得、尊敬され、快く税を納められるのだ。
そうでなければ権威と言う虚構で自分たちを彩り、従えなければならない。石を投げられただけで死ぬ前世の貴族とは違う。魔力をふんだんに持つ貴族の子は、平民の自警団全てを相手にしてでも傷一つ負わず、ただ暴れるだけで倒し切る実力があるのだ。
「ラント、さぁ出立ですよ。行きましょう。堂々と伯爵家当主として王都を出るのです。馬車の中では楽にして良いですよ」
「あぁ、マリー。お前だけが俺の癒やしだな」
「うふふっ、たくさん馬車の中で可愛がってくださいね。それにラント好みの侍女や女騎士も用意しております。お楽しみください」
マリーは美しく微笑みながら、ラントを促した。
◇ ◇
「行ったか。これで我が国に鬼札はしばらくいなくなる。自分たちでなんとかせねばならぬな」
「そうですね。ですが本来クレットガウ伯爵閣下は宮廷に居ない筈の人物でした。彼が居なければ反乱を収めるのも遅くなり、東の大樹海の氾濫も大規模になっていたことでしょう。マルグリット様が連れてきてくれた稀代の英雄、クレットガウ伯爵。あの方が居てくれて本当に良かったと思います」
「同感だな。彼が居なければ我が国の国力は半減していただろう。そしてそこを帝国に付け込まれる。あっと言う間に飲み込まれることだろう。暗殺者も送り込まれた。俺の首も繋がっていたか怪しい所だ。マルグリットは我が国の聖女だな。命の危機にクレットガウ伯爵と出会うなど天の采配としか思えぬ。天上の神々がマルグリットの為に彼を遣わしたのであろう」
コルネリウスは王城のバルコニーからラントたちの隊列が出ていくのを見ていた。腹心の一人がコルネリウスの言葉に応えてくる。全く同感だ。
ラント率いる隊列は騎士が百を超えている。魔法士や魔導士も連れている。従騎士たちもいる。魔法士見習いもいる。道中で鍛えるつもりなのだろう。
「エーファ王国も我が国と同様に救って欲しいものだ。あちらも大変だと聞いている。うまく立ち回ってくれればエーファ王国も彼を無視できない。そしてエーファ王国も彼の存在を知る。あちらの国の爵位を持ったとしても全く驚かぬ。名誉子爵くらいは貰って帰って来るのではないか?」
「あはは、彼の方ならば有り得そうで怖いですな。そうなればクレットガウ卿は筆頭伯爵になり、侯爵の位に最も近くなるでしょう。他の伯爵たちも、今現在侯爵位を頂いている方々も文句など言えませぬ。いえ、今ですら言えないでしょう。あれほどの英傑、百年に一人出るか出ないかと言うレベルです」
東の樹海が荒らされていたのだ。西の魔の森が荒らされていない保証はない。そしてその向こう側にエーファ王国がある。帝国が魔の森で同じように蠢動していないとは断言できない。
故にラントを送り出す。マリーを送り届けるだけならば別に他の外交官や外務大臣をつければ良い。だがそれでは緊急時に対応ができない。
ラントには外交官をつけている。外交特使などと言う肩書は飾りだ。実際の外交はプロにやらせれば良い。ラントはブロワ公爵家に認められ、マリーの婚約者として帰って来てくれれば良い。
(クレットガウ卿の実力、その目で見ればエーファ王国も認めざるを得ん。それに帝国は必ず彼の国でも蠢動している。今回の旅程、ただでは済むまいな)
エーファ王国では今謎の疫病が流行っていると言う。それが帝国の策謀であれ、単なる偶然であれ、アーガス王国の宮廷錬金術師がそれを解決したとなればアーガス王国の国威が上がる。ついでにラントの功にもなる。
コルネリウスもマクシミリアン三世もラントを早く侯爵に叙したいのだ。なんだかんだで爵位と言うのは強い。それにディートリンデをラントに嫁がせようと言う話も出ている。マリーを娶るだけであれば伯爵でも良いが、流石にディートリンデを娶るのであれば侯爵くらいの爵位は必要だ。
(悪いな、クレットガウ卿。アーガス王国が弱い為に卿には迷惑を掛ける。だがその分の功には十分報いよう。卿がそれを望まなくともな。それしか俺たちにはできることがないのだ)
伯爵では未だ弱い。王家の血脈をラントに嫁がせるのだ。
そうすればアーガス王国が万が一潰れたとしても、クレットガウ家にアーガス王家の血が残る。例え王国が負けたとしてもラントが死ぬ所など想像もできない。
ラントならマリーを連れ出してエーファ王国の南西にあると言う獣人の国にでもどこにでも逃げ出すだろう。海を超えて竜人の国や鬼人の国に行くかも知れない。南の大陸に渡る手もある。何せグリフォンがいるのだ。それも不可能ではない。
(ディートリンデも乗り気だし南の公爵との話し合いも進んでいる。戦に負けたらディートリンデと一緒にヘルミーナも攫って行って貰うことにしよう。それで王家の血脈は残される)
ディートリンデにも確認したが本人もラントに気があるようだった。ヘルミーナも懐いている。年の差は大きいが貴族ではよくある話だ。彼女たちとラントの子が生まれれば王家の血脈は残せる。弟王子を逃がす手もあるが、そこら辺の塩梅は父であるマクシミリアン三世次第だ。
ディートリンデの婚約者は南方を任せている公爵家の子息だ。
婚約を解消させるのは厳しいが、国が潰れるか否かと言う危機なのだ。代わりに国宝を授与するなり、次代で必ず王女を娶らせると約束すれば計算高い公爵も納得してくれるであろう。コルネリウスの息子の正室に公爵家から嫁を迎えても良い。
公爵子息も既に側室がいる。正室の座が空けば他の公爵家や侯爵家からすぐさま婚約の話が出る事だろう。老獪な公爵は南部の結束に使う筈だ。
超えるべき問題は幾つもあるが、それだけラントの為した功は大きいのだ。いや、大きすぎてむしろ返せていないまである。
反乱を即座に鎮めただけでも伯爵に叙しても良かったくらいだとコルネリウスは考えている。
実際そういう意見があったが、反対派が多く、断念した経緯がある。故に今回は多くの伯爵家を抜き去り、序列が高い伯爵への叙爵なのだ。
(ディートリンデとクレットガウ卿の子孫が蜂起してアーガス王国を復権する。そしてクレットガウ王国ができる。そんな未来もあるかも知れぬ。しれぬが俺はまだやれることが幾らでもある。臣下たちも良い臣下たちが揃っている。今できることは全てやり、少なくとも俺の代では帝国の脅威を跳ね返すのだ)
コルネリウスはラントとマリーたちが王都から出ていくのを見守った後、必ず王国を守ると天上の神々に誓った。




