127.閑話:ルートヴィヒの受難とリリアナの決意
「今回の氾濫は小規模に抑えられた。クレットガウ子爵のおかげだな。他の街も犠牲は出たがまだマシな部類だ。オーガキングやアラクネクイーン、そしてベヒーモスにブラックヴァイパー。奴らが樹海を荒らしていたらこれだけの被害では収まらなかっただろう。子爵は謎の多い男だな。神の寵愛を受けていると言っても信じてしまいそうだ。聖国が何かしら言って来るだろうがコルネリウス殿下あたりがなんとかしてくれるだろう」
「そうですね、他の街からも報告が山のように届いていますが常の氾濫とそう変わりません。公爵家騎士団も犠牲は最小に納められて居ます。クレットガウ卿様々ですな」
騎士団団長が樹海を睨みながらルートヴィヒに答える。
実際彼が居なかったらどうなっていただろうか。エルフの姫君の件もある。例え魔物の被害がなかったとしてもエルフの姫君が公爵家を敵視していたらと思うと震えが止まらない。エルフ族と敵対して良い事など一つもないのだ。
ラントはリリアナと友好的な関係を築いていた。姫君だと言うリリアナが言うのだ。エルフの氏族も従うだろう。そう願いたい所だ。
「そうじゃな。陛下も早く侯爵でも何でも与えて仕舞えば良い。奴は任務さえ与えておけば最上の結果を出す男じゃ。この目でしかと見た。誰にも文句は言わさぬ。国家の危機を二度も救ったのだ。そしてこれからもクレットガウ卿は儂らを驚かせるような功を立てるだろう。アーガス王国はマクシミリアン三世陛下やコルネリウス殿下。先の国王陛下やハンスたちなど英傑たちが揃っているが、クレットガウ卿には敵わぬ。彼に依存してはならぬと進言せねば為らぬな」
「そうですな。一人の英雄に依存し切っていては他が緩みます。公爵騎士団たちにも厳として言い聞かせて置きましょう」
ルートヴィヒは頷いた。その通りだからだ。彼が市井のハンターなどと言うのは信じられない。余程うまく擬態していたのだろう。
愛する孫娘、マルグリットが彼を表舞台に立たせてくれた。流石ルートヴィヒの孫だと自慢せずには居られない気持ちを抑える。
まずはこれからの事を考えねば為らない。帝国の侵略は本気だ。エルフさえ敵に回すことを畏れていない。それほどまでに旧大帝国の版図を取り戻したいのだろうか。
今のアウグスト帝国は十分に繁栄している。アーガス王国もエーファ王国も侵略する意図はない。なんとか外交ルートでどうにかしたいところだが、外交ルートは閉ざされている。皇帝の本気が窺える。
現皇帝は野心溢れる人物だとは聞かない。だが祖先に大帝国を打ち立てた皇帝が居るのだ。彼を超える為には、帝国の今後を考えて侵略に舵を切ったのだろう。それだけの実力を帝国は有している。
帝国貴族たちも乗り気であろう。何せ稀代の英雄帝と言われているのだ。
皇帝と言えど忠臣たちの言葉を無視はできない。背中を押される部分もあるだろう。
先帝は後継者を定めずに没してしまった。理由はわかっていない。故に帝国は荒れた。荒れたと言うことは戦に慣れていると言うことだ。
平和を享受していたアーガス王国やエーファ王国とは違う。そしてその帝国と鉾を交えるのだ。生半可な覚悟では押し返すことすら困難だろう。
押し返せたとしてもどれだけの騎士や魔法士が失われるのか。公爵家も傾くかも知れない。そしてそれに合わせて魔物の氾濫などが起きれば国が傾く。長く戦争を続ける訳にも行かないのだ。
「聖国もここ十年以内に混乱に陥るだろう。北の帝国、南の聖国。ここが踏ん張りどころじゃな」
「そうでございますな。アーガス王国三百年の歴史、途絶えさせる訳にはいきませぬ」
聖国も蠢動している。教皇はもうかなりの年齢であり、枢機卿たちの争いが激化していると聞く。
聖国はこれから乱れるであろう。幾人聖人や聖女を抱えているかはわからぬが、新しい教皇の方針次第でアーガス王国との仲が悪くなる可能性も否定できない。
「どちらにせよ我らは必死に国を守るだけよ。クレットガウ卿は英雄ではあるが王国全ての事柄に対応できるわけではない。彼に依存すればアーガス王国は凋落の一途を辿るだろう。もしくは国が乗っ取られる。奴にその気はないだろうが、多くの民や貴族が支持すればアーガス王家も危ういの。我が国は我らが守るべきだ。一人の英雄に依存しては次代が育たぬ。それもクレットガウ卿はわかっておるようだ。各貴族家には騎士や魔法士の育て方。錬金術の秘術などを惜しみなく公開している。自分たちの事は自分たちで片を付けろと言うことだろう」
ルートヴィヒは公爵騎士団や、寄り子の伯爵家から氾濫の規模や対処などの書類を受取り、爆速で対処している。
どこの貴族家もそれなりになんとかやれているようだ。それがラントの功績だと誰が知るだろう。領主貴族はプライドが高い。ポッと出の子爵など何するものぞと思っているに違いない。
まずは彼らの認識を改めなければならない。氾濫もまだまだ収まっては居ない。これからだ。
ルートヴィヒの受難はまだ始まったばかりだった。
◇ ◇
「帰ったぞ。今回は良い戦いができた」
「お帰りなさいませ、リルアーナ姫様」
「良い、我らは同胞だ。それほど畏まるな。エルフの戦士としてベヒーモスを討ち取ったのだ。胸を張れ。鮮度が命だ。ベヒーモスの素材は一片たりとも無駄にしてはいかんぞ」
「「「はっ」」」
リリアナはラントと共に戦った戦士たちとは別に、枝を守る戦士たちに号令を掛けた。
彼らはラントの働きを知らない。まずはそれほど脅威を持つ人族が居ることを根気よく教え込む必要があるだろう。
リリアナに匹敵する人族がいるなど同胞と言えど信じることはできないだろう。だが幾人もの戦士たちがラントの実力をその目で見ている。事実は事実だ。信じられなくとも、多くの目がある。証言がある。更にリリアナがはっきりと証言するのだ。信じざるを得ない。
老人たちはラントの事など気にせずに精霊樹に祈っている。今回の氾濫も森の異変が起きたとだけしか思っておるまい。彼らが使えればオーガキングだろうがアラクネクイーンだろうが、ベヒーモスもブラックヴァイパーもアールヴたちだけでどうにか出来たであろう。
(ふん、使えない奴らだ。里の面汚しめ。力を持っていながら使わぬなど信じられぬ。粛清してやりたいくらいだ)
だが彼らは動かない。精霊の試練を潜り抜け、魔法の極みに辿り着き、族長である父の言葉も聞かない老害たちだ。
いずれリリアナが彼らに匹敵する武を持てば尻を叩き、戦場に送り出してやろう。リリアナならいずれ必ずできる。その確信がある。
ラントのように神の試練を受けてみるのも良いかも知れない。
アールヴは精霊を信仰しているが神の存在を否定している訳ではないし、巻き込まれた形だが神の加護を得たアールヴも過去に存在していた。
リリアナが大精霊の試練を突破し、神の試練をも突破すれば族長である父や、力だけ持っていて文句ばかり言っている老害たちを無理にでも使うことができる。
(ふむ、ラントを里に招くのも良いか。前例はないが奴なら如才なく枝の停滞した空気を入れ替えてくれるだろう。この短剣があれば人族の街に行けるのであったか。だがしばらくラントは西の国から離れると言っていた。一年ほどしたら訪ねて見ようか。ラントの想い人と言うものも気になるしな)
リリアナはラントに求婚したのは冗談ではなく本気だった。
アレほどの英雄、エルフの戦士ですらそうは居ない。更に彼はまだ二十五だと言う。
その若さで神の試練と大精霊の試練を突破し、リリアナに匹敵する、もしくはそれ以上の力を持っているのだ。伸び代は幾らでもあるだろう。
百を数える頃にはアールヴの里を平らげて仕舞っていたとしてもリリアナは不思議に思わない。それほどの男だ。リリアナにふさわしい男は枝にも他の里にも居ない。
(ふむ、百年後と言わず十年後でも良いな。ラントがどれほど成長するのか傍で見て居たい気持ちがある。だがラントの伴侶と仲良くしろと言われてもどうすれば良いかわからぬな。人族の女などどう扱えば良いかわからぬ。だが名すら覚えなければラントの印象が悪くなるであろう。ふふっ、私が人族の為に考えや行動を改めなければ為らぬのか。少し前の私なら考えもしなかったことだろう。
幸い人族とエルフ族は交配ができる。ラントとの子ならば産んでも良い。そう短い間でも思えた。ラントはエルフに敬意を持っていたが、常に警戒をしていた。
だがラントとは同じレベルで話ができた。それだけでも希少だ。そして実力も示した。オーガキングとアラクネクイーンたちの戦いを見事操り、両者の首を落としたのだ。あの一撃はリリアナですら防げるかどうかわからない。更にアールヴの戦士が数十人掛かりで戦うべき相手であるブラックヴァイパーを単独で倒したのだ。
ラントのアールヴたちへの態度は正しい人族の態度だ。リリアナは人族を見下していたが、それは彼らが弱く、同胞同士でも争うからだ。
魔境を管理できず、増えすぎた人口を賄いきれなくなっている。
だがそれも自然の摂理だ。アールヴの先祖たちは何故彼らを助けたのかはわからぬが、弱き者を助けるのは強者の務めだ。そう思うアールヴが居たのだろう。誇り高きアールヴが弱者を救うなどそれ以外の理由は考えられない。
「ラント、お前は今どうしている。研鑽を積んでいるか。次に会った時にどれほど高みに至っているか、楽しみでしょうがないぞ。私もうかうかしていられぬ。大精霊の試練を受けるとしよう。父や兄が何を言っても聞く必要などない。次代の族長など兄がやれば良い。森も一時的には荒れているがそれは自然の摂理だ。荒れすぎなければ良い。そして私達アールヴは森の守護者。常の通りに動けば良いだけだ。そしてそれに兄上は適任だ。私が族長や巫女になれば強権を振るい、イシスの枝は混乱に陥るだろう。容易に想像ができる。ふむ、継承権を放棄するか。兄上も父上も少しは安心するだろう」
リリアナは大精霊の試練を受ける為に精力的に活動を始めた。幸いベヒーモスの素材やラントに分けて貰ったブラックヴァイパーやアラクネ、オーガなどの素材もある。魔法銀の鉱山も新たに見つかった。
まるでリリアナに大精霊の試練を受けさせんとせんとばかりの状況だ。
「ラント、待っていろ。私は諦めの悪い女だ。狙った獲物は逃さぬ」
リリアナは忌むべきドワーフが打った魔剣を手に取り、族長しか入れない宝物庫から幾つかの装備を拝借した。
本気なのだ。そしてその本気で挑んでも大精霊の試練は超えられないかも知れない。だがそんなことは樹海に住んで居れば当たり前のことだ。
危険はいつでもすぐ傍に潜んでいる。精強なアールヴの戦士ですら命を落とす事がある。
寿命がどれだけあろうと死ねば終わりだ。
だがリリアナは仮令これで倒れたとしても満足だと思い、ラントの顔を思い浮かべながら死ぬだろう。
リリアナは獰猛な笑みを浮かべながら、ほんの少し時間を共にしたラントの顔を思い出し、次に会った時は必ず驚かせてやろうと誓った。




