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124.ガラスペン

「ふむ、陛下や王太子殿下にはこれらを献上するとするか。国家錬金術師になってしまったからな。百本ほど作り、献上して作り方を部下の魔導士たちに作らせよう。そうすれば国の業務も捗るだろう」


 ラントは工房に籠もってガラスペンを作っていた。〈硬化〉の魔術を掛けて置けば割れやすいガラスも割れない。

 当然インクもだ。植物紙はすでに存在する。

 すぐに樹皮が再生する魔樹があるのだ。その樹皮を使って紙は作られ、どの国でも使うことができる。

 だがガラスペンや万年筆は存在しない。羽ペンも通常の羽ではなく、魔物の鳥の羽を使い、錬金術で加工しているので使い勝手はそれほど悪くはないが、ガラスペンや万年筆ほどではない。毛細管現象を利用したペンはまだ開発されていないのだ。


 これらはジジイの錬金術書にも載って居なかった。完全にラントオリジナル……と、言う訳ではなく前世の記憶から引っ張ってきてなんとか再現しただけの物だ。

 オリジナルを編み出した人物が誰だかは知らないが尊敬に値する。ちなみにボールペンは作れるが量産が難しいし、ラントは書類仕事をする気が殆どないので良いかと放っておいている。

 百円でボールペンが買えたのだ。過去を振り返っても仕方がないが科学の発達した世界の凄さを思い知る。


(こっちの世界は世界で謎だらけだけどな)


 だがこの世界も負けてはいない。魔法や錬金術がある為に、地球の歴史とはかなり違う発展方法を遂げている。こんなものまであるのかと驚かされることがあるのだ。

 それに平民も多少なりとも魔力はある。故に魔力持ちに比べれば簡単に死ぬが、例えば子供を産んだだけで妊婦が死ぬなどと言うことはそうそうない。子供もそうそう死なない。風邪などをこじらせて死ぬ事もない。

 魔力の恩恵で平民の身体能力も高いのだ。その分医療は発達していない。痛し痒しだ。


 下級の魔法薬で大概の病は治ってしまうし、それらは野良の魔法使いでも作れる。錬金術師志望の者たちの習作でも効果はあるので市井に広く出回っている。魔力の籠もった疫病などは猛威を振るうが、普通のウィルスや細菌などには負けないのだ。


「王族と宰相閣下、大臣閣下たち、それと交友がある騎士団長やハンス閣下、アドルフ元帥閣下などには特別な装飾を施すか。面倒だな。きちんと格を変えねばならん」


 ラントはガラスペンの装飾に宝石を使う。魔法石ではなく通常の宝石だ。金や銀も使い、精巧に装飾されたガラスペンが出来上がった。

 通常の宝石は綺麗ではあるが魔法は掛けられない。魔法石は魔力の強い鉱山で採掘される。そして宝石も普通に算出され、外れとされる。

 ただ綺麗なので安価で購入することができ、商人などには人気だ。下級貴族令嬢もアクセサリーとして使っていたりもする。


(魔法石も魔法金属も謎だらけだな。大体魔力とはなんだ? ジジイの本にもそれらには言及されていなかった。ジジイですらわかっていないんだ。ちっ、リリアナに聞いておけばよかったな。エルフの叡智なら何かしらわかったかも知れん)


 ラントは電子か中性子あたりが魔素に置き換わっているのではないかと推測しているが、確かめる術はない。

 それらは魔法金属にも同じことが言える。鉄鉱山で魔鉄が微量に取れる。長いこと魔力に鉄が晒されると魔鉄に変化するのだ。銀や金も同じだ。

 ラントは魔法で無理やり鉄を魔鉄にすることができる。膨大な魔力を使うしコスパが悪いのでやらないが、ジジイの錬金術書には様々な魔法金属の作り方が書いてあるので、便利に使わせて貰っている。


 何せ買うと高い上に大量に購入すると役人に何に使うのかなど誰何される。面倒で仕方がない。

 今は権力があるので問題ないが、平民時代は色々と面倒だったのだ。ラントが自作にこだわる理由の一つでもある。


「よし、これで良いか。化粧箱まで作るのは面倒だから商人に頼るか。金は山程余っている。少しは使わんと経済が回らん。溜め込んでいても死んだら終わりだしな」


 ラントは献上品を納める為の化粧箱を探しに下町に降りた。本来ならば貴族は商人を呼び出すが、面倒であったのだ。それにたまには下町に降りたい。コレットも居る。ドワーフ工房の親方とは話が弾んだ。ハンターたちのノリも嫌いではない。むしろ好ましく思っている。

 マリーはラントが下町に出向くのを嫌な顔をするが、それがラントの流儀だ。貴族になったからと言ってそう簡単に性格や流儀は変えられない。


「おい、店主はいるか」


 良さそうな化粧箱を扱っている大店があったので、店主を呼び出す。少し装飾をいじれば献上品にも使えるだろう。

 魔導士のローブを羽織っているので小僧が急いで店主を呼びに行った。

 ドタバタと大きな音がして小太りの商人が現れる。


「これはこれはお貴族様。何か御用でしょうか」

「あぁ、この箱を大量に貰いたい。とりあえず百だ。幾らになる。あと揃えるのにどのくらい掛かる?」

「二、三日見て頂ければ揃えることはできます。値段はこのくらいでしょうか」

「阿呆、大量に買ってやると言っているんだ。値引きくらいしろ」

「ひっ」


 店主は怯んだ。ラントの見た目は若いのだ。しかも馬車でなく徒歩で来ている。鴨だと思われたのかも知れない。おそらく定価よりも少し高い値段を百倍した値段を提示してきた。

 商人たちも貪欲だ。貴族相手でも怯まない豪商もいる。だが欲をかきすぎると店ごと潰される。


 この店主はその辺の機微がわかっていないようだ。良い品を扱っているのだ。きちんと商売をすれば良いだけだ。ラントは良い物には金を惜しむつもりはないが、流石に高すぎる。

 金を使いに来て値切るなと言われそうだが、気にしないことにした。店主はきちんとした値段を提示した。最初からしろと思った。

 ラントは発注した後、コレットの店に訪った。ドワーフの工房にも行った。久々に楽しい日であった。

 店主はラントの名を見て目を剥いていた。今話題の英雄だ。市井にもラントの勇名は響いていると聞く。マリーやコルネリウスが大げさに吹聴しているのだ。アーガス王国には素晴らしい英雄がいる。だから安心しろと歌や歌劇などが催されている。


(マリーが歌劇を見たいと言っていたな。仕方ない。付き合うか。どれだけ美化されているか考えるだけで頭が痛くなるな)


 ラントはマリーに誘われた歌劇の劇場を通りに見て、その荘厳さに驚いた。



 ◇ ◇



「これがガラスペンか。素晴らしい物だな。書き味も素晴らしい。羽ペンには戻れんな。これで執務も捗ると言うものだ。錬金術師たちに大量に作らせよう」

「装飾に凝らねばそう難しい物ではありません。魔導士たちに指導して大量に作らせましょう。大臣閣下たちにも喜ばれるでしょう。激務でしょうから」


 コルネリウスは献上されたガラスペンの装飾の美しさと実用性に驚いた。化粧箱の中はベルドットで彩られ、美しくガラスペンが納められている。

 羽ペンなどとは比べ物にならない。これはもう羽ペンには戻れない。そう思った。

 ラントは適正なインクの作り方も公開すると言う。

 大量に作らなければならない錬金術師たちは忙しいだろうが、頑張って貰わなければ成らない。役人たちは大喜びだろう。何せコルネリウスやマクシミリアン三世も絶賛したのだ。

 ラントは国家錬金術師として仕事を果たした。これだけで大成果だ。羽ペンは羽ペンで悪くないが、ガラスペンだとより美しく流麗な文字が書ける。書類の束の効率も上がる。親書もこれで認めよう。エーファ王国の貴族たちも違いがわかるはずだ。


「これはエーファ王国にも献上したが良かろう。かの国でも爆発的に売れるに違いない」

「職人たちが悲鳴を上げています。作り方をエーファ王国に売っても?」

「構わん。アーガス王国の錬金術がどれほど素晴らしいか見せつける機会だろう。輸出品目にすれば大量の金貨が得られるだろうが、稼ぎすぎるのは良くない。どの貴族も欲しがるぞ」


 コルネリウスはさらさらと植物紙にガラスペンを走らせる。幾度も練習したサインすら流麗になったように感じる。父上も大臣たち、役人たちに爆発的に広まるだろう。

 だがラントはやることが膨大にある。任命してたった数日で結果を出すとは思わなかった。


 他にも幾つか希少な魔法薬のレシピを売ってくれた。帝国が良く使う魔毒などに効く魔法薬だ。備えあれば憂いはない。

 それに平民が稀に掛かる疫病の薬のレシピも安く売ってくれた。ベアトリクスが値切ったのだ。ラントは苦笑してその値段で折り合いをつけた。

 コルネリウスはラントの錬金術の腕を過小評価していたことは否めない。

 あれほどの剣技、魔法、魔術を極めているのだ。

 本人は本職は錬金術師だと言っていたが、思っていた以上の物が出てきた。


(やはりクレットガウ卿に宮廷錬金術師を任せたのは正解だったな。多くの民がこの魔法薬で救われる。王城や地方領主たちにもこのガラスペンは広まるに違いない。そのうち平民の上澄みすら使うことになるだろう。これだけで侯爵に昇爵してやりたくなるが流石にまだ早い。伯爵号を授与し、外交特使としての任務も与えている。宮廷魔導士長と同等の権力も与えている。エーファ王国に行ってもラントは注目の的になるに違いない。ただマルグリットとの実家には確執が残るだろうな。公爵家はマルグリットを手放したがらないはずだ。そしてラントはマルグリットを手放すつもりはない。ラントは権力に屈する者ではない。エーファ王国がどのようにラントを遇するのか、見ものだな。良い文官や騎士を見張りに付けるとしよう。帰ってきた時の報告が楽しみだ)


 美しく装飾された化粧箱の中には美しいガラスペンが入っている。換えの軸先もついている。箱は下町の商人から買ったそうだが、それをラントが装飾し、中身も美しく仕上がっている。

 献上品としての格は十分だ。父上や母上も喜ぶことだろう。

 ヘルミーナなどが成人する頃には国中にガラスペンは普及しているだろう。そしてそれは王城や領主たちの業務の効率化に繋がる。

 武だけではない。文も考えてラントはガラスペンを作ってくれた。

 コルネリウスはラントの叡智の底は全く見えないと思ったが、予想した通り、最上級の羽ペンにはもう戻る事ができなかった。


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