122.宮廷錬金術師
「あぁ、帰ってきたと言う気分になるな」
「そうですわね」
王都の公爵邸に着くとラントは自身の家に戻ってきた気分になった。マリーの落ち込みは既に解決している。帰路では和やかに話しながら帰った。エリーはトールに埋もれていた。
ヒューバートとヴィクトールはすでに王城に帰している。彼らはコルネリウスや陛下たちに報告をせねばならない。当然ラントもだ。
「マリー、悪いが俺は登城してくる。そして自分の邸も見に行かねばな。新しい騎士たちや魔法士たちがきちんとやっていたか見なければならぬ。だが今日は夜にはここに帰って来る。大人しく留守番しておけよ」
「わかりました。お帰りお待ちしておりますわ」
ラントがマリーと別れの抱擁をすると、マリーはしっかりと返してきた。軽くキスもする。馬車の中ではかなりイチャイチャしていたが、それとこれとは別だ。
ラントはアレックスに乗って登城した。まずはコルネリウスに会わなければならない。ラントの直属の上司は彼なのだ。コルネリウスの居場所を騎士に尋ねると執務室に居ると言う。相変わらず忙しそうだ。書類に埋もれているのだろう。
「コルネリウス王太子殿下、失礼します」
「おお、クレットガウ子爵、よく帰った。待ちわびていたぞ。簡単な報告は入っている。大変だったそうだな」
「大変どころではありませんよ、殿下。帝国はエルフを敵に回しました。驚天動地の事件です」
「そうだな、まさか我らの恩人、エルフたちを敵に回すなど。考えられん。ゆっくり話をしたい。まぁ座れ。俺も疲れた。茶の用意を」
コルネリウスはペンを止め、立ち上がり、わざわざソファに移動してくれた。執務をしながら話しても良いのだが、コルネリウスも少しは休憩がしたいらしい。使用人たちがテキパキとお茶の用意をする。
相変わらずふかふかのソファに座り、美味い茶の香りを楽しむ。
「ふぅ、卿の顔を見るのも久方ぶりだな。魔導士たちや騎士たちは相変わらず卿を目指して頑張っているぞ。見違えるようだと騎士団長たちが言っていた。特に近衛たちだな。何せ卿が叛意を示せば王族の首が落ちる」
コルネリウスが緊張している近衛たちをチラリと見る。彼らのラントを見る目は厳しかった。
「それで私を見る目が厳しいのですね」
コルネリウスはため息を吐いた。
「卿はやりすぎたのだ。力を持ちすぎている。味方である内は頼もしいが敵に回れば厄介どころではない。災害だ。竜が襲ってくるに等しい。しかも意思を持ち、狙いを定めて襲ってくる竜だ。エルフと同じだ。出会えば死。その死がすぐ傍にある。誰もが緊張せん訳にはいかん」
「ですが力を使わねば大災害となっていました」
「当然だ。そしてそれはアーガス王国に取って利益となる力の使い方だ。故に卿にはそれだけ報いねばならぬ。王族の務めだな。お前たち、それほど緊張するな。クレットガウ子爵が俺をどうこうするならとっくに俺の首は胴と離れている。彼の活躍はお前たちも聞いただろう。叛意をどこで抱くと言うのだ。帝国の特殊部隊を半壊させたと聞いたぞ。帝国にクレットガウ子爵は恨まれているに違いない。彼が帝国に付くことはない。少しは肩の力を抜け。いざと言う時にそれで動けるのか?」
近衛たちは緊張しきっていた。その状態で本領を発揮できる筈がない。警戒心が高い事は良いことだがそれが悪い方向に作用している。
自然体で且つ、警戒心は緩ませない。それが最上だ。そしてそれをラントは近衛たちに心得として文書で認め、近衛騎士団長に渡している。だがラントの姿を認めた瞬間、彼らは体中に力が入り、過剰な緊張を持っていた。言うだけでできれば苦労はないのだ。
コルネリウスが茶菓子を食べ、一息ついた後に続ける。
「更に今回はオーガキングとアラクネクイーンの乱戦に飛び込み、両者の首を落としただと? 誰がそんなことをできる。ヴィクトールやヒューバートが見たままを報告してきたぞ。俺ですら信じられん。歴代の英雄をも凌駕する偉業だ。唯一卿を上回るのはどこにいるかも知れぬ放浪の大賢者様だけだ。しかし彼の者はどこにいるとも知れず、今回アーガス王国に味方してくれるとも限らん。八方塞がりと言う奴だな。だから俺たちは卿を警戒し、見合った報酬を与えることで卿の怒りを買わぬようにするしかない。今回も大盤振る舞いだぞ。父上も承認された」
「そうですか、有り難く頂く事と致しましょう」
ラントは静かにそう返した。何を貰えるとしても貰って置いて損はない。これからラントたちはエーファ王国に発たねばならない。いい加減ブロワ公爵家の堪忍袋の緒が切れるというものだ。マリーの無事な姿を見せなければならない。
だがマリーを他の貴族や第二王子の王太子妃にすると言うならばラントは許さない。その時はマリーとエリーだけを攫い、獣人たちが住む国にでも逃げ出すとしようと思っていた。
アーガス王国を鍛える方法は既に教えてある。様々な対帝国に有効そうな戦略、戦術なども軍の元帥であるアドルフに渡してある。後はアーガス王国がどれだけ頑張れるか次第だ。ラントにもうそれほどすることはない。
王族たちには対精神魔法に効く護符を渡してあるし、作り方も錬金術師たちに教えて置いた。王城や王宮の結界も改良した。ヴィクトールにやり方は教えて置いたので随時他の大都市の結界も改良されることだろう。
「それとな、卿を宮廷錬金術師に抜擢することにした。宮廷魔導士と同じ扱いだ」
「なっ」
「待て待て。落ち着いて最後まで聞け。宮廷錬金術師ではあるが雑務はない。たまに何かしらの成果を提出し、たまに魔法士たちを鍛えてくれれば良い。ようはローブの色が変わるだけだ。宮廷魔導士と同じ深い藍色に決まった。差し色は違うがな」
ラントはそれを聞いて頭が痛くなった。予想外だ。コルネリウスは軽く言うがなんだかんだで錬金術師たちを鍛えねば成らない。仕事がまた増える。勘弁して欲しいと言う気持ちでいっぱいだった。だがもうそれは決定事項だ。覆らない。一応反論してみる。効果は薄いと思うが。
「ですがそれで諸閣下は納得されますかな。特にハンス閣下にはこき使われる未来しか見えませんが」
「ハンスにはよく言い含めてある。俺専属の宮廷錬金術師だ。俺と父上のみに命令権がある。公爵ですら卿には命令権はない。どうだ」
「どうもこうもありませんよ。私に決定権はないでしょう」
「だがマルグリットを娶るには最短の道だ。上位の伯爵家にも内定している。なにせランベルト公爵が北の公爵家まで説得し、推薦してきたからな。もう功を上げなくとも侯爵にも成れるぞ。時間は置かねば成らぬがな」
コルネリウスは楽しそうだ。確かにそうだ。ラントが栄達を望むのはマリーに適う相手になる為だ。それが叶う。喜ぶべきだ。
だが素直に喜ぶ気にはなれなかった。こればかりはラントの性格故だ。どうしようもない。
だが任命されたからにはきちんと仕事を熟さなければならない。王宮に配属されている錬金術師たちは多い。錬金術師とは魔導士か魔術士だ。魔法や魔術を使い、様々な道具を作る。当然宮廷魔導士も同じことができる。戦いに特化するか、物を作るのに特化するかの違いでしかない。
それなりに腕のある奴もいるし、見込みのある奴もいる。
透明ガラスや蒸留酒、精油などの作り方を教えることから始めよう。彼らも似たような物は作れるがまだ精度が甘いのだ。魔剣の付与くらいは教えても良い。一段性能が高い武具が作れる。騎士たちは喜ぶだろうし、防御力も上がる。
魔法薬もまだアーガス王国に知られてないレシピがある。その一部を公開しようと思った。毒や病などに効く薬だ。疫病などの対策にもなる。帝国でよく使われる魔毒なども教えておいた方が良いだろう。
一応コルネリウスにラントは念を押しておくことにした。
「ただしどんな苦境にあろうとも兵器は作りません。約束して頂きたい」
「むっ、そこまで言うものが作れるのか」
「戦争の形態が変わります。帝国に勝てたとしても多くの民が今後の歴史で死ぬことになるでしょう。私以外の者が作り出したとなれば仕方ありませんが、私は絶対に人を殺す道具は作りません。この世界が好きなのです。仮に帝国にアーガス王国が負け、占領されたとしてもそれは歴史の常です。惜しいとは思いますが弱い方が負けるのは当たり前でしょう。アーガス王国も元は幾つもの小国を滅ぼして大きくなった。その歴史を学んでいるでしょう。帝国を非難できる物ではありません」
ラントはきっぱりとコルネリウスに宣言した。コルネリウスは顎に手を当てて唸って居るが、ラントの決心は変わらないだろうと諦めてくれたようだ。
「相わかった。父上にもそう伝えて置こう。もし俺たちが道を踏み外しそうになれば卿はマルグリットを攫って逃げるであろう。そんな事はできぬ」
「帝国に負けた際はヘルミーナ殿下くらいは連れて行って上げましょう。王族の血は残りますよ」
ラントが笑って言うと近衛や侍女たちがざわめいた。その時には国王だけでなく、王子や王女たちが全滅しているのだ。更に王族を攫って逃げると堂々と宣言した。許せるものではない。だがコルネリウスは笑った。
「くははっ、王都が落ちる時にはついでにディートリンデや他の王女たちも連れて行ってくれ。公爵家に嫁いだ姉上の子たちでも良い。俺の子も是非連れて行って欲しいものだ。まだ幼いが親馬鹿だとは思うがなかなか才気溢れているぞ。卿と彼女たちの子ならばアーガス王国の版図を帝国から取り戻す事すら可能かもしれん。何人連れ去っても良いぞ。俺が許す。アーガス王家の血は残さねばならぬ。しかしその時はクレットガウ朝が爆誕するだろうな。見てみたいものだ。卿が作る国は俺が王になるよりも余程素晴らしく強い国ができるだろう」
コルネリウスが笑って許した事で執務室の空気はほんの少しだけ落ち着いた。
ラントとて帝国にアーガス王国を蹂躙させるつもりなど毛頭ない。だが帝国の魔導士の腕は凄まじかった。パスカヴィルの猟犬がどれだけいるかどうかわからないが、おそらくニコラウスはどこぞの神の試練を超えている。それだけの力があると感じた。
ラントやリリアナと同じ次元に立っている。戦争になればラントは本気を出さねばならない。しかしニコラウスがそこに立ちはだかる。ラントはニコラウスやパスカヴィルの猟犬の相手をせねばならない。
宮廷魔導士は帝国魔導士たちの、騎士たちは帝国騎士たちの相手をする。どれも簡単な事ではない。多くの顔見知りの騎士や魔導士が死ぬ未来が見える。だがそれが戦争と言うものだ。
軍靴の足音は近づいてきている。それだけは確かだった。




