116.大魔獣たちの末路
「凄まじいな」
「これほど森が荒れることは稀だ。だが長い歴史の中でない訳ではない。それを人族がやらかした災いだと言うのが問題なのだ」
「あぁ、俺も帝国がこれほど阿呆だとは思わなかった。アールヴを敵に回すなど俺には考えられん」
ラントたちはベヒーモスとブラックヴァイパーが争っている地点の近くまで来ていた。深層の魔物たちは思い思いに逃げ出し、ラントたちの方向に来た物たちはリリアナやエルフの戦士たちに狩られていった。そしてそれらの素材は全てラントの収納に入っている。
未だ出会ったことのない魔物の素材もあり、ウハウハだ。解体する暇などないので冷凍室に全部放り投げている。冷凍して傷む素材もあるので勿体ないが今は時間が大事だ。
ラントとリリアナは陣地から樹海に入ったので、陣地に溢れる氾濫の規模も小さくなるだろう。ただし北や南に逃げていった強大な魔物もいる。そちらまでは流石に手が出ない。
(まぁ氾濫があることは公爵閣下から早馬や鳥が飛ばされている。どの街もそれなりに防備は整っている事だろう。犠牲者が出るのは仕方がないが、少なくとも事前準備ができるのとできないのでは遥かに差がある。国が傾く所までは行かないだろう。ただし、こいつらの決着がつき、どちらかが強化されれば話は別だ。どうなるか俺ですら予想ができん。まぁその為にわざわざこんなところに来たのだがな)
半径数キラメルほどの樹海は既に荒れ地になっている。ブラックヴァイパーはその牙と尻尾で、更に闇魔法も放っている。
ベヒーモスも負けてはいない。未だ未成熟な個体ではあるが、塔と見間違わんばかりの土槍を生やしたり、その牙や爪でブラックヴァイパーの体に傷をつけている。
だがブラックヴァイパーは再生能力も高い。鱗まではすぐには生えてこないようだが抉られた肉は即座に盛り上がっている。
ベヒーモスの皮の一部が紫に変色している。本来は灰色なのだ。噛みつかれ、毒に侵されているのだろう。
既に戦いが始まって何日経っているのかわからない。だがどちらも引く気もなく、弱ってはいるがまだまだ元気に見える。ちらりと見るとエルフの戦士たちもその戦いには目を剥くばかりだ。流石にこれほどの戦いはそう見られる物ではない。
素材が取りたいので獄炎魔法のような火炎系魔法では駄目だ。どちらにせよベヒーモスもブラックヴァイパーも強い魔法抵抗力を持っている。獄炎魔法ですら耐え抜くだろう。
だが他の属性でも超級のような強い魔法では大きく素材を損なう。
(ふむ、せっかくだ。シヴァに手伝って貰うか)
エルフの戦士たちの前で使うのだ。自身の魔法でも良いが精霊の力を借りた方がわかりやすいとラントは考えた。
ついでに強化薬を飲んでおく。一時的に魔力や身体が強化されるが、後に反動がある。だが命に替えられる物ではない。反動を抑える為の霊薬も飲む。これで少しはマシになる。
後の激痛を覚悟しながら、ラントはぐびっと強化薬と霊薬を飲み干した。そして全能感が溢れる。今なら何でもできる気になる。二体同時でも相手できそうだ。だがそれは錯覚だ。間違っても特攻などしてはいけない。
「シヴァ」
「は~い」
「この鋼糸に強い雷を纏わせてくれ」
「えぇ、いいわ。簡単な事よ」
鋼糸は魔法金属を恐ろしく細くし、それを撚り上げた逸品だ。撚り上げてすら一セントメルもない細さだ。そのままでは指が引き千切れるので魔法金属に魔物革で覆った持ち手が作られている。魔力や精霊力との相性も良い。ラントはこれを使ってブラックヴァイパーを倒すことに決めた。
エルフの戦士たちは何をするのかとじっと見ている。鋼糸が金色に輝く。リリアナは楽しそうだ。実際楽しいのだろう。
周囲の地面を硬化し、土魔法で五メルほどの高さの硬く、頑丈な柱を立てる。地上では五メルほどだが地面の中は五十メルほどの長さにしているし、太さも三メルはある。
これで耐えられるかどうかはわからないが、自身の手で引っ張るわけにはいかない。準備ができたのでラントはリリアナに願った。
「リリアナ、気を引いて貰って良いか?」
「構わん。その程度なら付き合ってやろう」
リリアナは精霊樹の弓を取り出し、矢を二本同時に穿った。その二本は別々の軌道を取り、魔力に満ちている。リリアナの狙いは違わず、見事にベヒーモスとブラックヴァイパーの瞳に突き刺さる……と、見えたが、どちらも気付いたのか顔を少し動かし、瞳には刺さらなかった。瞼も閉じている。目の少し横や下に矢は突き刺さった。
しかし気は引けた。お互いしか見えて居なかった両者が横槍を入れてくる者たちの存在に気付いたのだ。
瞬間、ラントが動いた。まずはブラックヴァイパーだ。血の一滴すら無駄にしたくはない。〈隠蔽〉の魔法を掛け、身体強化を全力にしてブラックヴァイパーの上まで天駆で駆け上がり、まず傷を作る。魔剣を振るい、魔法を使い、首回りの鱗を何枚か剥がす。全ては剥がせない。それほど硬いのだ。そして迫ってくる牙を躱し、くるりと鋼糸を二重に首に回す。そして魔力を通して思いっきり引っ張った。
酷い抵抗があった。残っていた鱗も肉も骨も硬い。鱗は斬れたがスパリとはいかない。肉も弾力があり、そう簡単に斬れない。ブラックヴァイパーも絡まった鋼糸に気付き、こちらを向く。このままだと腕がちぎれるので鋼糸をぐるぐると先ほど作った柱に巻き付ける。シヴァが鋼糸に更に魔力を流し、ブラックヴァイパーは体を捩って引きちぎろうとした。
「なんだと?」
ラントも予想外なことがおきた。そこにベヒーモスが突進したのだ。
好機だと見たのだろう。ブラックヴァイパーの体が吹き飛ばされ、魔鋼よりも硬い柱が千切れる。だがその分の負荷はブラックヴァイパーにもかかったようで鋼糸がぎゅっと締まり、骨に近いところまでブラックヴァイパーの傷が深くなるのがわかった。
吹き飛んだブラックヴァイパーを追い、即座に鋼糸を持ち、魔力を流す。そうでもしないと即座にブラックヴァイパーは回復してしまうだろう。傷は深いが上位の魔物の再生力は侮れない。肉や皮などはすぐに繋がってしまう。
「ここで死ね!」
そんな暇は与えない。ラントとシヴァの魔力が鋼糸に流れ、強化された身体と〈念動〉で鋼糸を一気に巻き取るとブラックヴァイパーの骨がようやく斬れ、頭が落ちた。
雷を纏っている鋼糸は斬れた部分の血管を焼き、血は垂れない。そしてブラックヴァイパーの残った体が地響きを立てて崩れ落ちる。頭を失っても身体はバタバタと暴れているがそのうち動かなくなるだろう。流石のブラックヴァイパーも頭までは再生できない。そして間違っても繋がらないように頭を〈念動〉で引き寄せておく。
ベヒーモスは大きく雄叫びを上げた。ベヒーモスにとっては死闘に勝利し、ブラックヴァイパーの肉と魔核を食し、自身が強化されることが決定した瞬間なのだ。その雄叫びには魔力が多大に含まれていた。エルフの戦士たちもその雄叫びに慄いている。
ラントは一仕事終わったことにホッとした。鋼糸はブラックヴァイパーを拘束するためで、本来は次か次の次の手で決めるつもりであった。ベヒーモスの突進は狙ったものではないが、おかげでラントのしごとは大幅に減った。感謝したいくらいだ。
ベヒーモスはブラックヴァイパーの肉と魔核を喰らおうとドシンと地響きを立てながら狙って動いてくる。
『行くぞ、今が好機だ。今度はこちらが見せつける番だ。ベヒーモスを討ち取る機会などそうそうない。アールヴの戦士の誇り、見せてやろうではないか』
だがそうは問屋が卸さない。リリアナが吠える。そしてリリアナを始め、エルフの戦士たちがベヒーモスに攻撃を加えていく。それは容赦のない物だった。
槍が分厚い皮を貫き、足や背中を剣が斬り裂く。勝利を確信した筈のベヒーモスは悲鳴をあげた。だがリリアナ率いるエルフの戦士たちは手を止めずに魔法を放ち、ベヒーモスと死闘を繰り広げている。精霊が幾柱も現れ、ベヒーモスに強力な一撃を入れている。
(さすがエルフの戦士たちだ。連携まで完璧だな)
ラントは竜革の手袋が駄目になってしまったので作り直さねばと思った。
だがこの程度の損害で済んだことはかなり幸運だ。エルフたちにもラントの切り札を見られずに済んだし大満足であった。ラントはブラックヴァイパーの頭に座り、煙管をくもらせながらエルフたちの戦いを観戦させてもらっていた。
しばらく戦いを見ていると最後の一撃はリリアナの風精霊の放った刃だった。ベヒーモスの首筋を大きく斬り裂き、大量の血が吹き出る。追撃で剣でも一撃を入れている。更に血が吹き出る。空間魔法使いだろうエルフが大きな樽を取り出し、その血を回収している。
ベヒーモスも即座に死ぬ訳ではない。暴れまわっている。どこかのエルフが水魔法を使い、血を樽に見事に誘導している。
だが頸動脈を斬り裂かれ、更に再生をさせる間もなく追撃が入り、段々と弱っていき、ついにベヒーモスは倒れた。ズシンと地面が揺れた。それまでに樽が幾つも満杯になっていた。
『我らの勝利だ。森を荒らす魔獣は倒れた。者共、勝鬨をあげよ!』
『おおおおおっ!』
エルフの戦士たちが大きく声を上げる。これで大樹海の混乱も収まるだろう。そのうちベヒーモスとブラックヴァイパーの元の縄張りに新しい主が誕生するだろう。北や南に逃げた強大な魔物が熾烈な争いを繰り広げ、たった一体の魔物が縄張りの王として君臨するのだ。
「ふぅ、流石に疲れたな」
ラントが座り込んでいるとリリアナが近寄ってくる。エルフの戦士たちはベヒーモスの解体に入っている。
「流石だな、ラント。ブラックヴァイパーは我らでも全員で掛からねば危ない相手であった。それをたった一人で倒してしまうその腕前、見事としか言いようがない。私は里にラントの名を語り継ごう。人族の勇者として。ラントの名はイシスの枝の中で語り継がれるのだ。ランツェリン・フォン・クレットガウだったか。長い名だが覚えておこう」
「あぁ、リリアナたちが助けてくれて本当に良かった。そうでなければ俺も相当無理をしなくてはならなかったか放置するしか手はなかった。かなり楽になった。ありがとう。感謝する」
「ふふふっ、未来の伴侶なのだ。助けるのは当然だ。しかし二体同時にでも相手できそうな言い様だな。お前の底は私でもわからん。一度本気で仕合わないか?」
ラントはとても迷惑そうな表情をして答えた。首もしっかりと横に振る。そうしないと伝わらない気がしたのだ。
「やめてくれ、リリアナと戦うとなるとどちらかが必ず死闘になる。お前も俺も本気になれば止まらんだろう。アールヴの姫をまかり間違って殺してしまえばアールヴの戦士たちに追われるし、負ければ当然死ぬ。そんな割に合わないことはできん。リリアナの実力には興味があるがな。リリアナ、お前ベヒーモス相手でも本気を出していなかっただろう」
「成熟したベヒーモスならば本気を出すが、枝の戦士たちを鍛える方が大事だ。私がやってしまっては枝の戦士たちが鍛わらん」
リリアナはラントを見ながらニヤリと笑った。
実際エルフの戦士たちは傷だらけだ。何せ身動ぎしただけでベヒーモスの後ろ足に吹き飛ばされたり、尻尾で弾かれた者もいる。爪で斬り裂かれた者すらいるのだ。だが死者は居ない。欠損もない。
エルフの戦士たちは独自の魔法薬を持っている。むしろ人族の魔法薬などよりも余程効果は高い。問題はないだろう。治癒魔法も当然使えるのだ。
「なんだ、ブラックヴァイパーも解体してくれるのか?」
「あれほどの大物、流石に入らんだろう。ついでだ。解体の勉強にもなる」
「毒線を傷付けるなよ。あと内臓もだ。血の一滴も無駄にすることは許さん」
「ははははっ、せっかく我らが手伝ってやっていると言うのに注文をつけるか。だが我らアールヴは解体も得意だ。安心しろ。ブラックヴァイパーも解体の仕方がきちんと枝に伝わっている。ほら、指示役がきちんと処理しているだろう。文句があるなら自分でやれ」
「いや、俺はもう動けん。後でやるつもりであったが、やってくれるなら是非頼みたい。あとベヒーモスの素材を幾らか分けて貰えないか。討伐証明として持っていきたい。その代わりブラックヴァイパーの素材と交換しよう。どちらも倒れたと言う証が必要だ」
リリアナは腕を組み、少し考えたがゆっくりと頷いた。
「承知した。あれほど育ったブラックヴァイパーの素材だ。盾でも鎧でも何にでもなるだろう。毒も少し分けて欲しいものだ。それと血だな」
「あぁ、構わん。アールヴの戦士たちのおかげで俺は二体同時に相手せずに済んだのだ。シヴァは強力だが当然対価が発生する。安易に力は借りられん」
「当たり前だ。大精霊様をこき使うなどあってはならん。だが大精霊様の意思で従っているのであろう。我らアールヴの関知するところではないな。しかし羨ましい事だ。私も里に戻ったら大精霊様の試練を受けるとしよう」
いつの間にかエルフの数が増えている。解体用に人数を増やしたのだろう。そうでなくては幾ら魔法で解体ができると言っても何日も掛かる大仕事だ。
エルフたちの解体は恐ろしく早い。ラントは一人でやるつもりだったので憂鬱だったのだ。彼らがやってくれるのならば素材の多少の融通など何の事はない。一人でやれば十日は余裕で掛り切りになるのだ。面倒くさいことこの上ない。
リリアナはへたり込むラントを見ながらニヤニヤと笑っていた。




