109.パスカヴィルの猟犬
「この魔力、超級魔法だと! いきなりかっ! 全員本気で結界を張れっ、焼き尽くされるぞ!」
ニコラウスは驚愕していた。上空にアーガス王国の者たちが居るのはわかっていた。おそらく空を飛べる魔物を連れているのだろう。そうでなくては今の大樹海を抜けてこられる筈がない。そして上空に居るのは十名程度。超級魔法など放たれるとは思っても居なかった。宮廷魔導士の一団でも乗っていたのだろうか。
(くっ、せっかく育てた部下が死ぬ。確実に半減はする。あと少しだと言うのに、何者だっ!)
一年以上掛けた策略で、ようやく大樹海で大氾濫が起こせる準備が整ったのだ。後は巨獣たちが争い、勝った方をランベルト公爵領方面へ誘導するだけだ。その時にはニコラウスたちすら太刀打ちできない大魔獣が誕生していることだろう。
故にニコラウスは、丹精籠めて育て上げた部下たちと「その時」を待っていた。
荒野も浅い部分ならば問題ない。ニコラウスが育てた部隊は帝国の影として非常に優秀なのだ。宮廷魔導士や近衛騎士にも簡単になれる者たちが勢揃いしている。
それが五十名だ。例え数倍のアーガス王国の騎士団や魔導士団に襲われても死人はでても殲滅できるだろう。その自信があった。
しかし超級魔法の直撃は予定外だ。これほどの魔法、そうそうお目にかかれる物ではない。更にそれが自分たちに向けて放たれている。必死になって防がねばならない。
「くっ、結界が耐えられん。お前たち、踏ん張れっ。骨も残らんぞ」
「「「「「はっ」」」」」
部下たちに氷の結界を張るように指示しながらニコラウスも自身が張れる最高の結界魔法を展開する。皇帝陛下から預かった魔道具もある。超級魔法の一撃くらいならなんとか防げるだろう。
だがこの時点でニコラウスの野望は挫けた。今まさに大樹海では巨獣たちが争っている。荒野にも逃げ出した魔物たちが氾濫で飛び出して来ている。あと数日で決着が着くはずだったのだ。
天から降るのは地獄の炎。ニコラウスの部隊でも魔法に長けた者を選び、十名近くで儀式を行わなければ使えない超級の魔法は慈悲などないと言わんばかりに丹精籠めて育て上げた部下たちを焼き尽くした。
「ふぅ、生き残ったのは二十名と少しか。かなりやられたな。くそっ、許さんぞ。この熱気は耐えられんな、〈氷地生成〉」
まず付近の熱気を処理する。そうでないと息をするだけで熱気で喉や肺がやられてしまう。〈獄炎〉は終わった後も地獄なのだ。まだ遠くでは黒い炎が燻っている。空気に毒が混じっていたのか部下たちが苦しそうにしている。
ニコラウスは部下たちに命じて降りてくる敵に向かって氷槍や炎槍を放つ。相手が乗っているのはグリフォンだ。なかなかに良い魔獣を従えている。超級魔法を放つのだ。それも当然かと納得した。
相手からも魔法が殺到する。ただしきちんと鍛え上げられた部下たちはそれらの対処も容易だ。上級魔法すら降ってくるが、それはニコラウスが結界を張って対処した。
「ぐはっ」
腹心の一人が矢で射抜かれる。閃光のようにしか見えなかった。ニコラウスもその閃光を避ける。狙われていたのだ。頬にピッと一筋の血が走った。その正確さと速さにぞくりとした。殺気を感じねば避けそこねただろう。
「〈氷水〉」
天からまるで滝のように冷たい水が降ってくる。未だ熱せられていた地面で蒸発し、即座に蒸気で周囲が見えなくなる。そこに男が剣を振りかぶって飛び込んできた。
「お前が首魁だな。良い魔力だ。俺の剣の錆となれ。二度とアーガス王国に来られない体にしてやろう」
「はっ、大口を叩くな。俺に敵う訳がなかろう。俺を誰だと思っている」
「知るかっ」
ガインと剣と剣が打ち合わされる。一合打ち合っただけで分かった。敵は剣技も超一流だ。
魔法を放った者たちとは違う男だろう。そうでないと説明が付かない。超級魔法を放ち、これほどの剣技を持つ者などそうそう存在しない。ニコラウスですら数人しか知らなかった。そしてその数人にニコラウスは含まれている。ニコラウスは帝国でも屈指の強者だ。だが剣技だけでも伍して斬られてしまえば先はない。まずはこの相手を倒さねばならない。
ニコラウスは相手の一分の隙も見逃さずに剣を振るうがラントの剣も巧みでお互い致命的な一撃を入れることは難しかった。
(くっ、こんなところで死ぬなどありえん!)
由緒あるパスカヴィル家の教育を受けたニコラウスは、しっかりと剣技も魔法も帝国でも指折りの達人に仕立て上げたのだ。
故にパスカヴィルの猟犬と言う部隊を率いることが許されている。宰相閣下より「王国を戦争の準備が終わるまで引っ掻き回せ」と言う自由裁量権すら与えられているのだ。
「お前、なかなかやるな。名を聞いてやろう。言ってみろ」
剣を打ち合わせながらも言葉を交わす。こちらの剣も当たらないが当然あちらの剣も当たらない。だがどちらも紙一重だ。一つ軽いミスをしただけで趨勢が一気に傾くだろう。全く気が抜けない。
「ふん、名を聞きたいならまず自分から名乗れ。礼儀すら知らんのか。帝国の狗め」
ニコラウスが問うもあしらわれる。更に剣が神速で迫ってくる。防ぐ、攻める。避けられる。避ける。幾合も剣が神速で打ち合わされる。
ニコラウスは敵の隙をついて剣を薙いだが、それを軽く避けられる。誘いだったのだ。手強い反撃が来る。しっかりと盾で受け止めた。竜の鱗で作った盾が軋む。恐ろしい膂力だ。
付近では副隊長含め、数人がアーガス王国の者たちと戦っている。優勢に戦っているのも居れば劣勢になっている者も居る。グリフォンが邪魔だ。それに稀に不意を打って飛んでくる矢で何人か部下が死んでいっている。全体的に見れば劣勢に陥っている。
(もしかしてあれは公爵本人か?)
ハルバードを振るっている老人がいる。あれはもしやランベルク公爵本人ではないだろうか。是非とも首を落としたい老人だ。
だがハルバードを易々と扱い、魔法も使うランベルク公爵は手強く、部下たちは劣勢に立たされている。
「ふん、元帝国だった国の者が何をほざく。早く帝国領に復帰せぬから攻撃されるのよ。独立など許される訳がなかろう。大賢者の力に縋っただけで王国などとでかい面をするな。大人しく帝国に降れ。だがその挑発には乗ってやろう。俺はニコラウス・フォン・パスカヴィルよ。その名を胸に刻んで死ね!」
ニコラウスはラントに対して本気の一撃を見舞った。しかしラントの盾はそれを防ぐ。膂力は互角。剣の腕も互角。魔法の撃ち合いもしたがほぼ同格だ。これほどの男がアーガス王国に居るなどニコラウスは聞いたことがなかった。
それもニコラウスより若い。どれほどの修練を積めば、どれほどの才があればこの若さでニコラウスと打ち合えるというのだろう。優秀で信頼できる副長ですら無理な相談だ。
「ふっ、パスカヴィルの猟犬か。なるほどな。腕が良い訳だ。帝国の秘密特殊部隊だろう。よく躾けられているな。皇帝陛下の足元でキャンキャンと鳴いて駆け回っていれば良いものを、よくぞここまで王国を掻き回してくれたな。お前こそ死ね!」
ラントの剣がニコラウスを掠める。腕が斬られ、血飛沫が舞う。しかし気にせず剣を振るい、今度はニコラウスの剣がラントを掠め、鎧の隙間に剣が通る。ドワーフが丹精籠めて打った魔剣だ。斬れ味は鋭い。更に魔力を乗せている。斬れない物などない。今度はラントの脇腹から血飛沫が舞った。
「よく知っているな。帝国内でも知る者が少ない機密情報だ。どこで知った。さぁ、俺は名を名乗ったぞ。お前は誰だ。名乗れ、王国の者は礼儀すら知らないのか。この蛮族め」
ニコラウスは挑発した。そしてラントはニヤリと獰猛な笑みを浮かべて答えた。
「ふっ、俺の名はランツェリン・フォン・クレットガウだ。その名を胸に刻みつけ、大人しく首を差し出せ。そうすれば寛大にも俺はこれまでの所業を許してやろう」
「テールの麒麟児の名を語るか。豪放だな。だが奴は生きている筈がない。北方の大樹海が抜けられる訳がない。更に帝国の南には中央山脈まである。抜けられる者などおらん。抜けようとしても既に死んでいるはずだ。いや、アーガス王国でテールの麒麟児と同じ名を名乗った子爵が居ると聞いたな。お前かっ、ランドバルト侯爵の反乱を収め、子爵に成り上がったと言う男は」
「あの程度の策謀、策謀とは言わん。下手な剣でも何度でも振り下ろせば当たると思ったか? 当たる訳がなかろう」
剣が何合打ち合わされただろうか。魔法が幾筋お互いを掠めただろうか。ラントとニコラウスはほぼほぼ互角だった。相手の剣も魔剣だ。しかも上物で、ニコラウスの剣と打ち合えば大概の剣は一合で折れると言うのに欠けすらしない。
お互いの剣と魔法が煌めき、打ち合わされ、傷をつけていく。ラントもニコラウスも傷だらけになっていた。ラントは傷を負っても痛みすら感じないのか笑いながら剣を振るってくる。その剣は正確無比で鋭く、ニコラウスの盾を酷く打ち付ける。ニコラウスも負けじと剣を振るう。それはラントの持つ鈍色の盾に防がれた。装備の質も大差がない。この場で是非首を取りたいが、決着を着けようとすると部下が全滅するとニコラウスは判断した。
「くぅっ」
ニコラウスは突然横から飛んできた矢に上体を逸らして避けた。リリアナの矢だ。
リリアナは〈隠者のローブ〉を被って死角から矢を放ち、多くの者を討ち取っている。
そしてその隙をラントが見逃す筈がない。〈縮地〉で間合いを詰め、ニコラウスの首を狙って突きを放ってくる。それをニコラウスはギリギリで回避した。首筋に刃の感触を感じる。頸動脈が切り裂かれる。だが即座に〈治癒〉を掛け、血が漏れるのを止める。そして同時に横薙ぎに変化した剣を膝を抜いて避ける。
膝を曲げていたのでは追いつかない。膝の力を抜くことで重力を使い、自然と体が沈む高度な技法だ。頭の上を剣が通過していった。ギリギリの攻防だ。
「隊長、限界ですっ」
副長の声が響く。仕方がない。ここは一旦仕切り直しと行くとする。これ以上部下を失う訳にはいかない。
本国に戻ればまだ精鋭は揃っているが一人育てるだけでも莫大な時間と費用が掛かるのだ。そしてそれは皇帝陛下の財産でもある。たった一人失うだけで皇帝陛下の名に傷がついているのと同じだ。
ニコラウスは好敵手との決着を諦め、逃げ出すことにした。しばらくはアーガス王国では動けないだろう。それほどの痛手を受けた。
「全員、戦いをやめて集まれっ」
ニコラウスが号令を掛けると生き残っていた約十名が煙幕や強力な魔法を使って相手から距離を取り、ニコラウスの元へ集まる。
ラントが無詠唱で〈爆裂〉魔法を放ってきたがそれは魔法金属製の盾に更に障壁を張って上空に逸らす。構築速度も速さも強力さも見事な魔法だ。受けただけで腕が折れるかと思った。
(くっ、悔しいが撤退だ。これ以上損害を増やす訳にはいかぬ)
だがニコラウスが懐から宝玉を取り出したことでラントは距離を取った。宝玉からは膨大な魔力が溢れている。警戒したのだろう。
実際同様の宝玉に上級魔法などを籠める事もできる。至近距離で上級魔法など撃たれれば誰も耐えられない。グリフォンですら仕留めることができる。故にラントが距離を取るのは正しい。
しかしニコラウスが取った手段は逃走だった。籠めていた〈転移〉の魔法が発動する。巨大な魔法陣が地面に描かれ、パスカヴィルの猟犬たちを包み込み、予定していた場所に転移させるのだ。
「転移だとっ!?」
ラントが悔しがるがもう遅い。術式は発動した。結界も張ってある。ついてくることはできまい。ついてきたとて、そこは帝国の中心地だ。帝国の精鋭に寄って集られ、どんな達人であろうともあっと言う間に縊り殺されることは明白だ。
「今回の戦いは預けて置こう。ランツェリン・フォン・クレットガウよ。良き戦いであった。王国にもお前のような勇士が居るのだな。いつでも帝国を訪ねて来い。皇帝陛下は寛大にもきっと伯爵待遇で迎え入れてくれるであろう。帝国と王国の伯爵は規模が違う。どうだ、乗らんか」
「バカバカしい。寝言は寝て言え。負け犬がっ。尻尾を巻いて逃げていくというのか。パスカヴィルの猟犬の名が泣くぞ」
ニコラウスは最後にそう言い残すと、ラントが悪態をついてくる。口の悪い奴だと思った。だが不思議と部下を殺されたと言うのに怒りはない。これほどの好敵手が居たことにニコラウスは喜んだ。
転移の術式が完成し、帝国帝都の景色が目の前に現れた。
「くっ、四十近くの団員を失ってしまった。失態だ。皇帝陛下に合わせる顔すらない。宰相閣下にも頭を下げねばならぬ。ランツェリン・フォン・クレットガウ子爵か。覚えておくぞ。必ず俺が直接奴の首を取ってやる。ハハハハハハッ」
ニコラウスは獰猛な笑みを浮かべ、生まれて始めて出会った好敵手の首を落とす瞬間を幻視し、高く笑った。部下たちはその様子に畏れを抱いていた。
※帝国にとっては旧大帝国の版図が正式な物なのでアーガス王国では北方山脈と呼ばれている山脈は中央山脈と呼ばれています。




