106.王と女王の決戦
(ふむ、ついに王と女王が見えるな)
リリアナはラントの動きを目で追っていた。素晴らしい働きだ。アールヴの里にもあれほどの動きができるものがどれほどいようか。何せ大精霊の試練を潜り抜けているのだ。並の者ではないことがわかっていたが、その実力が目の前で証明されている。
「ふん、なかなかやるではないか。ラントよ。それでこそ我が伴侶にふさわしい。兄上などよりもよほど強い。父上さえ凌駕するかも知れぬ。それに心が強くなければどれほど力があってもこのような大乱戦に飛び込もうとは思えぬ。くくくっ、笑いが止まらぬな。精霊様もよくぞ出会わせてくれたものよ。私の三百年の人生で最も刺激的で、楽しい瞬間だ。ラント、逃さぬぞ」
リリアナは笑った。たまに近寄ってくるアラクネが居るが、弓も番えず、剣も抜かず、手刀でアラクネの命を断った。リリアナに取ってアラクネなど何の価値もない。集団になると厄介だが個体ならばクイーンすら屠って見せるとリリアナは心の中で豪語する。それだけの自信はある。ミスなく戦えば負けはないはずだ。そして当然リリアナはミスなどしない。狩りに出てミスをしたのはまだ二十やそこらの幼かった時だけだ。それも精霊が助けてくれた。風の大精霊の眷属と水の大精霊の眷属は常にリリアナを助けてくれるのだ。
「GUOOOOO」
「KISHAAAAAAAA」
ついにオーガの王とアラクネの女王が相対する。どこで調達したのか巨大な戦棍を構えるオーガの王。オーガの王の身長は五メルを超える。対してアラクネの女王の武器はその女性を模した部分の四本の腕と蜘蛛の部分の八本の足だ。更にどこからでも糸を操り、既に巣を作り上げている。当然どちらも魔法を使う。原始的な魔法ではあるが、強力な魔力を持っているのだ。単純な魔力弾一つ取っても大木がへし折れる威力だ。エルフですら本気で防がねばいけない一撃となる。
(凄まじいものだ。王と女王の戦いとはこれほどのものか)
お互いの王と女王に指揮された上位種たちがぶつかり合う。衝撃波がリリアナの所まで飛んでくる。魔力波動が凄い。リリアナですらあの二体の戦いに割って入ろうとは思わない。だが〈隠者のローブ〉を被ったラントは後ろからこっそりとオーガジェネラルやアラクネの親衛隊を間引いている。流石の胆力だ。
「これほど近くで見ると凄い迫力だな。上空で見ている人族たちも顔が青いだろう。更にブラックヴァイパーにベヒーモスたちが近づいてきている。上空からは丸見えだろう。オーガやアラクネのどちらが勝っても食い殺されるのが必定だ。くくっ、ラントはどう立ち回るのやら」
リリアナは独り言を呟きながらラントの動きを目で追う。〈強化〉していてもラントの姿はなかなか見つからない。精霊が指差し、いつの間にかそこに移動している。ラントの動きはリリアナの目さえ欺くのだ。相当だ。リリアナはラントの評価をまた一段階上げた。
オーガキングの戦棍がアラクネクイーンに喰い込む、と、思った瞬間、戦棍は糸に絡め取られ、寸前で止まった。アラクネクイーンの糸がオーガキングの首に巻き付くが切り裂けない。オーガキングは力付くでそれらを突破する。
アラクネクイーンの斬糸はオーガキングの皮膚に傷はつけているがそれはすぐに再生してしまっている。オーガキングも気にしてはいない。その程度の傷、気にしていないとばかりに戦棍を振り回す。
火の魔法を使い糸を焼く。アラクネクイーンの体も巨大な炎に巻き込まれる。だが多少火傷を負っただけのアラクネクイーンは氷の魔法を使い、オーガキングの足を凍りつかせる。炎に巻かれたなどとは感じられないほどだ。更に女体を模した部分はリリアナに負けず劣らず美しい。ただし相当の巨体だ。人型部分だけでも三メルはある。
キングとクイーンは再度激突する。魔力を持った咆哮を放ち、キングが特攻する。ここで決めるつもりだ。クイーンは縄のように太い糸を作り出し、キングを捕らえようとする。アラクネは獲物を捕らえ、ゆっくりと捕食する種族なのだ。
お互いがお互いを強敵と認め、すでに周りなど見えていない。オーガジェネラルもハイオーガもアラクネの親衛隊と戦い、傷つき、息絶えた。そしてラントがそれらに介入し、すでに全滅している。死体すらもうない。ラントは空間魔法の使い手なのだ。リリアナは確信した。空間魔法の使い手などエルフでもそうは居ない。それほど貴重なのだ。
(さぞ人の世では生きにくかろう。あれほどの力を持っていながら自身より弱い者に跪かなければならぬのが人の世だと聞いた。実際ラントは自身より弱い老人に跪いていた。アールヴの里でも同じだ。大精霊の試練を突破し、すでに老人となった長老たちは父である族長の意見すら聞かん。私ですら彼らには敬意を持って話さねばならん。真、不自由なことよ)
リリアナはラントの働きを見ながら評価する。それは最大級の賛辞であり、同情すら含まれていた。そしてラントが自身の伴侶だと言う人間、マリーに興味を持った。
◇ ◇
「ふむ、十分素材は取れたな。ハイオーガやオーガジェネラルの皮や角は希少だ。それがこれほど得られるとは幸運だったな。アラクネもか。大漁で笑いが止まらん。狩人の利と言う奴だな」
オーガの皮は鎧や盾に、鎧下にと何にでも使うことができる。更に角は煎じれば特殊な薬品になる。肝や心臓も霊薬を作る時に触媒としても使える。
更にアラクネの外皮はとても使いやすい。外分泌腺も入手することができた。錬金術で加工すればアラクネの糸を無限に生成できる。クイーンの糸となると一メルですら莫大な値がつく。白金貨が文字とおり飛んでくるだろう。
(帝国に感謝すべきか? くくくっ)
通常のアラクネの物は持っていたがクイーンは流石にない。親衛隊ですらない。それが得られた。クイーンの外分泌腺も必ず手に入れる。そしてその糸でマリーのドレスを作るのだ。アラクネクイーンの糸で作られたドレスなどどの国でも存在しないだろう。並の鎧などよりも遥かに強度が高い。マリーの安全度が飛躍的に上がるだろう。
ラントはこの氾濫を仕組んでくれた帝国に感謝したくすらなった。オーガの集落はあっても通常キングはそうそう生まれない。アラクネの女王もだ。
魔寄せ香で蠱毒を作り出し、無理やり強化されなければあれほどの個体は生まれなかっただろう。だが進化したてであり、その潜在能力に対して戦い方が単調だ。まだ自身の力に慣れきっていないのだとラントは見抜いた。
(あの程度なら俺単身でも狩れるな。まだまだ力の使い方がなっていない)
キングもクイーンも自身が最強だと疑っていないだろう。実際上位種に進化をしている。そしてその上となると大鬼皇帝と女郎蜘蛛女帝だけだ。伝説の存在であり、国すら滅びるとされる。ベヒーモスたちとも同等に戦える最強種だ。
王や女王種ですら、部下たちが生存しており戦いの経験を長く積めば、ブラックヴァイパーやベヒーモスにすら対抗できる潜在能力を持っている。単なる餌ではない。少なくとも逃げ出すことは可能だ。
対してベヒーモスとブラックヴァイパーはおそらく北と南に元々棲息する主だ。魔寄せ香に寄られたのではなく、良い餌が育ったことによって食欲で移動してきている。あれほどの魔獣たちに魔寄せ香など効くものではない。人類に操れるレベルを遥かに超えているのだ。
(もう少し様子を見るか。ベヒーモスたちの動きが緩やかになった)
だがラントは動かなかった。ブラックヴァイパーもベヒーモスも近づいてきているが非常にゆっくりだ。彼らは急ぐ必要がない。そして同じレベルの敵が居ることも既に感知している。
故に悠然と、強敵との戦いに備えて進んでいるのだ。既にオーガやアラクネの集団など頭の中から消えているだろう。樹海の北と南の王が相見える。流石のラントもそれに介入する気はない。
何せ上空にはルートヴィヒやヴィクトール、ヒューバートなどが見ている。ラントが仕留めてしまっては国から束縛を受けてしまう。国王陛下の近衛にさせられるのは目に見えている。そして今度は断り切れない。強制だ。近衛という檻に囚われ、王のご機嫌を伺う毎日になる。もしくは宮廷魔導士の副長などとして必ず紐をつけられる。そんなのはごめんだった。
◇ ◇
「凄いものじゃの。お主ら、瞬きすらせずに見よ。儂ですら見たことのない樹海の主たちの戦いじゃ」
「「「はいっ」」」
ルートヴィヒから見てもオーガ対アラクネの戦いは凄まじい物だった。樹海の縄張りの主の戦いとはかくも激しい物かと思ったものだ。流石のルートヴィヒもこんなに至近距離で主たちの決戦を見る機会などない。
余波で溢れてきた魔物たちを狩るのがルートヴィヒたちの仕事だ。故に樹海の奥で何が起きているのかは知る由もない。
だが今、目の前でその戦いが起きている。ラントの姿は見えないが暗躍していることだけはわかる。どのような魔法を使っているのかはわからない。ただ不自然に魔物の息が絶え、死体が消える。ラントの仕業であろう。
(むぅ、クレットガウ卿はもしや空間魔法の使い手か。しかも凄腕じゃろう。〈転移〉すら使えても驚かぬ。奴ならあり得る。本来ならば国に報告せねばならん事態じゃが今回は見逃してやるしかあるまい。国に縛り付けるなどと言えば必ず出奔するであろう。そしてマルグリットを連れて帝国にでも逃げられたら目も当てられん。クレットガウ卿が帝国にでも与すれば必ずアーガス王国は滅びる。エーファ王国も滅びる。大帝国の大将軍として取り立てられても全くおかしくない。そしてマルグリットはクレットガウ卿に従い、ついて行ってしまう。確信できる。そしてそれがマルグリットとの今生の別れとなる。そんな未来はごめんじゃな)
あれ程大量の魔物の死体が入る収納鞄は公爵家にすらない。王家ですらあるかどうか怪しいだろう。何せオーガもアラクネも体が大きい。その巨体が全て消えている。何百体も居たと言うのにだ。合計すれば千を超えているだろう。それが全て消えている。
ついに王と女王のみになった。王と女王は側近たちが居なくなったことなど気にせず強敵との戦いを楽しんでいる。どちらが勝っても強大な王が誕生するで死闘だ。勝った方が負けた方を食い、更に強くなる。そしてそれに対抗する手段はない。弱い人の身では強大な魔物たちには樹海の奥地でひっそりと静かに生きてくれることを祈るのみだ。
(なんと凄まじきことよ。樹海の魔物が逃げ出しておる。氾濫は必ず起こる。クレットガウ卿の言う通りじゃな。あの位置に陣地を張っていたのは正解じゃった。奴の目は確かじゃ)
王と女王の戦いは長く続いた。何十分だろうか、何時間だろうか。誰も声すら出さず、息を飲んで観戦している。グリフォンに守られていなければ恐ろしくて皆逃げ出すであろう。あの場に居て生きている人間が居るとは思えない。だがラントが死ぬとも考えられない。エルフの姫であるリリアナもだ。おそらくどこかに潜み、決定的な場面を狙っているのだ。
王と女王は雌雄を決しようとお互いが本気を出した。そうでないと勝てないと理解しているのだ。
(ここじゃな。決着がつく)
そしてその瞬間、雷閃が走った。上空からでは黄金の光が走ったようにしか見えなかった。
オーガキングの首が落ちる。アラクネクイーンの人型の部分が地面に転がる。そしてオーガキングの心臓に穴が空き、アラクネクイーンの胴体にも穴が空いている。魔核を抜き取ったのだろう。電光石火の一撃だった。
王と女王がお互いしか見えていない瞬間を狙ってラントは本気の一撃を放ったのだ。そして王と女王は雌雄を決することなく、地面に音を響かせて倒れた。近くに居れば地面が揺れていたことだろう。そしてその死体も即座に消えた。あっという間の出来事だった。誰も声さえ出さなかった。出せなかった。