105.大混戦とエリーの決意
「流石の大激戦だな」
「ふむ、これほどの大戦は樹海でもそうそう起こらぬ。阿呆な人族がやりぬ限りは普段の樹海はもっと静かな物じゃ。更に黒斑王蛇にベヒーモスか。いずれも音に聞く魔物よ。楽しみじゃな」
ついにオーガの軍団とアラクネの軍団がぶつかりあった。お互い引く気は当然ない。オーガは王の命令の元に、アラクネはクイーンの意のままに動き、森の覇権は自身たちが握ったと確信していた。
そして樹海の木々などなにするものぞと軍団同士がぶつかる。知性がある魔物と言っても大したことはない。オーガは特攻し、アラクネは糸を出して木々の間をスイスイと渡り、それを避けている。だが元は拓けた場所だ。アラクネもそうそうそんな簡単に避けて居られない。
オーガは棍棒を振り回し、アラクネは糸を操ってオーガたちを拘束して毒の牙で行動不能に陥らせている。
「俺はちょっと魔寄せ香を東側に放ってくる。多少でも氾濫が緩和されるだろう」
「あぁ、好きに動け。お、ハイオーガがアラクネにやられたぞ。だがジェネラルの反撃で何匹かのアラクネ共が吹き飛ばされている。はははっ、確かに特等席だな」
ラントはこっそりとトールに指示し、集めた魔寄せ香を東側の樹海へ移動する。そうすることに寄って狂乱した魔物たちが東側へ向かうように誘導するのだ。樹海の東側は荒野となっている。あちらに行く分には何の問題もない。
まだ戦いは始まったばかりだ。氾濫とまでは行っていない。深い層の魔物たちが恐ろしい軍団たちを見て逃げ出し始めて居るだけだ。
だがこれが波及し、深層の魔物が中層に、中層の魔物が浅層に、そして浅層の魔物が樹海から追い出される。これが氾濫だ。
おそらく深層の魔物も幾らかは森から出るだろう。何せブラックヴァイパーとベヒーモスが争うのだ。それらは公爵騎士団や第四騎士団。そしてハンターたちが狩ってくれるだろう。
(うむ、大漁だな)
戦闘が開始して一時間が経った。どちらも強力な魔物であって、なかなか決着は付かない。何せ耐久力も再生能力も高い。更に上位種がかなり混じっている。魔寄せ香で集まった深層の魔物を沢山食べたのだろう。
魔物は他の魔物の肉や魔核を食べることで成長する。さらに魔力の強い魔力溜まりと言う場所にいるだけで強くなる。霊穴や竜穴などと呼ばれる場所だ。
大樹海には十数か所そういう場所がある。そして取り合いになり、勝った者が勝者となり、その地を得る。それが縄張りの主だ。
そしてラントはこっそりとその死体や魔核を奪っていた。空間魔法が大活躍だ。
上位種オーガやアラクネの素材など探してもなかなか得られる物ではない。この戦いで傷ついた個体は積極的に狩り、どちらの陣営も有利にならないように立ち回っている。常にアラクネの糸やオーガの棍棒、それに魔力の籠もった咆哮などが飛び交う中をラントは縫い潜るように高速で移動して戦況をコントロールしていった。細い糸の上を綱渡りするようなものだが、戦場を走るのとそう変わりはない。ラントに取っては日常だった。
(リリアナは……大人しく見ているな)
ラントはリリアナが静かにしているのを確認してホッとする。オーガもアラクネたちも目の前の敵しか見えていない。故にラントたちは見つけられなかった。
リリアナたちが住まう里はもう少し北側にあると言う。やはり北方山脈に近い方が地脈の力が強いのだろう。
そしてその一番良い場所に精霊樹が在る。遠目で見たことがあるが百メルは超えるのではないかと言う大木だ。エルフたちが守っているので近寄ることすらできない。ラントですらエルフの里に踏み入るなど無謀だ。そんなことはする気すら起きなかった。
◇ ◇
「何をしているのでしょう。全く見えませんね」
「だが不自然に死ぬ個体が見られる。更に死体も消えている。つまりクレットガウ卿が何かしていると言うことだ」
ヒューバートはヴィクトールの質問に答えた。上空から見ているとよく理解る。ラントはあの大乱戦の中、どうやってか生き延びてなにかしているのだ。ただ何をしているのかは全くわからなかった。
「上から見ていればわかろう。あれは戦況をコントロールしているのじゃ。オーガにもアラクネにも決定的に有利にならぬよう、こっそり間引きしておる。故にオーガたちもアラクネたちも互角の戦いを行っておる。ほれ、将軍種が出てきたぞ。アラクネからも親衛隊が出てきた。痺れを切らしたのであろう。じゃがクレットガウ子爵の姿は確かに見えぬな。光魔法か何かで姿を隠しておるのじゃろう」
ランベルク公爵が説明するようにヴィクトールたちの疑問に答えた。
流石だ。東の大樹海を長い事見張り、幾度もの氾濫を解決し、更に先の大戦まで経験している公爵閣下である。まだ若いヒューバートやヴィクトールとは視点が違う。
ラントがどうやっているのかはわからないらしいが、何を目的にしているかはわかると言う。なるほど、言われてみればそう見えなくもない。ヴィクトールは魔導では俊英と呼ばれていたが戦術眼まではまだ養えていなかった。
「ほら、あそこの死体が消えただろう。それにあちらの弱っている個体が心臓を抉られて死体が消滅した。つまりクレットガウ卿が横槍を入れたのだ。アラクネたちを、オーガたちをこれ以上強化しないようにご丁寧に魔核まで抜いているぞ。よく見てみろ」
ヒューバートが解説してくれる。そう言われてみると確かに不自然に消えている死体や、戦いに夢中になっていて突然息絶える個体が居るのがわかる。そしてそれはオーガ陣営もアラクネ陣営も同じだ。拮抗している。
「まさかあの中に飛び込んで戦況を読み、コントロールしていると言うのですか!?」
「信じられんがそうとしか考えられん。少なくとも俺にはできぬ。他の騎士団長たちですらもできぬだろう。暗い樹海の中あれほどの数のアラクネの糸など見えはしない。必ず引っかかる。オーガの咆哮も魔力の籠もった範囲攻撃だ。その戦場を縦横無尽に駆け回り、地上から戦況を把握し、狙った個体をしっかりと仕留め、更に死体まで回収しているのだ。神業だな。人の業とは思えぬ。俺はクレットガウ卿が神の使徒だとしても驚かんぞ」
ヒューバートがランベルト公爵に説明され、理解を深めたようでヴィクトールに丁寧に説明してくれている。そして驚愕の表情で戦場を見つめている。
単純なオーガやアラクネの死体はもうほぼ残っていない。オーガは将軍種が出張り、アラクネはクイーンを守る親衛隊たちが前にでる。そしてハイオーガやハイアラクネたちがそれぞれ率いられている。千を越えた軍団はすでに二百近くまで減っており、その戦場は相当荒れているが驚くほど死体がない。どうやって回収したのだろうか。大型の収納鞄でも持っているのだろうか。
それにしても例え大型でも一つの収納鞄で入る量ではない。そして大型の収納鞄は王族を除けば騎士団長、宮廷魔導士長などにしか貸し出されない。余程の事がなければ持つ物もいないだろう。
だが公爵閣下なら持っているだろう。独立戦争の三百年前から忠義を尽くしてきた公爵家だ。持っていないと考える方が不思議だ。四大公爵家、そして八侯爵家は少なくとも一つは持っていておかしくない。独立戦争時にそれだけの活躍をしたのだ。
◇ ◇
「はぁ、ラントはやはり最高の男だったわね。色々な魔導士や魔法士の話を聞きましたが、ラントのやり方が最も効率的な様です」
「そうでしたね。私もラント様は乱暴な方だと思っていましたが必要十分な魔法具を与えてくれています。これで練習すればマルグリットお嬢様は本当に魔法士や魔導士の資格すら取れるようになるでしょう」
マリーは公爵城の守りを任された魔導士や魔法士、騎士たちなどに魔法のことを聞いて回ったが、結局はラントに言われた修練方法が最も良いと結論付けた。ラントはマリーに合った方法をきちんと指示してくれていたのだ。
「エリー、貴女だって頑張っているじゃない。魔法士くらいにはなれるのではなくて」
「そうですね、攻撃魔法も幾つか覚えました。後は実戦でしょう。実戦で使えなければいくら的に当たっても意味がありません。実戦では身体強化、それに相手も動きます。攻撃を避け、更に隙を見つけて魔法を詠唱せねばなりません。ただ単純に強い魔法が放てる、それだけではいけませんね」
マリーは憂鬱そうにため息を吐いた。だがその所作すら美しく、侍女たちが見惚れている。
「流石に実戦は許可されないわ。ですが対魔物戦術の本や対人戦術などの本を読みましょう。公爵城には多くの戦術書が置いてあるわ。魔導書も魔法書もあります。読み放題ですよ。王宮図書館には負けるでしょうが、蔵書量はこの国でもトップクラスです。今のうちに色々と吸収しておきましょう。この世の中、何があるかわかりません。公爵家の姫とおだてられていても命は一つしかないのです。あの時のように散らされる寸前まで行くかも知れません。私はあの旅の間、ラントの言葉によれば五回も命を失いかねませんでした」
「そうですね、私もマルグリットお嬢様の盾と成れるよう、短剣術を磨いておきます。騎士たちに教えを請いましょう。マルグリットお嬢様の為と言えば騎士たちも頷くことでしょう」
「お話している所失礼致します。侍女たちにも戦闘術を修めている者たちがいます。乱暴な騎士たちではなく、そのような侍女たちの護身術や戦闘術を磨くのは如何でしょうか。エリー様」
侍女がマリーたちの会話を聞いていて口を出してくる。なるほど、侍女たちも最悪女主人の盾にならなくてはならない。貴族院でも護身術の授業はあった。それを修めている侍女がいるのであれば彼女たちに教えを請うのも良いだろう。
「エリー、頼みますわよ」
「わかりました。短い間では付け焼き刃にしかなりませんでしょうが、基礎だけは修めて見せましょう。王都の公爵邸にもそのような侍女や執事は居るはずです。帰ったら彼らにも教えを請いましょう。二度とマルグリットお嬢様のお命が危ない目などには合わせません」
エリーは本気の目でマリーに宣言した。エリーもやると言ったらやる子だ。男爵家の娘だと言うのに教養や所作は伯爵令嬢並の物を修めている。護身術や逃走術、逃げ出した際の食べられる野草や木の実、食べられる魔物の解体の仕方から料理の仕方まで覚えてくると張り切っている。
こういう時はエリーに任せてしまったほうが良い。何せ男爵家の出でマリーの専属侍女の座を勝ち取った猛者なのだ。エリーは凄いのだ。常に努力を怠らない。マリーはそれをよく知っていた。