夫がハーフパンツに穴を開けていた。
その日、夫は帰宅するなり「ミシンって何処だっけ?」と、聞いてきた。
私は「はあ?」と、返したが、夫は気にも止めず押し入れを開け始めたので慌てて止めた。
「こっち!」
反対側からミシンを出し、乱暴に突き出す。
どうせすぐに飽きるくせに凝り性なので、面倒ったらありゃしないのがこの人の悪いところだ。
翌日、夫が出かけた後、書斎から穴の開いたハーフパンツが見つかった。股の部分に丸く、穴が開いており、その縁をミシンで補強が施されていた。
私はカレンダーを見た。今日は金曜日。
そうか、これはきっと私に履かせてどうこうするための物であろう。あの人にそんな趣味があったのかと思うと少しばかりなんとも言えぬ感情が芽生えた。これを出された瞬間、私はどう反応すれば良いものか……とても困った。
夕方、夫が涼しい顔で帰宅した。
きっと一日中あのハーフパンツの事を考えていたと思うと軽蔑の心情すら芽生えそうだった。
私はその晩にニンニクたっぷりの味噌ラーメンを出した。ニンニク臭いまま行為に及ぶ程、私は野蛮ではありません。そんな意味を込めている。
夫は普通にそれを食べ、普通に寝室へと向かった。
味噌ラーメンが功を奏し、その夜は何事も無く寝ることが出来た。
翌朝、夫がハーフパンツを履いていた。
あのハーフパンツだ。
正確に申し上げると、ハーフパンツしか履いていないのだ。
上半身は何も着ておらず、ハーフパンツのみ。靴下も着用していない。
私は焦った。まさか、自分用だったとは……。
しかし、そんな異常なる光景の中で、私はある事が気になった。股の部分に開けた穴が見当たらなかったのだ。
「おはよう」
夫はいつも通りの挨拶で朝を迎えようとしやがった。
私が「どういうこと!?」と、尋ねる前に、新たなる衝撃に襲われた。
なんと、夫のお尻にダイナマイトが刺さっていたのだ。
私は絶句した。
「今日は出掛けないで家に居るよ」
夫はモーニングコーヒーを準備しながら、そう言った。言いやがった。
なんという事であろう。
夫が開けた穴はダイナマイトを通す為だけの穴だったとは……!!
もしかして、私が昨夜拒否感を露わにしたから、いっそ自分でと凶行に及んだと言うのだろうか!?
私の小さな脳みそでは、今の夫の心情を理解出来る筈もなく、ただただ焼いていた目玉焼きが焦げてゆくばかりであった。
朝食はいつもより静かで、重い空気が流れていた。
いや、正確には私だけが重い空気を流しているのであろう。夫は軽快に焦げきった目玉焼きをバリバリと食べている。立ちながら……。
と、キッキンの小窓にペットボトルが置いてある事に気が付いた。昨日までは無かったはずだが。
見ればそれはラベルが剥がされ水が入れられたボトルであり、朝日に照らされキラキラと輝いていた。
猫よけを置いた覚えはないが、とすればコレは夫が置いた物であろう。
横目で夫を見るがどうしても揺れるダイナマイトに目が行ってしまう。
「──!?」
と、私はすぐに異常な事に気が付いた!
(既に全てが異常ではあるが、更なる異常の登場である)
なんと、ペットボトルで集約された朝日が夫のお尻に刺さったダイナマイトの導火線に向かっていたのだ!
これではいつか光による熱で発火してしまう!
私はすぐにペットボトルを取った。
「どうかした?」
「い、いえ……」
夫はそのまま朝食を食べ終えると、書斎へと戻っていった。
「……ふぅ」
私は朝食を片付けながら、現状を整理する事にした。
・夫のお尻にはダイナマイトが刺さっている。
残念ながら今分かる事はこれしか無かった。
仕方ないので、中学の友人に連絡を取ってみた。
『夫がダイナマイトをお尻に刺しているんだけど、どうしたらいい?』
しかし、1時間経っても返信は無かった。
もう一度連絡しようとして【sati1919さんにブロックされています】の表示が出たところで、私はお気に入りのチョコのパイを食べる事にした。どうやらキ☆ガイだと思われたか迷惑メールと思われたらしい。確かに連絡をするのは5年ぶりだが……なんとも世知辛い世の中になったものだ。
昼、夫の様子を見るために、サンドイッチを作って部屋へと向かった。
──コンコン
「どうぞ」
私はそっとドアを開けた。
書斎の窓には水の入ったペットボトルがいくつか置いてあった。案の定、陽の光が夫のお尻の方へと集まっている。
「お昼をどうぞ」
「ありがとう」
未だにハーフパンツ1枚の夫に目を合わせず、サンドイッチを渡した。そしてペットボトルを回収した。
と、ペットボトルのすぐ隣に、ある凶器が置いてある事に気が付いた。
虫眼鏡だ。
虫眼鏡はペットボトルより遥かに凶悪で、その集約力は計り知れない。
事実、昔に祖父が虫眼鏡を使って新聞紙に火を点けていた事を覚えている。
その後にイタズラで一万円札の人物に虫眼鏡を向けて遊んでいたら祖父にゲンコツを食らったのはいい思い出だ。
(その隣で、クワガタに虫眼鏡をあてていた弟が何のお咎めもないのは、今でも不公平だと思っている)
虫眼鏡はただ置いてあるだけであり、なんてことは無い普通の虫眼鏡だ。
ただ、それで光を集めれば、すぐに夫のお尻に刺さったダイナマイトに火が点くであろう。それ程に今日は良い天気出会った。
「どうかした?」
「い、いえ……いい天気だな、って」
「そう……だね」
夫はそのまま私に背を向けサンドイッチを食べながら何やら仕事を始めた。
背もたれの無いタイプの椅子だった為、座りながらでも大丈夫なのだろうが、何かある度に僅かに揺れるダイナマイトに妙な苛立ちを覚えた。いっその事、虫眼鏡で火を点けてやろうかと……そう思った所で私は正気に戻った。これは、夫が仕組んだ事ではないのだろうか、と。
キッチンで自分用のうどんをすすりながら、現状の整理をすることにした。
・夫のお尻にはダイナマイトが刺さっている。
・夫は火を点けようとしている。←NEW
もしかしたら、夫は自殺をしようとしているのではないのだろうか?
何か仕事で辛いことがあったのだろうか?
いくら悩んでもその答えは出なかった。
ただ、このままではいつか夫のお尻のダイナマイトに火が着いてしまう。それだけは確かだった……。
そうだ、夕ご飯は夫の好きなすき焼き鍋にしよう。
──コンコン。
「どうぞ」
「買い物に出掛けて来ます。夕ご飯はすき焼き鍋にしますから」
「……分かった」
私は急いで支度をした。
「なんてこと! すっかり裏のオバサンと話し込んでしまったわ……!!」
己の過ちに悔いても悔いきれず、帰宅する頃にはすっかり辺りは日が落ちていた。
「只今戻りました!」
夫からは返事がない。
素早くすき焼き鍋の支度に取り掛かる。
その間に浴槽にお湯を張り、書斎に居る夫へと声をかけた。
──コンコン。
「どうぞ」
「遅くなりました。お風呂の支度が出来ましたから、お先にどうぞ」
「はい」
すぐにキッチンへ戻り夕ご飯の支度に全力を注ぐ。
と、夫が相変わらずのハーフパンツ1枚で通っていった。
お尻のダイナマイトは、何故か長くなっていた。
「──!?」
1メートルは超えるであろう、ロングなダイナマイトが、夫の歩行に合わせて左右に揺れる。
まさか……元々は長い状態で、今朝は収納?格納?していたのだろうか……いや、冷静に考えれば二本目。そう、二本目と考えるのが妥当。正当。必然的だと私は思う。
ただ、私の外出中に付け替えたとした場合、その光景は間違いなく想像したくはないし、結果的に見れば四十を超えたオッサンが休みの日にお尻にダイナマイトを入れている事自体が妥当では無いし、正当性の欠片も無いし、何が必然的なのかは誰しもが理解に苦しむ筈だ。本人にしか分からない。むしろ本人すらも分からないと願いたい。
しかし私は、その異常なる光景に絶句し、ついに言葉をかけることが出来なかった。
早くすき焼き鍋で元気になって貰わねば……!!
私は焦りから正常な思考が出来なくなっていた。
ただ単純に、お風呂に入っている隙にダイナマイトを捨ててしまえば良いのだと……!!
流石にお風呂へ持っていっては濡れてしまう。流石に濡れてしまうお風呂場へダイナマイトを持ち歩く人は居るはずがない。ましてやお尻に入れたままにして……!!
それに気が付いた時には、夫はお風呂から上がってしまっていた。私は、絶好の機会を失ったのだ。最悪だ。
「いい匂いだね」
「……ええ」
バスタオルで頭を拭きながら歩く夫はハーフパンツ1枚に長いダイナマイト。相変わらずの出で立ちだ。
「待った、あなた──!」
ついに私は声をかけた。
夫の異常なる行動もこれまでだ。
「そのハーフパンツ……さっきまで着ていたのと同じじゃないの!?」
「ああ、二着あるんだ。ちゃんと古いのは洗濯に出したよ」
「そう……ならいいわ」
私は煮えた鍋をキッチンミトンで掴み、ダイニングのテーブルへと置いた。
「いただきます」
夫は立ちながらすき焼き鍋を食べ始めた。
何とかしなければ。
私の中に焦りが沸き立ち溢れそうになっていた。
「あ、あなた……!」
「ん?」
「お酒はどう? 久しぶりに熱燗でも」
「いいね」
長いダイナマイトを揺さぶりながら、夫は笑顔でこたえた。
酒で酔わせてダイナマイトを回収しよう。
引っこ抜くとか、そう言った具体的な場面はくれぐれも想像せずに、ただ淡々と熱燗を点けた。
後ろから野球中継の音が聞こえてきた。
立って食べながら野球を観る夫。そしてそのお尻がテレビとは反対に──私の方へと向けられた。
極めて接近するダイナマイト。
私はコンロで熱燗を点けている。
ダイナマイトの導火線はコンロに極めて近い位置で揺れている。
今にも火が着きそうな程に……。
──ジジッ。
「──!?!?!?!?」
「──!?」
私は慌てて包丁で導火線の先を切った!
燃えた導火線をシンクへと投げ込む。
「ふぅ……」
「どうかした?」
「いえ……」
夫の視線はすぐにテレビへと戻された。
私はコンロを消して熱燗を夫へと運んだ。
夕飯を片付け終わると、些か冷静な思考が戻ってきたので、先程の事を振り返っていた。
あの時……夫が驚いた様な気がした。
もしかしたら、夫はダイナマイトに火が着くことを本意としてはいないのではなかろうか?
湯船に浸かりながら、現状について整理をすることにした。
・夫のお尻にはダイナマイトが刺さっている。
・夫は火を点けようとしている。←?
・長いダイナマイト。←NEW
・ハーフパンツは二着。←NEW
お風呂から上がり、頭を乾かしながら、明日からどうするべきか、そればかり考えた。
いや、その前に片付けなくてはならない。
寝入った夫のお尻からダイナマイトを引き抜かなくてはならない。
私は頃合いを見計らい、夫の寝る寝室へと向かった。
夫はダイナマイトを刺したまま高いびきで眠っていた。寝返りとかその辺はどうなのかを心配する前に、引っこ抜く。それだけだ。
だが、私の計画をぶち壊す存在が目に入った。
照明の紐にぶら下がった短い方のダイナマイトだ。
そのダイナマイトには棘の様な、所謂『返し』がビッシリと付いており、無闇矢鱈に引っこ抜けば大惨事が容易に想像出来る代物だった。
私は恐ろしくなった。
長い方のダイナマイトを抜けば、夫は死ぬ。
私は自分の寝室へと向かい。成す術の無い愚かな自分に負け、思考を止めて目を閉じてしまった。
気疲れからか、私はすぐに眠りに入ってしまい、朝まで起きる事がなかった。
翌朝。私はいつもより遅い時間に目が覚めた。
「……やだ、もう八時じゃない」
慌てて飛び起き書斎へと向かった。
──コンコン。
「あなたすみません。これから朝ご飯作りますね」
が、夫からの返事は無かった。
私は不安になると同時に、床に一本のマッチ棒が落ちている事に気が付いた。
「……?」
屈んでマッチ棒を拾うと、目の前の扉の縁の所にガムテープがはみ出しているのが見えた。
マッチ棒にガムテープ。間違いなく夫の工作だ。
「……」
流石に一般主婦の脳みそでも、それの意味はすぐに理解出来た。
書斎の扉は中に向かって開く仕組みであり、きっと扉の縁にはマッチ棒がガムテープで留められていて、開けるとマッチ棒に火が着いて待ち構えている夫のお尻のダイナマイトに火が点く算段なのだろう。なんとも手の込んだ犯行である。
しかし昨日、実際に火が点くと夫は驚いた素振りを見せた様な気がした。
もしかしたら、夫は着火をチラつかせて私をからかって遊んでいるだけかもしれない。
……火を点けてやろう。
そうだ。
火を点けて驚かせてやろう!
勢い良くドアを開ければ簡単に火が点く。
私はドアを開けただけ。
万が一火が着いた時の為にハサミも持っておこう。
これで夫も馬鹿な真似を止めてくれるに違いない。初めからそうしていれば良かったのだ。
「あなた〜♪」
私は勢い良くドアを開け放った。