10 偽装婚約の契約⑤
このパーティーに一番乗りで到着したのは、ウトマン侯爵家の人たちだ。
レオナールがアネット侯爵令嬢の来場に気づき、キラキラしいスマイルを見せた。
「今日はよく来てくれましたね」
「先日は我が家のパーティーにお越しいただき、感謝申し上げます。今日はレオナール様のご婚約の発表があると噂されておりますが、お相手は、お隣にいらっしゃる……」
どなた? と私の顔を見て訝しむ。
私は有名人であるアネット侯爵令嬢をよく存じ上げている。
おそらく彼女も、温泉王を目指す阿保な兄の妹、として有名な私のことは、知っているはずだ。
だが、これまで顔を知っていても、自己紹介なんぞしたことのない間柄だ。
「ええ、彼女が最愛の婚約者であるエメリーヌです。今後、仲良くしてあげてください」
「レオナール様にそのように願われましたら、もちろんですわ。お初にお目にかかります、ウトマン侯爵家のアネットです」
アネット侯爵令嬢が、天使のような笑顔を見せた。
「エメリーヌ・トルイユでございます」
さして付け足す言葉も見つからず、名前だけ告げた。
「それでは、パーティーを存分に楽しんでいってください」
思ったとおり、レオナールも当たり障りのない会話で、この場を終わらせようとしている。
けれど、アネット侯爵令嬢が、この場に爆弾を投げ込んだ。
「お二人はどうして急に婚約をなさったのですか?」
「ははっ、どうしてそんなことを仰るのか分かりませんが、もちろん、俺が彼女を愛しているからですよ」
「今まで、レオナール様とエメリーヌ様に、そんな素振りはございませんでしたでしょう」
「周囲に隠していただけですよ」
「それは、どうしてでしょうか?」
上目遣いのアネット嬢が言った。
「俺の想い人だと世間に知られると、エメリーが注目を浴びるからね。彼女はそういうのを嫌がっていたから隠していたが、そろそろ公表する時期だと思ったからですよ」
よどみなく言い切った。
おっ! これは予想外だ。
馬車の中で予行練習していた演技が、案外、板に付いているではないか。
そう感心していれば、一歩も引かないアネット侯爵令嬢が、悪びれる様子もなく、とんでもない話をぶっ込んできた。
「わたくしは我が家のコネを使って、各方面の情報を探っていたので、レオナール様がトルイユ子爵家にドレスを贈ったのは存じておりましたが……」
「あはは、そうでしたか。今日のドレスは、彼女を想って随分と前から手配していましたからね」
「ですがお二人は先日まで、いつも喧嘩ばかりなさっていたと報告書に書いておりましたわ」
あらまぁ、レオナールも可哀そうに。
彼が日々狙われていたのは、プロの仕事あってのことかと同情の眼差しを向ける。
「あはは、喧嘩するほどエメリーと仲がいいもので、そう思われているのでしょう」
彼が同意を求めて私を見てくるため「ええ、そうね」と頷いておく。
「そうでしょうか? この会場に入って来たときのレオナール様の顔色が、あまりにも優れない様子でしたけど……。レオナール様は何か無理をなさっているのではございませんか?」
「はは、さすがアネット嬢ですね。誤魔化していたつもりですが、気づかれてしまいましたか」
「やはり、この婚約発表は偽──」
「僕の婚約について、先に新聞に情報を載せたので、周囲が騒がしくて……。毎日寝不足だったんですよ」
「そうでございます……か?」
綱渡りの会話をアネット侯爵令嬢と繰り広げている最中も、会場に到着した貴族たちの名前が次々とアナウンスされている。
彼女の弟に「これ以上は失礼だから」と諭され、アネット侯爵令嬢は目の前から消えた。
私は婚約者ではないから、本来、恨まれる筋合いもない。
それでも何かを勘ぐっている彼女には、近づかないでおこう。
本当の婚約者だと勘違いされてしまえば、プロの諜報員を送られるかもしれないもの。
そうこうしていれば、今度はレオナールの妹であるアリアが、私たちに笑顔を見せている。
その妹に吸い寄せられるように、レオナールが動き出すため彼に従う。
この男……。自分の家族にまで私を紹介するようだと思う私は、偽装婚約を拡散するのに余念のない彼と並んで、彼の妹と対面する。
「アリアへ紹介するよ。俺の婚約者のエメリーヌだ」
紹介を受けた私は、姿勢を正す。
「トルイユ子爵家が娘のエメリーヌです」
「お兄様もエメリーヌ様も水臭いですわ。わざわざ紹介されなくても、エメリーヌ様のことは存じておりますよ」
「光栄ですわ」
「公爵家のことで不安や疑問があれば、わたくしに何でも聞いてくださいまし」
そう言ったアリアは、愛らしい笑顔をレオナールに見せた。
だがアリアは私に顔の向きを変えた瞬間、眉間に皺を刻み、しかめ面に変わる。
彼と釣り合いのとれない私を婚約者にしても、全く気にしていないのは、この場でレオナールだけだ。
「エメリー良かったね。アリアは優しいからラングラン公爵家のルールやしきたりを丁寧に教えてくれるはずだ。これでいつ我が家へ嫁いできても、困ることはないな」
「おほほ、それは嬉しいことですわ」
「アリアとはいつでも話せるからな。今度ゆっくり別の会を設けよう」
そう言ったレオナールが、アリアから距離をおいたため、ふぅ~と、一息つく。
私の横にいるレオナールは、全く気にする素振りはないけれど、あの妹は、私とレオナールの婚約を完全に拒絶しているだろう。まあ、それが正常の反応だと思うけど。
◇◇◇