負けの女王
とにかく不運な私のエッセイです……。かなぴぃ!!笑
※藤谷 K介(武 頼庵)様の『24夏のエッセイ祭り』の参加作品です!とても楽しい企画をありがとうございました!( ; ; )
私は、とにかく運が悪い。同じ人間でもこんなに差が出るんだと思ってしまうほど運が悪い。
まず、じゃんけんが物凄く弱い。
「負けた人が、これやってね」と言われたときは、負ける。
「勝った人が、これやってね」と言われたときは、勝つ。
「じゃあ、公平にじゃんけんで決めよう!」と言う人がよくいるが、私の中ではじゃんけんは、全く公平ではない。しかも、やりたくない仕事をじゃんけんで決めるときに限って、かなりの確率で当たる。
小学校の時、昼休みにクラス全員で陣取りゲームをすることになった。机と机の間を通り、相手とぶつかった時にじゃんけんをして、負けたら戻り、勝ったら先に進めて自分の陣地を増やせる、というようなルールである。
私の番が回ってきて、意気揚々とじゃんけんをすると、安定に負けて、とぼとぼと自分の陣地に戻る。これが3回ぐらい続き、ついには『負けの女王』というあだ名がついてしまった。
同じような原理で、あっち向いてホイも弱い。大体の勝負が、一回のターンで終わる。じゃんけんも弱いので、一ターンもせずに終わることもある。
鈍くさい私には、相手の指さす方向を瞬時に見極める、という技を繰り出すことは不可能だ。同じ人とやるわけでもないので、私がよく向いてしまう方向を分かっていて、負けさせるということも出来ないはずなのにである。おかしい。
また、歩道で道をうまく譲れない。細い道で反対方向に歩いてきた人に道を譲ろうと、その人の前で左に避けようとする。すると、その人も、私と同じ方向に避けてくれる。少し気まずい空気の中、会釈でその場を去る。
しかし、私は一回では終わらない。私が右に避けると、相手も右に避けてくれる。私が動かなければいいんだ、と思い、私が避けたまま動かないでいると、相手も動かないでいてくれる。三回目ぐらいでやっと、この気まずさから脱却できる。
今まで、それで何回、人にぶつかったことがあるだろうか。一番怖いのが、自転車とそうなった時だ。回数は少ないが、なったことはある。毎回毎回、気まずさと申し訳なさで押しつぶられそうになる。
運も悪いが、本番にも弱かった。思い出す限りの一番古い記憶は、幼稚園の年長の時。
夏祭りというイベントがあって、四人しか選ばれない、やぐらの上に乗って小太鼓を叩くという大役があった。なぜ私が選ばれたのか分からないが、選ばれた。精鋭に選ばれた、ということで凄く楽しみにしていたし、夏祭りというイベント自体が楽しみだった。
しかし、当日になって、四十度越えの高熱が出た。おそらくインフルエンザだったと思う。幼稚園の年長で四十度越えの高熱が出たら死ぬのでは?と今は思うのだが、大丈夫だった。
空いた枠は、同じマンションに住んでいた幼馴染に埋めてもらったらしい。
また、小学校の遠足はすべて雨だった。しかも、延期にならない程度の雨だった。いっそ、大雨でも降って延期になればよかったのに。
小学校の修学旅行も、雨。旅行先の日光の華厳の滝は、雨が降っていて、どれが滝なのか分からないほどだった。
出発前は小雨だったが、日光に着いた瞬間に、大雨になった。まるで、神様が私たちが日光に着いた瞬間に、バケツをひっくり返している角度を変えたかのように。また、一学年の傘が大集合しているわけなので、歩きにくいにも程があった。私が低身長だったのがいけなかったのだろうか、傘のとんがっている部分がびしびし当たった。痛かったし、濡れた。
中学校の修学旅行は、雨は降らなかったが、猛暑だった。三十度後半ほどの気温だった気がする。私たちが行った京都は、盆地になっていて、ただでさえ暑さが集まりやすいのだ。 多分、私たちの中学校だけで、京都中のスポーツドリンクを根こそぎ飲んだ、と言っても過言では無いほど暑かった。その甲斐あってか、熱中症で倒れた人はいなかったらしい。
まだまだエピソードはあるが、あまりにも自分がかわいそうに思えてきた。他の人から見ると、私が不運な人生を歩んでいる、と思っているかもしれない。でも、私は、
(もう、そういう運命なんだ。そういう星のもとに生まれたんだ)
と思い込むようにしている。そうすると、ある程度のことは我慢できるようになってくる。
読んでくださり、ありがとうございました!!
また個人の方で別のエピソードのエッセイをあげようと思います笑