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夕影の機

作者: 優一

 南の壁は、四角く切り取られている。その穴に填め込まれたガラスに、指紋はない。

 三十四の机が整列し、沈黙している。

 北の壁の両端に二つの枠が取り付けられている。スライド式の出入り口である。

 南の壁の穴からは西日が差し込んでいる。

 壁際に置かれた水槽が、机に影を落とす。影の中を金魚が泳いでいる。



 北の壁に、少女の影がはり付いている。

 髪を揺らしたり、手を掲げたりしているが、激しい動きではない。


 東の壁にも、影がある。

 少女のものより小さく、骨張っている。肩より下は静止したまま、時折首を傾けて元に戻す。


 北の壁の少女が四角い影を取り出し、東へと伸ばす。

 東の壁の影はけだるそうに頭部を動かし、僅かな間ののち、移動する。


 二つの影が接近し、机一つ分の間隔を空けて向かい合う。




「これが、わたしのオリジナル。」


 か細い声。

 壁に映る身長から算出される年齢よりも、大人びている。

 その声は子守唄のように優しく空間に浸透していく。しかし、怯えの色もまた確かに存在していた。


 けだるそうな影が、やや乱暴に四角を受け取る。

 紙の擦れる音がして、四角は四倍の大きさになる。

 沈黙。


 少女の影は居心地が悪そうにうつむく。

 四角を持った影は、もう一つ、自身のポケットから同じ比率の長方形を取り出す。

 広げると、それはちょうど漢字練習帳と同じ大きさになる。




「確かに、おれのとはちがう。」

 影はメゾソプラノの声をしている。


「うん。」

 少女の影は消え入りそうな声で、更にうつむいた。


「おれのとこに届いたほうのが、稚拙だ。」

「え、」

「きみのオリジナルのほうが出来がいいってこと。」


 二つの四角のうち、一方が差し出される。

 少女の影は、それを受け取る。紙の擦れる音がする。


「当然か、出回ってるのはコピーなんだから。」


 メゾソプラノの影は、再び東の壁に移動する。


 東の壁には木製のロッカーが端まで並んでいる。その一つ一つを西日が照らしている。

 ロッカーの上には黒板がある。その中に引かれた白い枠の中に、国語、体育などの文字が書き付けられている。

「読み終わった、」

 黒板の左に立つ影が投げ掛けた問いに、少女の影が頷く。

 長い髪が滑らかな波をつくる。



「どう思う、それ。」

「わたし、こんなの書いてない。」

「みんな言ってるよ。きみが発信源だって。」

「誰がそんなこと……。」

「誰でもいいんだよ。いつも一人でおとなしくしてる子なら、そんな手紙を書いてもおかしくないだろ。……という憶測を一人が口に出せば噂になるのは早い。現に、きみは手紙を書いてる。」


 少女の影が激しく頭部を揺らした。


「書いただけよ。誰かに出そうなんて思ってない。」


 西日の角度が変わる。

 影が壁に焼き付く。

 少女の影が手にしている四角の本体が、輪郭をよりはっきりと映し出す。

「これは幸福の手紙です」という陳腐な一文が見える。


 不意に、チャイムが響く。

 少女の影がびくりと肩を上げる。


「誤作動だよ。半端すぎる。」


 西の壁の中央上部に取り付けられた時計は、四時四十三分を示している。



「手紙を出した犯人を探してるの、」

 少女の影が恐る恐る尋ねる。

 西日の中に舞う埃に紛れてしまいそうな声である。


「ちがうよ。」

 メゾソプラノが厳しい声色を放つ。けだるさは消え失せ、背筋は天井へ伸びている。


 何かが西日を反射し、少女の視界を一瞬赤く染めた。それは目の前の人物が手にしている四角か、それともこちらを見据えたまま動かない瞳か、後者であれば良いと、彼女は目を伏せた。

 足の指の感覚がなくなっている。


 メゾソプラノは無機質に四角を示す。


「この手紙を回し始めたのは五年生だ。大元のやつらはすっかり熱も冷めて、まさか六年の方で大騒ぎになってるなんて思ってもいないよ。」


 一息で云い終えると、空いている手で、また一つ四角を取り出す。


 少女の影が手元の四角を持ち直す。

「それも……コピーなの、」


 北の壁に一つ、東の壁に二つ、四角い影が沈黙している。


「ちがうよ。これはオリジナル。おれがつくったんだ。」

 東の壁の影が移動する。


 少女の影は、びくりと肩を上げたまま固まった。

 逃げようとしてそれができないでいる。その手の中にあるコピーの四角がくしゃりと潰れる。

 少女の影の前に、二つのオリジナルが突き出される。


「きみは、自分が発信源だと噂を流したね。」

 影のメゾソプラノはアルトになっている。


 少女の影は依然硬直したままだ。


「噂を流してしばらくは白い目で見られる、でもそれはいつも一人でいるきみにとって、問題じゃない。むしろ、こんな手紙を回すなんて結構怖いことを考えてるんだなこの子、と思われることのほうが重要だ。」


 少女の影は二つの四角を見比べている。

 自身が作成したオリジナルと、目の前のアルトが作成したオリジナルである。


 少女の影は頭部をようやく動かした。アルトを見る。


 二つのオリジナルは、とてもよく似ている。


「きみを快く思っていない女の子、そうだな、今田とか澤井とか鈴木とかが、明日あたりにきみを探りに来るだろう。そのとき、出回ってるコピーよりずっと凄惨な内容のオリジナルが見付かれば、きみの計画は成功。みんながきみに一目置くようになる。」


 読み終わった、とアルトが尋ねる。

 少女の影が身を翻す。

 アルトの影がそれに絡み付き、机に縫い付ける。


「おれの推理、たぶん間違ってないよね。」


 だとしたら逃げようとしないよね。




 西日が少女の影を追い払う。


 その顔はこわばっている。

 そして、僅かに上気している。


 二つの視線はしっかりと交わっている。

 少女がか細い声を出す。


「あなたも……わたしと同じ計画をたててたの、」


 その瞳は艶っぽく濡れている。

 押さえ付けられた肩に少女の意識はある。

 心臓の音がそこから伝わっていきそうである。


 相手の顔が三十センチ前にある。



 台無しだよ。

 アルトの影は手にしていた二つの四角のうち、一つを少女に示した。


「おれのオリジナル。でも、おれのじゃない。作ったのはおれだけどね。」


 時計の動く音が聞こえる。

 チャイム。

 四時四十五分。

 僅かの間の中に余韻。


 少女は己の心臓の音を聞いていた。

 ここから展開されるストーリーを幾つか予想することを試みる。それはことごとく失敗する。


 少女はただ、目の前の人物の唇を見ていた。




「……これは澤井のだ。」




 注目の元開かれたそれは、意外な名前を紡ぎ出した。




「澤井さん、」

 少女は混乱する。どういうことなのか、上手く掴めない。


 澤井。

 自身をよく思っていない集団の一人。権力者の横に並んで歩き、すれちがい様に悪口を落としていく人間。

 彼女がどうしたというのか。

「澤井さんの、」

 少女の体温が急激に下がる。

 目の前の人物は澤井のためにこの手紙を書いた。

 それが意味することは。


「いや、誰だっていい。澤井じゃなくてもいいんだ。おれは、おれのオリジナルが台無しになったことが許せない。別に澤井じゃなくてもいいんだ。」


 少女は殴られるような悲しみを抱き、次に目の前の影への憎しみを抱く。


 視線が絡まる。

 四角が西日を反射する。視界が赤く染まる。



 最下部に書かれた一文が少女の眼球に焼き付く。

 それは、少女のオリジナルになかった一文である。





 尚、この手紙をコピーすることを禁ずる。








 澤井波奈は、今田麗佳が己を呼ぶ声を聞いてうんざりした気分になったが、顔にはマイナスの表情をくっつけず、いつものやわさで振り返った。


「聞いた、越智さんの話、」


 今田麗佳の口から越智春美の名前が出てくることは珍しくない。

 学級一の権力者である彼女は、成績の面においても容姿の面においても、何かと目立つ越智春美のことをよく思っていない。


 澤井波奈も事ある毎に陰口に付き合っているのだが、本来平和を好む性質である彼女は、特定の個人を証拠として残らない言葉で攻撃することが苦痛で仕方なかった。


 しかし、今田麗佳と「親友」をしていることで日々を快適に過ごしている身である。

 それを思えば、多少の妥協も我慢しなければならない。

 安全圏に所属してこその学校生活だった。

 無論、本当のところは、どちらかがいなくなってくれればいいと思っている。

 それほど暴力的な感情ではないが、ここ一年ほどは、己の真の平穏を手に入れるための計画を練っていた。

 直接手を下すのは明敏ではない。間接的に、出来れば先方自ら退場するよう、巧く操る方法はないものか。


 そして、いなくなるならば、それは「親友」ではなく越智春美のほうだと、澤井波奈は考えている。


 目の前の「親友」は便利だ。

 幾らでも武器になる。




 その武器は、泣き出しそうな顔をして、澤井波奈の手を握った。




「越智さん、自殺したんだって。」






 教室に西日が差している。


 窓際の席に澤井波奈が一人座っている。

 机の脇に掛けられた絵の具箱には越智春美の名が記されている。


 あたしの所為かもしれないと言って泣き出した今田麗佳を思い出し、澤井波奈は含み笑いをする。


「無駄じゃなかったよ、越智さん。あなたの死は。」


 彼女は立ち上がり、自身の席へ戻る。

 ランドセルを手にし、歩き出そうとして、ふと、立ち止まる。

 引き出しから四角いものがはみ出している。


 また、幸福の手紙、か。


 見渡せば、学級中の全ての机に、同じ四角が入れられている。

 澤井波奈は笑みを浮かべたまま四角を広げ、それを読み始める。

 西日が文字を照らし上げている。


 これは、幸福をもたらす手紙です。




「読み終わった、」


 メゾソプラノが澤井波奈に尋ねる。


 澤井波奈は顔を上げる。


「今の麗佳ちゃんなら一発で泣き出すね。」

「そう。」

「これ、越智さんの遺書、」

「きみには遺書に見えたの、」

「うん。」

「それなら成功だ。」


 メゾソプラノは笑おうとして、声が出せず、咳をする。

 それを待って、澤井波奈が口を開く。

「この遺書、どこで手に入れたの、」

「彼女がくれたんだ。死ぬ前に。」

「それをコピーして配ったの、悪趣味だね。」

「彼女のは元がコピーだからね。いくらコピーしたっていいんだ。」


 メゾソプラノが含んだ笑みを見せる。


「でも、ここに、コピーすることを禁ずるって書いてある。」


 チャイムがなる。

 四時四十五分。

 澤井波奈は余韻を耳で追う。

 四角が西日を反射し、視界を赤く染める。




「……あなたが書いたの、」

「きみのだけね。」

 メゾソプラノが咳をする。


 澤井波奈は四角を掲げる。


「それならこれ、ラブレターに見える。」


 沈黙が訪れそうな視線を、目の前の人物が、一瞬、見せる。



 ひっひっ、と、ソプラノの笑い声が響いた。


 澤井波奈は無言で立ち尽くしている。

 目の前のソプラノを見つめる。多くのことを頭の中で巡らせる。整理する。思考する。算出する。まとめる。また思考する。


 澤井波奈の前に立つ児童は笑い終えると、アルトの声を発する。

「どうして、そう思うんだ、」


 澤井波奈は唇を結んだままでいる。まだ思考している。

 アルトは何も云わない。澤井波奈の回答を待っている。


 答えが出る。確信する。

 チャイムがなる。

 四時四十七分。

「流行りの幸福の手紙に便乗して書いたラブレター。」


 視線は交わっている。


「それだと気付かれなければ、幸福の手紙として流してしまえる。第一、それに気付かない程度の頭なら、眼中外、でしょ。」


 双方表情は変わらない。


「あなたなら書きそうだから。……もしかしたら、越智さんも。」

「誤作動だね。」

「え、」

「たぶん、はずれだよ。」

 アルトが咳払いをする。

 メゾソプラノに戻る。


「はずれ。だよ。」


 澤井波奈は視線をはなさない。




「こたえるって云ったら、」




 空間には西日が差している。

 南側の机に水槽の影が落ち、その中を金魚が泳いでいる。水の音がする。


「この手紙に。」

「……。」

「こたえる。」

「……そうだね。」


 メゾソプラノが視線を外した。


「わたしは、誰にも云わない。」

「そう。」

「だって、わたしのためなんでしょ、」

「それなら、」


 再び視線が交わる。


 澤井波奈が手を差し出す。

 メゾソプラノがそれを握る。



 あなたって頭いいんだね。



 澤井波奈が笑う。

 メゾソプラノが唇を歪ませる。



「だって、越智さんに遺書を書かせるために、幸福の手紙を流したんでしょ。」







 廊下を、二つのランドセルが並んで歩いている。

 澤井波奈は、今田麗佳もそろそろいらないかもしれないと考えている。

 学級では、昨日、五人目の自殺者が出た。

 大人たちは連日会議をしている。

 今日も悩みに関するアンケートが取られた。

 明日も全校集会が開かれる。


 澤井波奈は隣のメゾソプラノに話し掛ける。

 ねえ。


 それを遮って、メゾソプラノが口を開く。

 ところで、だけど。


 澤井波奈は些か気を悪くする。

「なに。」



「卒業しても、澤井はおれのそばにいてくれる、」

 正面を見据えたまま、澤井波奈と視線を交えない問い。

「とうぜん、でしょ。とうぜん、とうぜんだよ。」

 澤井波奈は握っていた手に力をこめてみせる。

「おれ、澤井にとって一番便利なやつであり続けるから。」

 二つのランドセルが立ち止まる。

 正確には、メゾソプラノが先に足を止め、それに引っ張られて澤井波奈が続いた。


 校舎の北側を走る廊下に、西日は差していない。


「……ひとつだけ。」

「なに。」


 メゾソプラノは澤井波奈を見る。

 澤井波奈はメゾソプラノを見る。

 チャイムがなる。四十五分には数分足りない。誤作動である。


 変な気、おこしたりしないでよ。


 その声は突然アルトになった。




「おれ、きみを自殺させる方法なんて、いくらでも持っているから。」


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