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警備兵達は黙りこくっている。
夜間は日中よりも警備の人員を減らしており、義妹の追求に反論できる証拠がない。それが直ぐに分かる沈黙具合だった。
ここで私が証言しても、嘘をついていると言われるだけだろう。
毎夜疲れ果て、死んだように眠っていたこと。それを誰よりも知っている私自身が証言できないことがもどかしい。
(………あ、おしゃべりおばさま)
私が暮らしていた四〇四号室の幽霊。夜な夜な喋り倒していたらしい彼女ならば、私が誰にも会わず、ただただ眠っていたことを証言できるのではないか。
そのことを私は前に立って進言しようとしたが、何故か足が竦み、声に至っては肺から空気が失われたようになった。
怖かった。
もし、警備兵の彼の影に隠れていなければ、殿下や義妹や実の両親、聴衆から向けられる負の感情で、私は此処に立ち続けることすらままならなかっただろう。
不意に警備兵の彼が繋ぎ直していた私の手を少し痛めな強さで握った。私は、いつの間にか自分の身体が震えていたことに気付く。
肯定的に捉えよう。彼がいるからこそ、私は此処に立ち続けることができる。
比類なき恐怖心を彼から貰った気遣いで抑え込む。
一足飛びに、前へ立ち発言することはまだできないが――。
こっそりと警備兵の彼に四〇四号室の幽霊のことを耳打ちして伝えると、彼は「うげぇ」と言いたげの嫌そうな顔になった。
「おしゃべりおばさまァ………ババアかあ、いたな。呼びたくねぇ~」
丁寧にした呼称をわざと暴言に崩すあたり、彼とおしゃべりおばさまの間には確執が存在するようだ。しかし、今はそんなことを気にしてはいられない。
「呼・ん・で・く・だ・さ・い! 今は、あなたの名誉に傷がつくかどうかの瀬戸際ですよ?!」
現状、私だけではなく、彼も逢瀬を重ねたのだと疑われているのだ。これで潔白を証明できなければ、無実の罪で名誉を一番傷付けられるのは彼だというのに……!
まさに、先の廊下で言ったように『行き当たりばったり』。呆れを通り越して、もう、その計画性のなさに尊敬の念を抱きたくなる。
とはいえ、だ。計画性はなくても良い。なくても良いが、反論の機会を些細な確執で台無しにしてしまうのはいただけない。
やや不信感を募らせた表情で私が睨むと、彼は肩を竦めた。
「そうか、いや、俺が苦手なだけで名誉はどうでも良いんだけど。うん、お前の為ならしゃーない―――夜間の行動について証言できる奴がいる。副隊長、ババアを呼び出してくれ」
彼は適当に手をひらひらと振って、真面目な警備兵に合図をした。
「はっ。今から呼び出す証人は、誰に対しても公平に正直なので、皆様に無礼を働くでしょう。あらかじめご了承ください」
真面目な警備兵は呼子笛を吹いた。
笛の音が大広間に軽く反響し、次の証言人を待つ聴衆は固唾を呑んでしんとしている。
私はひやりと肌に寒気を感じた。不思議なことに、肩から二の腕へ、二の腕から前腕へ、下へ下へと緩やかに鳥肌が立っていた。
すると突然、身の毛もよだつような感覚が上から襲いかかる。
見れば、大広間の天井をすり抜ける冷気の塊………違う。人だ。
一反の織物でこしらえた古風なドレスを身に纏う、ふくよかな女性の幽霊だ。
彼女は中空に留まり、首を伸ばして見上げる人々を鼻で笑った。
「なんだいこの厭味ったらしい生気は。フンッ」
パリンッ。
彼女の鼻息に呼応してなのか。不運な招待客のグラスが叩き落され、割れた。
「こいつが証人。この城で最も悪名高い幽霊であるおしゃべりババアだ」
「マダムとお呼び!」
彼女は、警備兵の彼の無礼に暴風を巻き起こすほど激怒した。
「あー……おしゃべりマダムは幽霊だが、その強靭な精神力で審判の間に行くことなく城に住みついた悪霊だ。大使の方々はご存知でしょうが、冥界の奥深くにある審判の間で人間の生前の罪はあばかれ、魂の行く先が決められる。副隊長」
彼は真面目な警備兵に説明役を投げた。
「はっ。審判は不死でない限り、人々に平等に下される不可避の審判です。マダムには、その審判を強行せず猶予する代わりに、城内の監視警備のお手伝いをしていただいております。現在、大広間にいらっしゃるマダムは監視警備のお手伝い用の分身であり、本人は生前の執着が強い、城の四〇四号室に常におられます」
「ということだ。おしゃべりマダム、元婚約者のこいつが夜間にどうしていたか証言してくれ」
おしゃべりマダムは証言を促されると、目を剥いて私を睨んだ。
「あたくし、彼女にはほとほと迷惑を被っておりましたわ。四〇四号室はあたくしの部屋でありますのに、勝手に寝始めるのですもの。いくら追い出そうと、毎夜、こうこうこうしても彼女は起きやしませんからね」
ヒュッ。ヒュッ。パリンッ。
替えのシャンパングラスが給仕人のトレイから浮き上がり、四方八方へ叩き落とされた。
「実演はしなくていいんだよ! また警備の予算から減らされるだろうが!」
「まぁ! これも重要な証言ですのにね。あたくし、こんなに抗議しましたのよ。彼女が居座り始めた日から今朝まで。それでも起きないなんて、もし四〇四号室に誰かが訪れても、彼女は目を覚まさなかったということでしょうよ」
パリンッ。
おしゃべりマダムはもう一つシャンパングラスを割った。
「……ということだ。おしゃべりババ……マダム、証言感謝する。四〇四号室は今夜から変わらずバ……マダムのもんだ」
「まともな荷物すらない部屋を今更あたくしのものだと、なんて当然のことをおっしゃるのかしら」
そう言って、幽体は霞むように部屋から去った。
部屋が仄かに温かくなる。
彼女こそが今までずっと私と同じ部屋に住んでいた、おしゃべりマダム………おかげで、随分と憎まれているようだった。
正直に言えば、ここまで酷いポルターガイストに気付かなかった自分自身にこそゾッとする気もしなくもないが………これも私の愚かさだろうか?
「これでもう分かったようなもんだろ。俺達、会ってもいねーのにどう不義を働けるんだ?」
「ならば、私のほうでも証言させたい者はおります。お義姉様の侍女や講師を務めていた者がこの場に――」
「――証言させるまでもありません」
私は決意を固めて、義妹の話に割り込んだ。警備兵の彼の影からではあるが、義妹に反論の余地を与える前に、まくし立てる。
「殿下が先程おっしゃったように『身内同士で口裏を合わせることぐらいできる』でしょう? 疑惑のある貴女と繋がりのある証言者をどう信じればよいでしょうか。城の警備兵といった公に仕える者ならまだしも、いじめに加担していたかもしれない者達に公正な証言ができるでしょうか」
機先を制して、揚げ足を取るように殿下の言葉を引用する。
証言人に頼れなくなった義妹はむっとした表情で言い返した。
「でしたら……! 日中も夜間もお義姉様達は会っていないことを証明したとはいえ……証言で分かるのは、日中の警備兵の行動と、夜間にお義姉様が誰にも会わずにいたことだけです。日中のお義姉様の行動までは追えていませんわ」
もはや義妹の主張は重箱の隅をつつくような悪あがきだった。
まるで私の不義が存在しなければ、窮地に陥るのは義妹の側とも推測できる。
確かに、双方の親の同意があれば婚約解消にはなるだろう。だが、解消に至るほどの落ち度が私に無ければ、衆目に晒しあげたことは屈辱を与えるだけの行き過ぎた対応だ。
その仕打ちに対して、世間は懐疑を抱き、主犯の義妹と王太子の醜聞を密やかに噂するだろう。義妹の王太子妃としての将来に暗い影を落とすことは間違いない。
ならば無理やりにでも不義にしてしまった方が後腐れもなく、手っ取り早い、というのが義妹の算段だろうが、責任感の強い殿下はそう思ってはいないようだ。
見るに、殿下は式典の価値に重きを置いている。王太子妃にまつわる黒い噂と引き換えに、今の騒動を引き延ばさずに済むのなら、婚約破棄の賠償金など些細なことだろう。
ここであえて婚約解消だったという彼らの主張を認めて、この不名誉な対応への賠償を要求すれば、きっと殿下はそれを呑む。私達にとっても充分な落としどころになるか。
しかし、それは復讐ではない。妥協だ。
それに、警備兵の彼が復讐を提案したことから始まったとはいえ、復讐を実行するのは私。売られた喧嘩をやり返すのは私であるべきだ。今の頼りきりの状態で復讐と言えるのか。
警備兵の彼の背後に隠れ、耳打ちだけをしていて復讐がなせるわけがない。
さっき義妹に言い返したように、私が、私の主張を押し通し、彼らを殴り返すための道を切り開かなければならないのだ。
……思ったよりも彼のバイオレンスに振り切った考え方は、私の性に合っているのかもしれない。
とにかく、私は突き付けるべき主張を整理した。
私の日中の行動は簡単に説明できる。義妹のいじめはかえって仇となり、起床から就寝まで決められていた分刻みのスケジュールと過ごした場所を提示するだけで良い。
また、先程の警備兵達の証言から分かるように、私が過ごした場所は警備兵の警邏地点から目の届く場所。これらを照らし合わせれば、人の出入りぐらい簡単に分かるはずだ。
だが、証拠がそれのみでは、婚約解消への賠償という妥協案に甘んじることになる。復讐遂行の必要十分条件は、私の潔白と同時に彼らの不義をたたみかけて証明してしまうこと。
つまり、殿下と義妹が婚約解消より先に不義を働いていたことをいっぺんに証明できれば、私に落ち度があって婚約解消に繋がったという言い訳以前の話になるからだ。
すなわち、立場は逆転する。
彼らが、私の知らぬ間に仲睦まじくなれるだけの逢瀬を重ねていたことは明白なのだ。
あとはその証拠だけ。それも物的証拠が望ましい。
証言人は、殿下の『身内同士で口裏を合わせることぐらいできる』を引用した以上、決定打となりにくいから。
なればこそ、論より証拠だ。
――警備兵の彼が身を挺して不死を証明したように。
そして、決定打となる物証は…………あった。
証拠となる物証は2回、
「私」の目に見える範囲に登場しています。




