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「焦点は婚約の賠償条件だ。破棄した側は捨ててスッキリだろうが、破棄された側は婚約の達成で得られたはず利益を失い、十数年の時間という損害を被ったことになる。つまり、契約不履行。ガキの約束でも守れなかったら針千本なんて言うんだ、婚約の契約不履行時にも当然、賠償することを決めているはず」
警備兵の青年は得意げに自論を展開していく。
「賠償条件の詳細は知らねーけど、こいつに婚約破棄の賠償を請求する権利はあってしかるべきだ」
「その点は問題ありません。人の子の英雄様」
私の両親が前へ進み出た。二人は黙礼し、父が婚前契約の内容を述べ上げる。
「王太子殿下と我が娘との間に交わされた契約書には、同意なしに一方が婚約に破棄した場合、相手に対し冥儀国金貨千枚相当の賠償が破棄した側に科されるとありますが、婚約の締結時御両人は成人ではありませんでした」
それは予測通りの反応。警備兵の彼が『婚約破棄』に物申すと言った時から分かりきっていた予防線だった。
つまり、実態としての婚約の名義は両親のもの。婚約する当人達の合意なく婚約破棄されたとしても、双方の両親が合意すれば円満な婚約解消となる、でしょう?
そう問いかけようとした私の声は、たった数秒、実の両親から向けられた冷徹な視線に臆して、情けない呼びかけしかできなかった。
「お父様。お母様」
実の両親は私を存在しないかのように無視して、黙礼をすると聴衆の中へ紛れていった。
「残念ながら、だが。貴様の奏上とやらは、そもそも議題に上がるべき御題目ではなかったようだ。しかし、こちらも貴様が人の子の英雄である以上、無碍な扱いはできない。よって、自らの足でご退場願おうか」
殿下は手のひらを上にして、廊下を示す。
と、こちらの目論見が崩れた間隙を狙いすまして猫なで声が滑り込んだ。
「お義姉様もしたたかですわね。殿下に捨てられたあとに、もう他の殿方と一緒にいらっしゃるのはなんとまあ恐ろしい」
私の義妹だ。
天使のような慈愛の微笑みで、義妹は私を卑しんだ。彼女の性格が腹黒であると理解した今、次に吐き捨てられる言葉は……。
「これは殿下に対する不義ではありませんか? 人の子の英雄とも呼ばれる殿方を、王太子殿下に歯向かえるほど愛情深い方へと変化させる為に、いつから愛を育まれておりましたか?」
「彼とは今日初めて顔を合わせ、御名も今しがた聞き及んだばかりです」
私は警備兵の彼の影から反論する。それに対し、義妹は聴衆の耳目の前に躍り出た。
「いったいどうしてそのようなことが信じられるのですか!」
義妹は大仰な振りで悲嘆の声を上げる。
「お義姉様。一朝一夕にも満たない関係で正当である婚約解消に物申すことができるとお思いでしょうか。もう皆様にはお分かりでしょう。お義姉様は以前から殿下を謀って姦通していたのではありませんか?」
厳しい糾弾だ。それが義妹の口からスラスラと放たれることが、過去の私の愚かさを強く自覚させる。
だが、反論はできない。
警備兵の彼が手を差し伸べるまで私は孤立無援だったのだ。逢瀬が不可能であることを示す証人のあてはない。これまでイジメに加担してきた者がこの場にいないこともないが……自らの罪を白状するような真似はできないだろう。
まあ、こんなものか……急な提案で始まった復讐にこれ以上の追求の一手もなく、私を捨てた殿下の鼻を明かせただけでも立派な復讐だと諦めかけた時――。
「――ゴメン。俺が不甲斐ないばかりに。でも、アイツらをぶっ殺してやるぐらいの道筋はつけてやる」
彼は私の耳元で囁いた。
ちょっと待ってください、今なんて言いましたか……?
私が彼の表情を見る前に、彼はパッと正面を向いて声を張り上げた。
「バカなこと言ってんじゃねーよ。てめえが一番コイツにそんな時間が無えこと知ってんだろ。義理の姉を騙くらかして、イジメてる間に王太子妃になりかわった義妹さんよ」
ただ彼は私に代わって義妹へ言い返しただけだった。先程の扉を蹴り倒す一部始終を見た以上、ステンドグラスを割って全員を空へ殴り飛ばすのかと思いひやひやしたが……。
義妹は反撃を受けた動揺からか、上擦った声で言い返した。
「騙っ……論点をずらさないで頂けますか。今はお義姉様が不義を働いていたかどうかです」
「論点なんかずらしちゃいねーよ。お前が城内外の人間を利用して、こいつに花嫁修業以外の時間を取らせないようにしていたことが何よりの証拠じゃねーか」
「だから何故わたしがお義姉様をいじめていたようにおっしゃるのですか! いわれのない罪を被せるのはおやめください。お義姉様が婚約解消より先に不義を働いていたとあっては、私達家族が償わなければいけませんのに! そうおっしゃる証拠は? お義姉様と貴方が逢瀬を交わしていないと証明ができますか?」
義妹のその言いがかりこそ、私と彼にとっていわれのない罪だろうに。
「ふん、それぐらい簡単に証明できるさ。おい、出てこいお前ら」
彼は義妹を小馬鹿にしたように笑うと、控室に向かって声を張り上げた。
雑な号令に従って、今度こそはちゃんと控室から警備兵が出てきた。ぞろぞろと彼のようにやる気のなさそうな風体の五、六人の警備兵達を、一際元気で真面目そうな一人の警備兵が大広間へと押し出した。
そこはかとない不安を感じてしまうのは、気の所為ではなさそうだ……。
「よし、お前ら証言しろ」
警備兵達は一列に並び、順に証言をした。
「隊長は元婚約者様と逢ったことはありません」
「会話したことも無かったかと」
「廊下ですれ違うことすら出来なかったよな」
「雨の日でも雪の日でも中庭警備の担当になってたのは何でだっけ?」
「それは元婚約者様が廊下を通るのが見えるからさ」
「話せもしないのになぁ」
「皆、しっかりと隊長の為に証言するのだ! 副隊長の私が証言いたします! さらに付け加えるのならば、隊長は彼女の視界に入ることすら躊躇い、見られない一定の距離を常に保っておりました。したがって隊長は思春期の少年と言うべき奥手さゆえに、元婚約者様と逢瀬を重ねることなど不可能でありました!」
敬礼。
「てめぇら……おぼえてろよ……」
真面目な警備兵が発したダメ押しの証言は、ひとまず私の身の潔白を証明したようだ。
しかし、それ以上に裏付けが取れてしまったことがある。
現在はいち警備兵でも、過去は人の子の英雄と呼ばれていた彼、ユーエン・ストライフが私に復讐を提案した理由だ。
それは『彼が私に好意を抱いていたから』復讐を提案した。
彼が、私に、好意を……? 何故?
確認するのも畏れ多いが、私は彼の顔色を窺ってみた。
が、急に警備兵の彼は私の頭を撫でた。案の定、力加減が乱暴なので頭を上げられないようにされてしまった。
「これで俺もこいつも無実だと分かっただろ? 余計な情報混ざってるけどな」
彼の手から抜け出した時には、顔色を確認するまでもなく、彼は軽薄な調子に戻っていた。
……有耶無耶にされた気分だ。
殿下は警備兵達の証言に憤慨し、苛立たしげにしていた。
「今のが何の足しになる。どう言おうとも、貴様らが減給という事実は変わらないし、自らの首を絞めるだけだ。身内同士で口裏を合わせることぐらいできる。この証言は意味のないものだ」
「ターミット様」
と、義妹が殿下の名前を呼び、たしなめる。彼女は、私を一瞥してから警備兵の彼に甘い毒のような微笑みを向けた。
「城を護る警備兵の方々を疑いなど致しません。きっと真実であるはずでしょう。でも、それは日中のお話では?」
義妹は落ち着きを取り戻して、盲点を突いた責めを導き出す。
「非番の日の夜、闇に紛れて密会を企むことぐらい簡単なことですよね?」




