4
私は警備兵の青年と共に来た道を引き返し、大広間へ向かっていた。
彼は入城記録を書き留めるボードを肩に吊り下げたまま、持ち場から遠ざかり、先へ進んでいく。
その完全なる職務放棄状態に、私は不安感しかない。
しかしながら、警備兵の青年はうきうきな様子である。
「なぁ、始祖冥儀王にまつわる500年前の伝説はどこまで教わったか?」
「523年前に建国した際の伝説でしょうか」
「あー、正確に数えればそれぐらいか。俺達にとっちゃ一年も百年も変わんないもんだけど」
「いくら冥府では寿命が長くなるといっても、人間の私やあなた、始祖冥儀王様の血を受け継ぐターミット殿下でも百を越えれば大往生ですよ。例外は不老不死の始祖冥儀王様と、その魂を分けた――」
「人の子の英雄のみ、だろ?」
「そ、そうです」
注釈を奪われた私は一瞬言葉に詰まった。
こともなげに暴論を積み重ねてきた彼の、突如として人が変わったような正答は、私に驚きと印象の更新をもたらした。
軽薄な表象から不意に現れた冷静な彼。
しかし、その一面は直ぐに消え失せ、軽々しさが戻った。
「花嫁修業でやったこと、ちゃんと覚えてんじゃん。いや、俺が忘れてねーのか。しかし、血は争えねーもんなのかね」
「始祖冥儀王ハデス様が人間界から花嫁を娶られた……ことですよね?」
「いや、拉致だろ。拉致監禁」
「あはは……」
人間界の伝承では、始祖冥儀王ハデス様は523年前の今日、人間界から人の子の英雄の花嫁を略奪したとされている。
今日、始祖冥儀王の子孫が人間である婚約者の義妹に奪われた形になったのは何の因果だろうか。
それも人間界の国々からの使者を招いたこの日に。
……彼が企む復讐劇の展開が読めてきたかもしれない。
しかし、そう望む通りに行くかは分からない。まだ、重要な切り札が足らない予感がした。
杞憂なら良いけれど……。
数時間前につまみ出されたばかりの大広間の、背の高い両開きの扉の前に立つ。
手が震えた。一国の王太子の権威を貶める行為に恐れを抱くのも当然だろう。
「心の準備は整ったか?」
警備兵の彼がニヤリとこちらを覗き込む。一大事の前でも変わらない軽薄な態度に、驚くほど安心してしまっている私がいた。
「いつでも大丈夫です」
「じゃあ、いくぞ。オラッ!」
警備兵は両開きの扉をキックでぶち抜いた。外開きだった扉が蝶番ごと大広間に倒れ込む。
「………………え?」
巨木を一樹切り倒したような風が巻き起こり、髪が吹き上げられた。薄く積もったホコリは突然の出来事に成す術もなく壁際へ追いやられていく。
幸いなことに、扉の下敷きになった人はいないようだ。
「邪魔するぜ」
彼は私の手を引きながら、まっすぐに伸びた深紅のカーペットの上にある扉を堂々と踏み進む。
「誰だ貴様は!」
一番に声を荒らげたのは王太子ターミット殿下だった。
そして、野蛮極まりない警備兵に連れられた私に気が付いた。
「お前、何故此処にいる」
騒然としていた聴衆の視線が一斉に集中し、更なる喧騒が沸き起こる。
式典を仕切る者として、殿下は即座に命令を下した。
「警備兵! この者たちを追い出せ。城からではない。この国からだ!」
だが、控室の警備兵は出てこない。
殿下は私を連れてきた警備兵の彼を見て舌打ちをした。
「職務よりもお仲間に味方するということか。馬鹿馬鹿しい。貴様らは全員減給だ! 近衛兵!」
殿下の声に応じて、始祖冥儀王の玉座近くの近衛兵が動き出すが――。
「出張らずともよい。近衛兵」
大広間の最奥にある玉座、それを隠す帳の向こうから低く荘厳な声が響くと、近衛兵はより上位の主の命に従った。
状況の滞留に、殿下は不服そうに物申した。
「始祖冥儀王様、どうしてですか! この者たちは、あろうことかこの日に冥儀国の王太子を軽んじようとしています。元婚約者でありながら、かつ、地上の国々からの使者がいる場でその様なことをしでかしている。侮辱罪として厳罰に処すとともに、式典の場から追い出すのが先決でしょう!」
「俺達はまだ何も主張しちゃいないんだがな。もしかして、ウシロメタイことをしたっていう自覚があるんじゃねーのか?」
「彼女は婚約者として不適格だった」
あらかじめ用意されていたような殿下の断言に、警備兵の彼は我慢ならない滑稽さを感じたらしく、せせら笑った。
「それだよ。それ。ガキが外で遊んでいるような時分から、薄暗い城の中で誰よりも冥儀国の王妃とかいうカタチのない未来に献身して、人生を捧げてきたこいつが不適格だとお前は言い切るんだ。お前の判断が正当だと、どうして、言い切れるんだ。教えてくれよ」
殿下は疚しそうにしながらも、冷淡な目で私を見た。
「……この場で、はっきりと彼女の欠点を挙げ連ねるのは尊厳に関わる」
「何時間か前に、公衆の面前で堂々と婚約破棄した奴が善人ぶるんじゃねーよ。だったら最初から言うなってもんだ」
そして警備兵の彼は視線を玉座に向け、こう言い放った。
「――始祖冥儀王。俺はあんたにある奏上をしに来た。俺はこの婚約破棄が不当な措置だと考え、賠償を要求する」
式典中に起こった類を見ない出来事に、大広間の混乱は不可避だった。
この先、よりいっそうの混迷に陥らんとしていることも知らずに……。
「それをこの場で訴える威権と婚約破棄を不当と申す証左はあるのか」
たかが城の警備を勤める一兵卒の話は聞き届けられた。始祖冥儀王の玉座にかかる帳の奥の暗闇から要件を問う声が発せられたのだ。
しかし、それで狼狽える殿下では無かった。頭を働かせ、反論にこぎつける。
「そうだ! いち警備兵に何の権限があって冥儀国の王太子に、それも証拠なしで婚約破棄が不当だと訴える」
「まず、何の権限って、爵位があればいいのかよ?」
警備兵の彼に請われて、殿下は爵位の条件を示した。
「ああ。しかし、一代限りの騎士や男爵の爵位は認めぬ。冥儀国はそうではないが、地上の国では大枚をはたけば買える代物だからな」
「そうなると…………」
彼は宙を見上げながら指折り数え始めた。
「ないのならもういい。時間の無駄だったな」
混迷の終わりが見えてきたことで殿下は安堵の表情を浮かべたが……。
「シエロ大公国のノーバ大公位、雪嶺国のラライラ公爵位、峡湾国のヴォルゲ侯爵位、これって一代限りの伯爵位はセーフなのか? なら、グラント海蝕国のリッジ伯爵位と――」
警備兵の彼が口に出した爵位は、どれも人間界の実在する国の爵位だった。
しかし、彼の言った爵位の称号は、その人間界の国のひとつから移住し、冥儀国の王妃となるべく世界情勢を学んできた私に違和感を抱かせた。
「確かに、私は貴様に有する爵位を訊ねたが……人間界の国にそのような称号の貴族がいるなど、私は聞いたことがない!」
そうだ。殿下の言う通り、今日の人間界の国々にそのような称号の貴族は存在しないが――。
「妄言ばかり吐いて何がしたい! 貴様の、貴様の名前は何なのだ!」
「ユーエン・ストライフ。地上で生を受け、始祖冥儀王と魂を分かち合い不老不死となった、人の子の英雄だよ」




