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 顔を上げると、見知らぬ青年が側にいた。


 制服を雑に着崩している彼は屈んで膝に頬杖をついている。


 私の記憶が、制服の方だけは見覚えがあると言う。さっき、私を大広間から連れ出した警備兵の制服だ。


 警備兵の彼は入城記録を書き留めるボードで自らの顔を扇ぎながら口を開いた。


「俺がお前をつまみ出してから二時間は経ってるけど。どんだけ泣くんだ」


 二時間も……。私は我を忘れて泣いていたらしい。


 裏切りを突き付けられるまでは幸せだと信じていたのだから、しょうがない。過去と未来を打ち砕かれて、嘆き悲しむ以外の何ができるだろうか。


「顔が涙でグシャグシャじゃねーか。……目つぶって、じっとしてろ」


 青年は警備兵の制服からポケットチーフを取り出した。


 そして、私の涙をポンポンと優しく拭き取っていく。目元を拭き終えると、彼は「もう開けていいぞ」と言った。


 ……そう言った筈なのに、私が瞼を開けると彼の顔は間近にあった。鼻先が触れてしまいそうな距離だ。近すぎて彼の顔しか見えないし、見ざるを得ない。


 それで、あることが分かった。


 紺の制帽を脱げば彼は黒髪碧眼だということではないし、ただの警備兵にしておくには勿体ないと思えるほど端正な顔つきをしていることでもない。


 彼のくだけた言葉遣いからは想像もつかないほど、彼は真剣な眼差しをすることだった。


 私の顔はまだ汚れているのだろうか。彼はじっと見つめている。


 視線に耐え切れず、私は「どいてください」という意味も込めて感謝を口にした。


「……あ、ありがとう」

「どーいたしまして」


 止まっていた時間が動き始める。


 けれど、私が捨てられた現実は変わらない。


 変わらないけれど、彼の親切は私の心を少しだけ軽くしてくれた。


「そういえばお前、追い出されたんだっけ? これからどーすんだ」

「おそらく帰る家も無くなってしまったので……どうしましょう?」

「はぁ? 実家も奪われたのか。あいつらのことを恨めしいと思わないのか?」

「もちろん、ほんの少しだけは。でも、私はもう何者でもない一人の平民ですから、怒ってもしょうがないでしょう」


 彼はため息をつく。


「情けねぇな。お前はあの(せがれ)が好きじゃなかったのか?」

「……!」


 痛い所を突かれた。


 見透かされている。


 幼い頃の私が抱いていた……あの()せた色の恋慕。


「……好きに、決まっていたじゃないですか。私は、初めて会った時の殿下の笑顔を、ずっと目標にして、あんなに頑張ってきたのに、こんな、こんな……終わり方……」


 私がそう心中を吐露すると、彼はあることを提案した。


「はっ、しゃーねーな。じゃあ、復讐しようぜ。俺とお前で」

「復讐……?」

「おう、復讐だ。自分の力で理不尽をやり返してやる」


 私は首を横に振った。


 それに彼は落胆したようだったが、話の流れは変えなかった。


「お前は裏切られたんだろ? 婚約者の王太子と親と義理の妹に、婚約破棄を仕掛けられて。ケンカで例えるなら、突然ルール無視で殴られたもんだ」

「野蛮な例えですね……」

「良いだろ。警備兵は腕っ節があってなんぼだ。思考が脳筋によりがちなのはしゃーない」


 流石、城の警備を任されているだけあって、彼の思考回路は武闘派。バイオレンスに振り切っていた。


「ともかく、やられたら殴り返すのが一番だ」

「そんなことはできません」

「あー、そうだな。肉体言語が無理なら、精神的に殴り返す復讐をしよう」


 そう言いつつも、彼がとったのはファイティングポーズで、「……な?」と私の肯定を催促している。なんとなくだが、彼はただ喧嘩がしたいだけなのでは……。


 ただ、それを差し引いても、親身になってくれた彼の提案を断ってしまうのは気が引けた。


「ごめんなさい。私は誰かを傷つけるぐらいなら、自分が傷ついた方が良い思う人間なんです。私一人が納得すれば、多くの人が幸せになるのなら尚更」

「だからって泣き寝入りかよ。中指立て返すぐらいやってやらねーと、俺の気が済まねぇ」


 相変わらず野蛮で粗雑な言葉遣いだ。


 でも、それは十数年間の教養と規律に縛られた生活を送っていた私にとっては新鮮で、面白いものだった。歳の近い異性の友人が居ればよくある会話なのだろうか?


 ここで、私はずっと気になっていたことを訊いた。


「あの、あなたの方が復讐に乗り気なのはどうしてですか?」

「んなこと、分かるだろ。一対三以上のケンカは一人の方が負けるに決まってる。前々から思ってたが、それを見るからにか弱そうなお前に仕掛けるあいつらにムカついた」

「随分と優しいですね」

「そうか?」

「たった一人で戦っているヒトを助けようだなんて、多勢に無勢、勝てるわけがない。そんな状況で国の王太子を相手取っても良いだなんて、殊更おかしいでしょう。判官(ほうがん)贔屓(びいき)にも限度があります。……私の味方になることであなたの得になる何かがあるのですか?」

「あるかもしれないし、ないかもしれない」

「どういう理論ですか」

「行き当たりばったりだってこと。それとも、人を助ける理由にこれ以上があっちゃいけないか?」


 彼が言わんとしていることは困っている人が居れば身体が勝手に動く、だ。真っ直ぐで優しすぎる考えだ。童話に出てくる白馬の王子様でも、お姫様を守る為にこれほど自分を投げ捨てられる答えを出せないだろう。


「そうですね。でも、その優しさは私に使うよりも、他の困っている人に使ってあげてください」


 彼は深く大きなため息をついた。


「お前なぁ……お前が一番助けられるべき人間だってことに気が付いてないのか? 俺は誰にでも優しいわけじゃない。自業自得で負け戦やる奴に手は貸さないさ。けどな、卑怯な手段であいつらにイジメられていたお前だから、復讐に手を貸したいと思ったんだよ」

「……いじめ?」


 私が首を傾げると、彼は表情を引き攣らせた。


「お前、気が付いてなかったのか?」


 鈍感にも程があると言いたげな顔だ。


「いえ、そんないじめを受けた覚えはありませんよ。日々を花嫁修業に費やして……」

「一人きりで、だろ。朝食も昼食も夕食もマナー用の食堂で食って、おしゃべり幽霊(ババア)の小部屋で寝泊まりしてたことも、他のいろんな嫌がらせに耐えていたことも俺は知ってる」

「…………」


 そう指摘されて、ようやく私は理解できた。


 殿下からの婚約破棄は以前から――どれほど前のことなのかは分からないが――計画されていたことだった。用意周到な義妹が発端である陰湿ないじめは今日初めてのことではなく、今日が総決算の日だったのだ。


 しかし、それよりも彼の野蛮過ぎる物言いに私は気を取られた。


「…………おしゃべりバ……おばさま?」

「お前の部屋に憑いている幽霊だよ。200年も昔からうるさいババアで、部屋から出てけって夜な夜なしゃべり倒しやがる。奴のいる部屋番号は四〇四」

「確かに四〇四号室は、私の部屋ですけれど、そのような方にお会いしたことは……」

「はぁ!? アレが見えないのかよ! つーか、城で一番ポルターガイストが酷い部屋なのにか!?」

「いつも部屋に戻れば熟睡してしまいますから」


 疲れ果て、糸が切れたように眠り込んだ昨日までの日々を思い出しながら言うと、彼はぼそっと何かを呟いた。


「鈍すぎて、そりゃあ、俺にもイジメにも気付かないな……」

「? 何か言いましたか」


 訊き返すも、彼はあっけらかんとして話を本題に戻した。


「そもそも、だ。お前はイジメられてきたんだ。だから、婚約破棄に物申す権利は絶対にあるし、行使するべきだ。分からないって言ったら、理解させてやる。嫌だって言っても、説得しまくる。だからな……」

「いいでしょう」

「……!」


 私の気持ちは動かされていた。


 あれほどまでに実の両親から無惨で冷酷な仕打ちを受けた後に、彼らの元に戻りたいとは思えなかったから。


 また、今日の日の醜態で私の名は悪評と共に広がることだろう。それは十数年の歳月を費やして身に着けた教養を活かす家庭教師(ガヴァネス)乳母(ナニー)の道すら断たれたことと同然であり、もはや冥儀国に、人間界の国々に私の居場所はなかった。


 それなら、自棄(やけ)にもなるというものだ。


 ただ、それ以上に彼の真摯さに惹かれたことも事実だった。


「ですが、百歩譲って婚約破棄に物申すにしても、私の場合は両親の合意で――」

「本当か!?」


 彼は私の話を遮り、大声を出して喜んだと思ったら抱きついてきた。


「???!!!?!?」


 思考停止で固まる私には気付かず、彼は満面の笑みで「そうか、そうか、やっぱそうだよなー!」と言いながら強く私の背中を何度か叩いた。力加減がバイオレンスに振り切っていて……すごく痛い。


「そうと決まれば、必勝の案が俺にはある!」


 そう言い切った彼は私の手を取って、立ち上がらせた。


「どのような案ですか?」

「今日という日を利用する案だよ」


 彼は自信ありげな顔でニンマリとした。

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