過去話
1周年記念
「警備隊配属のラスラと申します! よろしくお願い致しますっ!」
「配属の新人イーグルです。よろしくお願いしまっす」
活発な声が続いて響く詰所部屋。
今日は冥儀国王城の警備隊所属となった新人の配属初日である。
おろしたての警備隊服に身を包む青年二人は初々しい。
見た目の若さだけなら負けない黒髪碧眼の男もその眩しさに目を細めるほどだった。
彼らより背も職位も高い男は歓迎の挨拶をした。
「俺は警備隊隊長のユーエンだ。新たに配属された諸君らの活躍を期待している。以上……なんだが、まだ研修期間だ。疑問点は早めに解決しておけよ」
すると、ラスラが生真面目に挙手し、訊ねる。
「隊長殿は、かの有名な”人の子の英雄”と同じ名前のようですが、何かご関係があるのですか?」
ユーエンは左の口端を上げた。
「まず、『殿』はいらん。で、その質問だが、伝説の英雄と名前が同じなのは不思議か? 知り合いの爺さんに一人くらい居ただろ」
「伝説の英雄にあやかって、名を付けられたということですね!」
ユーエンの適当な不正解は無事、ラスラの納得を引き出せたようだ。
「そっちは、イーグルは質問ないのか?」
「無ぇっす」
不真面目が体良く警備服におさまって歩いている。そんな印象のイーグルは肩をすくめてニヤリと笑う。
「とり、研修期間中は早く帰れるんすよね?」
「そのとおりだ。夜帯の巡回も慣れてからになる。……その前にな、その軽々しい言動は不敬になる。王族や王城に訪れる貴族、諸国の大使にはくれぐれも慎んでくれ」
「了解しました。じゃ」
ぴゅ~っと風のようにイーグルは詰所から出て行った。
昼休憩直前とはいえ、早上がり上等の行動。即断即決、逃走の早さである。
「イーグル! まだ今日の研修は終わっていないぞ!」
ユーエンが引き止めるより先に、新人のラスラが大声で追いかける。
「良くも悪くも手のかからない新人だな」
516歳は余裕で超える見た目が若いだけの年寄りは、彼らの無体な手強さを相手にすべく、軽く伸びをした。
研修期間で分かったことがある。
通りがかりの女性とお喋りしていることが多いイーグルの世話を任せきりにしてしまうと、ラスラの負担が大きい。同じ新人であっても、部下の管理責任はユーエンにあるのだ。早々に労働環境は調整しなければならない。
ユーエンは研修期間の半ばで個別面談をセッティングした。その中で「正直に不満を申告するように」と訊いたら、ラスラは意外な本音を話したのだった。
「イーグルの不真面目さには呆れるばかりですが、彼だからこそ役に立つ場面もあると私は思います。ああ見えて職務も守っておりますし」
ラスラの言う通り、新人警備兵イーグルは女性と懇意の仲になることはあっても、相手を無許可で王城内に入れることもなく。その相手が実は詐欺師で、警備の穴を吐かせる為に多量の酒を彼に飲ませた時も、酔い潰れることなく秘密を守り、スリリングな体験だと楽しんでいた。
成果だけを抜き出せば、表面上は軽率そうな彼に擦り寄ってくる輩を観察しているだけで、警備隊は要注意人物の情報を得られたことになる。
イーグルのその不真面目さは取り柄となり、まるで探知機か撒き餌のように役に立っていた。
「つっても、節度ある行動をもうちょい期待したいもんだがなぁ」
「大事なのは決して外してはならない要所を彼が抑えているか、でしょう。短所も長所も紙一重だと私は思います」
「紙一重なのは確かに。ラスラほど真面目過ぎると非常識が信じらんねーもんな」
ふと、ユーエンは天井の隅を見上げた。
「あ、おしゃべり幽霊」
「ひっ……! ……なっ、な、何処にもいないではありませんか!? それに幽霊など存在しません!」
ラスラは首を縮こませながら周囲を見回し、情けない声で叫んでいる。
ユーエンはそんな新人警備兵の肩を叩く。
「ババアから王城を守ることも警備兵の職務だ。これで面談は終わり。気張れよ~」
そしてユーエンが逃げ出した直後、詰所部屋の温度がにわかに下がった。
「今! アタクシのことをババアと呼んだ不届き者が! この部屋に! おりましたわよね!」
「ひっあ、うわあああぁぁぁあああああ!!!」
悲鳴とともに物が壊れる音が廊下まで響く。
あの幽霊は、警備隊とは切っても切れない仲の、地縛霊。
あだ名はおしゃべり幽霊。
自称はマダム。
王城の中でも404号室に特別な執着をみせ、警備隊の仕事をことごとく邪魔するクソババアだ。
そして、あの幽霊は新人がまず慣れてもらわなければならない最大の難関だった。
人間界で幽霊を見る機会は滅多にない。
冥界でも霊道に近づかなければ見ずに済む。
幽霊が見える体質でなければ、そのような存在など迷信だと考える者が多数だろう。
普通の職業であれば、それで問題はない。
しかし、冥界にある冥儀国王城の警備隊所属となれば話は違う。
あれはユーエンが警備兵になった頃から幽霊として存在し、幾百年の歳月を経て依然、霊体を維持できる厄介霊だ。王城を彷徨う悪癖もあり、これに耐えられなければ警備兵は無理な話だった。
(つか、建国後に王城を建てたはずだよな? その頃からいたって、いつ死んだんだよ。建国後に王城で死んだ奴って王族しかいねーし)
人の子の英雄であるユーエンにとって、おしゃべり幽霊は厄介だった。
霊体のおしゃべり幽霊は、物理無効、ふん掴むこともできないので、ユーエンにはこの上ない天敵だった。
逆に、おしゃべり幽霊にとっても、不老不死のユーエンはポルターガイストが永遠に効かない天敵。
よって、お互いの認識は犬猿の仲というもの。
しかしながら、戦りあった場合に損をするのは王城を守らなければならないユーエンなので、最低限の教育としてのちょっかい出し以外はなるべく避けている。
「まあ警邏、警邏っと」
ユーエンが王城の中庭に差し掛かるところだった。
「あれは……」
ぽんぽんぽんぽぽぽぽと似た顔が思い浮かぶ。
あの少年はハデスの倅の倅の、十何代か飛んで今の国王の倅。
確か名前は……ターミット・ユグ・エデルリッツだったか。
近衛兵も控えているので間違いなかった。王太子だ。
今日は婚約者候補から正式な婚約者となった令嬢との顔合わせの日だった。
少年少女は自己紹介を終え、意気投合した流れで約束を交わしている最中のようだ。
「本日取り交わされた婚約によって、将来、僕と君は冥儀国の王と王妃になる。まだ至らぬ僕だけど、君と一緒ならこの国をもっと幸せな国にする王になれると思った。だから、どうか……僕の志と共に冥府を狙う者々から冥儀国を護っていこう。そして、僕の力の限り、君を幸せにしたい」
「私も努めてターミット殿下を支えてまいります。ですから、志だけではなく、幸せも私達のものとして分かち合いましょう」
婚約者の少女が王太子に微笑みかける。
すると、どうしたことか王太子はポロポロと涙を流した。
「……ありがとう」
「ど、どうして泣くのですか……?!」
「……僕は、孤独だと思っていたから。お父様もお母様も、冥府の館で始祖冥儀王様のお手伝いがあるから、王城には何時もいない。冥儀国を護る重責はこれから僕ひとりで背負わなければいけないとずっと思っていたんだ。僕はそれがどうしようもなく怖かった」
少年は涙に濡れ、俯いた顔を上げた。
「……こんな弱虫の僕を、君は支えたいと言ってくれた」
「ターミット殿下は弱虫ではなく、とても心優しい方ですよ。国王となる重責を知りつつも、私に幸せだけを与えようとなさる。苦を厭わない貴方様が冥儀国の王となられるのならば、臣民としてこれ以上ない喜びです。私も王太子の婚約者として花嫁修業を励んでいきますね」
自身を真っ直ぐに見て、肯定してくれる健気な少女に、少年は心打たれていた。
「きちんと誓いの言葉にしよう……”僕は君に誓う――”」
「私も、誓いますから、ここは約束にしましょう?」
「ああ、そうだね、それが良い! 約束する、”ターミット・ユグ・エデルリッツは心優しき王として民と国を護り、妃の君と幸せを分け合うことを”」
「約束します、”私は貴方を支え、幸せを分け合うことを”」
尊く幼い約束を終え、少年はまだ背が等しい少女の頬にキスをする。
「ありがとう」
憑き物が取れたような、爽やかな少年の笑顔に少女はひどく赤面していた。
「ターミット殿下は笑った顔の方がお似合いです」
そんな場面をユーエンは生垣から立膝で眺めていた。
(おいおいおい今回の倅は余程のタラシだな。誓いやら約束やら、小恥ずかしい言葉をスラスラ言えるもんだ)
あのぐらいの歳の頃、ユーエンには姉がいた。
彼女とは、いくつも約束を交わしたが守れた試しがなかった。
たとえその中のひとつが、冥界遠征の間に人間界の国々が勝手に決めた結婚だとしても……。
(変に大昔のコトを思い出しちまったな)
ふと、ユーエンの足元に影がさす。
「不審者かと思ったぞ、警備隊隊長」
「ちっす、近衛隊隊長どの」
ユーエンは自身が伝説の人の子の英雄だと誰にも明かしていない。
それでも、歳を取らず、妙に若い男が警備隊隊長をいつまで経っても務めているので薄々勘付くものだ。
近衛隊隊長の実力を鑑みれば、既に確信しているだろう。
ユーエンが不老不死の存在として謳われる『人の子の英雄』であることを――。
喧伝もせず黙っていてくれるのは、ユーエンにはありがたいことだ。近衛隊隊長の引継ぎ事項に書かれているだけかもしれないが。
「わざわざ警備隊隊長が出向くほどの事件が起こったのか?」
「いいや、まったく」
「ふっ、殊勝なことだ」
気紛れに逃走先を選んだつもりが、近衛隊隊長には王族の警備を熱心にしていると捉えられたらしい。
ユーエンはやや呆れつつも、立ち上がろうとした瞬間だった。
――ゾワッ。
肌が一瞬にしてあぶく立つような世界の変異に全身の毛が逆立つ。
そして、欠落の感覚がユーエンを襲った。
あるはずのものがなくなった。
だが、なくなったものが何であるか分からない。
これは、そう説明せざるを得ない不可解な感覚だった。
近衛隊隊長もその感覚に襲われたようで、苦虫を噛み潰したかの如き表情だ。
「近衛隊隊長どのも感じ取ったか?」
「嫌な悪寒だ。いったい何が起きたんだ」
中庭に目を向けるが、王太子と婚約者の少女に異変はない。
周囲に控える近衛兵も平然としている。
世界を襲った異変に理解が及んだのは、この場でユーエンと近衛隊隊長だけだった。
「強引でも、言葉にするなら”ナニカがなくなった”とでも表現するしかない」
「そのナニカとは、物体か? 違うか、もっと抽象的な、認識や常識の類の……」
「いいや、言っちゃなんだが、そのナニカが物体か概念かなんて俺達には断定できない。奪われた後では、ナニカが何であったか言葉にするのは無理なこった。今はナニカと呼んじゃいるが、本来、認識できないでいる名前のないものを呼ぶことはできねーからな」
人間は対象を認識して初めて、対象に対して名称を付けられる。
今は対象が欠落した感覚があるから、対象が存在したと認識している。より正しく状況を表現するなら、これは欠落の感覚という現象をナニカと名付けたようなものだ。現象の大元の事象は誰にもわからない。
ユーエンは珍しく脳筋の頭を知性に傾けて考え込んだ。
――物体か概念か、具体か抽象か。
その認識すら世界から奪い、抹消するなど最高位の神でも難度の高い行為だ。
永い時間をかけて、ひとつの事象を形骸化させることは比較的簡単だろう。しかし、神や神に近い人間、余程の実力者でなければ知覚できないまでに、気付かれず一瞬にしてナニカを世界から抹消するのは容易なことではない。
(……違うな。ナニカを奪った者の能力が高いから気付かなかったんじゃねーかもな。奪われたナニカの規模が小さいから、俺と近衛隊隊長しか気付かなかった可能性もある)
盗人の意図は不明だが、確実なことはひとつ。
「侵入者が現れ、ナニカを奪った可能性があるな」
「まさか、王族が狙われたか……? 冥儀国の重要機密も危険かもしれん。至急、厳戒態勢を取らねばなるまい」
「もっともだ。こっちは警備隊を指揮して、まず城門を閉鎖する」
「了解した。我々近衛隊は王族の安否確認を最優先し、次点重要機密を確認しよう。警備隊は宝物庫、食糧庫、備品庫の物品の確認を頼みたい」
「よし、あい分かった」
詰所に戻ると、城門の閉鎖、物品確認、ならびに入場記録から要人の安否確認をユーエンは指示した。
いち早く完了したのは要人保護だった。その知らせを聞き、ユーエンは改めて、本日入城した王太子の婚約者とその家族の入場記録に目を通す。
「おい、ひとり予定にない奴の名前があるぞ?」
「そちらの方は婚約者様ご家族の養女の方です。入城予定者欄に記述がないのは、入城申請後に養子縁組が急遽決まったから、と説明されていました」
「そうか。……身元がはっきりしてんなら問題ねーけど」
この時、ユーエンは大きな見落としをしていた。
その結果、王太子の婚約者である少女の運命を大きく変えてしまったことをユーエンは知る由もない……。
王城の厳戒態勢は夜間に解除された。
しかし結局、奪われたナニカが何であったか判明することはなかった。
王族も、重要機密も、保管される物品にも欠けはなく、盗まれた物は無かった。
そうしてその日の出来事は、紙の上の黒いインクとして保管されるのみとなり、以降誰も思い出すことなく月日が流れた。
521年、加えて見た目年齢になったユーエンは、最近あることに驚愕していた。
それは王太子の婚約者が花嫁修業で、あの404号室に寝泊まりしていることだった。
怖いもの見たさでユーエンが覗きに行くと、おしゃべり幽霊の姿も、喧しさも、ポルターガイストの酷さにも! 本当に気付いていないので、彼女の方が幽霊かと思えてくる始末だった。
つまり、それだけ彼女が花嫁修業で疲れていたのだ。
王太子の婚約者が受けている花嫁修業は異常なまでにスパルタだった。起床から就寝まで自由時間は一切ない。王太子ですら日に一時間以上の休憩時間があるのにも関わらず、王太子妃目前の婚約者は食事の時間もマナー教育に染まりきっていた。
王城を出て街へ下りれば、そこかしこで遊びまわる同い年の子供が見受けられる分、婚約者いびりの痛々しさがユーエンの心中で際立った。
次にユーエンがとった行動は、提言書の提出だった。
たかが警備兵なので花嫁修業にはとやかく言えないものの、部屋の変更程度であれば、警備や安全上の観点から危険だと提言できる。
「なんだ、差し戻し?」
返却された提言書の差し戻し事項には、『404号室に主だった危険は見られなかった』と、『宿泊者の認識として、提言内容の現象は確認されていない』と書かれていた。
前者の差し戻し事項は婚約者いびりの首謀者に影響を受けて。まだ警備兵の権限で叩き潰せる妨害だ。
しかし、後者は婚約者の少女の意思だった。
そしてこのまま、当事者から明確に提言書の主張を否定されれば、部屋変更の必要はないと結論付けられてしまうだろう。
居ても立っても居られなくなったユーエンは、彼女の真意を確認する為、404号室近くの中庭まで激昂した勢いで来てしまった。とはいえ、ふと冷静になって彼は考えた。
……正直、王太子の婚約者を気に掛ける理由などユーエンにはない。
ないのだが、彼は脳筋の頭をうむうむ捻ってようやく、王太子と彼女が約束を結んだ光景を見たからだと気付いた。
あの時、思い出したのは姉のことだ。ユーエンが冥界へ遠征していた間に、人の子の英雄の花嫁として祭り上げられた姉を思い出だすからだった。
ユーエンの姉は、権力者の思惑で平民から貴族に押し上げられると、貴族の家に身を寄せることになり、そこで利害の異なる者達から苛烈な扱いを受けていた。それでも姉が逃げなかったのは、ユーエンが帰ってくる故郷を守る為だった。
そんな姉と彼女が重なって見えた。
陽は落ち、夜の風が吹き始める。
中庭の草木の香りを含んだ涼しい夜風が、過去を結び、ユーエンの記憶を思い起こさせる。
庭に面した回廊を歩く姉コレティスをユーエンは追っていた。
ハデスと三日三晩闘った後、ユーエンはハデスと密かに休戦協定を結び、表向きは戦勝としつつも、冥界侵攻の首魁を捕まえるべく人間界に舞い戻った矢先の出来事だった。
宴の最中の暗がりを、ふらふらと覚束ない足取りで歩く令嬢がいた。やつれた後姿の為に、その令嬢が姉だと始めの内は気付けなかった。
振り向いた彼女は驚き、喜びつつも、疲れと苦痛をユーエンに悟らせぬよう微笑んだ。
ユーエンはその歪さに気付かず、的外れな質問を繰り返していた。弟を想う彼女が曖昧な真実と嘘ではぐらかしているのにすら気付けなかった。
人間界へこっそり連れてきたハデスが、コレティスの心を見透かして明らかにしなければ、姉は貴族の手の上で踊り続け、死に別れていただろう。
その姉の面影を婚約者の少女に重ねて、二度目があるのならば、今度こそは自らの手で救いたいと彼は願った。
ふらふらと上階を歩く人影があった。
それは見慣れた姿だったが、初めて中庭で見た時の、朗らかに喋り、王太子の笑顔で恥ずかしそうに赤面した彼女とは別人のようだった。
「ちょっと待った!」
ユーエンは上階へと叫び、王太子の婚約者である少女を引き止めた。
人影から少し離れた上階の廊下へ、ユーエンは跳躍して窓から入り込む。そして、曲がり角の死角に佇んだ。
「誰ですか?」
婚約者の少女はこちらに気付いていない。
だが、物陰の彼からは表情を伺える。蓄積した疲労で、姿を隠した者と会話を続ける異常事態にすら、彼女は正常な判断が出来なくなっていた。
気を引き締めて、ユーエンは警備兵の制帽を深く被り直す。
「なあ、毎日花嫁修業で忙しいようだが、そんなに無理をして頑張る必要はあるのか?」
あまりにも直球で、唐突な質問に彼女は困惑しているようだった。
だが、疲労困憊な顔に精一杯の愛想を浮かべて彼女は答えてくれた。
「頑張るだなんて、私は、私の意思で行動しているだけです」
「王太子はそこまで頑張っちゃいねーようだけど。お前だけが約束を守るのはどうなんだ」
約束という言葉に彼女はピクリと反応した。
「……王太子殿下が安心できる場所を守るために、私が努力することはいけないことですか?」
「努力する方向性っつーか、花嫁修業で多忙になることが望んでいた約束か? 違うだろ?」
「私が好きでしていることです」
「好きって言っても、部屋には幽霊も出るし、ポルターガイストも起こって危険……」
ユーエンの返答で彼女はピンときたようだ。
「貴方が、私の部屋を変更させる提言書を提出した方ですか」
「ああ、そうだよ。はっきり言って、お前のいる部屋は危険だ。部屋ぐらい変更しても、王太子妃教育にゃ何も影響はねーし」
「そうですね。仮暮らしの部屋のことなど、王太子妃教育の要綱にはありませんから、貴方のおっしゃる通り問題はないかもしれません。ですが、私に見えなくても”幽霊の住まう部屋”は冥儀国の王妃にとっては重要な意味を持つと思いませんか?」
「国王夫妻が、冥府の館でハデスの手伝いをしていることを言ってんのか」
昨今、人間界の人口増加に伴い、大勢の死した人間の魂が冥府の館を訪れている。
審判の間では、始祖冥儀王であり冥府の主ハデスが日夜、魂たちの生前の罪を裁いているが、処理能力は既に限界。冥府の館の外にまで幽霊が溢れかねない事態がすぐそこまで迫っていた。その窮状を改善すべく、現国王夫妻は政務を宰相や大臣に任せ、補助として冥府の館入りをしていた。
「ええ。妃は幽霊と接する機会の前例がありますから。ならば幽霊にも動じない者であれば、王太子殿下を支える妃として信頼されます。ひっくり返せば、王太子殿下を支える妃として信頼されないのは、幽霊にも動じる者です。もし、貴方の言う幽霊が出る噂が本当なら、ますます私はこの部屋から移るわけにはいきません」
婚約者の少女は、あの倅との未来の為に最善を尽くそうとしていた。
彼女自身の犠牲を厭わぬ覚悟に、ユーエンはかける言葉が見つからなかった。
否、苦し紛れの提案しか言えなかった。
「この部屋を出たくなったら、いつでも言えばいい」
「…………私は逃げません」
婚約者の少女は強固な決意を、歯を食いしばるように宣言した。
ユーエンは彼女の、その気迫に思わず息をのむ。
いつか成長した彼女の姿が幻のように現れ、ユーエンの瞳を見抜いたからだ。
「それでは失礼いたします。おやすみなさい、警備兵さん」
会釈とともに、婚約者の少女は404号室の扉を閉めた。
「あ…………くそっ」
ユーエンは自らの不手際に悪態をつく。聴取も説得も下手過ぎる。
でも、どう説得すればよかった?
過去の約束に固執するくせに、おざなりにされる現状を自分で変える気のないクソガキが。
耐えたとして、約束した相手は忘れているというのに。
ユーエンの、過去の後悔と文句がそっくりそのまま婚約者の少女への感情に置き換わる。
しかし、面影を重ねたとしても、本当に姉と婚約者の少女は同じ存在なのか?
姉はその場しのぎの言葉で現状を受け入れていた。ユーエンの帰ってくる場所を守るだけで、自分の将来など考えていなかった。
婚約者の少女は違った。過酷な王太子妃教育の日々を受け入れるのは、相手を想い、約束を果たす為。王太子との未来を願っていた。
その信じようとする強い瞳に、ユーエンは魅入られた。
はじめの驚きが日々の同情となり。
日々の同情が一瞬の怒りとなり。
一瞬の怒りが愛情となり。
ユーエンの中で、どんどん意識せずにはいられない感情に変化していく。
彼女の望みを叶えてあげたいと思った。たとえ彼の力を必要としていなくても。
ユーエンにとって口惜しいのは、花嫁修業と題される王太子妃教育はどうにもできないことだった。
大昔に賜った爵位を持ち出して、王族に匹敵する高位貴族を名乗ったとしても、ダメだろう。権力で王太子妃教育の現状を変えられる機会を得ても、代わりに彼女を教育する人材の伝手がユーエンにないからだ。
王太子妃教育は、婚約の文面で取り決められている。教育を修了した時、淑女の模範としての評価が基準に達しなければ、婚約は解消、最悪の場合賠償金ありの婚約破棄になる。
婚約の失効は、あの日のふたりが王と王妃となってお互いを支え合う約束さえ無意味に、無価値にする。
王太子と婚約者の少女が交わした約束を聞き、彼女の願いを知っているユーエンにとって、二人の仲を引き裂きかねない行為は憚られた。ユーエンが現状の王太子妃教育への代案を出せない以上、少なくとも、婚約が成立している内は手の出しようがない。
所詮、警備兵のユーエンが王族の婚約に口を出す権利はなかった。
なんとも歯がゆいことだが、彼が実行できたのは花嫁修業のいびりを超えた危害が加えられないよう、警備の目を光らせることだけだった。
それからまた何年か経った。
王太子が婚約者の少女と会う機会は無に等しくなった一方、彼女の義妹が王城を訪ねる頻度は増えていく。
結果、王太子の予定変更。
伴う近衛隊との折衝。
人員の配置換え、警邏順路の書き直し。
発生する諸々の頭脳仕事は、筋力一辺倒のユーエンにとって近頃悩みの種である。
なによりは、警備の必要がない中庭に警備兵を配置する為の調整が無駄になるので迷惑だった。
中庭が一番、婚約者の少女を見守りやすい場所にあるというのに……。
ユーエンは、警備隊隊長の職権を濫用することにした。いつの間にかその真面目さでおしゃべり幽霊を陥落させていたラスラ経由で、ババアの分身霊体を借り、警邏の人員を調整。なんとか婚約者の少女の保護観察体制を保たせている。
躍起になって婚約者の少女を見守ろうとする自分を顧みて、ユーエンは思った。
(片思いって独りよがりで面倒なもんだよな、コレティス姉さん)
ハデスはあの再会の後すぐに姉を攫った上、彼女との婚姻を講和条件に追加した我儘な神だったが、勝手に惚れて勝手に見守るユーエンも独りよがりで面倒な奴だった。
そんな屈折した奴にならざるを得ないのは、恋心の前では、彼お得意の暴力は何の役にも立たないから。なんでもかんでも暴力で解決しようとする男なんて、高潔な彼女に嫌われて当然だろうから。
(……どうせ、いつかは決着がつく。それまでの片思いだが、やってらんねーな、ツレぇ)
その頃には、王太子妃を正式にお披露目する式典がひと月後に迫っていた。




