エピローグ
婚約破棄を告げた王太子は無期限の謹慎処分。
王太子に婚約破棄を唆した令嬢は、あの四〇四号室で数ヶ月の教育を課された。
監督する立場を放棄した、令嬢の義両親は罰則こそないものの、噂や醜聞の的となり、肩身の狭い思いをしているらしい。
きっと、死んだ後も彼らの悪評は人々の話題に上がるだろう。
とはいえ不思議なことに、婚約破棄された元婚約者のその後は誰も知らない。
けれど、彼は知っていた。
ユーエン・ストライフ。
紺色の制帽を被った黒髪碧眼の顔良し、体格良しの青年。
大昔は人の子の英雄と敬い慕われていたが、現在は冥儀国の王城のいち警備兵でしかない彼だけが。
警備兵の彼は、冥府の最奥にある冥府の館――よりは手前の湖畔を訪れていた。
湖畔のほとりには、彼が所有する邸宅がある。
王城の詰所に寝泊まりする彼が帰宅することは滅多になく、管理人に清掃の管理を任せているだけの空き家である。
何十年ぶりの我が家であるが、ユーエンにとっては特に何の思い入れもない。
なのに、彼の胸は感慨深い気持ちに溢れていた。
足早に邸宅へ行き、目前の玄関扉を開けようとするが、鍵がかかっていた。
「鍵? 鍵ぃ……鍵か……」
(そういえば、管理人に邸宅の鍵を預けていた)
と思い出して、ユーエンは庭側から窓を割って入ろうと考えた。
玄関扉を壊すよりは怒られないだろう、とも。
ついこの間……城の大広間の扉を蝶番ごと蹴り倒した所為で、少し偉い宰相に叱られた苦い記憶も思い出しながら、彼は踵を返した。
――チリン、チリン。
玄関の扉のベルが鳴る。
パッと振り向くと、肩にショールをかけた彼女がいた。
婚約破棄された元婚約者の彼女は、ユーエンの元に身を寄せていたのだ。
「ユーエン様でしたか。玄関から大きな音がしたので、驚いて、飛んできました」
「あーえっと、鍵を管理人に預けたままなのを忘れてて。普段からこんな乱暴に扱ってるわけじゃねーんだ」
「存じ上げています。私がミクルルさんから鍵を預かっていたので、きっとそうなのだろうと」
彼女は鍵束を取り出した。
「あっ」
取り出したはずみで手から滑り落ちる鍵束を追って、彼女が前のめりになる。
ユーエンは持ち前の運動神経で鍵束を左手で掴み、転びかけた彼女を抱き留めた。
「大丈夫か?」
「すみません。いえ、ありがとうございます」
彼女は体勢を持ち直して、玄関扉のドアノブから手を離した。
きっと、ユーエンが抱き留めなくても、彼女はとっさに掴んだドアノブのお陰で転ぶことはなかっただろう。本当に彼女は、臨機応変な対応ができる、しっかりとした女性なのだ。
彼が提案した婚約破棄の復讐も、それに至る過程も、途中から彼女一人の力でやり遂げた。
ユーエンは「必勝の案がある」と啖呵を切っておきながら、大した力にもなれず、情けない話である。
――バキッ。
すると、不穏な音がした。
開かれた玄関扉が――先程ユーエンが勢いよく引いた所為で――壊れてしまったのだ。
蝶番の支えなく、倒れ込む方向は二人の元である。
叩きつけられた玄関扉は風を巻き起こす。
吊るされていたベルは倒れた衝撃で外れ、チリンチリンと転がっていった。
「やべぇ、また扉壊しちまった……俺、誰に怒られるんだ……」
当然、ユーエンは彼女を抱きかかえて避けていた。
それも無意識にお姫様抱っこをしているが、彼は事も無げにそのまま邸宅に入る。
残念ながら、相手を横抱きでかかえるお姫様抱っこの由来となる風習を、彼女が思い出していて、少し赤くなっていることにも気が付かないが。
廊下直ぐの応接室のソファに彼女を下ろす。
密着した体勢が終わり、彼女はようやくドキドキで忘れていた会話の続きを口にした。
「貴方のお家なのですから、怒るのは自分自身か、大事に管理しているミクルルさんではありませんか」
「お前が怒ってくれても良いんだぞ? 『危ないじゃない!』とか」
「お邪魔している私がそんな言葉を申し上げては失礼になります」
式典が終わってからというもの、彼女はユーエンに遠慮している節がある。
それは彼にとって、ちょっとした誤算だった。
しかし、それも当然のこと。
今更ながら、ユーエンは彼女に「好きだ」とも「付き合ってほしい」とも言っていなかった。
否。言えなかった。
彼女に遠慮という壁を作られると、彼の好意までもその壁に拒まれるのではないかと思えて、言うことができなかった。
いいや、彼女だって、多少は彼に好意を抱いている……かもしれない、期待したい、と人の子の英雄ユーエン・ストライフは心の内で思う。
ただ、彼女とどうなりたいかを直接伝えるのは、人の子の英雄ユーエン・ストライフでも恥ずかしい。
普段の短絡的で粗野な彼からは考えられない姿である。
そんな及び腰の彼の為、彼女と着実に仲を深めることを目的に警備隊で作戦会議が開かれていた。
ただし作戦会議の始まりは、暇な彼らの駄弁りから。
***
王城の詰所に、巡回番でないユーエンと真面目な警備兵一人と不真面目な警備兵が一人居た頃だった。
『なんでさっさと結婚しないんっすか?』
『ぐっ』
不真面目な警備兵から、的確な指摘が飛んでユーエンの胸に刺さる。
そしてユーエンがそれへ反論をする前に、真面目な警備兵が声高に庇った。
『隊長はだな、元婚約者である彼女を気遣い、憂慮期間を設けられているのだ。決して、自らの好意が裏切られ、振られることを恐れているのでは……断じて! ないっ! ですよね、隊長』
『ぅぐっ』
ユーエンの心理を的確に見抜いた真面目な警備兵のフォローは、彼の心を抉るばかりである。
『いや、だってさ、彼女さんって、婚約っつー憂慮期間が長すぎたから浮気されたんじゃないんすか? 隊長が手をこまねいていたら、別の奴と良い雰囲気になってバイバイっすよ』
『ぅぐぅ~~!』
どんな外傷もたちどころに回復する人の子の英雄も、彼女の婚約者期間を持ち出した例え話には、致命傷の心的外傷を負わされる。
様子のおかしい瀕死の不死身の男を突き上げつつ、部下二人は現状を聞き出した。そして、隊長の不甲斐なさに呆れた顔をしていた。
『交際を申し込んだ訳でもなく、好意を伝えた訳でもなかったのですか?』
『そもそも、好きの一言なんて理由があればスルッと出るもんすよ? てか、どこがカワイイとか言っときゃ勝手に喜んでるっすよ』
言われて、ユーエンは考え込む。
考え込む間、裏では部下二人が『君、少し女性相手に遊び過ぎではないか』『今更っすか?』と適当な世間話に花を咲かせている。
小時間を経て、ようやくユーエンは口を開いた。
『理由のある好きが嫌いなんだ』
………。
『うわ、マジ幻滅』
『は? そんな顔するほどか?』
理解を得られず、ユーエンは解せない顔をした。
真面目な警備兵が、湯気立ち上る金属のコーヒーカップを面々に配る。
彼は席に座ると、『つまり』と前置きした。
『立派な地位や肩書きや特異的な能力をお持ちの隊長は、それ目当てで好意を抱かれることが多かった。彼女がそうでないとも言い切れない以上、それらの理由を失えば、好意も失われる。それが怖いのでしょう』
『けどそれって、おかしくないっすか? 彼女さんが知っている隊長って、冥儀国王城警備隊隊長……正直、お上にアゴで使われる、しがない警備兵じゃないすか。式典の日の活躍は、まぐれみたいなもんで。不死身だとしても、平和な今じゃ役に立たないし、女性に好かれるほどの付属品があるとか、隊長自惚れ過ぎっすよ』
二人の部下は、自らの言葉に頷く。
『彼女の立場に置き換えたらどうです、隊長』
『そうっすよ。今の隊長は「理由はないけど好き」か、「理由は言葉にできないけど好き」なんですよ。そんなの彼女さんにとっては、理由もなく好かれている状況じゃないっすか』
『ダメなのか?』
二人の部下は困った表情で顔を見合わせた。
『まず、理由がある場合よりも、好きでなくなった時の心構えができなくなりますね。「理由もなく好き」なら、唐突に、「理由もなく好きでなくなる」かもしれない……そんな不安が付き纏います』
ユーエンは口を尖らせて言う。
『……別に、ずっと俺は彼女のことが好きだ』
『イッテクレナキャ、ツタワラナイワー! パチーン!』
『冷やかしは黙ってろ!』
寸劇を交えてはしゃぐ不真面目な部下に、ユーエンは怒鳴った。
『では、「理由のある好き」のメリットを考えましょう。ひとつ目は、先の通り、気まぐれな好意で無くなるという点。――ふたつ目は、1個好きが無くなったとしても、まだ好きが残る可能性がある点です』
真面目な警備兵は真剣な様子で続ける。
『好きの理由が多ければ多いほど、1個好きな理由が無くなっても、まだまだ好きな理由は残ります。隊長が毎日、彼女さんに好きな理由を伝えていけば、それこそ「ずっと好きであること」が本当に伝わること間違いなしでしょう』
『かといって、上から目線の好きも、下世話な好きはダメっすよ。それに疑問形も! あとはっすね、彼のさりげない好意に私だけが気付いていると思わせることが………』
何百歳も年下の部下達の教えは、その日の勤務時間を過ぎた後も熱心に行われた。
***
現在に戻り、一旦の深呼吸。
一人の真面目な部下と、お調子者な部下達と共に決めた台詞を、ユーエンは口にした。
「君が……俺の家に居てくれて良かったよ。誰もいない家に帰るのは寂しかったから、嬉しい」
間が空いた瞬間、やはり無茶振りが過ぎたかと彼は思った。
さりげなく、間接的に、理由のある好きを伝えたつもりだった。彼が帰宅した時に、湖畔の邸宅にいた者なら誰でも当てはまる理由だが……!
ユーエンを見上げる彼女は、驚いたのか、すこし目を見開いていた。
「……お役に立てて何よりです」
遠慮という壁はまだある。
だが、彼が伝えた言葉によって、レンガブロックひとつ分の穴はできたようだった。
今度こそ必勝の案を成功させる。
心の中でガッツポーズを決めながら、ユーエンは彼女の微笑みを見て、そう決意した。




