さらば、ブラック企業
住み込みで働いている次郎は、その住居費関連を給料から引かれている。中卒である事から元々安い給料だが、そこから更に引かれている。そして正社員みたく言われているが、保険等は掛けられていない。それでいて、住み込みである彼は365日、24時間が労働時間だと言っても過言ではない。尤も住み込みで激務なのは彼だけでなく。只、学歴の差や勤務年数等から次郎よりは多くの給料額を貰っている様だ。但し引かれている住居費関連は次郎よりも額が多い様なので、手取りは同じ。尚、この会社には昇給や手当てもあるが、引かれる額も同じだけ増えると言うプロセスがある為、役職を持たない下っ端は全員、手取りは同額である。
「集団で訴えれば勝てるんじゃないだろうか」とも思うが、訴訟はそんな甘いものではないし、現実、その後の就職にも響く。そんな訳で、世間知らずで苦労知らずな子供は、社会を知り、世間も苦労も味わっても尚、まだブラック企業に揉まれ続けていたし、同じ対処法を取る者も多かった。
そんなある時。
ブラック企業の代名詞かどうかはともかく、部下を怒鳴る以外はパソコンでエロ動画を見るのが勤務内容な上司の叫び声がオフィスに響く。
「あ! 忘れてた!」
そして偶々近くに居た次郎と目が合った。
「おい、今すぐコイツを買って来い!」
ファイルを脇に挟み、差し出された封筒を受け取る。封筒には上司のものではないと分かる字で「宝くじ用30枚」と書かれている。恐らく妻より頼まれたのだろう。
「分かりました。」
反論は面倒なので、承諾しながら封筒の中を見る。案の定、費用が入っていた。
外は暑い。仕事を考えると、この外出は余り宜しくないが、しかし外出せずに仕事をしていた場合の進捗を考えても素晴らしい差がある訳でなく、こうなった以上は気分転換として気持ちを切り替えた次郎であったが、この暑さには辟易せざるを得ない。
「ネットで買えば良いだろうに……。」
と呟く次郎は後にこの買い出しを非常に有り難く思う事をまだ知らない。因みにブラック上司の妻にとって、宝くじを買いに行く事は趣味であり、常に自分で決めた店に足を運んでいたが、偶々怪我をしてしまい、「ネットで買ったら良い」と言う気持ちよりも「自分の代わりに店に行き、買って来て貰いたい」気持ちの方が強かった、と言う謎な理論な理由があった。しかし、次郎はこの理由を知る事は無い。今もこの先も。
「何かサイレンがうるさいな。」
封筒内にあるメモに従って辿り着いた店で宝くじを買い、会社に戻ろうとしている彼はやたらと増えるパトカーとサイレンに眉を顰める。付近で何かあったのかと考えた彼が帰着した会社で見たものは、予想とは違い、会社を取り囲む警察官達、そして次々に出てくる逮捕されたと思われる社長以下の役職者達で、中にはあの宝くじ上司の姿もあった。
「会社から姿を消さないでね。順番に事情聴取があるから。」
こう言った警察官の真意は「会社から出るなよコラァ!」な気もするが、無駄に逆らう意味も無く、帰社してからは外に出ていない。勿論、この状況では仕事はストップしている。
そんな社内は下っ端全員でまず今までの不眠を取り戻すかの様に眠りこけた後、「食事どーするよ」、「警察に聞こーぜ」とか何ともユルユルな現場(?)となっていた。全員が「ジタバタしても始まらん」とブラック企業に揉まれた経験が生かす「諦めの境地に達する」を極めていた。先行く不安等、最早、麻痺していた心境だったのだろう。
結論から言えばヤバい事をしていた会社は潰れ、悪事に加担していた役職者達は逮捕された。また、良く分からぬまま片棒(と言うより何十分の一棒)担がされていた下っ端達はその人数から責任がより分散され、一人一人は大した事をさせられていなかった事より、見逃された。罰金すら課せられなかったのは多分、下っ端で忙しくなる事を不必要と厭った警察・裁判関係者の都合の様な気もするが、真相は不明だ。もしかすれば法的には問題無かったからかもしれない。
とにかく解放された下っ端達は漸く先行きに付いて思いを馳せていた。帰れる実家がある者も居るが、そうでもない者も居る。次郎は後者に当たる。自身でもそれは自覚していたが、万一を考えたらしい母親が、次郎が会社を物理的に去る日、何処かで本日の情報を手にしたか、単なる偶然かは知らないが、態々会社にやって来た。尚、5年間、互いに音信不通だったのは言う迄もないだろう。
「こんな犯罪会社に勤めてウチに帰れるなんて思わないでね。そりゃココの就職を世話したのは私らだけど、辞めずに今まで勤めてたのはアンタの意志なんだから、オトナとして責任持ってケツは自分で拭きなさい。家名を傷付けた慰謝料はココを紹介した私らの落ち度と相殺するから、金輪際、ウチとの関わりは口に出さないで頂戴。私らはアンタと言う子供は居なかったと言う事にするから。」
開口一番にそう言うと、ご丁寧に絶縁状まで押し付けて来た。因みに場所移動もしていない。本当に言うだけ言って、渡すだけ渡してさっさと姿を消した。周囲には絶句している気配。
(うわ、面倒。)
もう関わらないだろう元・同僚達に同情やなんやらで捕まる事を予想して、彼等が正気付く前に先程の母親そっくりな足早さで次郎はその場を去る。
(只でさえ、自棄っぱち飲み会とやらを断ったんだから……)
5年住んでいた会社には備え付けのものが多く、自分の持ち物は少し大き目の鞄に詰める程度しかない。飲みに行く彼等の進路とは反対側へと進み、会社から姿が見えなくなると、身軽さと若さを活かして取り敢えず駅と走るのであった……。
お読み頂きありがとうございます。