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課金チートのボッチ生活  作者: 美香
第二章
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億ションでの暮らしの為に④

今回、倫理的、人間的にどうか、と言う様な生死観があります。不快になられたら申し訳ありません。


今回で2章が終わりになります。次から漸く本編扱いのストーリーになります。編集は夕方くらいを考えていましたが、こんな時間に……、すみません。

 次郎は知らない。元々この総合店の一部には、病院商店街と呼ばれた土地があった事を。個人病院の集まりがあった事を。

 この総合店が建つ時には、当然、個人病院の院長達と話をしていた。眼科、耳鼻科、内科等の病院は簡単には潰せない。例え赤字経営であっても、だ。故に新たに出来る総合店の建物内に移転する形となったのは、理解出来る話だろう。

(あ、病院と整骨院とジムとかの階がある。)

 実際、次郎が開いた地図にはそうした階がある事を示した。しかし、この眼科だけは別階にある。その理由はこの眼科に跡継ぎが居ない事がある。院長は老齢で、何時、引退しても可笑しく無い。総合店の話が出た時、新しい眼科が入るまでは、と患者の為に居残っただけの院長は、一人外れた場所へと向かったのだ(そしてまだ新しい眼科はまだ無い)。

 そんな事情は知らない次郎だが、眼科と来れば、ふと気になった事がある。

(そういや、眼科とか行った方が良いよな、俺も。)

 前述した切っ掛けに出会ったと言っても良いだろう。彼は自身の視力が下がっていた事を今更に思い出したのだ。

(今日は良いとして、近い内に行こうかな。)

 こうして老齢の医師はまた、患者が増える事となった。


 買い物再開。


 と言っても、後は日用品だけだ。買うのは然程、時間は掛からない。何時も使っている様な掃除用具や洗剤等の他、新たに買う必要が出たものもカートに入れていく。商品を見て、思い出したものもあり、それもまたカートに入れられていく。

 このカートに巻かれたベルトのお陰で、一店舗のレジに持って行く必要が無いので、スイスイだ。大型専用ではその分の時間が掛かるだろうが。

(まあ、今は春でも無いし。)

 新生活と来れば、大体の日本人が想定する季節だろう。4月から新年度がスタートする為、3月末辺りは準備のラストパートくらいだろうか。その辺りならば大型専用レジも人が多くなるだろうが、今はその時期でもない。次郎は楽観的になりながら、レジへと向かって行った。


 処で。レジで、札束を、出す。


 これは流石にスマートではない。と言うかそう言う問題でもない。此処に至って、彼はクレジットカード、或いは電子マネーの必要性を痛感していた。しかし電子マネーはまだ彼には敷居が高く、クレジットカードは物理的に作れないまま来てしまった。キャッシュカードはまだ出来ず、クレジット機能を付ける相談も出来ない。

(……まあ、仕方ないよな。)

 不審人物扱いされているのか、ヒソヒソと上司に相談している大型専用レジスタッフを見ながら、彼はこの可能性、否、リスクの考慮が丸っ切り抜けていた自身の最大のポカ(と言う程、可愛くないが)から、そっと目を逸した。そして。

 ………………幸い警備員を呼ばれる事も無く、無事に買い物は終了した。全ての大型荷物は明日の午後に新居に運び入れられる事に決まった。それに合わせて、明日の午前中にはガス、水道、電気を通して貰う事にする。使用前に洗いたいものもあるので、生活はそれらが終わってから始める事にする。平たく言えば、まだホテルに泊まると言う事だ。

 そしてそんな自身の行動に合わせて、より正確に言えば、この東京に生活の場を移す事で、しなくてはならない事がある。


 役所での住居変更手続きに、序に本籍移動、そして前住居の引き払い関連に、序に前通帳の破棄、である。


 役所の手続きは良い。役所の場所は覚えるべきだが、今は送迎範囲な為に送って貰えるし、行きさえすれば、役所に手続きを告げればそれで良い。

 だが、前住所。これの引き払いには行きたくない次郎。なので代理人を立てなければならない。この代理人、身内が居れば難しくないが果たして……、

「すみません、相談があります。」

 そう言う訳で彼が相談したのは、億ションを買った不動産会社である。結論から言えばーー、「やっぱ金があるってイイネ!」とニッコリものであったのは確かであった。



 入居より1月半程。キャッシュカードを受け取ったり、それに合わせて貴重品を仕舞う家庭金庫を購入したり、忘れていたものも買い足したり、眼鏡をちゃんと用意したり。季節と億ションに似合う外行き用のブランドファッションを調べて買ったり。「洗濯は溜まってからやる」と決め、その為に一気に服の数も増えて、良い感じにタンスもクローゼットも埋まったり。料理をコツコツ始めたり。料理を「面倒だな」と感じて、色々いい加減になったり。食材の買い物を週1で纏めて行う様にしたり。大掃除はプロに任せたいとか思ったり。スマホ決済を始めたり。

 ……等々の変化をしつつも、物入り時期を超えつつ、必要な出費を学び終わった今日この頃。彼が座椅子に座り、結構な枚数のレシートと現在の残高が載ったページを開いた通帳を並べた炬燵テーブルに向かって、スマホメモをポチポチと打ちながら、考えていた事は。


 生涯計画。


 と言うべきものだった。

(この度、宝くじで得た3兆円。それに対して出費は……、東京に来た、高級ホテルに泊まった、マンションを買った、新生活に必要な物を色々と買った……。)

 出費には必要なものと不必要なものがある。前者は生活して行く上で避けられないものであり、定期的に、時に突発的に出ていく。後者は娯楽関係が強く、結果的に定期的出費になるケースもあるが、基本は不定期である。

 彼の一連の出費は基本は必要ではあったが、不必要な贅沢も上乗せしていた面が強い事は否めない。「無駄遣い」と言われても否定出来ない。しかし「無駄遣い」と責められるべきかーー、と問われればどうだろうか?

 少なくとも、この出費で彼を責める人間は誰も居ない。……宝くじの賞金をパクった事を責めるべき人間も近くには居ない。

(マンション自体を抜いた、今回の特別出費はかなり多目に見積もって約950万……、約1000万とする。そしてマンションを入れると、アホみたいに大雑把に多目に見ると……、3億、いや、4億と考えよう。)

 出費は多目に見繕っても問題は無い筈だ。つまり残額は凡そ2兆9996億と考える。

(そんで定期的に出ていく生活費諸々の年間出費額も多目に見積もって250……、いや、300万とする。そこに多目に計算したマンション維持費500万が合わさって800万。……ここも1000万としよう。)

 特別な何かをしていなくても常に年間1000万を出費すると考える。単純計算で2兆9996億が無くなるのは……、29万9960年先。つまり死ぬまでに使い切るには程遠い、と言う事だ。

(けど人生、何が起こるかは分からん。病気になってアホみたいな治療費が必要になる事も……。)

 それでも流石にこの金額が無くなるのは考え難い。が、そもそもそれを言えばこの3兆円を手にした事も有り得ない。だがそれを気にして、タンスの肥やしならぬ、金庫の肥やしにしてしまうのは勿体無い。

(老後の資金に2000万有れば良いとか聞いた事あるけど。)

 年間1000万使う生活なら、老後の安心2000万は如何程膨れ上がるだろうか。

(……そもそも老後って何時からだ?) 

 昔は60才で定年だったが、今は65才、人によっては70才過ぎても働いているケースも有るだろう。

(……正直、70才まで働くとかしんどそうで嫌だよな。)

 今の彼は働く必要が無い状態であるが、宝くじが当たらなければ、そう言った生活が待っていたかもしれない。それは宝くじが当たった今考える事なのかは謎であるが、宝くじが当たった今でなければ、将来なんてじっくり考える余裕は無かったのも、皮肉な事実であった。

(って言うか……、体や頭を壊す可能性も出てくるのか……。) 

 体の何処かが、或いは全部が動かなくなるかもしれない。廃用症候群になるかもしれない。認知症に侵されるかもしれない。特にアルツハイマー型となれば、人格も変わる可能性が大だ。そうならなくとも、様々な不調や不便に侵されるだろう。

(そう思ったらあんまり長く生きたくは無いかも。ピンシャンコロリ、って約束されるのなら100才超えても生きたいかも、だけど……、いや、やっぱ良いや。)

 如何に死ぬまで健康体であったとしても、ヨボヨボな状態であるのは変わりない。次郎は若い体が中年からその先へ衰える事に必要以上に忌避している自分に気付いた。

(俺、こんな考え方してるのか。)

 少々驚いた心を、頭をポリポリ掻いて落ち着かせる。それは無意識の行動だった。

(だとしたら……、俺は幾つまで生きれば満足する?)

 以前「40代では死にたくない」とは考えていた。しかしその先までは思考を馳せていない。そして今、改めて考える。答えは出た。


 60才、と。


 そしてそのまま次郎は決めた。60才になったら死ぬ事を。


 それは「生命への冒涜だ」と叫ぶ人も居るだろう。と言うか「居て欲しい」と思う。身勝手な事に、次郎は自身に向けられたくないが、国や社会の答えとして、「それは間違いだ」と判断して欲しいと考えていた。そしてそう考えながらも、次郎はスマホを使い、「安楽死」で検索を始めた。

(確か……、日本にも導入されてた筈……。)

 オーストラリアから始まった安楽死。尊厳死とも言われるそれは、約10年で世界へと広まった。賛否が有り、倫理的に難しい問題である為、様々に厳しい条件を満たさなければならなかった。しかしそれから更に時代が流れ、今はかなり条件が緩くなっている。「孤独死よりは尊厳死を(安楽死は医師達が見守る中で行う事がスタンダード)」。そう求める人も年々増えていた(※後書き)。

(お、有った、有った。)

 日本の尊厳死導入は遅い方だった為、様々な条件変動もそれに比例していた。それでも「自称・孤独死予備軍の安楽死予約」は導入していた筈だ。

 これは文字通り、「将来は孤独死する可能性大だから」で、安楽死を予約する事が出来るシステムだ。大体、何才くらいで死にたいかを希望し、年に一回、考えが変わってないか、確認の連絡が来るのだ。つまり撤回も出来る。

 ややこしいのは不測な事態が起こり、意識不明等の意志の確認が出来ない状況に陥った場合だ。その様な状態になった時にどうするか。それも事前に決めておく事も出来るが、放置しておく事も出来る。但し、放置すれば自動的に予約はキャンセルとなる。


 尚、有料である(日本の場合)。料金は1億。


 次郎は勿論、ネットで予約可能だったので、そのまま手続きをした。1億は後日振り込む形を取る。これにて残金は2兆9995億となる訳である。

(さて。残りのお金はどう使って行こうか。)

 彼が考えたのは、以前にも少し考えた事だが、趣味を持つ事だった。

(趣味……、趣味か……。)

 薄暗い生涯計画はまだ続く。

お読み頂き、ありがとうございます。大感謝です!


※安楽死・尊厳死に関してですが、私達が住む地球とは違う広まり方をしています。そして時代的には少し未来となる日本でも導入されています。

また安楽死・尊厳死を選択すると、希望するシチュエーションも選べます。希望が無ければ医療機関で、医師達に囲まれて亡くなります。

安楽死・尊厳死の予約は何才でも可能ですが、実施は健常な健康体から程遠いと言う医師の判断が無ければ、60才以上となっています。そして健常な健康体な人の安楽死には、金銭が滅茶苦茶必要となります。安易に死は選べないのです。


次郎の考えに自殺はありません。積極的に死にたい訳では無いのです。それに「長生きしたくないけれど、死ぬのは怖い。明日死んでも良いとは思えない」と言う感覚もあります。

また「長生きしたくないから安楽死」に対する社会の反応は、「命大事に」をキーワードにして欲しいと思ってます。

結構、この辺りはグチャグチャで矛盾だらけです。

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