1.突入作戦
エリシアは体を屈めて、鍵穴に耳をくっつけた。扉の向こうからくぐもった声が聞こえる。
「いい加減にしてくださいよ、殿下。もう何日引きこもってると思ってるんですか」
ローリックがぶつぶつと悪態をつくのが聞こえた。
「あまり自分を責めるもんじゃないですよ。このままエリシアさんを避けてたら、本当にメンケレン帝国に行っちゃいますよ?」
次にシャレドの声がした。どうやら呆れているらしい。
「決めるのはエリシアだ。行くも残るも彼女の自由だ」
アラスターの声は冷静だ。エリシアはずかずかと部屋に入っていきたい衝動にかられたが、歯を食いしばって堪えた。どうせ魔法で鍵がかけてあるだろうし。
(こうなったら、なすべきことはただひとつ)
正々堂々という考えは五秒で捨てた。エリシアは頭の中で突入計画を練った。
小動物よろしく鼻をひくひくさせる。鍵穴の向こうはアラスターの魔力のにおいが充満していた。水魔法と火魔法を使って、なにやら作業をしているらしい。
(さすがは王太子、複数の属性を扱えるのね)
エリシアは腹筋に力を込めた。魔力の奔流がお腹から腕まで駆け上がり、やがて指先に達した。
「いまだ! アラスター殿下『頑張ってっ!!』」
「うあああ魔法が暴発したああああっ!!!」
扉の向こうでアラスターが悲鳴を上げた。鍵穴から付与魔法を叩きつけてやったのだ。
勝手に流れ込んでくる増強エネルギーの奔流は、明らかにアラスターを動揺させたようだ。彼はいま体中に魔力がみなぎり、そのせいで魔法を制御できなくなっている。
「扉を開いてください、アラスター殿下。そうしたら魔力の供給を止めてあげます」
エリシアはここぞとばかりに声を張り上げた。
「いやだ!」
アラスターが叫び返した。
「ならば、アラスター殿下『もっと頑張ってっ!!』」
エリシアはさらに魔力を解き放った。
「ぐああああああっ!! 火が、水がああ、わかった、わかったから止めろっ!!」
勝った。エリシアは顔をほころばせた。
シンクレア公爵家で付き添い役をしていたとき、湧いてくる感情は『頑張って』だった。
親切心とかおもいやりとかじゃなくて、欲しかったのはお給金だ。ラーラが絶好調じゃないと減額される恐れがあったから。
それが魔力回路を開く鍵だったとはびっくりだ。まあ、アラスターの治療を受ける前に放出されていた魔力は、誰にも感知できないほど微量だったようだけれど。
「…………入れ」
ゆっくりと扉が開いた。エリシアは空気の濁った研究室に足を踏み入れた。
「疲れた顔をしていますね」
エリシアは言った。アラスターの青い瞳はどろりと濁っている。
「扉を開けるという約束は守った。出てってくれ」
アラスターが取り付く島もない口調で言った。エリシアは怒りが込み上げてくるのを感じた。
「いやです」
「僕にできることはもう何ひとつない。できることは全部やった」
「守りたい、救いたいと言っておきながら、最後の最後で突き放す。あなたは何をどうしたいんですか? やってることがちぐはぐだって自覚ありますか?」
エリシアが言うと、アラスターの肩がぴくりと動いた。
「明らかに後ろ暗いところがありますよね。全部話してくださるまで、私はここから一歩も動きません」
アラスターがみるみる顔色を変えて、苦し気な表情になった。
「エリシア。僕が全部話したら──君は必ず、僕を嫌うだろう」
「そんなことは私が決めます!」
エリシアはずかずかと研究室を進み、椅子にどさりと腰を下ろした。
「いまの状況で、殿下が得をすることはひとつもない。もうわけがわかりません。あなたは自分の事しか考えてない!」
エリシアが叫ぶと、アラスターは「そうだよ」と唇を歪めた。
「そうだよ。僕は最初から、自分の事しか考えてなかったんだ……根性の腐った、人でなしだ」
アラスターは床にくずおれ、がっくりとうなだれた。その姿は、非力で小さな子どものように見えた。




