2.扉が開く
検査中、エリシアの負担は最小限だった。
「ローリック、いまの数値はどうなっている?」
「変化ありません」
アラスターたちは何日もかけてエリシアの体をさんざん調べたが、いまのところ魔力の反応はないようだった。
「シャレド、次のパターンを試すぞ」
「はい」
エリシアは繭の中に横たわったまま、三人の全身に視線を走らせた。
みんな目が血走り、寝不足でやつれ切っている。髪はぼさぼさ、顔はぞっとするほど青白く、日に日に『いかれたマッドサイエンティスト感』が強まっていた。
「くそっ、これも駄目か!」
「あの、アラスター殿下。たまには息抜きをなさったほうがいいのでは?」
エリシアの言葉に、アラスターは眉をひそめた。予想通りの反応だ。
「そんな時間はない。魔力回路の刺激パターンは無数にあるんだ。ひとつが駄目なら、次のパターンを実行する。それを繰り返すだけだ。最初から、時間がかかるのはわかっていた」
アラスターの声はしわがれていた。
研究室の中には本物の寝袋が運び込まれ、携帯食や水瓶など、生活に必要なものがすべて揃っていた。研究室から一歩も出ないで済むように。
エリシアが隣の小部屋で普通の食事をしたり、お湯を使って身を清めている間にも、アラスターは山のような情報を精査していた。
「私が言うのもなんですが、殿下。どこかで気持ちの区切りをつけないと。やっぱり私には魔力なんてないんですよ。残念がる人なんて、世界中にひとりもいませんから」
「やかましい。他の事ならまだしも、これだけは諦めるわけにはいかないんだ。決して」
「はあ、まあ、殿下がそうしたいのならいいですけど。でも、私にここまでしてもらう価値なんてないのに……」
やっぱり自分は『恥知らずなアージェント家』の末裔で、それ以上でもそれ以下でもないのだ。でも、負けじ魂に火がついているアラスターは、簡単にあきらめるつもりはないらしい。
「王太子教育って忙しいはずですよね。一体いつ、こんな知識を身に着けたんですか?」
「隙間時間ってものがあるだろう。自由な時間をすべて費やせば、誰だってそこそこの専門家になれるさ。それに僕は天才だから。魔力回路の研究で、国内に僕と同じくらい優秀な人材はいない」
「確かに殿下って、真の才能の持ち主って感じがします」
エリシアは同意するようにうなずいた。こんな特殊装置を作ることをやってのけたのだから、天才であることは間違いない。
だけどもう百年も、アージェント家の人間が魔力なしで生きてきたことを考えれば──。
「心配するな」
エリシアの思考を断ち切るように、アラスターがきっぱりと言った。
「あと一歩のところまで迫っているんだ。それにシンクレア家の連中が、森の隠れ家に君を連れ戻しに来たと、騎士団から連絡が入った。初めは公爵が、次にラーラが。これで、君に魔力がある可能性がぐんと高まった」
「それは単に、サンドバッグにする人間がいなくなって寂しいとかなのでは?」
「馬鹿、そんなものはいくらでも雇える。公爵家の連中が執着する理由なんて、考えるまでもないだろう」
アラスターが小さく笑った。
「君は確かに魔力を保持しているが、体内のどこにあるのか、どんな条件で目覚めるのかがわからない。騎士団の連中が尋問したが、シンクレアの連中もわかっていなかったようだ。しかし君を傍に置いておくと、得をすることがあるのは知っていた」
エリシアは困惑してアラスターを見返した。本能的に、彼が真実を話していることはわかった。
「エリシアには魔力がある。でもそれを自分の意思では表に出せない。恐らく遺伝的な問題だと思う。大丈夫だ、きっと救ってやる」
エリシアを安心させるように、アラスターは彼女の頭を撫でた。
「魔力回路は僕の専門だ。原因がわからないままには、決してしないから」
こくんとうなずく。アラスターの眼差しは慈愛に満ちていた。ずっと前にも、こんな目を見たことがあるような気がする。
「シャレド、ローリック。次のパターンを試すぞ」
アラスターが銀板の前に戻った。
エリシアは目を閉じた。頭の中で父と祖父の顔を思い浮かべた。アラスターの言う通り遺伝的な問題なら、彼らにも本当は魔力があったことになる。できれば、そうであってほしかった。
「駄目だ、次に行こう」
頑張って、アラスター。エリシアは心からそう思った。頑張って。頑張って。頑張って。
「数値が増加しました!」
シャレドが声を張り上げた。目を開くと、三人とも表情を一変させていた。
「エリシア、いまの感覚に集中してくれ!」
「は、はい。えーっと、アラスター殿下頑張ってっ!」
「またもや数値が増加しました!」
ローリックが言い、アラスターが「もう1回だ!」と叫んだ。エリシアは腹筋に力を入れて「頑張って」と念じた。
「見つけたぞ、魔力回路を開くのに必要な鍵!」
アラスターが装置を弄り始める。右胸の奥で、局所的な痛みを感じた。錐で穴を開けられるような感じだ。次いで、全身にぴりぴりするような震えが走る。
頭の奥で、バキバキッという音が響き渡った。何かが割れるような音だ。痛みが消え、体内が心地よいもので満たされていく感覚があった。
「すべての数値が、最大値を振り切った……」
アラスターが呆然とつぶやく。エリシアは起き上がり、彼に向かって手を伸ばした。何だか、自分が自分ではないみたいだった。




