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採れたて山菜とたっぷりきのこの猪鍋定食

作者: てこ/ひかり

 どうも生まれつき皮膚が弱いのか、毎年寒くなると手の皮が剥けたり、右のまぶたに花が咲いたりする。

手の皮と、まぶた、だ。

何てことない箇所だと言う人もいるだろう。私自身、普段の生活でそのふたつをそんなに意識したことはない。だがそのまま放っておくと皮が破けて血が滲んで来たり、右目に蜂が飛んで来て、蜜を吸いに来たりするから大変だ。洗い物をする時大変だし、何より右の視界が覆われて面倒ったらありゃしない。病院でも薬を処方してもらうが、中々完治するものでもない。


 そこで、温泉に行くことにした。

 ネットで、隣県に皮膚に良く効く”らしい”温泉がある……と知った。サイトには、皮膚の表面が象のように固くなっていた人が、入浴後ツルツルになった写真などが載せられており、(眉唾だとは思ったが)藁にも縋る思いで出かけることにした。いやはや。病気になった途端、急に、今まで自分は何と恵まれていたのか、などと後悔したりするのだから、我ながら情けない限りである。


 ただその温泉と言うのが……日本アルプスの奥地にある、知る人ぞ知るちょっとした秘境なのである。


 電車やバスはもちろん通っていない。

車でも、自宅から高速を乗り継いで片道6時間弱……ちょっとした小旅行である。日帰りは無理だし、出来れば一週間くらいは泊まることになるだろう。だけど病気が治るなら、それくらいは覚悟の上である。健康とはかくも得難いものなのだ。まだ陽も登らない頃、鞄に荷物をこれでもかと詰め込んで、私は出発した。年の瀬のことである。


 高速を降りるまでは、特に変わったこともなかった。麓に着くと、

『※※山入り口/山頂まで約2キロ』

と看板が出ていて、ここから先は車では通れない。登山口には、古い木材でできた巨大な羅生門のようなものが立っていて、その中で50代くらいのおじさんが見張りをしていた。ひび割れた窓越しに、おじさんが私をジロリと睨んで、低い声で唸った。


「通るなら1万円」

「えっ、お金取るんですか?」


 私は思わず聞き返した。高い。先ほど高速でも、8000円近い金額を取られたのだ。できることなら無駄に出費を増やしたくなかった。顔中にボコボコとおできをつけたおじさんは(本当にこの先の温泉に効果はあるのだろうか? 私は不安になった)、カウンターの下から木材を取り出し、行く手を阻んだ。さらに木材をもう一本取り出し、あろうことか私に向かって突き出して来た。


「何するんですか!」

「そっちこそ、タダで通ろうってのか!」


 争いになった。そもそもここは私有地でもないし、山を登るのにお金が要るとは聞いていない。頑なに通すまいと意地になっている姿に、(やはり効果があるのでは……)と思い直した私は、おじさんを倒してでも先に進みたくなった。健康のためには、時に戦わなくてはならないこともある。


「グアアァ〜ッ!!」


 やがて雌雄が決した。山の麓に断末魔が(こだま)する。私に()()()()ぶん殴られたおじさんは、がっくりとその場に倒れこんだ。戦闘が終わると、おじさんは真っ白な湯気のようなものに包まれ、巨大な狸の姿に戻ってしまい、慌てて山の中へと逃げ込んで行った。


 私は呆然とその場に立ち尽くした。狸……今しがた見た光景を、人に話したところで誰が信じるだろうか? いつの間にか羅生門も姿を消していた。狸が見せていた幻覚だったのだ。経験値や金銭の授与は無さそうが、ともかくこれで先に進める。ふと顔を上げると、薄汚れた窓ガラスに自分の顔が映っていた。戦闘のせいか、目の周りが黒ずんで来てなんだか狸のようになってしまったが、此処まで引き返す訳にもいかない。


 道中、昼間だと言うのに山の中は薄暗く、またとても寒かった。白い息を吐き出して、体をぎゅっと縮こまらせていると、前方から狐の親子がこちらに近づいてくるのが見えた。両手に赤い提灯を掲げ、紺色の着物を着た、可愛らしい狐の親子だった。


「もし……」

 狐のお母さんの方が、私を見上げておずおずと話しかけてきた。


「そのぅ、良かったら耳を分けてくれませんか?」

「え? 耳??」

 耳、とは両脇についている、この耳だろうか? 狐のお母さんが頷いた。


「私ども、これから人間の里に下りますので、どうしても言葉の分かる耳が必要なのでございます。この子の分の耳が、どうか、どうか」


 狐が深々と頭を下げた。私は戸惑ったが、その提灯を分けてくれるなら……ということで手を打った。とにかく寒くって薄暗くって、明かりが、熱源が欲しかったのである。耳を渡すと、狐の親子は何度もお礼を言ってその場を去って行った。こうして耳が狐の耳になってしまった私は、狸の手で赤い提灯を掲げ、再び山道を登り始めた。


 しばらく進むと、石畳が見え始めた。

この付近には明らかに人の手が入っている。目的地が近いのだろう、私の胸は踊った。此処に来るまでに、通せんぼの獣が2匹、明らかに妖怪と思われる化物(ケモノ)が3匹私を襲ってきたが、何とか追い払うことができた。その間こっちは両腕が熊になり、お腹にカンガルーのポケットのようなものが出来、口はカモノハシのようになってしまった。早く温泉に入りたい。度重なる戦闘でクタクタになっていた私は、一歩一歩踏みしめるように石畳の道を登り始めた。


「いらっしゃいませ」


 石畳を登り終えると、墨を零したように真っ黒な空に、白い湯気が立ち昇っているが見えた。浴衣姿の女中が私を出迎えてくれる。目指していた秘湯だ。とうとう辿り着いたのだ! 

嬉しいやら疲れたやら、その瞬間、私は腰が抜けそうになった。


 温泉に着くと、人間のお面をつけた女将さんが、穏やかな声で私を迎えてくれた。入浴料600円を払い、扉を開けると、こんな山奥だと言うのに、中はお客さんで混み合っていた。


全身が魚の鱗のようなものに覆われた人。

顔だけ2倍にも3倍にも膨らんでしまった人。

舌が蛇になり、顔の前でとぐろを巻いている人……。


 症状は様々だが、皆効用を求めて、この秘境まではるばるやってきたのだ。一度もしゃべったこともない人なのに、何だか妙な連帯感みたいなものを覚えた。私も私でそっと湯船に浸かり、旅の疲れを癒した。



「ありがとうございました。またどうぞ、いらしてくださいね」


 人間のお面をつけた女将さんが、深々と頭を下げた。すっかり温まった私は、いい気分で暖簾をくぐった。なるほど温泉の効果は抜群だった。湯を上がる頃には手の皮は幽かに潤いを取り戻し、まぶたに咲いていた花も大分取れていた。


「グェ、グェ」


 カモノハシになってしまった口で、何とか女将さんにお礼を言って、その晩からその湯治宿に泊まらせてもらった。案内された部屋は質素な造りだったが、暖かく、出された食事も大変美味しかった。用意されていた布団に潜り込み、ツルツルになった掌を、視界良好な右目で確認して、私は思わず顔を綻ばせた。懸念していた病が無事治りそうで、本当に良かった。このまま療養を続ければ、一週間後、私はどんなになっているだろう? カンガルーのポケットに熊の両腕を突っ込み、狸と狐が戯れ合う夢を見ながら、その夜私はぐっすり眠ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 予想がつかない、不条理な事が楽しい。まあ作中の主人公にはには不幸なんでしょうがw [一言] 結果的に、手のアレと目元の花で我慢すべきだったか・・ 花はいつかしぼむし、ただ植物だから体内に根…
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