プロローグ 迷子のうさぎ
プロローグ 迷子のうさぎ
変だとは思っていたのだ。
住宅街でまさかうさぎを見かけるなんて。
すぐに角を曲がって見えなくなってしまったうさぎが気になって、ついその曲がり角を覗いてしまった。
今ならわかる。
きっと疲れていたのだ。
疲れていたから猫がうさぎに見えてしまっただけだ。
そうでなければ飼えなくなった人間が違法に逃がしたに違いない。
パワハラにも屈しずに、朝から夜まで低賃金で真面目に働きすぎた。
休めと言う合図に違いない。
目が覚めたら辞表を書こう!仕事を辞めてしばらく休んで、そうしたら少し遅いかもしれないが婚活をしよう。
だからどうか、これが夢でありますように………。
再度、曲がり角からうさぎが消えた場所を覗いても、そこにそんな姿はなく、やっぱり見間違えたのかとUターンする。
けれどそこにさっきまであったはずの道はなく、ただただ広がる緑の森。
呆然とするユキの目の前をあのうさぎが通りすぎていく。
白いふわふわの毛にピンクの目。
「ねぇ、ちょっと待って!」
ユキは叫ぶけれど、もちろんうさぎに人間の言葉がわかるはずなんかない。
なのにユキはそんなことなど忘れてしまったかのようにうさぎを呼び止めようと手を伸ばす。
「お願い待って!」
そして伸ばした自分の手を見てハッとする。自分の手はこんなに白かっただろうか?自分の指はこんなに細かっただろうか?
恐々と自分の体を見て、さっきまで着ていたままのスーツ姿に安心する。
「バカね、私」
明日だって仕事なんだから、いい加減目を覚まさなくっちゃ。
35歳独身女性なんて褒められたもんじゃない。
それでもコツコツと頑張って働いてきたのだ。
パワハラは日常的にあるけれど、今さら辞めて次を探せる年齢でもないのだ。
「幻覚よね?」
幻覚なら幻覚でそれでも十分に危ないのだが、兎に角家に戻らなければ何もできない。
ぎゅうっと目を閉じて、ゆっくりゆっくり開く。
けれど可哀想にユキの目には涙が溜まっていく。
「………どこよ、ここ」
いつも通りの帰り道。違ったのは白いうさぎが居たことだけ。
不幸なのは、その白いうさぎの後を追ってしまったこと。
こうして白井雪は未知の世界へと迷いこんでしまった。