変わった世界
「ああ……。久しぶりにやっちまった。決闘ではなく強制ログアウトで敗北するなんて、大失態だ……。デュエリスト失格だぁ……」
現実に戻ってきた黄昏こと時任暁は、マイギアを外すともの凄い勢いで落ち込んだ。
決闘中にそれ以外の結果で敗北するという事態は、彼のプライドを大きく傷付けるものだったのだ。
「カードゲームアニメだったら、ちゃんとカードで決着付けろと、視聴者からの非難囂々の展開だな。
はぁ……言ってても仕方ないか、ともかく早く飯食って戻らないと……」
乱入によって一向にデュエルで決着を付けずに炎上した、過去のカードゲームアニメを思い出しながら、暁は重い足取りで冷蔵庫へと向かう。
そして中身を確認して思わず呻いた。
「何もねぇ」
一人暮らしをしている暁はわりとルーズな生活を行っていた。
その為に食料がいつの間にか尽きているということは珍しいことではなかったが、ちょうど今日起こるかという思いがわき上がる。
「出前を取るか? いや買い出しに行った方がいいか」
出前の方が手っ取り早いが、後々のことを考えると真っ当に食材を補給する必要がある。
暁はため息をつくと外出用の準備を始めた。
一通りの準備を終えて、玄関の扉を開けて暁は外へと出る。
久しぶりに感じる眩しい朝日を受けていると、突然隣から声をかけられた。
「あれ、時任さんお出かけですか?」
「ええ。私は食材が尽きてしまってその買い出しに行くところです。田中さんの方こそ、忙しそうですけど何してるんですか?」
マンションの隣に住む田中に声をかけられた暁は、愛想よく答えを返す。
そしてそれと同時に、忙しそうにダンボールを運び出す田中を見て、思わずその理由を尋ねた。
「ああ、後でご挨拶にいこうとは思っていたのですが、実は副業が上手くいきまして、それで新しいマンションに引っ越すつもりなんです」
「へぇ~それは凄い。羨ましいです」
田中がどんな仕事をしているか暁は知らないが、それでもこのご時世に稼げていることに素直に尊敬の念を示す。
なぜならフルダイブ型VR技術によって場所も人種も年齢の垣根すらもなくなり、あらゆる人々が自身の仕事の競争相手となる厳しい社会となっているからだ。
優秀な人間や優れたアイデアがあるなら、どんな人でも何処までも稼げるのを引き替えに、大したことがない人間は何も得ることが出来ずに沈んでいくことになる。
(俺もその日暮らしのフリーターだしな。コネがなかったらたぶん飢え死んでるし)
暁はそれなりのマンションに住んでいるが、これは決して収入があるからというわけではない。他の色々なことを切り詰めてやっと暮らしているのだ。
そこまでしていい家に住むことには理由がある。
フルダイブ型VRによって、電子化できる様々な仕事は、VR空間を利用することで家から直接向かって行うことが出来るようになった。その為に家にいる時間が長くなったので、多少無理をしてでもいい家に住もうという人はこの世界では珍しいことではないのだ。
「いえいえ、運がよかっただけですよ」
「いや、それでも凄いことです。私だってもっと良いマンションに住みたいですし」
「すみませーん。この荷物なんですけど~」
「あ、はーい。時任さん。すみません荷物を詰めなければいけないので……」
「ああ、大丈夫ですよ。私もスーパーに行かなければなりませんし。それでは田中さんお元気で」
「はい。そちらこそ」
引っ越し業者の元へと向かっていた田中と別れて暁は歩き出す。
マンションを出て、その先にある寂れたシャッター街を進んでいくと、程なくして目的地である近所のスーパーに到着した。
暁は買い物籠を手に取ると心許ない持ち金と相談しながらセール品を入れていく、一通り必要なものを入れたところでレジへと向かった。
「3280円になりまーす!」
「電子マネー払いで」
可愛らしい声ではきはきと喋る小学生くらいの少女に暁はそう返答すると、マイギアと連動して、VR空間内での電子マネーで支払いを行える端末を取り出してレジに当てる。
支払いを済ませると、レジ袋代の節約のために持参した買い物袋に商品を入れて外へと出た。
「VRは世界を変えた……か」
暁はレジを担当していた少女を思い出しながらそう呟いた。
十年前、唐突に世界に対して発表されたフルダイブ型VR技術。
ネクストオリジンの社長が考え付いたそれは、技術特異点とも呼ばれるほどに当時の技術体系からかけ離れたものであり、開発した本人も『まるで異世界から知識を植え付けられたように未知の技術をいつの間にか思いついた』と言うほどの画期的なものだった。
そしてその画期的な技術は世界を大きく変えた。
それが良いことか、それとも悪いことだったのかは分からない。
ただ一つ言えることはその影響が大きすぎたということだ。
進んだ技術は、それが革新的であればあるほど、大きな光と影を生み出す。
フルダイブ型VRが発売されてからしばらくは全てが上手く行っていた。誰もがフルダイブ型VRを楽しんでいた。そこは色々な人の夢と希望が詰まった最高の遊び場だったのだ。
だが、そんな日々はいつか終わりを迎えていた。
その終わりが何が切っ掛けに起こったものかはっきりしていない。
なぜならいつの世だって、日常の崩壊というのは目の届かないうちに進んで、気付いた時には手遅れになっているものだからだ。
フルダイブ型VR技術を元にした様々な問題……新人類が発生した事による旧人類との確執や、新人類になれなかった【電脳アレルギー】の排斥、現実世界の距離に関係なく繋がれるVR空間という存在による経済崩壊などが一気に露わになり、事態そのものと、それに対する対応によって、世界は気付いた時には強制的に変革されることになった。
先程の少女の姿も変わった世界の一部だ。
あのような若さで働くなんてことは以前の世界ではあり得ないことだった。
だが、今では当たり前の光景として受け入れられてしまっている。
この世界では親から捨てられた子供というのは珍しいものではない。
旧人類の親の中には新人類の子供を受け止めきれないものも多い。単純に異常な力を持つ子供を嫌うというだけではなく、大人以上の力を持ちながら子供の精神性を持って暴れる子供が手に負えなくなるといったこともある。
そう言った状況に経済崩壊による生活の貧しさが重なると、子供を捨てると行った発想にいたってしまうのだ。
そうして大量の孤児が出ることになったが、政府はそれに対して有効な対策を打つことが出来なかった。
なぜなら当時は経済崩壊による世界恐慌の真っ只中で、どの政府も大量にいる孤児を育てる資金がなかったからだ。資金不足によって直接的な解決を目指せなかった政府は苦し紛れの一手として、仕事に就くための年齢制限を全て撤廃して、子供達が合法的に働ける環境を整えて自分達の食い扶持を稼がせるようにしたのだ。
子供を働かせるという無茶苦茶な政策を人々は渋々ながら許容した。
新人類は旧人類より優れた能力を持っているのだから子供でも働けるという建前があったが、その裏には能力の高い人材が欲しい企業や、強力な身体能力を持つ子供達がスラム化して暴れることに対する恐怖、経済的な不安から子供の手でも借りたいという考えがあった。
「子供が働きに出るようになったことで、旧人類はまともな仕事に付けないようなったんだよな……。俺自身もフリーターとして稼げてなかったら【死肉漁り】の一員としてアングラな道を進んでいたかも知れないし」
いつの時代も企業は若くて優秀な人材を欲しがるものだ。
それは優秀な人材に長く働いて欲しいがためのものだが、その条件に働き始めた新人類たちは完全一致した。
そのため殆どの企業は旧人類を雇わず新人類を雇うようになったのだ。
特に【喪失者】と呼ばれる旧人類最後の世代は悲惨なものだった。
一年後に新人類の新社会人がやってくるからと、世界不況を理由に世界中の企業で新人募集が行われず、就職氷河期と言ったものを越えるほどの超買い手市場が形成されたのだ。
彼らはまともな職に就くことが出来ず、路頭に迷うことになった。未来を悲観した彼らはあと一年若ければ得られるはずだった新人類を嫉み、そしてそれを手に入れられずに世界から見捨てられたことに絶望して、多くの者が犯罪に走るか自殺した。
現在では多数存在していた喪失者は、当時の一割以下しか生き残っていないだろうと言われている。
そして生き残っていたとしても真っ当な仕事に就いているものは更に少ない。
暁も喪失者の一人であったが、彼は他の者に比べて運が良かった。
就職難で困り果てていた頃、偶然ネクストオリジン社の重役と友人になることが出来たために、VR関係の仕事をコネで貰って乗り切ることが出来たのだ。
その出来事が無ければ暁は、VRゲームでリアルマネートレードを行って日銭を稼ぐ生活を送り、やがてリアルマネートレードなどVR内の闇仕事を一手に取りしきる組織である死肉漁りに所属することになっていただろう。
「死肉漁りか……。もとはブレイブカードのクランの一つだったのに、今では随分とでかくなったよな~」
カードゲームの大会などで交換系のカードを使い、こっそりと自分のカードに紛れ込ませて盗んでいく者を、カードゲームアニメのレアカードカードハンター集団に準えてグールズと呼んでいた。そこから名を取って死肉漁りと名乗ったその集団はブレイブカードで生まれた弱小組織に過ぎなかった。
群雄割拠状態のVRの闇組織同士のつぶし合いによって、あっさりと潰されると思われていたその組織は、予想を覆し、急成長して勢力を広げ、やがてほぼ全てのVRの闇組織を傘下に収めるようになった。
その大躍進の理由、それはブレイブカードとリアルマネートレードとの相性が良すぎたということだ。ブレイブカードはカードゲームを主体としているゲームであり、その強さは手持ちのカードによって左右される。それを手っ取り早く集めるためにリアルマネートレードで手に入れようと考える者が多く、またブレイブカードがリアルマネートレードを禁止していないのもあって多くの者が死肉漁りを利用したのだ。
これによって莫大な収益を上げた死肉漁りは、その資金を使い、次々と同業者を潰して傘下に収めていったのだ。
「ま、何にせよ。行き着くところまで行って落ち着いたって感じだよな。現実世界も仮想世界も。誰もがそう思って、ここから先がないように願ってる」
フルダイブ型VR技術の発表から十年が経って世界もようやく落ち着いてきた。
様々な変革の犠牲にあってきた世界の人々は、色々な思いはあれど現状を受け入れている。
だからこそ人々は願っているのだ。
どうかこのままであってくれと。
もう沢山だからこれ以上は変わらないでくれと。
今の世界はそう願う人々によって作り出されたある意味で言えば仮初めの世界だ。
何か問題が起これば全てが崩れてしまうような危うい平和の上にある世界。
――それがこの世界の現状だ。
(だけどこの変わり果てた世界を見て、今あの人は心の中で何を思っているだろう。人々にもっと夢のある世界を見せたい。誰もが楽しめる場所を用意したい。そう思って作り上げた夢の結晶が真逆の結果を生み出してしまった。
そしてその事実を知りながら、この世界で生き続ける彼の気持ちがどんなものなのか……それはきっと彼以外には分からないだろうな。
だからこそ俺は――)
そんな取り留めも無いことを考えながら、暁は玄関のドアを開けた。
中に入ろうとして――そこに倒れている少女を見つけて思わずため息をついた。