あの日の老婆
──彼の地に立ち入ってはならない
などと囃し立てられれば気になるのは人の性。事実、ネット掲示板に投稿された<夜也神村>と言う廃村を探し求めて、帰らぬ人となった者は後を絶たなかったという。
曰く、その村は人を喰う文化がある。
曰く、その村は迷い家のようである。
曰く、その村は世俗から隔離されている。
噂はやがて一人歩きし、都市伝説に昇華した夜也神村は、今もひっそりと、待ち人を求めているそうな。
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壬生姫千尋は懐かしさに耽る間もなく、逃げ出そうとしていた。 だらしなく涙を流し、惨めったらしく足を回して、ここではない何処かへ、夜也神村ではないどこかへ。
踏みしめる枯れ葉の感触、肺を凍らせるような冷めきった空気。 千尋は当時を思い出して足が竦みそうになるが、もたつく歩みは決して止めずに進む。 だって、止まってしまったら恐怖に喰われてしまうから。
浅い呼吸を繰り返し、濃霧の中を手探りで進む千尋の歩みは、やがてゆるやかに止まった。
「なんで………、いや、いやよ」
眼前に広がる光景に、堪らず消え入りそうな声を吐露する千尋は、そこに廃村を見た。
樹海の中にある廃村。その排他的な在り方をした村に辿り着けるのは偶然を積み重ねる必要がある。 そうしてやっと、一般人が辿り着けるだろう村に、千尋は誘導されていた。
いつのまにか、立ち篭める霧は晴れていて千尋は小高い丘に立っていた。樹海の中で唯一月明かりの恩恵を受ける村。 千尋は、この丘から見下ろせす景色が大好きだった。けれど、今は違う。
「智治、いるの?」
声を出すことすら憚られるような重苦しい圧を払い退けて弱々しい呼び掛けをする千尋。
けれども返事は帰ってこない。変わりに、村の中の、一つの家の明かりがついた。
「そこに、いるのね」
意を決した千尋は緩慢な足取りで明かりがついた民家を目指す。頼りになるのは僅かな月明かりと充電僅かなスマホの明かり。あまりにも心細い現状に、逃げ出したくなる弱気を制してなんとか辿り着いたその民家には見覚えがあった。
幼き日、姉妹で訪れた老婆の家。何故か肌色の皮が大量に吊るされていたのを千尋は覚えていた。以来、姉妹はその家を不気味に思い敬遠していたのだが、その不気味な理由が今ならわかる。
吊るされていたのは、人間の皮だ。
クチャクチャと、その皮を食べていた老婆を鮮明に思い出した千尋は青ざめながらも戸を引いた。
「智治?」
明かりがついた老婆の家の中には誰もいなかった。 変わりに吊るされている無数の人間の皮は時間と共に乾燥したのか乾物のように色味を増していた。
「なに?」
無数に吊るされた人間の皮。その中に、何か違うものが混じっているのに千尋は気付いた。
気になった千尋は、吊るされた皮の間をすり抜けて奥に進む。そして、そこで吊るされていたのは変わり果てた智治の姿だった。