黒髪の女の子
すっかり陽は落ち宴もたけなわ。会場を照らすのは提灯と月明かり。
皆が魔王クワハの言葉を待つ。
「ふははははは! それでは第10回トーナメント 魔王ピックの授賞式を始める。チャンピオンのトオル、ここへ」
呼ばれて壇上へと上がる。やばいどうしよう、スピーチとか全然考えてないぞ。
拍手と期待の眼差しが決闘とは違う緊張感を煽る。
「こっこの度はぁ…おあ、お集まりいただっきましてぇっ…」
噛み噛みだ。予行演習とかしてないもん。無理だもん。
「我らのチャンピオン殿ー! しっかり喋るでござるよー!」
レオンに野次を飛ばされる。顔がぽっぽしてきた。もういいや適当で。
「俺がチャンピオンだ文句あるか雑魚ども! わはははは!」
魔王にならって不敵に笑ってみる。楽しい。
「なんだとコラァー!!」
「いいぞもっとやれー!」
ブーイングと拍手と歓声がないまぜになって会場が一気に沸き立つ。
ちょっと癖になりそうな感覚だ。
「ふははははは!!静粛に!ふははは!」
しばらく静粛にならなかった。
「それでは我々エルフの技術の結晶、ミスリル装備の授与だ。マントをつけるからじっとしているように」
クワハが俺の後ろから手を回し、胸のところでボタンを留めていく。
白くて細い指が器用に動いている。なんだかドキドキしてしまう。
ふと、左耳後方から俺にしか聞こえないような声で囁かれた。
「ふふ、ダルに先を越されてしまったようだな」
突然の不意打ちに背筋がぞくぞくと震える。
「ならばこちらにしよう。右頬は我のものだ」
至近距離で囁くクワハの吐息が右耳にかかる。
「んひゃあっ」
つい女の子みたいな声をあげてしまう。お姉さん、イタズラが過ぎます。
一歩前に出た俺は自然にうつったらしく、拍手が送られてきた。
とりあえず両手をあげポーズを取ってごまかす。
いつの間にかしっかり取り付けられていたマントは金属のような光沢を浮かべているが、触ってみると繊維のような軽さときめ細やかさを備えていた。その軽さは、風にでもなびかれないと付けていることを忘れてしまいそうなほどだ。
「では、ほっぺにチューを始めるぞ。ダルよ、安心するがいい! すぐに済ませるでな。ふはははは!」
こちらに向き直るクワハ。金色の瞳を見ているとさっきのぞくぞくを思い出してしまう。
「さあ、目を閉じるがいい」
言われるままに目を閉じる。
一気に周囲から喧騒が失われ静寂が充満していく。
たのむ、はやく終わってくれ。いや、本当はどうだろう。ちょっと期待してる?まさかまさか。
頭の中がぐるぐるしてくる。
「もう目を開いても良いぞ」
「え?まだ何も…」
驚いてクワハの方を見ると笑みを崩さないまま腕を組み、同じところに立っていた。
「ククク、まだ時間はたっぷりある。まずはゆっくりと話そうではないか」
クワハが会場を向く。俺も促されるようにその先を見ると、おかしなことに気付いた。
不自然な体勢のままのおじさん。今まさにみかんを口に入れる寸前で動かなくなっているお姉さん。ジョッキを運んでいる途中で転びそうになっているお姉さん。ジョッキからこぼれている牛乳が空中で静止している。
「時間が…」
「うむ。我が止めたのだ。こう見えて魔王だからな」
なんだか淋しげな、自嘲的な笑みを浮かべている。
「魔王は、平和を願っているんですか?」
ずっと気になっていた事を聞いてみる。魔王といったら世界侵略とかそんな感じだと思う普通は。
「勿論だ。徹頭徹尾、平和のため、同胞のために戦っている。今もな」
「じゃあなんで魔王なんです?」
「先代を殺したからだな。魔王枠は常に埋まっていなければならない。そういうルールなのだ」
ルールか。この世界の法則ってことなんだろうか。
「魔王になると大きな力をもつ。具体的に言うとこの時間停止結界だな。強大な力を持つと、人は力に溺れる」
「クワハは平気そうですけど」
「ふむ、そう見えるか。我も最初は何ともないと思っていたのだがな。ネッサやダルが自由に動いているのを見ると、正直嫉妬してしまいそうになる」
あまり面識のない俺に弱音をはくクワハ。むしろ知らない仲だからこそ出来るのかもしれない。
普段からあれほど気丈に振る舞っているのだ。愚痴や弱音を吐き出す場所なんて無かったのだろう。
「そしてお前の登場だ。ネッサはまあ、元々流れる雲のような奴だったが、ダルをとられてしまった」
あれ?なんかおかしな展開になってない?
「我とて魔王。この力を少しくらい自分の為に使っても良いとは思わないか」
ゆっくりと肩に指を這わせるクワハ。
俺の体は時が止まったかのように動かせなくなっていた。
「今だけでいい。この暗く燃える嫉妬心を鎮めてくれないか」
こ、こ、この流れは……。
「寂しいのだ」
声色の変化にはっとしてクワハの顔を覗いてしまう。
不敵な笑みでも魅惑的な笑みでもない、思いつめた表情。
そこにいたのは、道に迷って途方にくれている一人の少女のように思えた。
クワハは唇を離すと、後ろへ振り返り魔法バリアを貼った。
がきぃん。
「もう少し待っていられなかったのか。勇者よ」
いつの間にか体が動かせるようになっていた。周りの時間も流れている。
「ふん。バレてたなら隠れる意味はなかったな」
黒い剣を構える勇者カズヤ。結界を破ったのはこいつらしい。
周囲がざわつき始める。
「ふは、ふははは!良かろう、我が」
「いや、俺がやる。決着がまだなんだ」
「そうか…。ふふ、では我を守ってくれ」
クワハの表情が忘れられない。無理やり取り繕おうとしているのが見ていられなかった。
呼応するように右手にムラの柄が収まる。
「魔剣どころか魔王に魅入られたか。手加減はしないぞ」
言うや否や、風のような高速上段斬りが飛んでくる。
がきぃん。
片手で受け流す。
すぐさま剣が翻り二打目、三打目が飛んでくる。
俺ではなくムラへ向けて。
「暴食の剣。チート武器ですね。主、解析するのでもう少し受けてください」
「え?お、おう」
受けろといっても段々重くなる剣なんだが、ちょっとムラがワクワクする台詞を言っていたので受け続ける。
がきぃん。
がきぃん。
速度と重みを増す剣撃。
「くそ、こいつ殆ど手首の動きだけで振ってるのに滅茶苦茶だ」
「もう解析終わってます。最後の一撃を思い切り弾いて下さい」
丁度勇者が剣を高く掲げていた。超重量の真っ黒の剣が加速を始める。
剣という名の隕石が眼前まで降りてくる。
今まさにぶつかろうとしている隕石を右手の剣で払う。正気の沙汰でないと思う。だがこういうのが良いのだ。頭の中では火の玉を斬るレオンを思い浮かべていた。
「ぬおりゃああああ」
がきぃん。
「修正ID108653暴食の剣。オリジナルへ置換します」
からんからん。
「なん…だと…?」
床には暴食の剣の代わりに普通のロングソードが転がっていた。
「ええ…何したの?」
「バグ修正です。勇者特効みたいなものだと思って下さい。それより、逃げられます」
勇者が懐から大きな青い宝石を取り出し、地面に叩きつけた。
ぱりぃん。
一瞬、放射線状に光が放たれる。
光が止む頃には勇者カズヤは姿を消していた。
「うおおー!チャンピオンつえー!」
「きゃー!勇者様がー!」
「魔王様大丈夫ですかー!」
会場は大混乱になっていた。
「クワハ、これどう収拾つけ」
言い終わる前に、右頬にあたる柔らかい感触で遮られた。
一瞬で静まり返る会場。
「すまん衝動的にやってしまった。しかし誰かに守られるというのもいいものだな」
全然悪びれる様子のない魔王様。むしろドヤ顔である。デジャヴかな。
「守られる…騎士…ナイトか。ふむ、悪くない」
何やらニヤニヤしながら考え始める魔王様。
「ふはははは! 皆の者、トオルは我の騎士だ。勇者から我を守った騎士であるぞ!」
大混乱は収まり歓声が方向性を取り戻す。
「きゃー!騎士様ー!」
「あー。」
「羨ましいぜ勝負しろコラァー!」
心底嬉しそうに笑うクワハの頬は提灯の明かりのせいか、ちょっぴり赤らんで見えた。




