第7話 見覚えのある光
「自由に街を見てくるといいって言われてもなぁ」
ぼそりと呟いたルオーレは、一度周りを見回すと困ったようにその視線を空にむける。マルセリアに街に慣れてこいと送り出されたのだ。
道中疲れただろうから、何も考えず羽を伸ばすのも悪くないぞ、とのことだ。
確かに悪くないのだが───
「何したらいいかわからねぇ…」
その顔には乾いた笑みが浮かんでいる。
正直なところ冒険者になることしか考えていなかったため、いざ行動しようとしたところで村しか知らないルオーレは、この状況に戸惑ってしまうのだった。
人混みになれる練習でもするべきだろうか。
そう真面目に考え込んでいたとき、ふと何とも言えない食欲をそそる匂いがルオーレの鼻孔をくすぐった。
───そういえば、朝からまともに食べてなかったな。
“アイテムボックス”には様々な食料が入っているのだが、食事を取りすぎると動きに支障が出るのと、慣れるための訓練ということで、干し肉や簡易的なスープしか取っていないのだ。
今更ながらにそのことに気付いたルオーレは、その匂いに誘われるようにして───串焼きが売られている屋台へと近付いていった。
段々と、匂いだけではなくジュッと焼ける音が聞こえてくる。
「その串焼き五本ほどもらえるか?」
「おうよ!任せてくんな大銅貨一枚だ」
頭に布を巻きつけた屋台のおっちゃんは、威勢よく応えると手慣れた様子でタレをつけてはひっくり返していく。
赤色がきつね色に変わっていく様は、不思議なことに見ていても飽きがやってこない。段々と立ちこめるその匂いに思わずのどを鳴らす。
「あいよ!ジャイアントボアの串焼き5本だ」
「ジャイアントボアの肉だったのか」
「おうよ、滅多に姿を見せないんだがな。最近は何かと異変が起きてるだろ?そんで生態系が変わったのか、前に比べちゃ出回る量が増えてる。食べどきってやつだな」
串焼きを受け取ると“アイテムボックス”から大銅貨一枚を取り出し渡す。
ジャイアントボアは森で暴れるフレイムベアを知るきっかけとなった魔物だ。その時にシメンが言っていたように、本来は人前に姿を表すことは少ない。
「異変っていうと、魔物の量が各地で増えてるとかいうやつか?」
「そうだな、それもあるが───」
そこまで言うと、屋台のおっちゃんは体を傾けながら内緒話をするように、口元に片方の手のひらを寄せた。
声を抑えながら続ける。
「ここだけの話、【魔人】が現れたなんて言うのを耳にしたことがある」
「【魔人】!?」
「ああ、それだけじゃなく港街のほうでもきな臭い話を耳にしたがな」
【魔人】というと、フィアと話していたようにお伽噺の存在だ。
余りのスケールの大きさにその名前を聞かされてもパッとしない。反応できただけでもお勉強会の成果があったというものだろう。
「ほら、やっておいて良かったでしょ?」とどこからか幻聴が聞こえる。
「俄には信じられないな…………」
呆然といった様子で言葉をこぼしたルオーレにおっちゃんは「無理もない」と言い、
「でもよ、ありえない話じゃない。そうだろ?にいちゃんも冒険者なら気をつけろよ」
冒険者の部分でちらっ、とその視線をアイテムボックスである指輪へ向けると、元気づけるかのように告げたのだった───。
串焼きを食べながら歩くルオーレは考えごとに耽っていた。
───さっきの………確かにあり得ない話じゃ、ないよな。
というのも、千年前に起こったアーヴィルに住まう人々と邪神率いる魔なるものとの戦い【人魔戦争】において、邪神の封印や魔人を退けた等の記述は残っているのだが、魔人を全滅させたという記述はどこにもない。
なんなら、邪神の封印場所についても正確なことは分かっていない。そのため、本当に邪神は存在したのか?と、疑う者まで現れるような始末らしい。
それは魔人についても同様のことが言える。
だが、それと同時に歴史というものが存在している以上、魔人が存在しないという保証もまた、どこにもないのだ。
ふと、歩みを止めると、
いつの間にこんなところまで歩いたのか、左斜め前にロザリア教の教会が見えていた。
その白の建物は、周りの建物とは趣が異なり、異質さを感じさせるが不快さはなく、むしろ清雅な空気を纏っていた。
ロザリア教は、ここより南西の方角に位置する【ガルディス聖王国】の国教であり、千年前から続く当時の聖女を起源とした宗教である。
そして、このアーヴィルにおいて最も広がっている宗教でもあるのだ。
人は5歳になったときに、ロザリア教会により魔力量の調査を受ける。
5歳からは魔法を使う許可が出るため、どれほどのものなのかを予め知っておくように、とのことだ。
もちろんルオーレも受けており、潜在的な魔力量を褒められては舞い上がったのだが、「扱うことができない」という真実を知り始めてからは苦労を重ねたため、ある意味苦い思い出の象徴のようになっている。
しかし、それと共に、出会いの始まりだったようにも思っていた。
魔力が使えなく焦っていた幼少のころのルオーレは、よく見晴らしのいい草原に足を向け、何度も、何度も、悔しさに奥歯を噛みしめながら魔力を使うことを諦めなかったのだ。
そして出会った。
大切な友達となるシエルに。
結果としては苦いことになってしまったが、その輝きは今も色褪せてはいない。
魔力を使用出来ないと知らなければ、出会ってもいなかっただろうと思うし、きっと今の自分もなかった。
だから、苦い思い出であると同時に、かけがえのない出会いを与えてくれた象徴でもあるのだ。
胸に去来していた郷愁にも似た感情を首を振ってやり過ごすと、戻ろうとしたのだが───
「───あれ?そういえば、ここどこだ?」
ぼーっと歩いていただけにここまでの道を全く覚えておらず、やってしまった、と顔をしかめる。考え事をしていると周りが見えなくなる。
ルオーレの悪い癖だ。このことで何度フィアに注意されたことか。
仕方なしに教会の人に尋ねようと歩を進めようとしたとき───
丁度、1人の少女が教会の中から現れた。
軽やかに、しかし、ゆっくりと段差を下りる少女。
全体として白を基調とした聖職者然としているが、更に洗練されたコートのような物を羽織っている。
袖口に向かうほどゆったりと広がっており、動きに合わせるようにして揺れていた。
そして、その内側に覗く落ち着いた色の、柔らかな素材の生地はフレアのように広がっており、特徴的な装飾が施され、スカートの部分にも袖口と同じような装飾がなされている。
その羽織物の上をさらさらと絹糸のように流れるのは、太陽の光を紡いで出来たかのようなクリーム色にも似たプラチナブロンドの長い髪。
瞳の色は春の草原を思わせる明るい黄緑色。
整った顔立ちをしており、可愛らしさと美しさのバランスが絶妙な色気を醸し出している。
突然現れた少女に、一瞬気をとられたルオーレだったが自分の目的を思い出すと、少女に近付いて道を尋ねようとしたところで───こけた。
ルオーレではない。
ゆったりとした足取りで出てきた目の前の少女が、だ。
唐突な出来事に脳が追いつかずに固まり、驚きで声をなくすルオーレだったが、少女が顔面から地面にダイブしたことを思いだし慌てて駆け寄った。
「ちょ、おい!大丈夫か!ていうかこれ、周りから見たら俺がなんかしたように見えるんじゃないか!?」
普通なら起きようのないことに、我が身の世間体を気にしながらも片膝立ちになり上半身を抱え起こす。
少女はなにやら譫言のように「おなか、すいた」と声をもらしていた。
「空腹かよ!」
思わずつっこんだルオーレだったが、串焼きを持っていたことを思い出すとアイテムボックスから取り出す。
アイテムボックスの中に入っている物の時間は止まっているため、香ばしい串焼きがルオーレの手元に現れる。
ゆっくりと食べていたので残りは三本。
「今はこれぐらいしかないが………食えるか?」
差し出された串焼きに驚き、逡巡に瞳を揺らす少女だったが、余程の緊急事態なのか───迷いを捨てるように躊躇いがちにそっ、と手を伸ばし串を掴んだ。
ゆっくり咀嚼を始めると、瞬く間に残っていた三本の串焼きを全て平らげた。
その瞬間───俺もまだ腹減ってんだけどな、と小さなやりきれない哀しみがルオーレを包みこむ。
それに気付いた………わけではないだろうが、少女が顔をあげる。
その綺麗な顔は、倒れ込んだために浅い傷を作っていた。
色白であるためか余計に目立ち、痛々しい。
いくら身体強化があろうと、怪我をするときはする。意識していないときは緩みがちなので尚更だろう。
ルオーレは僅かに顔を曇らせたが、自分がずっと少女を抱えていることに気づき、慌てて支えながら立ち上がらせる。
「大丈夫か………?」
「す、すみません、大丈夫です。お恥ずかしいところをお見せしました。まさか、空腹で倒れるなんて……」
「どんだけ食べてないんだよ。とりあえずはもう大丈夫そうか………顔のこともあるし、治療院とかに早めに行ったほうがいいぞ?」
「ありがとうございます。───顔のことなら大丈夫ですよ」
「え?」
恐縮していた少女だが、明るい微笑をよぎらせると自信たっぷりに言ってみせた。
首を傾げるルオーレの視線の先で、少女は両手を胸に乗せ、集中力を高めるかのように美しいペリドットの瞳を閉じる。
直後、少女の魔力が高まるのを感じた。
力強いものとは違う、どことなく暖かい───懐かしさを覚えるような───柔らかな輝き。
そして、何よりも、
この光には見覚えがあった。
「『癒しの光を《ヒール》』」
詠唱。
呪文が紡がれると、少女の髪がふわりと浮かび上がる。
発した淡い光が少女をやさしく包み込み、顔についていた傷跡をさらっていった。
その光景は、少女の絹糸のようなプラチナブロンドの髪の輝きも合わさることで、ひどく幻想的な、楚々とした儚い、一瞬の神への祈りの場にも見えた。
格好にしても、とても様になっている。
「すごいな………光魔法がこんなに上手く使えるなんて」
「私自身が怪我をすることが多いんです。だから使う機会が多くって」
照れたように頬を染めながら笑う少女は、そう言いながらも嬉しそうで、隠そうとしているのだろうが全然隠せていない。
表情に出やすい子のようだ。
「そういえば私、食べ物を恵んで頂いたのにお礼をしていませんでした」
「ん………お礼かぁ」
「はい。私に出来ることで、になってしまいますけど、手伝って欲しいこととか、困っていることがあれば……」
「困ってることね。そう言われても、滅多にそんなこと───あ、あった。俺、ここがどこか分からん」
「へ?」
何言ってるんだろうこの人。的な純粋な視線を受けて、ジョークではなく本当に言っているのだが、何故かこちらが居たたまれなくなり狼狽えてしまう。
空はオレンジ模様に変わりつつあり、鳥が数羽飛んでは寂しさを湛え始めていた。
「ああ、俺さ、ここに来たの初めてだから………その、分からなくって……案内とか、頼めないか?」
本当に困った、といった様子のルオーレに、少女は小さく「ふふっ」と笑い声を漏らすと、花咲くような可憐な笑みを浮かべる。
その安心感のある笑みに思わず見惚れていると、少女は笑みを浮かべるままに口を開いた。
「あなた、変わってるね。食べ物を恵んだり、その見返りが案内だったり」
「そりゃ、目の前で人が倒れたらな。それに、まじで困ってるしな」
「そういうことにしておいてあげます」
事実、少女の言ったことは正しいことだ。
大きな街であるとはいえ犯罪がないわけではない。
ちょっとした隙に付け入り、弱みとして握ったり、気付かないうちに身売りをさせられていたりと悪事を働こうとする者は少なからず存在するのだ。
少女のように見目麗しい者なら尚更のことだろう。
「なんか話し方変わってないか?」
「あ………き、気のせいです!そ、それより……そ、そうです!お名前を伺っていませんでした」
「お、おお。そういやそうだったな」
少女の慌てふためいた様子に、苦笑しつつ応じる。
「俺はルオーレ。君は?」
「ルオーレ……………あ、私の名前でしたね、私はシェリールです」
「シェリールか、なんだか安心する名前だな」
「何ですかそれ?褒めてます?」
つい、といった様子で言葉をもらしたルオーレに、自分が颯爽と顔面からダイブしたところを見られていたシェリールは、ばつが悪そうにジトっとした瞳を向けた。
ルオーレはルオーレで内心「なに言ってんだ俺………」だったので話を無理矢理に変える。
「あ、いや。そろそろ暗くもなってきたし、案内してくれないか?」
見れば陽は随分と傾き、周りの家々では光が灯りつつあった。
遅い時間に行動をしていると哨戒騎士が見回っているとはいえ、危険がないわけではない。案内をするのにもそれなりの時間がかかるはずだ。
シェリールは話をそらされたことは分かっているが、ごもっともな意見でもあるために渋々といった様子で頷くのだった。