第4話 選ぶのは・・・
村の近くにある森、そこまでの道中にある見晴らしのいい草原。
白に近い青色の髪をした小さな少年は、座り込み、感情の籠もらない瞳で空を見上げていた。
空に広がるのは、どこまでも続く果てしない青のキャンバス。そこに白の絵の具を垂らしたかのように浮かぶ入道雲が我が物顔で闊歩していた。
そのまま後ろに倒れ込むと、腕を枕に寝転がり自由に浮かぶ入道雲を目で追った。
少年にとって空を見上げることは、どうしても、どんなときも、約束をした友達との出会いを思い出させる。
出会った日も澄み渡る綺麗な空が印象的だったのだ。
そして、その友達は今の少年のように空を見上げ、退屈そうな、寂しそうな瞳をしていた。
長いこと何をするでもなくぼんやりと眺める。しばらくして、そろそろ村に戻ろうか、でないとしつこく心配をされる。
そう思った少年が丁度、腰をもち上げたところで───
「るおぉーー!」
少年の耳に明るい大きな声が届いた。
瞬間、今まで無表情だった少年は嫌そうに顔をしかめる。
彼が最近、この草原へ逃げるようにやってくるようになった原因だ。
少年のもとに赤毛の少女が、屈託ない笑みを浮かべながら跳ねるように歩み寄ってきた。近くまでやってくると、両膝に手をつきこちらをのぞき込む。
「ねえ、るお!どこにいくの?」
「…………………森」
本当はこのまま村へ帰るつもりだったが、少女に付きまとわれることに辟易していた少年は咄嗟に嘘を吐いた。
「もりにいくの!?あぶないよ!」
少女の大きな蒼い瞳が心配そうに揺れている。
それを見た少年は嘘を吐いたことに罪悪感を覚えたが、森なら付いてこないだろうとも思ったので訂正はしない。
───それに、ほんとにいけば嘘じゃない。
罪悪感に対しての免罪符のように心の中で呟くと、戸惑いの視線を無視して立ち上がりつま先を森へと向け遠慮なく歩き出した。
そして───
───なんでついてくるんだよ……。
あれから少しの時をおき、少年と少女の姿は森の中にあった。
少年の後ろでは、赤毛の少女がどこか怯えたように、しかし、それを表に出すまいと必死についてきていた。時々、飛び出した木の根に躓き転びそうになっては、恥ずかしそうに強ばった笑みを浮かべる。
もちろん、無理矢理連れてきたわけではない。少女が付いてきたことは完全に予想外だった。
「…………なんでついてきたんだよ。あぶないとか言ってただろ……」
尋ねる───というよりは、冷たく呟かれた少年の言葉を拾った少女は食い気味に食い下がる。
「だって!あぶないところに、るおをひとりで行かせられないもん!フィアがまもってあげなきゃ!」
「───っやめろ!!」
突然の大声にびくっと肩を上げる少女。
思わず声を荒げた後で少年は我に返ると、気まずそうに「……………ごめん」と謝った。ため息を吐き、
「おれのことは気にしなくていい」
ぶっきらぼうに言う少年に対し、少女は悲しそうに瞳を伏した。口を開いては閉じと、何かを言いかけ躊躇っていた。
その様子を尻目に少年は、言いたいことは言ったと少女に背を向け再び歩き出す。だが、付いてきてしまった以上、完全に目を離すことが危険であるとは分かっているので渋々後ろを気にしながら進むことにする。
ふと空を見上げると、先ほどの入道雲は大きく広がっており、鉛色に変わりつつあった。
「───きいたの。村長さんたちがはなしてた、るおのいた村のこと……きいたの」
意を決したような少女の言葉に、目を見開き思わず振り返る。
「むずかしいことはフィアには分からないけど、るおはいつも泣いてるようにみえるよ?さびしそうで───くるしいっていってるみたいに。だからね、フィアがまもってあげるのは………るおの心」
まるで奥を見透かされたような、自分の中の凝り固まっていた何かが揺れる、そんな感覚。
心が通じ合っているかのように苦しげに───だが、安心させるように安らかな表情で。胸の辺りに手を置き言葉を紡ぐ少女は、どこか大人びたような雰囲気で、得も言われぬような芯の強さを感じさせ、蒼の瞳は神秘的な光を放っていた。
「どうしてっ…………どうして!!そこまでおれに優しくするんだよ…………」
気付くと雨が降り出していた。
少年の心を映したかのような、しとしとと降る雨。風が吹けば簡単に揺らぎ、飛ばされてしまいそうな頼りない、そんな雨。
「……家族だから。フィアにとってはね、もうるおは家族なの。だから、気にしないなんてできないの。あ───い、いやだったら………ごめんね?」
話しながらも少年に避けられていたことを思い出した少女は、言葉を尻すぼみにし俯き加減にそういった。
余程自信がなくなってしまったのか、手はもじもじと所在ない。
「───いやじゃない」
「え………?」
家族。
無縁だったその言葉を聞いた少年は、心の奥底に小さな暖かみを感じ、気付くとそう声を漏らしていた。
軽く瞠目しながら顔を上げる少女。
ずっと避けられていただけに、尚更驚きが強かったようだ。
少年も、驚かれても仕方ないと思えるほどには距離を置いていた自覚がある。
ただ、
「きらいだったから避けてたわけじゃない……こわいんだ。友達になった子がいなくなるのが、知ってる人たちがいなくなるのが───そんなの、耐えられないんだ…」
少年は苦しげに言葉を吐き出す。
周りにあった大切なものが、存在しなかったかのように消えてしまう。
誰もいない。いなくなった。
笑顔を初めて浮かべてくれたあの子も。
あの日、炎に包まれるようにして全てを失った少年は、心に大きなトラウマを作り、周囲と関わることを自ら拒むようになってしまっていたのだ。
「きっとみんないっしょだよ?」
「え?」
今度は少年が瞠目する番だった。
「となりにいる子がいなくなっちゃうかもしれない。だから、もっと大切にしようっておもえるし、いっしょにいる時間を大切にしようっておもう。単純だけど……それでいいんじゃないかな?───さいしょから諦めるのは、何も失わないようにしてるようにみえるけど、その大切なものをえるきかいを失ってると思うよ?それに───」
そう言うと少女は、手を差し出してくる。
いつ見つけたのか、手のひらの上には四つ葉のクローバーがあった。
「いっしょに笑っていられたほうがたのしいでしょ?」
幸せがありますように。───魔術と違い、その効果のほどは確かではない。
誰とも知れない人が作り出した迷信のようなものだ。
されど、想いが伝わる───そんな呪い。
雨が降る中で柔らかく微笑む少女は、雨の鬱屈とした雰囲気を吹き飛ばすかのような、暖かく眩しい夏の太陽のようだった。
その笑顔に当てられたかのように、思わず少年の顔にも微かな笑みが生まれる。
───かなわないな。
凍り付いていたものが、輝く太陽に溶かされていくのを感じる。そんな晴れやかな気分だった。気付くと雨は上がっており、少年がちらりと見上げた空からは晴れ間が顔を見せていた。
***************
眩しさを感じて閉じていた瞼をあげる。
随分と懐かしい夢を見ていたような気がする。
開けた視界に映り込んだのは、見慣れた天井。
村長宅にある、ルオーレの住む部屋の天井だ。そして、今はその部屋にある寝台の上にいるところを見ると気絶してから運ばれたらしい。
───後で礼を言っておかないとな。
おそらく苦労をかけたであろうシメンに心の中で感謝しつつ、視線をすぐ横に向ける。───そこには、椅子に座りながら器用に眠るフィアの姿があった。
頭が時々、思い出したかのようにかくっと揺れている。
ルオーレはそのあどけない様子に笑みをこぼした。
部屋には明かりが差し込み、日が昇っているところを見ると長いこと眠っていたようだ。ここにいるということは、それなりの事情をシメンから聞き様子を見ていてくれたのだろう。
王都への出発が近づいているというのに、余計な心配をかけたな、と反省していると一度身じろぎをしたフィアが目を覚ました。
「んん………あれ、ルオ起きてたの?」
「ああ、いま目が覚めたところ」
フィアは目元を擦りながら寝ぼけたようにそう言うと、両腕を上げ状態を反らしながらぐっと身体を伸ばす。
一瞬、強調された形のいい胸元に目がいきかけるが、意識して視線を逸らす。
伸びを終えたフィアはだらんと腕を下ろし、姿勢を正すと前のめりに、上目になりながら尋ねてきた。
「身体の調子はどう?ポーションを使ったんだけど、ちゃんと効いてる?」
「ん?そういえば、体が軽いし痛くないな……」
「良かったぁ。けっこう酷い怪我だったんだからね。もう、ルオはすぐ無茶するんだから」
「悪い。こんな時期に心配かけたりして」
ルオーレは王都についていけないという負い目もあり、萎縮したように謝罪の言葉を口にする。
しかし、言われた当の本人は素直に謝罪されると思っていなかったのか目を丸くすると、小さく「ふふ」と笑い声を上げた。
「なんだよ。俺、変なこと言ったか?」
「なんでもないよ。ただ、心配はしたけど謝る必要ないのにって思ったの」
弾むような声音でそういう彼女に、分からないと言いたげに「え?」と声を漏らす。
そんなルオーレにフィアは一瞬、ジトッとした目線を送った。
「だいたいルオが無茶するのなんて、今に始まったことじゃないでしょ?これまでポーション何回使ったと思ってるの。その度に思い詰めてたら胃に穴が開いちゃうよ」
余りに身も蓋もないフィアの物言いに、ルオーレからは呻き声が漏れる。
そんなことはない、と言えないくらいに、心当たりがありまくるのだ。
フィアは今頃自覚したのか、と言いたげに肩を竦めると、でも───と両手を背の方で組み、どこか安心感を覚える、暖かい、ひだまりのような微笑みを浮かべ言葉を紡いだ。
「ルオはいつもちゃんと帰ってきてくれるし───私もそう信じてる。確かにケガばっかりで心配になることもあるよ?でも、それにはきっといろんな理由があって、護るためでもあって───むしろ感謝してるんだよ?だから……ルオは自分のやりたいようにすればいいと思うよ」
「フィア…………」
感心したように「ありがとう」と続けようとするのだが、続くフィアの言葉に遮られた。
「それにそれに!私は薬師だからいい練習になったよ!」
「……さっきの感動を返してくれ」
力強いフィアの宣言に、覚めた気分で半眼になるルオーレ。
対照的に蒼の瞳がきらきらと輝きを放っている。
フィアは事実、薬師であり、先ほど言っていたポーションもフィアが作ったものだ。
何度も試行錯誤しているところを見ているし、実際に調合を行っているところを見せてもらったこともある。
尤も───そのときは退屈で寝てしまい、問答無用で追い出されたのだが。
実はフィアが王都に行くのは、薬師の勉強であったりする。
よく怪我をするルオーレは、それはそれはいい実験体になったことだろう。
全くこいつは、と呆れていたがこれもフィアの気遣いだろうと思い、心配をかけたのも事実なので甘んじて受け入れる。
「あ、そういえばルオ。門の辺りで待ってるって真っ赤な髪の女の人が言ってたよ。目を覚ましたら伝えてくれって。綺麗な人だったなぁ、お姉さんって感じだったよ。くーるびゅーてぃーってやつだね!」
「そ、そうか」
「綺麗な───」の辺りから徐々に詰め寄ってきたフィアの勢いに押されつつ、辛うじて返事をするルオーレ。
フィアの目指す女性像に近かったのか、瞳がキラキラしている。
真っ赤な髪の女性───。
倒れる前に見た圧倒的な氷の魔法は、今も瞼に焼き付いている。一瞬だった。だがその一瞬が記憶からこびり付いて離れないほどに、鮮烈であった。
魔法も剣術などのように、使い手によってその威力、安定感、華麗さは千差万別だ。
余り魔法を見たことがないルオーレでも、彼女の魔法は他に類を見ないと言える。そもそも、氷を扱うのは【派生魔法】に分類されるはずで、満足に扱える使い手はそうそういないはずだ。
小さい頃からの苦労もあり魔法に関しては歴史と違い、しっかりと勉強して知識を詰め込んでいる。
様々な本を読んでみたが、【派生魔法】というものは奥が深く種類もまた多い。総じて言えることは、基本の六属性を越える強力なものであるということだが、例え発動させることができても中身が伴うかどうかは腕次第だということだ。
あの魔法を放った人が、ルオーレを呼んでいる。どんな理由からかは知る由もないが、行かないという事は考えられない。
「よし、行くか」と立ち上がると、部屋をあとにする。
後ろでは「いってらー」と、のほほんとした様子で手をひらひら振るフィアの姿があった。
***************
木で作られた門の根本。
そこには、魔物に対する結界を張る役目がある魔術を施された、鈍色に輝く筒状の装置があり、機能していることを示すように淡く光っている。
十年前の事件以来、設置することを定められたものだ。
魔術は魔法とは似て非なるもので、魔法が現象を再現することが多いのに対し、魔力を用いるのは同じだが、何らかの道具を介すことで発動できるもののことを指す。
祭儀、魔道具、呪いなどが魔術に当てはまる。
門へ向かい歩いていると、そんなルオーレに気付いた村人から声がかかった。
「体の調子はどうなんだールオーレ」
「今回は派手に怪我をしたそうじゃないか。………まさか、ジャイアントボアにやられたとかか?」
「ばっか。さすがにそれはないだろ。最弱の呼び声高い魔物だぞ。ああでも…………“身体強化”がないんだったか。それなら手酷くやられてもおかしくはないか」
心配をしてくれるのは結構だが、そこには魔力を扱えないルオーレに対してつい見下してしまう態度が常に寄り添っていた。とはいえ、完全なる悪意から来るものではない。
魔力を扱えることなど当たり前すぎる世の中であるがゆえに、事実に乗っ取った憶測を告げるだけでも皮肉になってしまうのだ。ルオーレも割り切っているために、今更配慮をしてくれなどと思いはしない。厄介者として扱われないだけマシだろうとすら思っていた。
これから一生付き合っていかなければならない現実。それこそ周りとは違い“身体強化”ができないために、言い返す労力が惜しいくらいだ。
もしフィアがこの場にいれば、目を尖らせていたこと間違いなしだろうが。
「あれルオーレじゃないかい。もう大丈夫なのかい」
適当に応えその場を去ろうとしたルオーレに優しい声がかかる。振り返ると、村長の奥さん───ルオーレはおばさんと呼んでいる───がいた。
「ああ、もう大丈夫。フィアのポーションのおかげでこの通り」
景気よく肩を回して見せたルオーレに、おばさんはにこやかに頷くと
「早く帰っておいでね。昨日ルオーレが取ってくれたジャイアントボア。しっかりと煮込んでおくからね」
おばさんの言葉に思わず目を丸くしたルオーレは、小さく苦笑をもらす。報告をしたのも倒しているのも、昨日の行動を知っているのも、シメンだけだ。
それに、最弱とはいえ魔物と戦っていることは心配をかけないために言っていない。大抵シメンが倒したことにしているのだ。自分はそれに付いていっただけだと。
だが、シメンは気に入らなかったらしい。おそらく、事実を曲げることにも、ルオーレの評価が低いことにも。先ほどルオーレに声をかけてきた村人から「ほら、やられるわけないって言っただろ」と気まずそうな声が聞こえてくる。
「ありがとうおばさん。とびっきりのを期待しとく。じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
見送るおばさんに手を振り村の出口に向かう。
すぐに見えてきた頑丈な木でできた門。
その側には独特な紺色のローブを身につけた、まるで紅色の渓流のような髪をした女性が───小さなリスと子供のように戯れていた。
それを視界に捉えた瞬間、ルオーレの中でフィアの言っていた“くーるびゅーてぃー”はあっさりと崩れ去る。
紅い髪の女性はとてもあの魔法を放った、凛とした人とは同一人物だとは思えないほど顔をふやけさせていた。
ルオーレは「あれ?場所間違えたかな?」と内心思いつつも声をかけた。
「…………あの、呼んでるって言われて来たんですけど……」
「───流石だな~。偉いぞ!キュルちゃん!」
「あ、あのー。伝言を頼まなかったですか?俺呼ばれて………」
「───なるほど、そういうことだな。私を萌死なせようという魂胆か!憎いやつめ!」
「いや、聞けよ!!」
ルオーレの絶叫が迸った。
むしろ、よく耐えたほうだと言えるだろう。
さすがに声が届いたようで紅色の髪をした女性は、そんな所に人がいたのかというように、もっふもふしていたリスの尻尾を離し顔を上げると視線をこちらに向けた。
深い知性を感じさせる深緑色の瞳がルオーレを捉える。スッと様子を変えた眼差しにルオーレは僅かに緊張を過ぎらせた。
一度「ふむ」と頷くと再びリスへ視線を向ける。
「間違いないのだな?キュルちゃん」
意味ありげにそうリスに尋ねた。
なにを───と、思ったがそこで気付く。今にしてみれば何故気付かなかったのか。不思議な色をした魔力をうっすらとだが纏っている。これは、いくら魔力を扱えず認識しにくいルオーレでも分かる魔法と似通ったもの。
───このリス、使い魔だ。
「ほう、キュルちゃんが使い魔だと気付いたか。悪くない感覚だ」
教師が教え子に及第点だと言うかのように紅髪の女性は呟くと、手に乗せていたリス───キュルちゃんを肩へと移動させる。
そして、「少し歩かないか?」とルオーレを誘うのだった。
歩くのは、森へと続く道中にある草原。
なにかと思い出のある草原だ。
空は爽快なほどに晴れ渡っており、雲は一つも浮かんでいない。
色々とあった後だからか開放感があり、吹き抜ける風が気持ちいい。草原にある草花はまるでワルツを踊るかのように揺れている。
「どうして俺を呼んだん……ですか?」
なれていない敬語で、隣に立つあまり背丈の変わらない女性へ話しかける。
紅髪の女性は、風に吹かれ舞い上がる豊かな髪を掬い耳にかけると、どこか親しげに微笑んだ。
「昨日の【フレイムベア】との戦闘で少し気になったことがあったのでな。それを尋ねてみたいと思ったのだ」
そう言われたルオーレは、窮地をこの女性に助けられていたことをようやく思い出した。
───何でそんなこと忘れてんだよ。
最初のインパクトで頭からすっかり飛んでいたことに、半ば自嘲しつつも「その節は、本当に助かりました」と頭を下げ、礼を言う。
そして、
「気になったこと?」
赤熊は、【フレイムベア】っていうのか、と思いつつ問い返す。
むしろルオーレとしては、あの魔法とか、そのリスとか、このキャラが違いすぎる冷静さ。とか聞きたいこと山々だったが我慢しておいた。
「実を言うとな、あの戦闘───と言っても一体目を倒した辺りだが。離れた所で見ていた」
「え?」
「二体目の【フレイムベア】に気付いているかの確認だ。冒険者だった場合、窮地でもない限り迂闊に手を出すと面倒だからな」
冒険者の事情など露ほども知らないルオーレはそうなのか、と思いつつ相づちをうつ。
「見たところ冒険者ではなく、まともに動けそうになかったのでな。助太刀はしたが、それにしても───【雲水】の使い手であるのは些か私も驚いたぞ」
「……そんなにすごいんですか?なんでも、すごい冒険者が使ってるって聞きましたけど」
「ん?分かっていないのか?今では専ら勢いがあり、比較的扱いやすい剣術である【風火】が使われることが多い。どちらが劣っていると言うわけではなく、【雲水】は魔力操作がピーキーでミスをすれば手痛いではすまないしっぺ返しをくらう剣術だからな。習得している者───というより、出来ている者は数えるほどしかいないだろう」
剣術に関しては魔法ほど詳しいわけではない。
だが、剣術にも魔力が必要であるということは、それ相応の能力が必要になるという点で魔法と変わりはない。
正直なところ、そこまでのものだとは考えもつかなかったルオーレは驚きながら、しかし、説明に違和感を抱く。最も根本的なことだ。ルオーレは魔力量は多いが───
「あれ?魔力操作って言ってたけど俺、魔力使えないですよ……?」
「なに───!?」
紅髪の女性が驚いて目を見開く。
その深緑の瞳がそんな馬鹿な、と言いたげに揺れている。大きなリアクションが返ってくると思っていなかったルオーレは、思わず仰け反ると
「そ、そんな驚くことですか?」
「当たり前だ!体は大丈夫なのか?異常は?」
髪を振り乱しながら近づいてきた紅髪の女性は、ルオーレの両肩に手を乗せ切迫した様子で声をあげた。
が、なんの異常もなく、意味も事態も呑み込めないルオーレは「な、ないです」と若干引き気味に答えるしかなかった。
「本当か?しかし………こんなこと、俄には信じられん」
「あの、全く何が起きてるのか分かんないんですけど」
そう声を掛けると、自分の醜態に気づいたのか紅髪の女性は慌てて居住まいを正す。
リスとの件を見ていただけに気にするの遅くね?と思ったが何も言うまい。
「すまないな。取り乱した。脳に直接魔法をくらったほどの衝撃を受けたのでな」
「そ、そうですか……」
「そうだ。そもそも君が───この年齢まで生きていること事態がおかしい。というより驚きを禁じ得ない」
「……………は?」
余りに唐突すぎるその言葉に、思わず疑問のままに声が漏れる。
「その反応も無理はない。ましてやここは街から離れた村だ。優秀な【魔法つかい】がおらず、体に異変もなかったため詳しく調べることがなかったのだろうな」
明後日の方向を見ながら考えるようにそう言うと、人差し指を立てルオーレに向き直った。
「魔力が使用できないという話は何も珍しい話なわけではない。大きな魔力をもって生まれる子に稀にみられるものだ。魔力が上手く流れず、内側の身体強化が行えず、自分の持つ魔力に耐えられなくなり死に至る。一種の病のようなものだ。処置を受けられなかった者は、齢が10に届く前に例外なく死んでいる。───つまり君は、その例外なわけだ」
「まじかよ……」
衝撃的な事実に思わず絶句するルオーレ。
昨日も【フレイムベア】にもたらされた困難を乗り越えたが、気付かぬうちにそんなに大きな困難を迎えていたとは想像だにしていなかった。
「私も君が無事な理由は、正直なところ分からん。だが──」
あっけらかんとそう言った彼女は、もう一度、今度は片手だけルオーレの肩に手を置くと瞳を半ばまで閉じて何かに集中し始める。
長い睫毛の間に覗く瞳はルオーレを見ているようで見ておらず、どこか遠くを見るかのように焦点が合っていない。
不思議とその瞬間に、周りの空気が変わったような気がした。
「君はどこか、いや、体質なのか?これは一体……封………か?───分からんな」
一度、深く息を吐き出し手を離すと、真剣な顔から一転して笑みを見せる。その笑みはまるで、何かを企む悪戯小僧のような顔で───ルオーレの想像の斜め上を飛び越える言葉をかけるのだった。
「───ものは相談だ。君は………魔法を使ってみたくはないか?」
理解を通り越えた衝撃を受け、言葉も出せず呆気にとられていたルオーレだが、脳が言葉の意味を理解し始めると「ありえない」という思いと、「この人ならもしかしたら」という謎の確信に満ちた思いがあり───
「あんた……何者だ?」
質問に質問で返していた。
圧倒的な魔法といい、肩に乗る不思議な使い魔といい、ルオーレに魔法を使える───つまり、魔力を扱えるようにすると受け取ることができる発言といい、どれも並大抵ではない。
むしろ、そんなことが簡単に出来るはずがない。ルオーレはそれほどまでに、この十六年間もがいて生きてきたのだ。
どんな立場の者なのか、気にするなというほうが無理がある。
ルオーレに疑問をぶつけられた紅髪の女性は、一瞬目を丸くするとゆっくり笑みを深めた。
「そういえば、言っていなかったな。私は───」
思わずゴクリと唾を飲み込む。得体の知れないゾクッとする感覚がルオーレを包んだ。
「───マルセリアだ」
「違う。そうじゃない」
彼女は質問に対し、馬鹿正直に名を名乗った。
見晴らしのいい、青々とした草が生い茂る草原にルオーレの言葉が虚しく響く。
紅髪の魔法つかいマルセリア。彼女が何者であるかは気になるところだが、これがルオーレにとっての、運命を廻し始める出会いだったことは確かであった。