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廻り巡って  作者: 紫陽花
第一章 波打ち際の鎮魂歌《レクイエム》
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第3話 はじまりの出会い

「───っこいつ、見た目と違ってなかなか速い」


 爪による鋭い突きを避けると、勢い余った熊の爪が地面を大きく削った。

 ぬかるんだ泥に突っ込んだかのように、いとも簡単に地面を(えぐ)ってしまう威力を()の当たりにしたルオーレは思わず歯噛(はが)みする。

 

 ───こいつを喰らったら、身体強化を出来ない俺はまずいな。


 一度でも食らってしまえば、次があるかどうかは分からない。むしろ、ないに等しいと言った方が妥当(だとう)であった。

 ゆえに、こちらからは手を出さず、その動きを冷静に観察する。

 熊の動きは見た目に反し俊敏だ。少しでも気を()らせば簡単に攻撃をもらってしまう。だが、ルオーレは集中力だけには自信がある。

 そこだけは“身体強化”の有る無しなど関係ない。

 地面を削った熊は、距離を取ったルオーレを再び視界に入れると勢いよく長い爪を振り回した。

 

「───気を取られすぎだ!」


 ルオーレが避けながら熊との距離を取ると同時に、入れ替わるようにシメンが拳を叩きつけた。

 シメンの拳を受けた熊は鈍い音を鳴らしながらよろけ、僅かに後ずさった。低いうなり声が漏れる。

 魔物という存在は未知だ。特に、これといった魔物との戦闘経験がない二人にとってはまさに未知の領域。だが、よろけた熊を見る限り───ルオーレがシメンへと目配せをすると、シメンは口元にニヤッと笑みを浮かべた。


「手応えはあった。通じないわけじゃねぇ」


 シメンの言葉通り、多少なりともダメージが入ると思ってよさそうだった。少なくとも一切(いっさい)通じないという様子ではない。

 つまり、いくら魔物とはいっても決して勝てないわけじゃない。

 熊がシメンへの警戒を強めたことで、ルオーレへの攻勢が明らかに弱まった。それに気付いたルオーレは、少しずつ反撃を開始する。

 意識がシメンへと逸れた瞬間の隙をついて、水平に斬りつけた。熊が痛みに反応し振り向いたときには、ルオーレは既に素早く離脱している。そして、ルオーレに意識が向いたときにはシメンが再び攻撃を仕掛けていた。


「当たるなよ?」

「分かってる」


 シメンと息を合わせたヒット&アウェイ。連携攻撃だ。伊達に何度も一緒に鍛錬をおこなってきたわけではない。

 一撃を受けるとまずいルオーレはなるべく回避に専念しながら剣を振るう。気を引けさえすればそれでいい。

 熊はその脅威的な爪を(わずら)わしそうに、苛立たしく振り回すが当たってやるつもりなど更々ない。


「くそ、リーチがほしい。ルオーレ、槍を!」

「ほらよ」


 舌打ちしながらそう言うシメンへ、【アイテムボックス】から簡素な槍を取り出し投げ渡す。そして、(たく)みに連携しながら嫌がらせのように隙を突き、剣と槍による演武のように攻撃を繰り出す。

 確実に安全とは言い切れないが、それでもそれに近い自信を持てる間合い。逃げ腰であるのは重々承知だが当たれば次はないかもしれない。


 ルオーレは自分でも不思議なほど冷静に、熊へと視線を向けていた。目の前の存在が、ともすれば震えてしまいそうになるほど恐ろしいはずなのに、そんな自分を客観的に見ている自分がいる。

 シメンがいることで奮い立てていることは確かだが、それとは別のことのようにも感じた。


「………俺の攻撃はそんなに効いてないか」


 一方で、一番のダメージ要因はやはり、“身体強化”で増強しているシメンの攻撃だった。

 分かりきっていたことだ。身体強化の有無を表すかのように、槍で攻撃を与えられた場所は段々と傷跡を増やしていっている。

 が、ルオーレの斬りつけた部分は申し訳程度の浅い傷のみ。

 力を伝えきれる体勢で剣を振るえていないというのもあるだろう。しかし、その事実にはやはり内からせり上がるような悔しいものがあり、ルオーレは苦い気持ちで瞳を細めた。


 とはいえ、そんなルオーレの思いを余所(よそ)に驚くほど順調に戦闘は進んでいる。これだけ攻撃を与えられても倒れる気配がない熊も相当なものだが、当初に想定していた魔物の氾濫もない。

 この一体さえしとめることが出来たら、村への被害も出なくて済みそうだ。

 流石の魔物も、ここまで攻撃を与えられただけあって倒れる気配こそないものの、動作が明らかに鈍くなっていた。

 その様子に、安易(あんい)にそう考えていたときだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()───。


 突如、攻撃が当たらないのが苛立たしいのか、熊が大きな咆哮を上げた。森がざわめき、不吉に揺れる。

 ルオーレとシメンはその咆哮に不快を感じ、思わず耳を塞いだ。

 咆哮が気味の悪い余韻(よいん)を残し止む。

 二人が熊へと目を向けたときには、熊は何かを溜めるように状態を反らしていた。ルオーレはその不自然な動作に咄嗟(とっさ)に身構える。

 次の瞬間には、熊の口から巨大な火の玉が放出されていた。


「魔法───!?」


 咄嗟に大きく身を(ひるがえ)し火球をかわすルオーレ。

 掠めた頬に痛みを(ともな)う熱を感じ、冷や汗を流す。当たっていれば火傷なんかでは済まない。おそらく丸焦げだ。

 本能がそう警鐘(けいしょう)を鳴らしていた。


「何てこった…………まさか【属性持ち】とはな。こりゃ一筋縄とはいかねえぞ」


 【属性持ち】とは、主に魔法を扱う魔物の通称だ。

 同じような個体でも【属性持ち】であるか、そうでないかでランクは大幅に変わる。また、魔法を使うだけではなく、その属性による強化が行われることがある。

 要するに、一転して厳しい状況だということだ。

 こういうことに関してはシメンの方が知識がある。そのシメンが、余程の相手なのか、さも面倒だという苦虫を潰したような顔をしていた。

 だが、その顔とは裏腹に瞳の奥はギラギラと輝いている。


 ───まったく、頼もしいやつだよ本当。

 

 共に戦う相方に頼もしさを感じつつも、ルオーレは目の前の難敵に悪態をつかずにはいられなかった。


 ───魔法を使う魔物とか相性悪すぎだろ。


 “身体強化”をする事が出来ないルオーレにとって、範囲技もある魔法はまさに鬼門のようなものだった。

 当たってしまえば───“身体強化”があればある程度のレジス(抵抗)トをしてくれるが、できないルオーレは防御力のない状態でもろにダメージを受けてしまう。

 迂闊(うかつ)に近づくことが出来ないのだ。動きが鈍くなったと勘違いをしていたが、属性を使うために何かしら溜めのようなものが必要だった、ということかもしれない。

 その証拠に、火球を吐き出した熊が、ここからが本番だ、とばかりに勢いよくこちらへ向かってきた。

 直前までの鈍い動きが演技であったかのような速度だ。

 その爪には先ほどとは違い、メラメラと燃える火が纏われていた。属性。火属性だ。躍動するように走る姿は先ほどと比べるまでもなく力強い。

 熊が地面に足をつくたびに地面が抉れていき、移動速度は更に上がっていた。

 勢いのままシメンへ火球を大量に吐き出す。


「なに───ッ!」


 火球が容赦なくシメンに襲いかかる。一度にそこまでの火球を出すとは思ってもいなかったのだろう。シメンは驚愕に目を剥きながら火に飲み込まれていった。

 

「シメン!!」


 焦りを浮かべ叫んだルオーレだったが、その視界の端に迫る影を捉え剣を握る拳に力を入れ迎え撃───とうとしたときには、既に目の前で熊が長い爪を振りかぶっていた。

 爪に点る火が揺らめき、一段と火力を上げる。

 

「───く、そッ」


 先ほどまでとはまるで別物。

 スピードに目が追いつかない。ギリギリで躱し距離を取ったルオーレは、シメンの安否確認を諦め目の前の熊に集中する。元々赤っぽかった体毛は、今では燃えさからんばかりだ。

 これまで取っていた距離の倍は確保しておく必要があるだろう。

 だが、そんなルオーレの考えを赤く燃える熊は学習していた。

 更に距離を取ろうとしていたルオーレの眼前に迫る、複数の火球。先ほどシメンに向けられたものも大量だったが、それが牽制だったと分かるほどの量。

 シメンがあれでやられたとは思えない。つまり、確実に数を減らすべくウィークポイントであるルオーレを先に潰そうとしているのだろう。

 飛ぶ火球は、無情にも幾つも降り注ぐ赤の軌跡を描き出す。

 迫る死の火球にカッとルオーレの全身の毛穴が開いた。そして、考えるよりも先に反射的に足が動き出す。次々に着弾し始める火球。火の粉が辺りに舞い上がる。

 普段なら感じられる熱も、感情が振り切り何も感じられない。小刻みに動き、地面に転がり、砂まみれになりながら必死で避ける。一つでも当たれば、死んでしまう。

 しかし、降る火球の一発が足下に着弾し衝撃を与える。そして、巻き込まれたルオーレに致命的な隙が生まれた。


「くっ!」


 ───マズい──っ。


 逃さん、とばかりに風を切るようにその腕を振るう熊。

 そう。熊にとっては火球など手段の一つに過ぎない。この一撃でルオーレをしとめられればそれでいいのだ。

 反応しきれずにその火を纏った一撃を“白の剣”で(かば)うようにして防ぐ、が───いとも簡単に、まるで紙くずのように吹き飛ばされてしまうのだった。


「───かはっ!?」


 衝撃と共に肺の中の空気が一気に吐き出され、呼吸の仕方を忘れたかのように息が止まり、乱れる。一瞬、意識が明滅し、なくなったかのようにも感じる。痛烈な一撃。

 全身がバラバラになってしまったかのように感覚が遠くなる。だが、まだ死んではいなかった。


「はあ、はあ、はあ…………くっ……………生きてんのか、これ?」


 吹き飛ばされた勢いのまま転がった後で、力が入ることを確認し体勢を辛うじて立て直す。馬鹿みたいに吹き飛び削れた地面がその有様を表していた。今は麻痺して何にも感じないが、骨が何本かは折れてしまっているだろう。

 身に纏ったあの赤───おそらく火属性の恩恵が熊の力を底上げしているのは確かだ。受けた一撃は完全に見切れないどころか、直前まで気付かなかった。

 

 ───なんとかして衝撃は逃せたものの………


「───っまじで、やばいな…………っ」

「無事かルオーレ!」


 熊が追撃を仕掛けてこないことを疑問に思っていたが、シメンが食い止めてくれていたようだ。服に焦げ跡を残したシメンはこちらを伺いながらも槍を振るい、押され気味ながらも熊と渡り合っていた。ルオーレのように(ろく)な抵抗も出来ずにやられてしまうということはないだろう。

 その様子を(かす)んだ視界の中で見たルオーレは、一抹(いちまつ)の虚しさに唇を噛み、考えを振り払うように首を振った。いつまでも座ってられるか、と気合いを入れるように痛みに軋む体をもちあげる。


 ───こいつがなかったらたぶん、死んでたな。


 手元の白の剣を見る。

 衝撃を受け止めた腕や身体は徐々にじんじんとした痛みを上げているが、剣に歪みや傷は一つもない。自分でもまさか防いでしまうとは思ってもいなかった。

 これもまた、遺されていた物のひとつだ。

 ルオーレは今一度覚悟を決めると、口元に流れていた一筋の血を拭う。

 自分の非力を嘆いていたところで何も変わりはしない。今、自分がこの場に立っているのは、もう二度と失わないためだ───。


 例え非力であろうとも、何もせずに終わることだけは二度としたくない。


 走る。己の小さな意地を通すために。

 そして、シメンが引きつけてくれたおかげでがら空きの背後へと、逃げながらではなく、腰を入れしっかりと踏み込み力を振り絞り連撃を叩き込んだ。

 後先など考えていない。ただ、今度こそは守ってみせたかった。

 もう二度と、何も出来ずに後悔するだけなのは嫌だった。


「はぁぁぁぁぁあ!」

「グオオオオオオオオ!!」


 突然、背に走った苦痛に熊が悲鳴のような咆哮をあげる。

 まさかルオーレがまだ動けるとは思ってもいなかったのだろう。完全な意識の外からの苦痛に、何しやがる、と言いたげな烈火の視線がルオーレへ向けられた。熊は目の前で戦っていたシメンを無視し振り向くと、燃え盛る熊手を振り下ろしにかかった───が。


「───おい、なに無視してんだクマさん。もしかしてその目は飾りなのか?」


 挑発的にそう言うシメンは、片手で持った槍で熊のその挙動を制していた。

 普通なら易々とそんなことはできないが、今のシメンは生憎(あいにく)と普通ではない。


「悪いがあまり保ってられないんでな、畳みかけるぞルオーレ。まぁ、限界ならそこで寝てても構わんが」

「誰が限界だって……?なんなら、そこで逆立ちしながら腕立てしてやるよ」


 口角を上げるシメンに、ルオーレも不敵な笑みを浮かべてみせる。

 実際のところ余裕があるわけではない。ルオーレは先ほどの一撃が効いており、満足に動ける状態にはほど遠い。どころか気合いで成り立っているような度合いだ。 

 そして、シメンの状態。

 耳の上辺りから生えた2対の角、ニヤっと笑うその口元からは伸びた犬歯が姿を覗かせている。

 この変化を見て分かるようにシメンはただの人族ではない。俗に言うところの【半魔】というやつらしい。人族と魔族の混血だ。

 この変化をしたシメンの戦闘能力は倍以上に向上し、熊の動きを容易(たやす)く止めて見せたように単純な膂力(りょりょく)だけでも破格なものになる切り札だ。

 だが、シメンは他の【半魔】とは違いなぜかその状態を保つのに相当の労力を使うらしく、解除されるとまともに動けなくなってしまうため、これを使う場合には諸刃の剣であることを覚悟しなければならない。

 今回の場合はルオーレの状態も悪く、このままでは押されると判断したための解放だった。


 要するに、


 ───ここで決めなきゃ不味いわけだ。


 熊は変化したシメンの姿に驚いた様子を見せると、体の周りに火の渦を出現させ、続けざまにバックステップで火の渦を回避していたシメンへと追撃の火球を放つ。

 放たれたものは散らばる火球ではなく、一撃に威力を集中させたもの。

 簡単に躱せるものではない。


「芸のないやつだ!」


 迫り来る火球に対し、シメンは魔力を込め槍を振るった。

 ゴゥッ!と音を立て【半魔】の力で増幅した魔力がその勢いだけで火球をかき消した。そのまま迫り爪を振るう熊に、今度は避けるのではなくその力で受け止める。

 全てを凌いで見せたシメンに熊は明らかな動揺を見せた。化け物のような膂力を誇る魔物である熊の渾身の一振りを受け止めるなど、文字通り人間技ではない。


 シメンは受け止めた状態から力任せに熊を押しよろけさせると、跳躍し槍の矛先を真下に向け脳天から貫かんと叩きつけた。


 ドン、という衝撃。遅れて地面からは土塊(つちくれ)が巻き上がる。


「───チッ」


 寸でのところで逃がし空を切った槍を見てシメンから舌打ちが漏れる。

 槍を叩きつけた場所は軽いクレーターのようになっていた。槍に至っては耐えられずひしゃげている。

 俯いていたシメンはニヤリ、と口元を歪めると視線を熊の向こう側へと向けた。


「決めてやれルオーレ!」


 そして、体勢の整っていない熊の背後から、ルオーレが疾走する勢いそのままに全体重をかけ“白の剣”を突き刺した。

 ずぶり、と熊の肉を貫く感覚が腕へと伝わってくる。


「これで終わりだ。………寝てやがれ」


 荒い呼吸のままルオーレが剣を引き抜くと、重力に引かれドサッと音を立て倒れる熊。

 先ほどまで爪に灯されていた火は、ゆらりと一度揺らめくと消えていった。


「───何とかなったな……」


 ルオーレは額に流れる汗を拭いながら、何ともいえない高揚を感じながらシメンへと声をかける。これ以上ないほどの達成感が心を満たし、喜びに手が少し震えた。

 守ることが出来たのだ、こんな自分にも。

 その喜びが伝わったのか、シメンが気を緩めるようにフッと息を吐き出す。


「そうだな、途中肝を冷やす場面があったがなんとか───っルオーレ!」


 突然叫んだシメンに驚きその顔を見る。

 険しい表情、瞳には悔恨の色が浮かんでいる。

 シメンの視線の向かう先はルオーレの背後、それに釣られるようにして背後に視線が向かう───。


 影が差していた。

 先ほど倒したはずの熊の、だ。意識があるようには見えない。


 置き土産───そんな言葉が頭に浮かぶ。


「っ!?」


 熊からは渾身の力を込めた横薙ぎの一撃が放たれた───。



 ルオーレは自分自身でもよく分からなかった。

 気づくと体がまるで、対処の仕方を()()()()()かのように独りでに動きだし、振るわれた腕にそっと手にしていた白の剣を添える。

 すると、力を入れていないはずなのに。

 あれほど切りつけても傷を付けるのが精一杯だったはずなのに。

 熊の腕は冗談のように真っ二つになり宙を舞うのだった。

 熊が倒れる音と腕が落下した音が同時に聞こえると、静寂が辺りを包んだ。夕陽が落ちそうなところまで傾いている。空は夕焼けに暗がりを交えつつあった。

 ルオーレはどこか遠くにいきかけていた気を戻すと呆けたように、


「へ………?」


 と声を漏らした。

 慌てながら熊へ視線を向けると、生死を確認するようにおっかなびっくりといった様子で剣でつんつんとつついてみた。


「もう大丈夫だろう。さっきのはほとんど意識がなかった」


 呆れたような眼差しでこちらを見るシメンの言葉に、緊張から解放されたルオーレはその場に崩れ落ちるように腰を下ろすと、渋面を浮かべながら応える。


「いや、さっきの本当に洒落にならなかったからさ」

「ああ、あれは完全にやばかった。一歩間違えば死んでいた」

「………ごめん、確認を怠った」

「気にするな───とは言わないが、俺も同罪みたいなものだ。生きてるだけまだマシだろ?それとだ………さっきの、あれはなんだ?少なくとも俺は、あんなの使ってるお前を見た記憶はないが」


 珍しく心底驚いたという様子で尋ねてくるシメン。熊の腕を斬り落としたことを言っているのだろう。その顔は面白いもの見たと言いたげにニヤニヤしていた。

 今は【半魔】の状態は解かれており、角は消え犬歯ももとの大きさに戻っている。疲れているようには見えないが、額に浮かぶ汗がその疲労を物語っていた。


「いや、実は俺にも何がなんだかで……体が勝手に動いたとしか」

「熱でもあるのか?」

「疑うのは分かるんだけど、そうとしか………」

「……そうか」

「俺が言うのもなんだがいいのか?」


 シメンは思いの外あっさり納得すると「どうせ説明できないだろう?それにそういうところはお前に期待してない」と口角を上げるのだった。

 ルオーレは釈然としなかったが、事実、説明することはできないので口をつぐむ。自分のことではあるが、何が起きたのかさっぱり理解できない。

 熊が勝手に斬れたとしか思えなかった。


「あれをもう一度やれって言われたらできるか?」


 “アイテムボックス”に倒した熊を感慨深げに眺めた後でしまうと、少し悩むような仕草で考え首を左右に振った。


「厳しいと思う。身体に感覚は残ってるからやれることはやってみるけどな」

「……なるほどな、咄嗟にやったこととはいえ、これは儲けもんかもしれんぞルオーレ」

「なに?」


 ルオーレが顔を上げると、シメンは珍しく楽しげな、興味深い、といった様子で話し出す。

 それほど価値があるというのだろうか?と思ったのだが、確かに意識的に出来れば強力なものではあるに違いない。

 何せ“身体強化”を行えない自分が、相手の高い防御力をモノともせず断ち切ったのだから。


「俺が知る限り、それは《雲水》と名付けられた剣術だ。昔、何かの文献で読んだだけだから詳しいことは知らんがな、使い手はほとんどいないらしい。有名どころだと確か【剣舞】がその使い手だったか」

「【剣舞】?」

「どんな奴かは知らんが1stランクの冒険者だってことは確かだ」

「へぇ、すごいやつが使ってるんだな」


 互いに疲れた様子で戦闘のことについて呑気に会話をしていると───


 近い場所で火の渦が上がるのが見えた───。

 そしてそれは、音を鳴らしながらこちらに近づいてくる。迷うことなく、明らかにこちらに向かっていた。


「おいおい嘘だろ……?」


 ルオーレはひきつった顔でそう言うと、立ち上がり剣を構える。

 が、すでに戦う力は残されていない。先の戦闘で力は出し切ってしまっていた。それは【半魔】を解放していたシメンにもいえることで、眉間には皺が寄っている。

 そして───


「グオオオオオオオオ!!」


 咆哮と共に現れたのは先ほどと同じ、しかし、一回りも大きな赤い熊だ。その身の回りには既に火の渦が威嚇をするかのように立ち上っている。


 ───やる気満々かよ。


 臨戦態勢に入っている熊を忌々しげに睨みながら心の中で毒づくと、立っているだけでやっとだろうシメンを後ろに庇い前に立つ。

 だが、


「ルオーレ。ホーマ村に戻って村長に避難するように伝えてこい」


 シメンの発言に驚いたルオーレは思わず振り返る。遠回しにされたシメンを置いて逃げろとの言葉に憤りを感じ、怒鳴り返そうとしたルオーレにシメンは淡々と言葉を続けた。


「もう一度変化をすることは出来ない。村へ伝える方法がなくなったんだ、どちらかが戻るのは当然だろ」

「だからって、お前をここに置いて戻れって言うのか?さっきみたいに二人で戦えば、どうにかなるかも───」

「分かってるだろ?」


 現れた二体目を厳しい眼差しで見つめるシメン。ルオーレは振り返ると、猛る火を吹き上がらせ確実に近づいてきている熊を見つめた。


「さっきのも強力な個体だったが………今度はその比じゃない。どっちが確実に足止め出来るかなんて言うまでもないことだろ?お前には“身体強化”がない」

「それは……」


 ルオーレは何も言い返すことが出来ず、唇を噛む。事実ルオーレはあの魔物相手に何も出来ずに殺されてしまうだろう。だがそれは、なにもルオーレだけではない。

 体力を消耗しているシメンにも言えることだ。シメンにもこの魔物相手にまともな時間稼ぎは出来ないだろう。しかし、この状況ではシメンの言っていることは間違ってもいるが、正しくもある。

 足止めなんか出来ない。それでも、激しく体力を消耗したシメンよりは怪我を負っているルオーレが村に伝えに行く方が、都合がいい。

 なぜならルオーレは、あの魔物の注意を引く手段すら持たぬほどに非力なのだから。

 沈黙したルオーレを見て、困った奴だ、とため息を吐いたシメンは迫り来る熊へと向かい足を踏み出した。そのままルオーレの前に出ようとしたシメンだったが、一気に駆け出したルオーレに呆気にとられ足を止めた。

 すぐに我に返り声を荒げる。


「おいバカ!!」


 後ろからはシメンの呼び止める声が聞こえる。が、ルオーレは意識して無視した。前方を注視する。

 見ただけでも分かるほどだが、同じものでも先ほどの個体より強力なのだろう。

 渦巻く火の勢いが強すぎて近付くことすら許さない。どう攻めるべきかと右往左往している間にも、先ほどとは比にならない火球が次々と飛んできては、ルオーレを掠めていく。

 背後では逸れた火球の着弾したところから次々と、地面が吹き飛んでしまっていた。


 ───らちがあかねぇ、このままじゃじり貧だ。


「一か八か火に飛び込むしかないか……くそ!」


 使えるかは分からないがシメンに言われた『雲水』という剣術を使おうにも、おそらく近付けなければ意味はない。

 だが、あの勢いの火属性の渦に突っ込めば言うまでもなく無事ではいられず、最悪、いや確実に死ぬだろう。

 かといってここで何もしなければ、死んでしまうのは自分だけではなく───

 緊張感が意識せずとも高まっていく、心臓がばくばくと音を立ててうるさい。自分が剣をまともに握れているのかすら分からない。 

 それでも、引くわけにはいかない。


 ───やってやる!



 覚悟を決めたそのときだった───。


「《アイスパルテール》」


 凛、とした声が響くと周囲の温度が肌で感じられるほどに下がり、ルオーレの目の前で熊が火の渦ごと氷漬けになる。

 凍った火の渦は、それをまるで蔓に見立てたかのように氷の薔薇を咲かせると、夕陽もあたり場違いなほどに幻想的な光景を創り出す。

 まるで、初めからセットの芸術品のようにも見えた。

 そしてパチンッと指を鳴らす音と共に、あれだけ猛威を振るっていた熊の氷像は簡単に、あっさりと砕け散った。

 余りに呆気ない幕切れに、驚きで声をなくすと同時に助かった、という思いが胸を満たす。

 砕け散る氷の欠片による煌めきの中、向かいに見えるのは先ほどの火を彷彿とさせる、いや、それよりもさらに濃い深紅に染まった流れるかのような癖のついた長い髪───。


 その光景に惚けていたルオーレは、思い出したように動こうとするが、緊張感の切れた身体はいうことを聞かず視線を傾けることとなったのだった。


「あ、ダメだこれ」


 どさっと音をたて倒れるルオーレ。体にはまるで力が入らなかった。

 

「む?もしや手遅れだったか?」


 微睡む意識の中、最後に聞こえたのはそんな間の抜けた声だった。


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