第2話 引けないところ
ジャイアントボアを倒したルオーレは、視線をシメンへと向ける。
そこでは、右側にいたジャイアントボアが丁度シメンによって殴り倒されていたところだった。鈍い音を上げながら倒れたジャイアントボアはぴくりとも動く様子がない。
「まぁ、こんなところか」
服の汚れを払うように袖を叩きながらシメンは確認するかのように呟いた。
「シメン、お前のそれいつ見てもえぐいな……」
「槍を使えば遠くからでもやれたんだがな」
「身体強化云々よりお前のほうがよっぽどすごいと思うんだが、俺の気のせいか?」
頬をひきつらせながら問うルオーレに対し、シメンは肩を竦めるにとどまった。言外に「俺の学院にいく理由は知ってるだろ?」と逆に問われているかのようだった。
ルオーレは、そういえばそうだったな、と納得すると、先ほど感じた小さな異変をシメンへ伝える。
「なぁ、シメン。さっきのジャイアントボア………なんか変じゃなかったか?」
「───そうだな。あれはまるで、何かに追われているかのように感じた。だが、この小さな森に魔物であるジャイアントボアを脅かすほどのヤツはいない。───そのはずだが……」
シメンは双眸を細め顎に手を当て考えこんでいた。
こういった仕草が様になるところはルオーレとしては羨ましかったりする。今、シメンの頭の中では様々なことが高速で現れては消えを繰り返していることだろう。
結構の切れ者で、頭の回転が速いのだ。こういうときはとても頼りになる。
ルオーレには無縁の世界だ。
───こんなこと口に出したらフィアに怒られるな。
その考えを消そうとしては、フィアの“ぷんぷんっ”と擬音が付いてしまいそうな怒っている姿を想像し、倒したジャイアントボアを回収しながら小さく噴き出すのだった。
回収を終えると、丁度いいタイミングでシメンが声をかけてくる。
「ルオーレ、一度村へ引き返すぞ」
「どうしたんだよいきなり、原因を少しでも調べないでいいのか?」
唐突に切り出された言葉に、ルオーレは眉を顰め立ち上がりながら言葉を返す。
シメンの口調は決定事項を読み上げるような、淡々としたものだ。
「ああ、おそらくだが少し面倒なことになってる」
「それは、俺たちではどうにか出来そうにないのか?」
「………想定の範囲内なら、無茶をすればなんとかなる。だがこういうことは、常に最悪の結果を想定し、その上でさらに安全マージンをとるのが基本だ」
シメンの言っていることが正しいということはルオーレにも分かる。少なくとも、そんなことも分からないほどのバカではないと自分では思ってる。
魔物の動きが普段と違う、ということは早々あるようなことではない。
今回の場合、ジャイアントボアは何かから逃げ出しているようにも見えた。それは、この小さな森にそれほどの強力なリーダーが現れたかもしれないことを示している。
未知数の相手である。未知であるということは、それだけで脅威なこと。シメンに質問したのもそんな自分の考えとシメンの考えを照らし合わせるため。
そして、それが分かっていても一つだけ、どうしても確認しておかなければことがある。
「シメン。それがわかった上であえて聞く。最悪の場合、───ホーマ村は無事でいられるか?」
シメンのその鋭い瞳がスッと細められた。
我知らず手には力が籠もっていた。手は汗でべったりと濡れている。
「…率直に言うが、答えはノーだ。最悪を想定するのなら戻って村人全員で一度脱出し、応援を呼ぶために森とは反対の辺境伯領へ向かう。この周辺は魔物もほとんどいない、それ故村人は戦うことが少なかったせいで自衛手段に乏しいが、俺とお前がいればその程度どうにでもなる。冒険者志望のあほ4人組もいるしな。だが───」
そこで言葉を切ると、一度呼吸を整え、厳しい面もちで言葉を続けた。
「ここに魔物が逃げ込んでいるといるということは、少なくともそいつがそこまで来てるってことだ。村人を避難させる時間があるとは限らない。それに、俺の想定する最悪のケースは、十年前のあのアズデ村の魔物の氾濫だ」
アズデ村。
その言葉を聞いた瞬間、頭の奥が痺れるの感じた。
動悸が激しくなり意識が遠のく、脳裏に浮かぶのはあの炎に包まれた地獄のような光景。
あちこちで悲鳴があがり、魔物と人が入り乱れる。舞い散る火の粉。舞い上がる血飛沫。
そして───力なく倒れる大切だった幼い、友達。
それらはまるで、走馬灯であるかのように、一瞬のうちに脳裏を駆け抜けた。
「おい、大丈夫かルオーレ。ショックを受けるのも無理はないが──」
「心配するな。むしろ、どうしても譲れない理由ができた」
シメンの言葉を遮りそう宣言する。
その瞳には、覚悟が輝いていた。
死の覚悟ではない───戦う者の覚悟を宿した───力強い意志の煌めきだ。
あの村には返しきれない恩が、そして王都に行くのを楽しみにしてる、口うるさくて、世話焼きで、しっかりしてるように見えるくせによく料理の時に塩と砂糖を間違えるおっちょこちょいな───大切な幼なじみがいる。
小さな意地だ。
そんな幼なじみの願いさえ叶えてやれない情けない男の、どうしても引けないところ。
力を欲したのは。
このままでは強くなれないと分かりながらも日々研鑽を積んだのは。
また、こんな自分にも護りたいものができたから。あの日、このままでは護れないものがあると知ったから。
だから───
「───やっぱ俺バカかも……」
「ほう、また一歩前進することができたな。殊勝な心がけだ」
「待て、そこはそんなことないよって否定しとくとこだろ?」
「お前は俺を買い被りすぎだ。息をするように嘘をつけるほど上手くできちゃいない」
「……なぁ、ちょっと辛辣すぎないか?そんなにボコボコにしなくたっていいだろ?戦う前から負けそうなんだが………」
「心配するな。身体強化なしであれだけやれるんだ、ちょっとやそっとじゃ砕けねぇよ」
「砕けたらアウトだろ」
軽口のたたき合い。
緊迫した今の状況には似つかわしくない、緊張感を感じさせない、そんなやりとり。しかし、普段と変わらないやりとりをすることで肩に入っていた無駄な力が弛まるのを感じる。
そこでシメンの思惑に気づいたルオーレは「悪いな」と自嘲気味に瞳を細めながら言葉をこぼす。
シメンは一度ルオーレに視線を向けると、世話の焼けるヤツだ、と言いたげなニヤリとした笑みを浮かべ歩き始めた。───異変が起きているだろう森に向かって。
ルオーレは予想外のその行動に目を見開くと後を追いかける。
「シメン、どこ行く気だ!そっちは──」
「なに気にするな。バカが1人増えただけだ」
ルオーレが慌てて止めると、足を止めたシメンは振り向くことなくどこか楽しそうな様子で告げた。
散々安全がどうのこうのと言うのですっかり頭から抜けていたが、シメンがこういったトラブルの火種によく顔を突っ込む物好きだったことを思い出す。
ルオーレは呆れを浮かべると
「──ったくお前は、いざというときの村への伝令はどうするんだ?」
こうなってはもう止められない、と仕方なく、最悪自分たちが戻れないことがあった場合の対応を聞いた。
「もしものときは、向こうが無視できないほどの衝撃を地面に叩き込んで異常を伝える。そうすればアズデ村の惨事を知ってるホーマ村の連中なら動くはずだ。お前を知ってるだけに尚更、な」
「………………分かった」
ルオーレも自分一人でどうにかなるとは思っていなかったため、シメンがいてくれるのは素直にありがたい。
普通なら地面に衝撃───など意味の分からない話ではあるが、目の前にいるシメンにはそれが可能だ。村へと伝えられるなら、と了承すると軽く気合いを入れ、進むのだった───。
***************
初めは変わった子だと思った───。
村長さんとその奥さんが、にこやかに声をかけても返答は一切なく。
それどころか聞いているのかすら怪しい態度。もう何日も何日も見たそんな光景。
幼いフィアはそんな態度を見て、ずっと怒っているのだと思った。ずっと怒り続けるなんて疲れるに違いない。
だから、村長さんにその疑問を素直にぶつけてみる。
好奇心旺盛な小さい子がよくする「ねぇ、なんで?」というやつだ。
今にして思えば、ずっと気になっていたんだと思う。話をするそのきっかけを幼心に求めていたのだ。
「ねぇねぇ、村長さん」
「うん?どうしたんだいフィア?」
村長は深い皺の刻まれた顔を優しげに緩めると、ゆっくりとしゃがんでその目線をフィアに合わせた。
「あのね、どうしてあの子はいつもおこってるの?」
首をこてん、と倒して尋ねるフィアが一瞥した先にいるのは、3月ほど前にホーマ村へとやってきた幼い男の子。
白に近い青の髪と、透き通るかのようなスカイブルーの瞳をしている。
が、その瞳に力はなく、早くも見慣れ始めた無表情で脱力したように村長宅の椅子に座っていた。精巧な人形であると言われても、信じてしまうかもしれないほどだ。
村長は視線の先を見て、なるほど、と頷くと
「フィア。彼はね、怒っているわけじゃないんだ」
「おこってないの?」
「うん。少しね、忘れられないくらい悲しいことがあったんだ」
何かを探るような視線を向けるフィアにそう伝えた。
悲しいこと、そう聞いたフィアの表情が途端に曇りだす。だが、村長の伝えたかった本質はそこではない。
「かなしい、こと?」
「そうだよ。でもね、だからって遠慮はいらないよ?話しかけてあげなさいフィア」
「え?いいの?」
戸惑った声をあげるフィア。その頭にぽんっと手を置くと安心させるように語りかける。
「今のあの子にはね、フィアが必要なんだ」
「フィアが?」
「うん」
───そう。明け透けなくぶつかってあげられるフィアみたいな子が。
「それに、フィアみたいに可愛らしい子が話しかけてくれたほうが彼も喜ぶさ」
そう悪戯っぽく言う村長に、フィアは照れたように、えへへ、と笑うと元気よく「いってくる!」と言い走り出す。
微笑ましい気持ちでその背を見送っていると、フィアは突然踵を返し、忘れ物をしたとばかりにその勢いのまま駆け戻ってきた。
「あの子のなまえ、きいてなかった!」
その鼻息の荒い様子に思わず相好を崩すと、村長は、確かな予感を感じつつ告げる。
「ルオーレ、彼の名前はルオーレだ」
***************
歩くこと数十分。太陽は傾き、夕日へと変わりつつあった。
空を見上げると木々の間からのぞく茜色が美しい。
───それにしても。
「静かだな」
いつもは聞こえてくる獣の鳴く声であったり、気配がまるで感じられない。この森には生き物なんて存在しないのでは?と疑ってしまうほどだ。
そして、違和感を否応なく感じさせ、逢魔が時が近づいているためか尚更に不気味だ。
シメンは鋭い目つきで辺りに視線をむけている。魔力探知をおこなっているのだろう。
「───っ」
突然、肌で感じられる程に周囲の空気ががらりとかわる。
なにが、と聞かれると明確に答えることはできないが、あえて言うなら焦燥を煽る、そんな不安を纏った空気。
感じたことのない緊張感が周りを包む。
肌を撫でる風に気味の悪さを感じることがあっただろうか。
「シメン!」
「ああ!来るぞルオーレ!右だ!」
探知を行っていたシメンが、出現する方向を叫ぶ。
そして、一拍の間をおいてそいつは現れた───。
熊だ。
3m近い熊、だがこの小さな森にはそんな熊は存在しない。行き慣れたルオーレだからこそ余計におかしな状況に感じられた。
纏っている雰囲気も異様で一目で魔物だと分かる。
熊のもつ長い爪は、まるでナマケモノの爪のように鋭利で、長い。
それに───
───何だ?赤い何かを纏って……こんなの初めて見るぞ。
熊はこちらの存在を認めると、大きく立ち上がった。
それだけで見るものを、こちらを圧倒する迫力がある。
───来るっ!
こうして未知の熊との戦闘が幕を上げるのだった。




