第1話 小さな異変
もう千年も前の話。
ここ【アーヴィル】の大陸では、争いが絶えなかった───。
この世界には、多種多様な種族がおり、多種性に富んでいれば当然のように、協力関係にあるものもあれば、いがみ合う仲のものもあった。
最も数の多い人族の間だけではなく、相容れない関係にある人族と魔族は大きな衝突こそないものの、各地で小競り合いが頻繁に行われていた。
そして、次第に広がり始める戦火の渦は大きな、全体を巻き込むような嵐となり、互いの潰しあいが本格的になるかと思われていたそのとき、イレギュラーである【邪神】が現れる。
【邪神】が現れると共に、魔物はより強力に、より活発な動きを見せるようになる。さらには、その動きを増長させる【魔人】を名乗る者たちが出現した。
そのどれもが一騎当千といえるほどの強さをもっており、多くの魔力と固有魔法をもつ魔族をして、束になっても敵わず防戦を余儀なくされていた。
【邪神】率いる軍勢は留まることを知らず、【アーヴィル】に住まう生命を根絶やさんばかりの勢いで侵攻し、人族含め全ての種族は遅すぎる危機感を持つこととなる。
落ち着くところに落ち着くだろう、という安易な考えと元々の情勢、対立関係上、自らの軍勢が消耗することを良しとはしなかったのだ。
そのため、強大な敵を前に連携を余儀なくされるが足並みは揃わず、むしろ足を引っ張り合う結果となってしまっていた。
圧倒的な力を前に、人々の感情を徐々に絶望が支配し始めるなか、【ガルディス聖王国】───当時の【ガルディス王国】では、聖女に授けられた信託により、後に広く語られることとなる【始まりの勇者】が召喚される。
召喚された勇者の活躍は目覚ましいもので、種族を越えて人々を纏め【邪神】の軍勢に立ち向かうと、見事に【邪神】を封印することに成功し戦いを勝利へと導くのだった。
「そして、それだけじゃなくて、【始まりの勇者】は今の魔法の基礎とか、剣術とかの体系を作り上げたうちの一人でもあるの。今でも周りと余り関わらないエルフとすら、協力関係を結んだりしてそれはもう八面六臂の活躍だったみたい───ってルオ!ちゃんと聞きなさいよ!」
「………………聞いてるよ。その【始まりの勇者】って人のおかげで今では魔族とも協力関係にあるんだろ?───ていうかさ、その話聞くのもう今日だけで5回目だぞ!そろそろ勘弁してくれよ!」
ホーマ村にある、木で造られた古めかしい家にある一室。
思わずといった様子で声をあげた少年の名前は、ルオーレ。今年で16になる。
頭が痛いと言いたげに呻き声を上げると、その白に近い青色の髪をした頭をだらしなく机に伏した。瞳には力がなく、妙に乾いてしまっている。
「ルオのために言ってるんだからね!まったくもう、こういう知識は何かあったときの役に立つかもしれないでしょ?」
「俺のお母さんかなにかかお前は…………」
ルオーレの目の前で左手を腰に当て、右手の人差し指を揺らしながら歴史の講義を行っていたのはルオーレの幼なじみである少女のフィア。
肩の近くまである元気に跳ねた赤毛のその髪は、彼女の天真爛漫な性格を表しているかのようだ。大きな瞳は、ルオーレよりも濃い蒼。全体として可愛らしい印象を与える顔をしている。
最近では以前にも増してルオーレの世話を焼くようになり、ホーマ村では風物詩のような扱いになっている。
尤も、その理由はルオーレ自身も分かってはいるのだが……
「ルオがだらしないのが悪いの!ほら、シャキッとして」
どうやらそういうことらしい。
「そこまでだらしないか?言われるほど──」
「うん!心配になるくらい」
自信満々。即答である。
自分でもそれなりに自覚はしていたが、そんなに元気に、さも当然といったように応えられるとなかなかに心にくるものがある。
言葉を食い気味に遮るフィアに、たまらず苦笑を浮かべるルオーレ。
「それにしても、何度聞いてもお伽噺みたいな話だよな」
「でも、実際にあった話だからね。千年も前だから真贋入り混じってるかもしれないけど」
【始まりの勇者】は千年たった今でも研究の対象に上がるほどであり、英雄として讃えられている。
また、憧れにするものも多い。
それは、その英雄譚を題材にした創作物が数多く普及されているからで、この王都から離れた田舎村に住むルオーレですら知っている。
歴史を習う上で出てくることは専らでもあるので、教育を受けた者は少なからずの影響を受けることに違いない。現にその少なからずの影響を受けた者が目の前にいる。
「…ねえ、ルオ。あのさ………」
今までと違った遠慮をするようなトーンの声に、真剣な話なのだろうとだらけていた上体を起こし目を合わせる。
フィアの綺麗な蒼の瞳には、先ほど言ったように心配の色が浮かんでいた。
その中に、決意の意志を感じたルオーレは例の話かと当たりをつけると「そういえばそろそろ決めなきゃいけないな」とどこか他人事のように、しかし、確かな焦りを感じつつ応じるのだった。
***************
ホーマ村の近くにある小さな森、その場所にルオーレの姿はあった。
目の前には、体長2mほどの猪、ランクGに分類される魔物の【ジャイアントボア】がいる。通常の猪とは違い、強靱な体をしており口元にある牙は長く驚異だ。
そして、最もの大きな違いは、体内に魔石を所有していること。これは、魔物と動物を分ける大きな基準となっている。
また、様々な面で役に立つことから、高値で取り引きされることが多く、冒険者たちの資金源となっている、らしい。
なぜ曖昧なのかというと単純に、ルオーレが詳しくないためだ。興味がなかったわけではない。むしろ冒険に憧れ、強くなりたいがために必死で研鑽を積んできた。
だが───
ルオーレは気配を殺し背後から近づくと、一気に地を駆ける。
気配に気づき驚いたジャイアントボアが、背後を振り返ろうとするが、
───遅い。
相手の反応もそうだが、自分の身体の動きも、だ。
次の瞬間には、ルオーレの持つ白のシンプルな装飾を施された剣により、その首を切り落とされていた。
自分の動きに納得がいかないのは慣れている。
今更、執拗に気にしているわけではない。期待があるかどうか、と聞かれればそれは、くすぶるものがあるのは確かではある。
「よし、晩飯は確保できたな」
倒れているジャイアントボアへと近寄りながら、確認するようにそう呟くと、その死体に触れる。すると、そこには何もなかったかのようにジャイアントボアの姿は消えてしまった。
ルオーレの左手にはめられた指輪【アイテムボックス】に仕舞ったのだ。顔を見たことがない親が遺した物のうちのひとつでもある。
ほっと、一息つくと思考は、先ほどの会話に向かっていた───。
「ねえ、ルオ。あのさ……」
「どうしたんだよ、改まったりして」
「…うん。えっと………あのね。ルオはこの先どうするのか決めたの?」
「…………」
聞かれるのは分かっていた。
だが、面と向かってそう聞かれると、明確な答えをもっていないルオーレは何も返すことが出来ない。
「私もシメンも、もうすぐでホーマ村を離れるから………その、どうするかだけ聞いておきたいなって思ったんだけど……」
フィアもルオーレが本当はどうしたいのかを知っているために、普段の明るさはなりを潜め、その態度には気遣いの色がみえる。
眉はハの字に垂れ下がり、所在なさげに手が動いていた。
───こんな顔をさせたいわけじゃない。だけど…
「ついて行きたいと思ってるし、旅に出たいとも思ってる。本当は」
「………うん」
「あいつをこの手で倒したいから。仇を討ってやりたいから───」
「──でも、今の俺じゃ届かない。それどころかこのままじゃ、まともな冒険者としてもやっていけない。だから……………ごめん。王都にはついていけない」
「…………そっか。私のほうこそごめんね。どうするか聞きたかっただけだから……ちょっぴりもしかしたらとは思ったけど…」
後半を聞こえないほどの声の大きさで言うと、フィアは寂しげに笑うのだった───。
「──情けないな、俺」
「今頃自覚したのか?」
「ああ、ついさっき自覚したところ───って、お前いつの間にいたんだよ!」
「ん?ジャイアントボアを倒したあたりからいたぞ?」
「初っ端じゃねーか………声くらいかけろよな」
「いやなに、声をかけようとはしたがな?どっかの思春期真っ盛り君が“フィア、王都に3人で行くの楽しみにしてたよな………”とか言いながらセンチメンタルに浸ってたからな。そっとしておいてやったのさ」
「楽しんでんじゃねーかよ」
「粋な計らいだろ?」
「いや、たち悪いわ!」
肩で息をしながらつばを飛ばすルオーレに対し、涼しい顔で軽口を叩いているのは、少し長めの濃い茶髪にヘーゼル色の瞳、刃物を思わせる鋭い目元をしたルオーレよりも少し背の高い少年。
ルオーレの悪友であるシメンだ。
いつものラフでありながら、どこか高貴な印象を抱かせる服を着こなし、楽しそうに、というより皮肉気にその口端を上げている。
「その様子だと、あまり良くなかったみたいだな」
「……………まぁな。フィアも色々考えてくれてたみたいだけど、足を引っ張りたくない」
一瞬、心配をかけないために誤魔化そうかとも考えたが、相手は何かと付き合いの長いシメンである。
下手に誤魔化してもバレるだろうと観念し、ため息混じりに答えるのだった。
「足を引っ張る、ね。俺はお前ならいい線いくと思うがな」
「らしくねぇな、慰めか?俺なら大丈夫だ」
「単に事実を言っただけだ。さっきのジャイアントボア、冒険者でなくても倒せるとはいえだ。あんなに簡単に、綺麗にはそう上手くいかない。それだけじゃない。お前は、身体強化をしていない」
「正しくは出来ないだけどな」
ふてくされたようにそう言うルオーレに、軽く肩を竦めるシメン。
事実、ルオーレは身体強化を行えない。魔法だけでなく、魔力そのものが扱えないのだ。保有する魔力量は膨大であるにも関わらず、だ。
その理由は分かっておらず頭痛の種となっており、これがフィアの申し出に応じなかった理由でもある。
この世界において身体強化ができないというのは致命的で、例えるなら全身鎧の相手に素人が防具も身につけず素手で挑むようなものなのだ。
無茶と言って然るべきだろう。
ジャイアントボアを倒しているのだって、使っている白の剣の性能があってこそのことだ。
「まぁ、俺が言いたいのは、そうそう簡単にできないことをお前はやってのけてるってことさ」
「…本当らしくねぇな」
ルオーレはぼそりとそう呟くと、視線を逸らす。それからホーマ村へ向かい足を動かした。二人で並んで歩きながら、シメンに王都でどんなことをするのかと尋ねようとしたときだった───。
木の向こう側から、2体のジャイアントボアがのそりと姿を現す。
「へぇ、珍しい。ランクが低いとはいえ余り姿を見せないはずなんだがな。それが複数とは……とりあえず喜べルオーレ、晩飯が増える」
そう言って獰猛な笑みを浮かべると、ジャイアントボアへとシメンが軽快に走り出す。
「あぁ、肉ばかりでとっても俺好みだよチクショー!」
【アイテムボックス】の存在を忘れていたルオーレは、場違いにも悲愴的な晩飯を想像し半ばやけくそ気味に走り出すのだった。
「そっちは任せたぞルオーレ!」
「ああ!任せとけ!」
左のジャイアントボアを引き受けたルオーレは、走りながら左下に、剣を両手で構える。
先に飛び出していたシメンに気を取られていたジャイアントボアが、ルオーレに気づき威嚇の声を上げる。
その目には、恐怖がありありと浮かんでいた。
ルオーレにではない、もっと他の何かに対してだ。
───こいつら、なんか様子が。
ジャイアントボアは追いつめられた様子で、勢いよくその牙をもって貫かんとばかりにルオーレへと猛進する。
そのままの勢いで突進してくるかと思われたジャイアントボアは、突如宙へと跳ぶとその勢いのまま体重を乗せるように鋭角に突っ込んだ。
その突然のフェイントに、ルオーレが慌てることはなく。
半身を沈めると下からすくい上げるような剣閃で、その首を切り飛ばすのだった。