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廻り巡って  作者: 紫陽花
序章 動き出す歯車
2/71

プロローグ

 ───うそだ。ぜんぶわるい夢にちがいない。


 地面に這い蹲り、呆然とする幼い少年の頭の中は、今起きた現実を否定するのに必死だった。目の前に広がるのは、逃げまどう村人たち、跋扈(ばっこ)する魔物により繰り広げられた蹂躙。

 村は家々が燃え盛り火の海と化し、地獄の様相を呈していた。

 そう、悪夢。まるで悪い夢を見ているようで、いま目の前に広げられる光景がまるで信じられなかった。

 しかし、自身の体は所々がすり切れ、節々が痛みをあげ、これでもかというほどに現実だと訴えている。


 ───こんなのは違う。ぼくは、だって─────。


 いつものように朝が来て。

 いつものように()()()と遊ぶ。

 いつものように「またね」と言っては

 いつものように夜を迎え、また新しい日々を()()()と過ごすものだと漠然と思っていた。


 そう───信じていた。


 目の前に倒れ伏す()()()

 魔物とは違う、人型の何かに襲われたところをその身を挺して守ってくれたのだ。


 ───うそだ……っ。


 初めは、その異形ゆえ人型の魔物だと思っていた。

 だが、その行動には魔物らしからぬ知性を感じさせ、硬質な尾を蠢かせ今もこちらを観察するかのように眺めている。

 爬虫類にも似た顔には、ニタニタとした粘着質な笑みが浮かんでおり、瞳の奥には嗜虐的な光を孕んでいた。


「どうして───っ」


 呻くように声を漏らす。痛みに歪む視界の中、視線が向かう先は倒れ伏す()()()


 ───なんで…っ。


 既に帰ったと思っていた君がここにいることにも、突然、魔物の大群がこんな小さな村を襲ってきたことにも、そして現れた異形にも。

 頭の中で様々な疑問が浮かんでは、絡まってしまった糸のようにこんがらがっていく。

 だが、そんな思いの中にも、明確な意志がある。

 いやだ、という何もかもの否定。


 震えと痛みでうまく動かない体を強引に動かし立ち上がると、倒れ伏す()()()───大切な友達シエルのもとへ、何かに取り憑かれたかのように、ふらふらとした足取りで近寄る。

 異形が手を出してくる気配はなく、この状況を楽しんでいるようにも見える。

 いや、十中八九そうなのだろう。

 たどり着くと、力が抜けたように膝をつけ震える腕で、シエルの傷だらけの体を抱えるようにして支えた。

 まだ、息はある。


 ───魔法だ。回復魔法をつかえば!


 必死に、シエルが使っていた呪文を頭の中から引っ張り出す。

 怪我をすることは多かったために、それを見る機会は多かった。

 何度も見ている。何度も。


「『かの者に、癒しの光を《ヒール》!』」


 詠唱しながら魔力を込める。

 そうすれば、呪文に指定された効果を得られるはずで───しかし、無情にも魔法が発動した様子はなく、シエルが回復した様子もない。

 もちろん、自分が魔力を消費した感覚もない。


「くそっ、魔力は高いはずなんだろ!どうしていつもっ!」


 こんなときにすら何も出来ない自分が嫌になり、声の限り叫ぶ。

 たった一度くらい、せめてこのときだけでも、いや、この瞬間だけになってもいいから、魔法を発動させてほしい。

 願いは届かない、そんなこと分かっていた───。

 魔力が高いはずの自分は、5歳になったあの日受けた測定から一年。なぜか一度も魔法が使えた試しがない。人が無意識のうちに纏うことになるはずの“身体強化”すら、だ。

 だからといって、それで素直に諦められるはずがない。当たり前だ、きっとこのままではシエルは───


 ───ぼくに、ぼくになにか出来ることは!


 身体の状態や、恐怖の震えなどどうでもよくなるほどに気が逸る。

 何もする事ができない悔しさに、思わず奥歯を噛みしめた。頼れるはずの大人たちは魔物たちに襲われ無事であるのかすら分からない。

 戦いを得意とする者がいるということも聞いたことがない。悲鳴が広がっていくばかりだ。

 村もきっと、このまま終わる。

 何も、出来ない───その事実が自分の心臓を叩き、内から苦しいほどに、強烈な、力を欲する欲望が打ち付けた。

 まるで、嘲笑っているかのように時間だけが刻一刻と過ぎ去っていく。

 声にならないもどかしい焦りをそのままに拳を地面へ叩きつけると、殴りつけた部分から赤い液体が滲み出す。


「───ごめん、ね」

「え?」


 驚いて顔を上げると、シエルは息も絶え絶えといった様子だが意識を取り戻していた。普段の暖かな、春の木漏れ日を感じさせる優しげな顔は苦しげに歪んでいる。

 微かな希望の光が見えたように感じ、表情をほころばせる───だが、それもほんの一瞬のこと。

 シエルの瞳は───その瞳は、まるで()()を悟ったかのように、穏やかに自分を映していた。

 心に氷塊が、身も凍り付くような、希望すら容易く凍り付かせてしまう凍てつく氷塊が落ちてくる。

 そんなはずはないと、認めたくないと、心が底の更に奥深くから否定の念を叫びだす。


 怖いから、想像も出来ないほどに怖いから───。


「まもっ、て………っ、あげるって……約束、したのに」


 ガンガンと頭が幻の痛みを訴え上げるなか耳に届いたそれは、

 初めて出会ったあの場所で二人を繋いだささやかな───しかし───確かな絆の証。そんな約束だった。

 苦しげに、声を震わせながら言葉を紡ぐシエル。

 その幼い体からは生命がこぼれ落ちていくように、徐々に力が抜けている。顔の向きをこちらに向けるだけでやっとというくらいだった。

 そんな変わり果ててしまったシエルの様子にこみ上げたものが、涙となり瞳を濡らす。


「いやだ…………………いやだよ。だってぼくは、シエルに──」


 ───いつも、笑っていてほしかっただけなんだ。


 そう続けようとした言葉は、シエルがそっ、と頬に差し伸べた手によって遮られる。


「シエ、ル………?」


 シエルは一度首を左右に振ると、再度「ごめんね」と謝った。

 瞳が湖面のように凪いでいる。自分の状態は自分が一番分かっている───だから、約束を守れなくてごめん、と。

 そう、心の声が聞こえてくるようだった。

 違う。そんなこと、約束だとかそんなこと、どうでもいい。ただシエルがそこにいてくれればそれで、自分は強くいられた。安心できた。

 例えこのまま魔法が使えなくても、諦めずに頑張ろうと思えた。


「泣かないで。いきて、さえいれば──っ、きっとまた、あえ、るから」


 シエルはそう言うと、最後の力を振り絞るかのように、また、安心させるかのように微笑んでみせた。

 周りで立ち上り、うねりを上げる炎がどこか遠くに感じ、現実味がまるで湧かない。シエルの言葉が遠ざかっているように聞こえる。


「死んだり、した……ら………おこっ……ちゃうん、だから…」


 その言葉を最期に、顔に添えられていた手は力なく下へと垂れ、眠るかのように瞳を閉じてシエルは息を引き取った。

 これは何かの間違いで、何もかもが嘘で、そんなありもしない都合のいい願望で頭を紛らわせ下へと垂れた手を両手で包み込んだ少年は、(すが)るような瞳で動かなくなったシエルを眺める。

 もう一度こっちを見てくれるんじゃないか、話しかけてくれるんじゃないか、普段驚かす仕返しをしようとしているんじゃないか。

 炎は上がる。

 その炎をも凍らせてしまうような冷たい怒りを瞳に映した少年を、焚きつけるかのように。


 世界は始まり、曖昧に浮かぶ。

 行く末だけを定めながら。






***************






 アズデ村。

 住人100人にも満たない小さな村だ。

 王都からも大きく(さか)えた街からも離れたところに位置しており、一年ほど前に比較的近くにある貴族の治める街が、大規模な魔物の襲撃を受けたという情報がもたらされたが、この村には関わりのないことだった。僻地であり誰も見向きもしない、そんな村。

 それ(ゆえ)、世の流れとは切り離されているといっても過言ではないが、それ以外では大して他の村と大きな違いはないだろう。

 しかし、魔法や魔力を扱う者───特に、特異な(もち)い方をする者にとってそうではなかったかもしれない。

 というのも、他の土地に比べアズデ村に潜在(せんざい)する魔力の流れ、所謂(いわゆる)霊相(れいそう)が不思議な流れを示していたからだ。

 このことは非常に珍しいことと言え、代表例を挙げるならば世界樹(せかいじゅ)周辺の森や、竜の住まう霊峰(れいほう)フオルス山、それらの特殊な場所や精霊の極端に多い場所に限られることなのだ。

 となれば、周囲からの注目を集め、場所を巡る争いに発展してもおかしくはないが、幸いにもアズデ村がそのような大きな問題に直面することはなく、何の変哲もない平和な時が流れていた。

 いや、平和なことは確かだが、「何の変哲もない」というのは語弊(ごへい)があるかもしれない。

 アズデ村には、普通とは少し違う少年がいた。

 少年が普通と違うのは二つ。

 一つは、人では早々いないほどの莫大(ばくだい)な魔力量を、その身に保有しているということ。

 魔力量は努力によって伸ばすことは余り現実的ではない。

 魔力量が全てにおいて絶対的というわけではないが、莫大な量ともなればアドバンテージとなることに変わりはない。

 恵まれた天賦(てんぷ)の才といえるだろう。

 問題はもう一つだ。

 もう一つは───


「おい!」


 まだ幼い、だが、やんちゃな性格が窺える声が村の門付近で響いた。


「おいって!!」

「………なに」


 呼びかけられた白、いや、不思議に青みがかった白髪の少年は、面倒だという気持ちを隠すこともなく振り向いた。

 その顔を向けられた少年は、一瞬たじろいだが、すぐに気を取り戻すとやや上擦(うわず)った声で続けた。

 

「ま、またいくのか?……その、魔法の練習」

「当たり前でしょ」


 白髪の少年は即答すると、そのまま振り向き門の方へ歩き出す。

 すると、慌てて追いかけてきた少年が回り込み眼前に立ちふさがった。ただし、どこかモジモジと、申し訳なさそうな様子で。

 白髪の少年が小さくため息を()くと、少年はばつの悪そうな顔をする。


「わるかったよ……………なんにも考えず、()()()()()()()()ことをばかにしたりして。もう二度としない、女神様に誓って」


 そう。

 もう一つは目の前の少年が言ったように、莫大(ばくだい)な魔力を持ちながらも一切(あつか)うことが出来ないということ。

 アズデ村では前例のないことらしく、対処方法も分かっていない。

 魔力を扱えないことは致命的なことで、(すで)に同年齢でその差が顕著(けんちょ)に表れている。

 体力や腕力、視力であったりと身体の基礎的なことはもちろん、魔力が扱えなければ魔法も扱えない。周りで同じ歳の子供たちが確かな成長を続けるなか、疎外感(そがいかん)を胸に落としていた。

 6歳になった白髪の少年は、その事実を知ってから一年になる。

 (うつむ)きながら呟くように話した少年に、白髪の少年は今度は呆れたようにため息を吐いた。


「それは前にもきいたよ。ぼくはもう怒ったりしてない」

「………ほんとうか?」

「うん。どうして何度もあやまるのさ」

「それは、ほんとうに悪いとおもったし、それに───」


 そう言って少年は、わがままを言うかのように口の先を(とが)らせ視線を(そむ)けた。 

 

「なんか、いつも冷たいじゃないか。だから、まだ怒ってるのかとおもって」


 ぽりぽりと頬を()く少年に、白髪の少年は思わず自分の顔を揉んだ。

 そんな風に思われるほど(しか)めっ面をしていただろうか、と反射的に手が伸びた。途端に目の前の少年が変なものを見るような目で見つめてきた。

 そして、プッと吹き出し小さく笑った。


「なんだよ」

「だって、急にまじめな顔で変顔しだすからっ、プフッ、おれのかん違いだったんだな」

「……怒ってたんじゃなくて、あせってただけだよ」


 今現在も早く行かなきゃ、と気分が()いていた白髪の少年は変顔の件は流し、端的(たんてき)に告げる。すると、少年は自信ありげに腕を組み、


「魔法だろ?おれが手伝ってやろうか!」

「ごめん。もう、手伝ってくれてる人がいるんだ」

「───なっ、教えてもらってるのか!?だれにだれに!おれもたのむよ!」


 自信満々に手伝うと豪語していた自信はどこへやら、少年は勢い込んで白髪の少年の肩を揺すった。()()がし、頭の揺れが収まるのを待つと白髪の少年は呆れたような瞳を向けた後で、


「こんどな」

「そんなぁ」


 言い残し、門の外へ勢いよく駆けだした。

 これ以上は相手を待たせることになってしまう。

 後ろからはまだ何事かを(わめ)いている声が聞こえるが、気にしてはいられないと足を進める。また今度。それは、その場しのぎのために言ったものではない。

 表情に出すことはなかったが、少年にとってはとても嬉しいことだったから。

 魔力の測定以来、白髪の少年に対する周囲の態度はそれこそ、()れ物を扱うかのようであり余所余所(よそよそ)しく距離を置いたものばかりとなった。

 本人が落ち込んでいたために、そうしたほうがいいと考えたのは間違いないが「普通の人と違う」という特異さを目の当たりにし、気が引けたのも間違いないことだった。大人がそうであったために、その影響を受けた子供も同じようなものだ。

 突然生じた周りとの距離感から、どうすればいいのか分からなくなっていた少年は段々と心を閉ざしていった。

 そんななか、横柄な態度と配慮のない言葉で声をかけてきたのが先ほどの少年。

 初めは魔法を使えないことを馬鹿にしてくる鬱陶しい奴だとばかり思っていた。直接口に出して攻撃してくるやつが現れたと思ったのだ。だが、しょせんは子供の喧嘩である。

 少年は馬鹿にする。白髪の少年は冷たい態度で無視をする。そんなことをお互いがムキになって繰り広げるうちに、なぜそんなことを始めたのかという理由から行動を取ること自体に目的がすり替わってしまい、気付いたときにはバカバカしくなってしまったのだ。

 思えば少年は、馬鹿にすることを口実にしていたのかもしれない。

 少年が馬鹿にするのをやめたとき、皮肉なことに、白髪の少年にとってはあれ以来、継母───育ての母以外ではあの少年が唯一長い時間いた人物であると気付いたのだ。

 喧嘩をやめた日から数日、少年が何度も謝ってくるようになった。再び少年の顔を見たとき、どういうわけか白髪の少年の心に沸いたのは嫌悪(けんお)ではなく、安堵だった。

 きっと、どんな形であれ面と向かって言葉をぶつけてくる事が嬉しい───わけではないが、心を軽くしていたのだ。 

 会いたいと言ってる人がいる、そう言えばこれから会うその子も許してくれるだろう。魔力が扱えずに荒んでいた少年の心を救ってくれた、大切な友達だ。

 この一年、腐らずにいられたのはその友達のおかげ。


 野原を駆ける。

 殺風景だった白髪の少年の視界に、次第(しだい)に豊かな緑色が表れ始め広がっていく。


「はあ、はあ、はあ───」


 足を止め、膝に手をつき呼吸を整えると顔を上げた。

 見慣れた木々の林立する林。野原に吹いていた強めの風も、この場では木立(こだち)に遮られ葉の擦れ合う音へと変わっている。

 豚みたいな尻尾と鼻をした鹿───小さな動物が呑気に歩いているのが見える。

 それを追うように目を向けていると、動物が歩いていく方には小さな湖がぽつんと、静かに息をしていた。

 綺麗に透き通った碧い湖の(ほとり)に、湖をのぞきしゃがみ込む見慣れた茶髪の姿が一つ。しかし、ただ挨拶をしてもつまらない。


「よし……」


 ちょっとした悪巧みをした白髪の少年は、一度キョロキョロと周りを見てバレていないことをしっかり確認すると、その背へとほくそ笑みながら近づいた。

 そして───


「わあ!!!」

「きゃあ───!!!」

 

 目の前に座り込んでいた子は背中に電流が流れたかのように跳ね起き、湖の(ふち)で手足をバタつかせバランスを取ろうとする。


「あ、ちょ、あ───」


 どぽーんっ・・・!


 その抵抗も空しくそのまま水中へと落下した。


「…あ」

「あ、じゃないよ!なにするの!!」


 呆けた声を出した白髪の少年に、湖がザバッと音を鳴らすとすぐに抗議の声が飛んできた。

 この湖は手前の底が浅い。落ちた少年の友達───シエルは、水中で仁王立ちになりもの申すように()わった瞳を白髪の少年へ向けた。

 ぽたぽたと、前髪から水が(したた)り落ちている。

 

「ごめんシエル。落ちるとは思わなかった……」

「あのね、ルーくん。魔法がつかえても万能なわけじゃないんだからね」

「………そうだった」


 しっかりとシエルに瞳を合わせながら少年が言葉を返すと「なに、その視線は」と、失礼な視線に釘を刺しながら真っ直ぐ少年に手を伸ばす。

 少年は苦笑を浮かべると、差し出された手を取りシエルを湖から引き上げた。

 

「それにしても、さっきの何だったの?」

「え?さっきのって………?」


 小首を傾げるシエルに向かって、白髪の少年はニヤリと口角を上げた。


「“きゃあ”ってやつ。女の子みたいだったぞ」

「うっ」


 このシエルという不思議な子は、隠し事が多い。

 事実、どこに住んでいて、どこからここに来ているのかも分からない。おそらくは貴族、またはそれ相応の身分なのだろうと少年は思っている。

 というのも、格好はこの辺では見ない、いい素材を使っていそうな衣服を来ており草臥(くたび)れているように見えるが、これはわざとそう見せるように汚している。

 おそらく、この辺りにいても不自然に思わせないための工夫だと思うが、村で仕事を手伝ったりする少年には不自然に見えたのだ。

 本人にも自覚があるのか、アズデ村まで行ったことは一度もない。

 だが、少年は不思議なままでいいと思った。

 隠し事はあっても、素直で優しいことは知っているから。

 少年は目を白黒させ言葉を探しているシエルに、柔らかな笑みを浮かべると、


「冗談だよ。びっくりするとそうなるときもあるよな」

「……う、うん」


 シエルは何が納得いかないのか頷くのを渋っていたが、やがてゆっくり首を縦に振った。

 そして、後悔に怯んだように盛大なため息を漏らす。

 なぜだろうか、シエルに対し男らしい、だとか、かっこいい、だとかの言葉を言うと妙な間が生まれるような気がする。

 なにも間違ったことは言っていないはず、そう思いながら少年は濡れた服を(しぼ)るシエルに視線を向ける。

 今は濡れてしまっているが、髪の毛は綺麗に整えられた短い茶髪。高そうな男の子の着る服。可愛らしい顔をしているが、この歳であれば皆同じようなもの。

 なにも間違ってはいないはず。

 一人首を傾げていると、何とも言えない力のようなものを感じた。だが、覚えがないわけではない。

 少年はもう一度シエルの方へ視線を向けた。

 あれは───


「魔法!」


 瞳を輝かせた少年に、シエルが柔らかく笑う。


「ぬれちゃったけど、ちょうどよかったかも。これは火の初級魔法で『ヒート』っていうの」

「へえ、これが『ヒート』か。すごい、本当にあったかい……」


 シエルの手の平が(ほの)かに淡い赤の輝きに包まれている。

 濡れてしまった服や髪がゆったりと(なび)き、手で撫でた部分から乾燥していく。たった数十秒で水気はどこかへ吹き飛び、湖に落ちた事実など始めからなかったかのように元通りになっていた。


「あいかわらずシエルの魔法はすごいよ。ぼくと同じ歳なのに、もうりっぱな魔法つかい(ウィザード)みたいだ」

「まだまだなんだけどね。これくらいなら、ルーくんもきっとできるようになるよ」

「ぼくに………できるかな」


 少年の瞳が不安そうに揺れた。

 この一年、何度も試している。めげずに村の大人たちに聞き挑み、継母に聞き、シエルの真似をするように試してみたり、魔法の書を読んでみたりと、どれも上手くいったことがない。

 

「───だいじょうぶだよ」


 優しい声音に思わず顔を上げると、微笑みを浮かべるシエルの綺麗な瞳と目が合った。

 

「ルーくんならできる。わたしはそう信じてる。できるようになるまでわたしが守ってあげるから、あわてなくてもゆっくりと、ルーくんのペースでいいんだよ。約束したでしょ?」

「シエル…………うん、そうだな………そうだった。ぼくがんばるよ!よし、まずはトレーニングだ。走るよ!」

「ちょ、まってルーくん!もうっ、ふふ」


 一も二もなく駆けだした少年の後を、シエルは思わず顔を(ほころ)ばせながら追いかけるように駆けだした。

 いつもと変わらない、日常の一部となった少年とシエルの訓練。そして、アズデ村の平和な一時(ひととき)

 だが、この平和な日常は唐突に終わりを迎えることとなった───。






***************






「はあ、はあ、きょうもダメだったかあ」


 少年の残念そうな声に、シエルも小さく眉を下げた。


「なあ、シエル。なにが原因だとおもう?いくらなんでもおかしい気がするんだ」


 湖畔に腰を下ろしながら、すっかり茜色に変わった空を見上げる少年は、ぽつりとそうもらした。

 一年間魔力を扱う鍛錬をしてきたが、どうにも違うような気がしたのだ。ただ下手なだけにしては、ここまでなにも出来ないのはおかしいのではないのだろうか、と。

 一応といってはなんだが、魔力の量には自信がある。

 それとも、その魔力量自体が仮初(かりそ)めで、本当はほとんど魔力などないのかもしれない。そう思わずにはいられないほどに成果が見られない。

 大きくため息を吐き、視線を落とす。

 目の前で僅かに揺らぐ湖は、夕空の色を映しだしなんとも情感を漂わせる色合いをしていた。

 

「わたしもそう思う。思うんだけど───」


 少年の疑問を受け考え込んでいたシエルは口を開くが、出てきた言葉はどこか歯切れの悪いものだった。


「ルーくんみたいな例は、他にきいたことがないんだ。ごめんね」

「あやまらなくてもいいよ。簡単じゃないってわかってるし、シエルにはいつもありがとうって、そう思ってるから」

「…そっか」


 嬉しそうに呟いたシエルは、少年の隣に腰を下ろし同じように湖へと視線を落とした。少しの静かな時間が流れ、


「ねえ」


 湖へと視線を落としたまま口を開いたシエルに、少年は首を傾げて見せた。


「ルーくんはどうして魔法がつかいたいの?」


 思えばこういう質問はされたことがなかったような気がする。

 どうして使いたいのか、それは簡単な理由だ。

 魔法や魔力は、使えるだけでも便利なことはまず間違いないことだからだ。畑を(たがや)すのだって土魔法が得意であれば効率も労力も変わってくるだろう。

 狩りに至っては単純な戦闘力が違う。

 そして、


「魔法や魔力をつかえれば、冒険ができるから」


 必ずしも冒険者でなくていい。

 小さな子供たちが憧れ夢に見る外の世界。

 その世界を広げるためには、どうしてもそれ相応の力が、あるいはその力を借りられる資金が必要となる。

 そして、男の子ともなれば、本に出てくるようなかっこいい戦士に憧れるのは自然なことだった。自分の魔力が類を見ないほどに大きいともなれば、魔法に憧れるのは当然だ。

 だが、今の少年にはそれよりも大事な理由ができた。 


「それに───」


 言葉に出してから少年は、継ぐ言葉を言うべきか迷い思わず口ごもる。

 恥ずかしかったのだ。

 妙な間が開いていることに、シエルが不思議そうに少年へ瞳を向けた。

 その瞳をちらりと横目に確認した少年は、余計に恥ずかしい思いに駆られたが意を決し口を開いた。シエルからは視線を逸らしながら。


「まもりたいんだ、強くなって……シエルを。これまで、ぼくをまもっていてくれたように。や、約束もしたしね」


 言い切った後で慌てたように「約束」を付け加える。

 約束の時にそう言ったときも、今告げたときも、どちらもその思いに嘘はない。

 ただ、今回のそれは前よりもずっと確かな思いを乗せ告げたつもりだ。だからこそ、心情を吐露(とろ)することへの恥ずかしさで目を合わせることが出来なかった。

 しかし、返事がない、というより、何も反応がないことが気になり少年はもう一度、ちらりと隣を見てみる。

 そこでは、シエルが呆けた顔で固まってしまっていた。


「シエル………?」


 思わず声をかけると、「ああ、えっと───」力のない声を出し、どういうわけか膝頭(ひざがしら)に顔を(うず)めた。

 流石にまずかったかもしれない。

 こんな不甲斐ない自分が「守りたい」などと、調子のいいことを言ってしまっただろうか、そう思っていると膝頭から僅かに顔を上げたシエルは、

 

「うれしい」


 上目にそう微笑んだ。

 そのとき少年は、自分の心臓が跳ねる音を確かに聞いた。


「そ、そっか、よかった」

「うん。たのしみにまってる」

「あ、ああ、うん。あのさシエル。そろそろ暗くなってきたし、門限もちかいから帰るよ」

「え…?そういえば暗くなってきてるね。じゃあ、今回はここまでにしようか」

「うん」


 返事をすると、いつものように温かく笑むシエルに「またね」と背を向け足早にその場を去る。

 なぜだろうか、どうにも調子がおかしい。

 途中から自分が何を話していたのか覚えていない。その上、妙に心が動揺している。一体なにに?そんな疑問を抱えながら少年は足早に林を抜ける。


 しばらく歩き続けると、見えてくるのはいつもの殺風景な野原。

 見慣れた光景と過ぎた時間に、心が少しずつ落ち着きを取り戻す。

 何をしているんだろうか自分は、落ち着いた少年はそう自問した。随分と騒がしく勝手な別れ方をしてしまった。

 結局、もう一人連れてきてもいいかと聞くことも忘れてしまっていた。

 しかし、これはこれでチャンスなのではないかと思い直す。いつも向こうから声をかけてくる少年に、今度は自分から声をかけ誘ってみるのだ。きっと驚くに違いない。

 天を仰ぐ。

 真っ赤な空は、すっかり暗くなっていた。


「………雨でもふるのかな」


 この時間帯は大抵まだ明るいはずなのに、暗くなるのが早いような気がする。

 よく見てみると、空が暗くなってしまっているのではなく、分厚い雲に覆われているようだった。どんよりと、しかし、墨を溶き混ぜたように黒い雲。

 どことなく不吉な雰囲気を(まと)っており、子供心にその空が怖かった。


「はやく帰らなきゃ、ごはんが冷めるってまたしかられちゃうな」


 心細くなった少年は、気分を(まぎら)らわすように呟きながら村へと走り始める。

 雨が降るかもしれない、そんな考えもあったがそれ以上に、先ほど話していたときの心地のいい動揺とは違う何かを感じ、気味の悪い胸騒(むなさわ)ぎが止まらなかった。

 

「はあ、はあ………………え……?」


 恐怖心を振り払うように走っていた少年は、思わず足を止めていた。

 呆然と見つめ、瞳を震わせる。

 少年の視線の先で、空が赤々と()()()()()。どういうことなのか、明らかに異常が起きている。

 広がる暗い空に底知れない気味の悪さを放つ赤い光彩。それは、帰るべき村の方角に広がっていた。

 嫌な想像がどんどん(ふく)らみ始める。

 まさか、まさか───

 少年は今までの疲れなど一切忘れたかのように、がむしゃらに駆けだした。

 信じられない、信じられない。

 だけど、

 走りながら空を見上げる。

 分厚い黒い雲。

 ただの雲ではなかった。流れゆく灰色を織り交ぜた黒き猛煙。


「───っ」


 思いっきり目を(つぶ)った。見たくなかった。その先に広がるものを。

 でないと、心がどうにかなってしまいそうだった。

 ただがむしゃらに足を動かし、感覚も遠くなるほどに動かして───


 熱風が少年の顔をなぶった。

 熱風の残り香のように、せき込みそうになる臭いが鼻孔に押し寄せる。青みがかった白髪がぶわりと舞い上がり、少年は思わず瞳を開いた。


「───うそだ……」


 地獄が広がっていた。

 想像もしたことがないほどの、否、想像なんか出来るはずがないほどの。赤き焔が渦を巻き、荒々しく大切な思い出を燃やしていく。

 一体これはなんだ。

 空々しく浮かぶ疑問と共に少年はよろよろと、燃え盛る村へと歩み寄った。

 突如、少年の眼前を(いく)つもの影が過ぎる。気味の悪いうなり声を上げるそれを見た瞬間、少年は尻餅をついていた。

 「───ひっ」声にならない悲鳴をもらす。

 魔物だ。

 アズデ村の周辺には存在しないはずの魔物。それが家屋を破壊し、魔法を飛ばし暴れ回っていた。

 轟々と荒ぶる火炎の音、魔物の不気味な声、建物が崩れる音に混じって、人の悲鳴が聞こえてくる。

 こんな惨状の中、まだ生きている人がいるかもしれないのだ。

 怖い。少しでも動き魔物に見つかれば、ただでは済まないかもしれない。

 だが、

 少年は震える体をどうにか動かすと、なるべく魔物を避けるように動き出す。

 心の中は、どうにかしなければならない、という妙な使命感に駆られ、まっさらだった。


「ケホッケホッ」


 建物の近くは危険だし、煙も酷く呼吸がし辛い。

 視界も満足なものではなかった。


「だれか!だれかいないの!!」


 反応を求め呼びかける。誰でもいい。応えてほしかった。

 魔物に見つかるかもしれない、という考えよりも子供故か心細さが勝っている。

 恐ろしいのだ。一人になるのも、当たり前だった全てが、なにもかもがなくなってしまうのも。例え少年に対する態度が変わったとしても、少年にとってはこの村が全てだった。

 そのとき、


「た、たすけてくれ………」


 苦しげな声が聞こえてきた。

 

「───!?すぐにいく!」


 少年は声の聞こえたほうに駆けだした。

 口に手を当てながら、呻く声の方へ迫っていく。早く向かわなければならない。だが、ある家を目にし、思わず足を止めてしまう。それは、今まで自分の住んでいた家だったもの。

 炎の揺らめきの中から、家の骨格がちらりと見える。あまりの衝撃に何かが振り切れ、涙すら浮かばなかった。帰るのが遅れ、冷えてしまったであろう夕食はどこにもない。継母の姿も。

 膝を折りかけた白髪の少年だったが、足を止めるわけにはいかなかった。なぜなら、今もまだ、助けを呼んでいる人がいる。

 意志のない人形のように進んでいると、やがて崩壊した家へとたどり着いた。

 この家は───誰の家であるかを認識すると、白髪の少年は


「だいじょう───っ!?」


 大きな声をかけようとして、慌てて声を潜めた。

 目の前に複数の魔物がいたからだ。

 視線を素早く周りに飛ばし、見つけたまだ火の移っていない家の近くに隠れる。その途中、何人かの息絶えた村人がいた。血だらけで、あるいは焼けただれ黒こげで。

 当然ながら小さな村であるため、知らない顔はない。

 頭がおかしくなってしまいそうだった。

 だが今は、魔物の奥、崩れた家の下敷きになっている少年を助けることしか頭になかった。それ以外は考えられそうもないほどに、脳が麻痺していた。

 下敷きになっている少年。

 村を出る前に話しかけてきた、謝罪をしてきた少年だった。

 苦しそうな、不安そうな表情でこちらに視線を送っている。

 「こんどな」そう言った言葉は、まだ果たせていない。今度は自分から誘ってみようかと考えていた。魔力や魔法を使ったことはなにも出来ないけど、彼を助けることが今の自分には出来るかもしれない。


 ───ぼくが………ぼくが助けてみせる。


 全身に力を(みなぎ)らせ、動き出そうとした瞬間。


 言語に絶する違和感が少年を襲った。

 あるいは少年が、魔力というものを理解できる状態であれば、何が起きたのかくらいは把握(はあく)出来たかもしれない。

 だが、少年にはその力がなかった。

 理解出来たのは漠然とした、圧倒的な違和感のみ。

 そして、

 少年の目の前は吹き飛んでいた。一切合切(いっさいがっさい)すべてが。

 魔物も、家も、救おうとした少年も。

 目の前で起きたことが信じられず、目を見開き絶句する少年の目の前に気味の悪い動きで現れたのは異形。

 硬質な尾に、爬虫類のような形相。

 少年が動けずにいると、その異形が確かにこちらを睨んだ。

 興味のなさそうな様子であったが、殺意ははっきりと感じられた。それを示すように、硬質な尾が遠慮なく鋭く少年へと振るわれた。

 魔力を扱うことができない少年が、強い力を見せつけた異形の攻撃を見切ることが出来るはずもなく、迫る凶刃に、


 ───死んだ…。


 何もかもを失ってしまい、感慨もなくそんな考えが浮かんだ。

 だが───


「ルーくん!!!」


 嘘だと思った。

 この場に聞こえるはずのない声が響き、この場にいるはずのない姿が目の前に割り込み光の障壁(しょうへき)を張る。


 麻痺していた心が飛び跳ねるほどに、信じられなかった。それと同時に、自分の命が危機にあるという事実以上に「それだけはやめてくれ」と、「奪わないでくれ」と、目の前の瞬間にただひたすら懇願し、心が絶叫していた。


 張られた障壁は僅かな抵抗を見せたあとにあっさりと砕け散り、その姿を少年の目の前からいとも簡単にさらった───。





「…………ん?」


 寝ぼけ目を擦り周りを見回した。

 今までの光景とはまるで違っており、一瞬、自分が誰でここがどこなのかを把握しかねる。だが、すぐに現状を理解し始めると、


 ───そうか。今は確か…………。


「───ってルオ!ちゃんと聞きなさいよ!」 


 怒鳴り声にビクッと肩を揺らし、顔を上げると柳眉(りゅうび)を逆立てる少女の蒼い瞳と目があった。ご立腹の様子である。今となっては曖昧であるが、随分と古く懐かしい夢を見ていたはずなのでついつい寝耽るのも致し方が───ないとは言えないほどに、目の前の少女は肩を怒らせている。

 覚えの悪い自分に勉強を教えてくれている時間なので、当然といえば当然なのだが。

 さてどうしたものか、弁解の言葉を待つ少女の怒りを抑える方法を考えながら、少年───ルオーレは口を開いた。

 


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