第8話 旅の理由
宿の小さなはめ殺しの窓から見えるのは、徐々に灯り始めた、様々な家庭を明るく照らすぼんやりとした光。
そのどれもが魔石に光魔法の『ライト』と同様の効果をもたらす魔術だ。
蓄えられた魔力を使い切ると、魔石がなくなる使い切りのタイプである。
一般家庭でもこの宿でも、貴族邸でも使われる幅広く普及している物で、ただ明るいだけではなく、小さな魔物除けの効果が付けられている。
昼間に見せていた街の喧噪は、今ではなりを潜め、街を歩く人にも落ち着いた雰囲気が漂っている。
騒がしいのは、依頼を無事に達成し打ち上げを行っている冒険者たちくらいのものだろう。いや、貴族街でパーティーを開く貴族たちもいたか。
華やかに見えるが、あれはあれで大変だ。
「それにしても【勇者】、か…………」
そう、ぽつりとこぼすように呟いた紅髪の女性。
マルセリアは、椅子に腰掛け、薄暗く染まりゆく外の景色を眺めながら、手にしていたワインに口をつける。
“アイテムボックス”にしばらく眠っていたものだ。
だからといって、時が止まるアイテムボックスの中では熟成されることはない。便利ではあるが、嗜む者にとっては難儀なことでもある。
マルセリアはそこまでお酒には強くないため、普段から飲むことは滅多にないのだが、【勇者】。
その言葉を聞いてから、久しぶりに飲むのも悪くない、と口にすることにしたのだ。
ルオーレが見れば「変なものでも食べたのか?」と、つい聞いてしまうような彼女には似合わない───しかし、見るものを惹きつける蠱惑的な色気の漂う───憂いを帯びた表情を浮かべていた。
外に向けていた視線を、手元のワインへ移す。
考えるのは───
***************
「いや何で同室なんだよ!」
「仕方のないことだ。他は埋まっていたのだからな。それに同室のほうが何かと便利だろう?」
どこか吹っ切れた様子のルオーレとマルセリアが向かったのは、宿にある二人部屋の一室。
左側にベッドが二つ等間隔に並んでおり、奥にははめ殺しの窓。
その下に木で出来ている年期の入った、しかし手入れの行き届いた机と椅子がある。机の上には、おそらく───国の歴史やこの街の概要を記した本が───ある。
ルオーレが思わずといったようにため息を吐いた。
「いや問題はそこじゃなくてだな………ほら、嫌だろマルさんも。一応、っていうのもおかしいけど俺も男なわけだしさ」
分からん。といった様子で話を聞いていたマルセリアだが、ルオーレの言いたいことを理解すると面白そうに口端をあげた。
「心配はいらないぞ。なにかあったときには氷が飛ぶことになるだけだしな。いや、氷漬けか?好きな方を選ばせてやろう」
「何もしないけど、それだけは勘弁してください」
顔を青ざめさせながら懇願するかのように声を上げるルオーレ。
道中の訓練で色々あったのだ。
まずは最初の印象が大事だ、と聞いたことがあるマルセリアは、死なない程度に色々と叩き込んだ。師としての威厳を保つと共に、ルオーレを鍛えることも出来るというわけだ。
「はッ!?私は天才か…………?」と自画自賛したのは言うまでもない。
マルセリアはルオーレの様子を見て、脅しすぎたな、と表情を緩める。
「安心しろ。ルオーレが誠実なことは、この7日で理解したつもりだ。度胸があるとも思えんしな」
「清々しい顔して言葉に棘を含ませるのはやめてくれ」
事実、マルセリアはルオーレのその愚直さを評価している。
本人は語ることはないが、魔力が使えない状況は想像もできないほどに困難なものだったろうし、その困難にぶつかる度にきっと、絶望にも近い感情と劣等感を味わったはずだ。
それも、自分では決して越えることも、壊すことも出来ない壁。
希望があるのとないのでは精神的な余裕が大きく違う。
それもそのはずで、いつか何とかなるかもしれない───の『何とか』。この部分がそもそも存在しない、
すなわち、どうすることもできないのだ。
───よく折れなかったものだ。
顔をしかめながら抗議するルオーレの顔を見つめながら、心の中でそう賛辞を送る。
マルセリアは国にも役職を持つ関係上、そうした状況に絶望した者、間に合わなかった者、たくさん出会ってきた。
だからこそ、今ここに命のある奇跡と根性に歓心せずにはいられない。
しかし、不本意ではあるが甘やかす、それだけではいられないのもまた事実だ。
ことはそう、ゆっくりと、だが確実に。
錆びた歯車が自分の役目を思い出したかのように、軋みながらも動き出しているのだ。
自分が無事でいられるのかも分からない。
それほどに大きなうねりが。
───どうやら、きな臭い動きをしている輩もいるようだしな。
面倒だ、と思わず額を押さえていると、突然考え込み始めたマルセリアにルオーレが心配そうな瞳をむける。
その表情に自分が、随分と考え事に耽っていたことに気付くと安心させるように笑いかけた。
「すまないな。大分考え事をしていたようだ」
「………珍しいな。そんなに考え込んでるところ見たことないぞ」
失礼な、普段なにも考えていないようではないか、と思ったが広い心を持つことが大事だ。
師とは常に、不動のものでないとならない。
良くも悪くも。多分…………
それにしても、ここまで来るのに浮かない顔して考えごとをしていたのはむしろ、ルオーレの方だというのに、どういった心境の変化なのか。
机の前にある椅子へ腰掛けると、マルセリアは思わず苦笑を浮かべる。
「いや、少しばかり頭痛の種がな…………それよりだ、ルオーレの方こそ何か聞いてほしいのではなかったか?」
「あ、ああ。そういえばそうだったな。うん。───前に、どうしても強くなりたいって話しただろ?村が襲われたって話」
その話は聞いている。
魔力を流すための封印を施した際に、村に残って村人として暮らせば不便ではあるが、魔力を必ずしも扱う必要はない。
と、意志の確認を兼ねて言葉をかけたのだ。
そして、返答としてある程度の事情を聞いている。
「そうだな。護るための力がほしいだったか?守られるだけなのは耐えられないと言っていたな。───仇を討ちたいとも」
ルオーレはマルセリアの言葉と雰囲気に全身を強ばらせたが、やがて、静かに話し出した。
「……魔力を扱えなくて必死だった俺を、守ってくれるって約束してくれた友達がいたんだ。幼い者どうしの咄嗟に思いついた口約束で………でも、叶えばいい、叶ってほしい───そんな思いを込められたものでもあって……………そいつにはさ、救われたんだ。毎日ただ遊んでただけだけど、楽しかったんだ。けど───」
「それで仇を…………か?」
「───っ………もちろんそうしたいと思ってる。あいつがやったことなら、あんなことをした理由を聞きたい。けど、そいつの話じゃないんだ」
ルオーレは、肩の力を抜くようにしてベッドへぽすん、と腰掛ける。
その顔はどこか穏やかで、今朝の宿に入る前の晴れやかな表情を思い起こさせる。
てっきり、その異形について知りたい等を聞かれると思っていたマルセリアは目を丸くした。
「マルさんにはさ、旅に出ようと思った理由を全部、話しておきたかったんだ。俺を信じて鍛えてくれるように、俺もその信頼を預けてみようって。迷惑かもしんないけどさ」
自信なさげに笑うルオーレだが、スカイブルーの瞳はどこまでも真っ直ぐ突き抜けていて、一切の迷いが感じられない。
───信頼、か。
「迷惑なものか。この世の中、信頼ほど得難いものはないぞ?商人どもがこぞって欲しがるようなものだ」
「身も蓋もないな………」
「そう言うな。私としては嬉しいぞ、実を言うとこういう人間関係を作るのは得意ではないのでな」
「胸張って言うところじゃないんだが」
律儀に返すルオーレを目尻を下げて見つめると、初めにしたように「それで、聞いてほしいことと言うのは」と言葉を投げかける。
ルオーレも話が脱線していたことに気付くと一度空咳をうち、表情を改めた。
「さっき話してた友達さ、最期に───生きてさえいれば、きっとまた会えるって言ってたんだ。根拠はないんだけど、俺も最近そう思えるようになったんだ。不思議なやつだったからかな、また会えても不思議じゃないっていうか………」
そんな言葉にしたくてもできない、といった様子で首を捻るルオーレに、
「───ない話でもないぞ」
と声をかける。
たちまちルオーレは、首を捻った状態で固まり目を丸くすると、壊れ物のように再起動した。
「え?本当に?」
「可能性はある。この街で魔術は見ただろう?人型を用いることも可能だ。もっとも、そのような幼い齢で操るとなると、相当な才が必要ではあるがな」
というよりも、およそ人であるとは考えづらい。
なぜなのかと言えば、至って単純なこと。
先ほど言ったように、幼ければ幼いほど、才による分野の魔法だったり魔術は際だつからだ。
所謂、特化した能力というやつで、余りその分野に才のないものが、才あるものと同様のレベルで習得するには、それなりの時間が必要で幼いうちに習得できることなどまずない。
そして、話を聞いていた限りでは豊かな感情も有していたと思われる。
となると、人型は簡易的な受け答えが出来るとはいえ、魔道具自体には感情がないため遠隔で直接操作していたのだろう。
普通ならば近くに操縦者がいる必要があるが、特定の種族であればそんな限界も存在しない。
なにより、魔術にしろ操作にしろ簡単にできるものではない。
そのようなことが幼いうちから得意なのは───おそらく…………
「てことは………………本当に、会えるかもしれないんだよな……?」
「そうだな。本当に魔術であれば、の話だが」
「いや、可能性があると分かっただけでいいさ」
嬉しそうに笑うルオーレにつられて「そうか」と笑みを浮かべるマルセリア。
可能性があるだけでも───それは、可能性のない時間を過ごしていたルオーレにとって、貴重なことなのだろう。
それにしても───
「生きていれば、か…………ルオーレ、よく無事でいられたな?聞いていると相当厳しい状況だと思うのだが」
「ああ、それなんだけど。実はさ、俺もあの後どうなったのかはよく分かってないんだ」
「む?どういうことだ?」
「あの後さ、頭に血が上って異形に向かっていったんだけど、軽くあしらわれてさ…………その、気を失ったんだ」
ばつが悪そうにそう呟いた。
どうやらあの後、無謀にも挑み返り討ちにあっていたらしい。それなら尚更に無事でいることが不思議なのだが───
「これも俺が旅をしたかった理由の一つなんだけどさ、そのとき───【勇者】が助けてくれたみたいなんだ、俺のこと。ホーマ村の村長に後から聞いたんだけどな、その人にも会ってみたくて」
【勇者】と聞いた瞬間、わずかにマルセリアに動揺が走る。
表面上なにもないように装ってはいるが、ルオーレの口から出るとは思っていなかった言葉に内心戸惑っていた。
「そ、そうか…」
「まあ、すぐにどうこう出来るとは思ってないけど───改めてこれからよろしく頼むな、マルさん」
そう言って右手を差し出すルオーレ。
先ほどの言葉による動揺が抜けきっていないマルセリアだったが、ルオーレの明け透けのない態度に心を落ち着かせる。
いざ改まって言葉にされると、面映ゆい気持ちになるものだ。
自分への信頼に心が浮き足立つのを感じると、一度息を整えてからしっかりとルオーレの瞳を見つめ返し、
「こちらこそだ」
朗らかに笑い返した。
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残っていたワインを飲み干すと、机に肘をつき顎を手のひらへ乗せ再び視線を外へ向けた。
先ほどの薄暗い夕陽とは違い、今は完全に夜の帳がおちている。
珍しく感傷的になっていた自分に自嘲気な笑みをむけると、いかんいかんと頬を軽く叩く。
すると、そのすぐ後には扉が開いていた。
そこから覗くのは白に近い青色の頭髪とスカイブルーの瞳。
ルオーレが帰ってきたのだ。
───似ているな、本当によく。
今はどこにいるとも、無事なのかも分からないあの人に。
「なんで暗いままなんだ……一瞬部屋間違えたかと思ったよ」
そう言いながら壁に取り付けられている───天井の光源になる魔道具と連動した───スイッチを押す。
途端に部屋が眩しくなり、マルセリアは目を細めた。
「少しそういう気分だったのでな」
「なるほど分からん」
「それにしても長いこと外にいたな、何か用事でもあったのか?」
その質問にルオーレは「ちょっとな」と苦い顔をすると、
「気付いたら迷ってて、近くまで案内してもらってたんだ」
その顔はどこか恥ずかしそうで、視線は明後日の方向にむけられている。
まるで隠し事が見つかった子供のようだ。
ついつい笑い声をもらすと「しょうがないだろ」とすぐに抗議の声が飛んでくる。が、先ほどの反動か、妙に笑えて仕方がなく、思わず腹を抱えるとルオーレは渋面を浮かべた。
「いや、ついだ、悪いな。」
「いいよ、自分でも抜けてんなって思ってるから」
「そう拗ねるな。明日は冒険者ギルドに行くのだしな。私は少し気になることがあるので行けないが」
「そうなのか?」
「そうだ。ルオーレも何か聞いたりしているのではないか?」
「………確かに【魔人】だったりは聞いたな。正直信じられないけど」
「そういうことだ。明日私は情報収集を行ってくる」
ルオーレは少し考えるような仕草を見せると「分かった」と頷く。
そして、マルセリアはというと、いつの間にか現れていたキュルちゃんと共にベッドへ飛び込んでいるところだった。
「本当に情報収集なんだよな?」
今までのマルセリアの仕事の態度を思い出し、若干というか大分、不安に包まれていたルオーレだった。




