2 お節介
幼稚園の時から私立に通っていた私は、小学校もそのまま持ち上がりとなった。
私の通っていた幼稚園は小学校の下の階にあり、二階と三階が小学校の校舎となっていた。
本当はもっと他のレベルの高い小学校に入れるはずだったのだが、環境が変わりたくないがために自分が駄々をこねたのが原因だった。
程なくして、私は馴染みある校舎を目の当たりにしながら小学校生活を送ることとなった。
小学校の教室ではやはり、見知ってる人は多くいた。一学年一クラス計30人の少ないクラス。周りは、幼稚園からの馴染みばかりだ。
初めて見渡す教室は、私の想像通りに輝いていた。はずだった。
ここで、私は知ることとなる。自分は人見知りだと言うことを____
どの場面でも初めましてはあるもので、俗に言う『自己紹介』が始まったのだ。
みんな淡々と楽しそうに喋り出す中で、一人だけ震えていた。それが、自分の真の姿だった。
一人ずつ、自分の名前と好きな食べ物や得意なことを紹介して行く。どれも勇気に満ち溢れていて、眩しかった記憶がある。
自分の苗字は全国でも8位くらいには入る平凡的な名前『中村』で、いつもクラスの真ん中辺りの出席番号だった。
「じぁ、次の人……」
「は、はいぃっ!!!!」
緊張し過ぎていたせいか、人一倍大きな声で担任の声を遮るようにその場に立っていた。
「経つの早すぎるからね」
元気がいいねぇ、と言うのでもなくそれが担任の言葉だった。
「は、はい……」
その後、なんと言ったのかは覚えていない。ただ耳にはみんなの笑い声が残っていた。
次の日、と言うわけでもないがそれなりに月日は流れていったような気がする。
いや、そう思っていたかった。
まず私が直面したのは、『勉学の差』だった。
幼稚園の頃から、「頭がいいねぇ」と言われ育って来たせいか、絶望を味わうのはかなり早く、己のプライドの存在を知るのもそれと同時期だった。
「ふーちゃん、また間違えたの?」
隣の席の茉麻ちゃんは、そう言った。
ふーちゃんとは生まれた時からのあだ名で、父親が本当は『帆』と書いて『ふぅ』と言う名前にしたらしかったが、父親の姉に猛反対され、渋々他の丸字の名前を選んだのだった。何とも、可哀想な話にも思えるが、父の姉は正しかった。その時ばかりは私に運が回っていたのかもしれない。
「え、ぁ、うん……」
ぼーっとテストを見ていた。
点数は67点。
私は、落ちこぼれらしい。
「何で、そんなに間違えるの?」
そんなの知らないよ。
「なんでかな。けど、茉麻ちゃんは頭が偉くてさすがだね」
私はこの頃になると、平気で笑って自分の存在を隠していた。
「えぇーそんなことないよー!」
茉麻ちゃんはそう言いつつも、誇らしげに笑っていた。
人は誰かを下に見るのが好きだ。彼女からすると、私はいくら足掻いても隣に立ってこない下の人間だった。
「あ、なら茉麻がふーちゃんのテストの答え書いてあげる!」
茉麻は、私のテスト用紙を取り鉛筆で書き直していく。
「ま、茉麻ちゃん!だ、大丈夫だから、先生に怒られたら大変だし……」
この時実際、誰かに間違えた場所を教えてはいけない。と言われていた。もちろん、書いてもいけない。だから、怒られることを恐れたのだ。自分の存在を公にはしたくなかった。誰に対しても、第三の存在でありたかった。
「ま、茉麻。ありがと……、でも、もう大丈だよ……」
「いいの!茉麻が言ってるんだから!!」
そのまま、彼女は書き続けてくれた。だが、自分手には大粒の汗があった。
「こら!!そこ、何してるんですか!!」
やはり、憶測通り先生は茉麻ちゃんと自分の机にやって来た。
「あっ……」
一言、それしか言う言葉がなかった。
「この前、ちゃんと言いましたよね?聞いてましたか?中村さん、河坂さん」
「あ、あの……」
なんとか、弁解しようとする自分がそこにいた。茉麻ちゃんが、悪者になれば全ての非が自分に返ってくると思っていたからだ。
「ま、茉麻は悪くない!!」
突然、彼女は席を立ってそう言った。
「どう言うことですか?」
「ふーちゃんがやれって言ってきたんだもん!!」
この薄い紙一重の人生の中で、一番最初に記憶に残る裏切りだった。
「ま、待ってく……」
手をそっと先生の方に伸ばしていた。
「わかりました。中村さんが河坂さんにやって貰った分は減点しますからね。今度からはちゃんと自分でやるように」
自分で、を深く強調した言い方だった。
伸ばした手は言葉によって払われ、意思をなくしたこの手は、存在をはっきりと伝えていた。
「ま、茉麻ちゃ……ん」
隣にいた茉麻ちゃんに目を向けた。今でも泣きそうで、強気な彼女の性格からは想像も付かないような顔だった。
「茉麻、知らないから!」
バンっと強い音が響いた。その後になったチャイムの音よりも強く、そして鮮明に聞こえた。
音の正体は茉麻ちゃんだった。思い切り机を叩き、立ち上がっていた。顔はさっきと変わらないままだった。
「え、あ……」
怒っていた。
どうして怒っているのか、今でもその真相はわからない。
けれど自分はもう一度、先生の時みたいに『待って』と言おうとしていた。
引き止めたかった。
「ふーちゃんは、お節介なんだよ!!」
その後、同じことが何回か続いたが、原因は全て自分ということで終わっていた。
皮肉な小さな話だった。
それからなのか、口癖は『待って』になっていた。焦った時や困った時、必死な時にずっと『待って、待って、待って!!』と、叫んでいた。多分この頃からの、いやずっと前からの心の叫び声。それが、気付かぬうちに口に馴染んでいたのだ。原因はそれだけではないが、これが一番はっきりとした出来事だと確信している。
だが、悲しいことに自分は人から遅れていた。これは確かだった。
そのせいか、人はずっと一人ぼっちでこの世界を歩んで来ているのだと、人は自由だと、人は寂しい生き物だと、人こそ化け物だと、そう思わなければ生きていけないとぼんやりとわかって来ていた。
「お節介、お節介、お節介」
帰り道。そう、ブツブツと歌った。
小学生編(?)無事、突入出来ました!
最初の灯火が出てくるのは、次話あたりかと思われます。